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「日本はいい国だった」の心理学
2008年 12月 14日
田母神さんの懸賞論文事件で,彼の言いたかったことを一つだけ抜き出せ,と言われたら,「日本はいい国だった」になるのではないだろうか.
この言明そのものは歴史修正主義者たち(ここでは田母神さんのような,戦前の反省を”自虐史観”と決め付けたい人を便宜上,このように呼ぶことにする)の数多い「修正言明」の一つに過ぎないが,本記事ではこれを題材にして,このような「修正言明」を発したくなる「心理」を考察する. 初めに,「日本はいい国だった」という主張の間接的な意味を確認しておく.この主張は,「大日本帝国は侵略国家ではなかった」,「大日本帝国が行ったあらゆる施策は今では現地の人から感謝されている」,「大日本帝国の取った行動は現地の人が望んだからだ」,等々の意味を間接的に含んでいる. このような意味を持った発言は一体どういう心理状態の発露なんだろうか.それをここでは考えてみたいのである. 大日本帝国は侵略したのではない,という主張は,その裏には次の二つのことが前提になっていることを確認しておこう. 1.侵略は悪いことである. 2.我が祖国はかつても(今も)侵略のような悪いことをするような国ではない. つまり,歴史修正主義者たちは,”侵略は悪い”と感じる,きわめてまっとうな感覚の持ち主なのである.これは大変に喜ばしいことである.だって,『日本のような優秀な民族が劣等民族を侵略して何が悪い!?」と居直り,正当化する人と較べてみよ.なんとまっとうな正義感を持った人か判ろうというものだ. そして,2に関しては,我が祖国はそのような悪い国ではないはずだ,という非常に愛国心あふれる人だということがわかる. ところが,2の「愛国心」について,もう少しじっくりと考えてみよう.一見,愛国心にあふれているようだけど,もう一つ別の見方から考えれば, 「もし,日本がそのような悪いこと(例えば侵略)をしたのであれば,日本は嫌いだ,そのような国には我慢がならない」 という意味を含んでいることに気づくだろう.つまり,「我が祖国を好きでいたい,しかし,そのためには侵略のような悪いことはして欲しくない,しているはずがない,いや絶対にしていない!」となるのである.論理的な帰結で言えるわけではないにしろ,そのような心理が働いているだろう事は容易に推定できるのである. もしこのような推定が当たっているとしたら,本当に愛国心があるといえるのだろうか?本当の愛国心とは, 「日本がたとえ過去にどのような過ちを犯したとしても,やはり私は日本が好きだ」 にならなければいけないと思う.その時代は嫌いでも,現日本国そのものを嫌いにならなくても良いではないか.別に日本だけが素晴らしいと思わなくても良いではないか.日本だけが,日本人だけが侵略などとは無縁で,特別優れている,いるべきだ,と思わなくても良いではないか. 「だけどそれでも日本が(も)好きだ」ということが本当の愛国心ではないだろうか.(別に愛国心問答をしているのではないことを念のため) 我々人間自体でも考えてみよう.我々も,中には不良だった時代のある人もいれば,実の子が刑務所のご厄介になる場合だってある.新聞やテレビを賑わす凶悪殺人犯とも,何代前か何十代前かは知らないが,確実に同じご先祖様を戴いているのである. しかし,だからと言って自分の実の子を見捨てるわけにはいかない.どうしようもなければ見捨てる人もいるかも知れないが,見捨てないでどうか再生して欲しい,と願う場合の方が多いことだろう.愛とはそのようなものではないだろうか.実の子がぼんくらであったって,優秀でなくったって,それはそのまま受入れるではないか. だからといって,その悪いことは歴史的にどこの国でもやったことだから我々だけが謝る必要は無い,ということにはならない.ひどいことをした相手からは,許してもらわなければならない. 許されるのに必要なのは謝罪と反省,それも二度と繰り返さぬというシステム作りである.そういうことができる国であって本当に素晴らしい国である,と言えるのだ. 日本国憲法はそういう意味を持っているのである.それこそが我が国民の誇りとすべきものである.我々はすでに誇るべきものを持っているのである【注1】.もうすでに素晴らしい国となる資格は十分にあるのだ.あとはそれを使うだけである. そして二度と繰り返さぬシステム作りを行ったから,これで許してください,としなければならない.しかも許す,許さないを決めるのは相手であることを忘れてはならない.相手が許してくれるかどうかは我々がどういう姿勢【注2】で反省と謝罪に臨むのか,に依存しているのである. 以上,『侵略を認めることが,「日本はダメである(あった)」という自虐を意味する』ようなことは一切無いという話であった.これが少しでも歴史修正主義者の目を覚ますことに繋がればいいなぁ(^o^)/^^^^^^^ 【注1】 別に,誇りに結びつける必要などない,と考える人はそれで良い.誇りとなるものが欲しい人のために言っている. 【注2】 歴史修正主義者たちのみならず,単なる庶民がよく言うこととして,「一体何度謝罪すればよいのだ!」がある.確かに,韓国や中国,その他の国々に対して,何度か謝罪の言葉が発せられたと思う. この責任は,日本側にあることは明白である.というのも,未だに「謝罪は口先だけ」と言える状態だからだ.だって,謝罪を否定するかのような閣僚の歴史修正主義的発言がなされたり,歴史教科書検定で正しい記述にクレームが付けられたり,しているではないか.
by papillon9999
| 2008-12-14 17:48
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Comments(3)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
参考になりました。
本記事を弊ブログに紹介させて頂きました。 今後とも宜しくお願いします。
0
この記事の続編となるものを書き,TBを送りました.よろしくお願いします.
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