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「言論の自由」とは何か(3)
2008年 12月 07日
「言論の自由」という概念は本当に貴重な人類の宝であるのだが,それはどの人も持つことの出来る宝である.とすれば,ある人の持っている宝とこの人の持っている宝同士がぶつかった時にいったいどちらの宝が大切なのか,というジレンマが必ず生じる.世の中は常にこのようなせめぎあいに満ちているのである.
言論の自由とは本来,市民が支配権力に対抗するための武器であった.そこには個人対権力,という対峙の構図が想定されている.つまり権力側の性悪説を想定しているといってよい.自由な批判や違った考え方の「公言・広言」が,多くの人に権力の政策や策動の「陰謀」や危険性を知らせ,権力の暴走を防ぐための多数の力を生み出す,そういう期待が込められているのである. 以上は「市民対権力」の対峙として言論の自由を考えた場合である.それでは,それ以外のせめぎあいではどうなるだろうか.「市民対市民」,「市民対私企業」など,互いの自由権と自由権がぶつかるのは頻繁(ひんぱん)に生じることである. ここに格好の例がある.ご存知の方も多いだろうが,「三菱樹脂事件」というものだ.これは「言論の自由」そのものの問題ではないが【注1】,それと表裏の関係にある「思想信条の自由」と「私企業の経済活動の自由」とのせめぎ合いである.本稿ではこの問題を題材にして,「個人(私人)対私企業」のせめぎ合いを考える. この問題に対する最高裁の判断は,端的に書くと以下のようなものであった. 「思想信条の自由は対公権力のものであるが,それ以外にも保障される.しかし,すべてを人権保障的法律で規定できない以上,私人間のせめぎあいは通常の法律で決着すべきものである.」(パピヨンの意訳的要約) 要するに,私人対私企業を私人間のせめぎ合いと規定し,思想信条の理由による採用拒否を実質的に認めたのである.この問題に関してはいろんな考え方が提出されており,ここのサイトが大変参考になるが,この最高裁の判断は「間接効力説」と呼ばれるものに属するとされる. この最高裁の判断をどのように考えるべきだろうか.この判断,ないしは「間接効力説」は,「権利同士のせめぎあい」というものを良くつかんでいるといえる.しかし,残念ながらこれではまだきわめて不十分と言わざるをえない.それは強者と弱者,という概念がないこと,これらを同列においていることだ. 憲法や法律でわざわざ保障する,ということの意味を考えるならば,それは「弱者保護」のためでしかありえない.するとそれは対国家権力のみではなく,それに準じたものに対しても同様に適用されるべき,と考えるのが自然である.弱者はどのケースでも同じ「弱者」なのだから.この考えは上記サイトの「私見」とほぼ同じであろう. しかしながら問題はもっと複雑である.ある企業の経済的活動の邪魔になる思想信条を持った人物を採用する責任が果たして一企業に存在するだろうか?これはかなりの難問である. 責任がないとすれば(つまり採用拒否できるとすれば),資本主義社会を認めない思想信条の持ち主は私企業に勤めることが出来ず,生活の糧が得られない=生きて行くことはできない.一方ではそういう人にも生きていく権利は当然あるのだ.一体どうすればいいのだろう? 最高裁はこういう決めの細かい判断を放棄して,単に私企業は私人とみなす,安易なマニュアル化で逃げているのである,残念ながら憲法・人権の最後の砦としての責任感が完全に欠如しているのである【注2】. パピヨンの考えをここで書く.やはり,思想信条を企業側は暴いてはいけないのである.さらに,知ったとしてもそれだけの理由で採用拒否,あるいは解雇などは許されない,とすべきである.ただし,企業活動を妨害するような実害が生じたときは,その程度に応じた対応を認めなければならない【注3】.つまり,状況によっては解雇・採用拒否もやむをえないケースも理論的にはあり得るということである.これによって,自ずから「共存」が図られることになる,それを期待するしかないだろう. 「私企業」を普遍化すれば,ここでの考察は国家権力以外のあらゆる団体,組織に対してもあてはまると考えてよい. ちょっと粗雑な議論だったかもしれませんが,これ以上は今の所パピヨンには無理です.次はいよいよ私人対私人のヘイトスピーチ等について考えます. 【注1】 「思想信条の自由」,「表現の自由」,「言論の自由」の三者の関係はどのようなものか,どこかに書いてないか調べたが,あまり良いものは見つけられなかった.パピヨンは次のように考える.「思想信条の自由」が根本にあり,「表現の自由」,「言論の自由」はそれを公言・広言する権利である.また,「言論の自由」は「表現の自由」の一形態にあたる.従って,「言論の自由」について得られた考察結果は,すべて「表現の自由」にもそのまま当てはまることになる. 【注2】 最高裁のこの種の不作為は万死に値する.このことについては改めて記事を起こすことにする. 【注3】 例えば,企業倫理に悖る犯罪行為,またはそれに準じた背信行為,人道的違反,等々の告発などはこれ(解雇・懲戒)に当てはまらないのは当然である.解雇・懲戒がやむを得ないものとして想定されるのは,たとえば「労働者からの搾取となるから企業活動をやめよ」という運動を行うケースである.恐らく,こういうことは生じないだろう. 難しいのは,例えば反原発,反兵器製造,などである.この問題は,社会がこれらを反人道的行為とみなす合意が出来ているかどうかに依存している.自企業内での反原発運動は現在の社会では全く認められないだろう.(データ改竄の告発などは当然認められるべきである).
by papillon9999
| 2008-12-07 17:52
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