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続・二元論(愛と論理)
2008年 06月 27日
『愛』があればすべて良し,なのか? 『優しさ』があればこの世は何の問題も生じないのか?このように問うとすれば,あなたはどう答えるだろう?次の二つのうち,どちらだろうか?
1.すべてというわけではないが,世の中の多くの問題は『愛と優しさ』で克服できる可能性が高まる. 2.いや,『愛と優しさ』だけでは世の中の不幸な問題は克服できない. これに答えるためにはもちろん『愛とは何か』,『優しさとは何か』,ということが問題になるだろう.しかし,それは敢えて定義せず(私の定義は【注】に書いておく),今のあなたの定義に従って考えてよい. 私は1と2は両方とも成り立つと思っている.それは単に『範囲(種類)の問題』であろうと思うのだ.そう,1のことが成り立つ問題の範囲,2のことが成り立つ問題の範囲,というものがあり,すべてを一つの命題で述べることはできない,ということである. 1について言えば,見ず知らずの他人より仲のよい間柄でのトラブルの方が一般的には問題解決が容易だといえるし,『愛のある政治』であれば不幸な人が減るかもしれない,そのような『一般的な傾向』は確かにありそうだから十分成り立っているはずである. しかし,すぐ気が付くように,これだけでは解決しない問題も数多い.たとえ愛や善意があってもどうしようもないことや間違うこともあり,さらには何が最も良い方法か判らないことも多い.また,仲の良い間柄だからこそ骨肉の争いにまで発展することもある.最も怖いのは隣組だったりする. ということはそのまま2が成り立つということである.ここで必要になるのは冷静な判断だと思う. なぜ『愛と優しさ』だけでは,世の中うまくいかないのか ということをしっかり考えてみなくてはならないのだ.『愛と優しさ』という言葉に眼をくらまされている場合ではない.ただ注意して欲しいのは,たとえ2であっても『愛と優しさは不要』と言っているのではないことである.不要ではないのであるが,それだけで世の中がすべてうまくいくわけがない,としっかりと認識すべきなのである. それはなぜだろう?世の中にはいろんな人もいる.市民・庶民レベルであれば,人を犠牲にして,あるいは人を不幸にして,あるいは傷つけて,自分だけいい思いをしようとする輩が必ず存在する.いや,そいつだけいい思いをするだけならまだ無視してよいが,そういう奴は社会に害悪を撒き散らすのである.そこでは『愛と優しさ』だけでは対抗できず,それ以外に何かが必要なのである. そして,厄介なのはそういう悪い人がいなくったって,世の中はうまくいかないことも多いし,そこでも『愛と優しさ』以外の何かが必要である. さらに,これが国家対個人のレベルになると,国の愛や優しさ,政治家の愛や優しさ,というレベルでは,個人的なレベルの愛の論理をはるかに超えた論理が作用するのであり,政治家個人の資質ごときでどうにかなるものではないことである.(大きな意味は持っているが) 以上,前置きが長くなった.ようやくこの記事で言いたい所に来た.言いたいことは,『愛と優しさ』だけあってもダメだ,ということである.そのダメさを補うものは何か,といえば,それこそが 『論理』だ,といいたいのである. ここで例の『水伝騒動』を採り上げる.この騒動の中で,ある一群にグルーピングされた人たちがいて,その人たちは『共感派』と呼ばれるようになった.そこで明らかになったことは,この方たちが,『愛と優しさ至上主義』に陥っていることである. その人たちの間では『愛と優しさ』とはどういうものとされているかといえば, 『批判する時は,相手の信じているものを傷つけないこと』 なのである.たとえその人がトンデモ的なものを信じていたとしても,彼らの言い分はこうなるのだ. ・トンデモ(例えば水伝)を信じているといっても,トンデモとわかった上で信じているのだ【注2】 ・愛と優しさがあればもっと優しい批判の仕方がある ・何かを信じている人はその人なりの合理的根拠を持っているのだから,批判はできない ・如何にトンデモといえども,その人の心を占めてしまった以上,それを批判することはその人の人格を否定することになる ・科学という権威を以ってその人の信じるものにまで踏み込むのは許されない ・批判することによっては対話が成り立たない 最初なんか,ん?ん?何言ってんの?という感じだけど,結局は『わかって信じてんだから,余計なお世話を言わないで,言ったら傷つくじゃないの!』といいたいのである.そしてここに存在する彼らの大きな誤解は,『批判する人には愛と優しさが無い』と思っていることである. いや,別に批判者が批判相手に愛を持っている,ということではない.馬鹿にしている可能性が高いのだが,もっと広い意味なのである.一般的な愛や優しさは,人一倍『愛や優しさ』を叫んでいる人が特段優れて豊富に持っていると言うものではないということなのだ.そういう,証拠はどこにもないのである.(愛や優しさをプラス価値としてみる場合). そういう『愛と優しさ派』の行動やメンタリティを見てみよう.彼らの特徴的なパターンは,対話をするのだと言いながら,批判された内容には決して自分の考えをすり合わせようとはしないことである.反応するのは批判の仕方に対してなのである.これでは対話にならない.その人の心と脳がフリーズしているとしか言いようがない. それから,愛が大事と言いながら,愛のある人みんなで一緒に,愛のない人たちと闘いましょう!という連帯感情にとても強く支配されることである.愛を自覚している仲間だけが愛で団結するのだ.批判はその団結を壊すものとして捉えられ,それを唱える人は乱入した敵となる.これは隣組の感覚に近いのではないだろうか. 私も含めて,共感派に反発した人は多かったと思うが,その理由はこんな所にあったと思う. 以上,『愛と優しさ』には一定の価値を認めた上で,その限界を認識すべきである,という話である.それを補うものは,そう,『論理』である. 論理とは,愛と二元対立するものではなくて,愛と優しさを補強・補充するもの,あるいは愛と優しさの強固な土台となっているべきものだと信じる. 【注1】 愛とはなんだろうか.私は次のように思っている.(別に深く考えたわけではないので軽く軽くネ(^o^)/~~~~) 自分の気持を受け止めてくれて,かつ好ましい反応を示してくれる,そういう対象はとてもいとおしく感じられる.愛とはそういう働きかけをしたいという感情である.対象は人間,異性,のみならず,猫,花,その他万物に及ぶ.当然見返りは本来は期待していないものであるが,好ましい反応が見られず,もしくは裏切られたりすれば,そういう働きかけは為されなくなるだろう.その好ましい反応こそが見返りといえば見返りになる.それで十分なのである. 【注2】 『水伝』をホントに信じている人はいないのだ,トンデモをそのまま信じている人はいないのだ,という言い方がよく為される.しかし,トンデモをその本質まで含めてホントに分かっているのか疑わしい.ホントにわかっているの?! 『水伝』に少しでも肯定的意味を見出そうとしている人たちよ,あなた方はホントにそのトンデモ性を理解できているの!? トンデモ性とそれに起因する危険性が少しでも理解できていればそのような言い方をするのはとてもできないはずですよ.逆に言うと理解できていなければそういう発言はとてもおこがましいことなんですよ.
by papillon9999
| 2008-06-27 18:38
|
Comments(8)
アルバイシンの丘さん、こんにちは。こちらでは初めまして。
ちょっと気になったので、質問させてください(素人探偵と言わないでくださいね。このエントリーに対する質問です)。 1つ目。「共感派にグルーピングされた人たち」を、どのくらいの範囲でお考えでしょうか。 2つ目。それらの人たち一人ひとりが「批判する時は相手の信じているものを傷つけないこと」と語っている、あるいはその趣旨に賛同しているのを、確認していらっしゃいますか。 揚げ足を取ろうとしてお尋ねしているのではありません。ただ、私には「共感派」が「愛と優しさ至上主義」に陥っている、とは思えないので(例えば私(MEDAMA)は共感派に分類されている〈らしい〉のですが、こういうことを書いた覚えも賛成した覚えもないです)。それで、どこからこのような論をお立てになったのだろうかと思うわけです。 ちなみに、私も1と2は両方とも成り立つと思います。ダメさを補うのが「論理」であるかどうかはわかりません。いろんな表現ができるように思います。
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(つづき) こんな経過でコメント欄に初登場するのがちょっと残念ではあります。アルバイシンの丘さんの「大同小異と小同大異」はとても興味深く拝読しました。「先入観や偏見を持たずに考える」なんて簡単に言うけど、紙一重なんだなーということがよくわかりました。
ときどき巡回させていただいています。どうぞよろしく m(__)m。
MEDAMAさん,ようこそおいでくださいました.コメントありがとうございます.たんぽぽさんの所で私が反論コメントをした方ですね.その節は失礼しました.
まず1つ目ですが,MEDAMAさんは私の中ではどちらにも全く入っておりません.なぜなら,御記事を読んだことがないからです.コメントは拝見したことがあるかもしれませんが,あのたんぽぽさんへのコメント以外は記憶に残っていません.ということで,MEDAMAさんご自身を私がどう思っているかについては,何もデータとしてありません. 次に,どの人を共感派と思っているかは,私が一人一人厳密に区別できているわけではありません.『いわゆる』ということで思ってくださって結構です.一人一人厳密に区別できてなくてもこのグルーピングは一般的な共有されたものと思っています(たとえ,各人によってグルーピングが異なるにしても).特定の人に関する評価はご勘弁ください.
2つ目ですが,私は時間をたくさん掛けるわけには行かないのでずーっとウォッチしているわけではありません.主にたんぽぽさんの所とその引用リンク,それから愚樵さんの記事とそこに集まるコメント,そして私のところで為された議論,を基にして考えています.
確かに,『批判する時は相手の信じているものを傷つけないこと』は存在しています.それがよくわかるのは愚樵さんの所のコメントと議論,私の所のコメントと議論だと思います.そこでの議論は主に『科学は人を傷つけるのか』という観点から為されましたが,私のこの記事の『彼らの言い分』の所に書いたような議論が出てまいりました. ところで,MEDAMAさんのご質問は確かに真摯にかつ紳士的に為されていると感じます.いろいろな記事に対するご意見や反論をお願いいたします.
アルバイシンの丘さん(ではなく「パピヨンさん」なのかな?)。
お返事いただいているのにご挨拶が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。誠実で丁寧なお答えを、ありがとうございました。 「共感派」とか「論理派」のグルーピングについては、あるのかもしれませんが、私自身はできる限りそれにとらわれたくないと思っています。グルーピング→先入観・偏見→一人ひとりの言論の(違いの)軽視→そして行き着く先は(自分の)論の誤り、となりかねないので。ただ、「人」ではなく、人をグルーピングしている「要素」や「概念」について語るのはありだろうと思います。 それと、主にどこのコメントと議論を念頭に置いておられるかについては了解しました。私自身はあまりよくわからなくて、斜め読みしかしてませんので(^^;、同意も不同意も表明するのは差し控えます。 さまざまな事象に対し自分の論を組み立て見解を表明するのは(しかもそれを継続するのは)、なかなか大変なことだと思います。これからも読ませていただきますね。あまりコメントする機会はないかもしれませんが、少し敷居が低くなったような気はしています。 ありがとうございました。
『「人」ではなく、人をグルーピングしている「要素」や「概念」について語るのはあり』
これはもう当然のことです.新自由主義とか護憲派とか霞ヶ関的権力側とか,言語で概念を作らなければ論議ができません.人はその概念に付属するわけですが,完全に範疇に入る人もいれば境界付近であいまいな人もいるのですから,グルーピングは主観的に為されます. 多くの場合,グルーピングによって先入観を形成しますが(新自由主義者は小泉支持だ!というような),それは仕方のないことです.(新自由主義者で小泉が嫌いな人なんて想像しにくい). 私はなるべく先入観を持たないようにという意味で,どのような意見が出てきても聴く耳を持つ姿勢を保ちたいと思っています.(努力目標(^o^)/) ところで,MEDAMAさんは女性と見ました!『紳士的』といって住みませんでした.
パピヨンさん。
》私はなるべく先入観を持たないようにという意味で,どのような意見が出てきても聴く耳を持つ姿勢を保ちたいと思っています. 初めてお会いしたたんぽぽさんのところでも、パピヨンさんは最初から決めつけず、確かめながら論を進めておられたと記憶しています。議論に関わる全ての人がこれをしっかり意識していたら、ネット上のやりとりももう少しマシになるのではないかと‥‥しかし、言うは易く行うは難し。本当に、「努力目標(^o^)/」ですね。 あと、『紳士的』で別にかまいませんよ。『淑女的』といっても通じそうにないし。「隠居のお爺さんキャラ」と言われたこともあります(^^;。それもまた楽し\(^o^)/ です。 これからも、どうぞよろしくおねがいいたします。
MEDAMAさんはやはり女性でしたか!コロンボの推理が当たって嬉しいです(パピヨンは刑事コロンボをよく例に出します.推論でわかる所はわかるのだ,という意味です)
先入観の弊害をもう少し補充しておきます. 例えば,新自由主義者であっても小泉が嫌い,という人も無きにしも非ずです.例えば小泉の本質をほんとは主義主張のないただの遊び人だ,と喝破していればそうなります.これは新自由主義に関しては特殊な意見ということになります.(パピヨンは小泉さんはただの遊び人だと思っているのでそういう例を作りました.) どういう問題でもそういう特殊な意見の持ち主はおられます. そして,先入観は盲点を形成することも多いですね.だから自分の意見も発展していかない. コメントに訪れた方で特異と感じる意見をお持ちの方がおられました.詳しくお聞きしたら,なるほど,そういうように考えたらそんな意見になるなあと感心したこともあります.その上でもその意見には同意できませんでしたが,そんな考え方もあるのか,と勉強になりました. ご意見どうもありがとうございました.これからもよろしく. |

