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随想や意見,俳句(もどき)
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『唯物論と観念論』-二元論を考える
2008年 05月 25日
水伝の道徳を考えているうちに,意外な誤解が広まっていることに気が付いた.科学は『非物質的なもの』を否定するものだ,という『誤解』である.もっと言えば,科学は個人の信仰の部分まで押しかけてきて,それを『科学的にありえない!』と否定・断罪する,という被害感情である.しかし,これは科学の本質を捉えそこなったとんでもない『誤解』である.
例えば,『キリストの復活』を考えてみよう.キリストの復活を社会一般の普遍的な真理と認められないのは,『科学的にありえない』からではない..『それが証明できない』からにすぎない.この意味で科学とは超保守的な営みなのである.積極的に否定しに行くのではなく,肯定しようにも判断材料がないから,取り上げられないだけのことなのである. これに対し,もしキリスト復活を『証明』しようとする試みが(信仰の枠を超えて)出て来ようとした時に初めて科学の出番となる.その証明がちゃんと納得できるものかどうか,『科学的に』吟味が行われる(水伝の場合がまさにこれに当たる)のである. たいていの場合,却下されるだろう(証拠不十分によって).しかし,キリストの復活の証拠となる何か,例えば遺跡などが出てくれば,『科学的な吟味』に耐え得るかも知れない.そうなれば『キリスト復活は事実だった』という歴史上最大の大発見とされるだろう. 宗教への科学の関わりとはその程度のものでしかない.『誤解』していた人は,科学への思い込みが却って過大過ぎるのであろう. 『唯物論』と『観念論』のように,二項対立概念が存在する.そこには『唯物論』は非物質的なものをすべて否定するかのような誤解が存在しているのであるが,上述したような科学への『誤解』を持つことと根底では同じことだろうと思われる. 『唯物論』とは決して非物質的なものを否定しているのではない.『物』とは,科学的な思考の対象となるすべての物を指す,と考えてよい.レーニンだったか,正確な記述は忘れたが,次のような趣旨のことを言っていたと思う(確か). 『物質とは感覚で捉えられる独立した存在で,かつ,認識できる客観的存在である.その認識対象に関する主観的な記述体系ではない,科学的なものの見方全般を唯物論と言う』 だったかな(^o^)/ これをみると決して非物質を否定しているのではないことがわかる.何しろ,このような思考を行う言語,精神的な作用や営みそのもの,また正しい論理を並べ,それを正しいと感じる心があって,初めて唯物論というものが生まれるという自覚があるし,非物質的なものを否定していることにはまったくならないのである. このような,『物質の塊である人間』から『豊かな精神的活動』が出てくるのは,ちょうどICチップを並べたコンピュータが種々の仕事をこなしている姿と重なってくる. チップを多数並べた物質の塊という空間から,プログラムと言う生命を吹き込まれると人間がこなしえない仕事を代わりにやってくれる作用が生じるのである.今できる仕事は人間のやることほど上質なものではないだろう.しかし,これからどんな仕事を成し遂げるように成長するかわかったものではない. ひょっとしたらこのような言い方は,唯物論が好きではなかった人にとってはとんでもない主張に思われるかもしれない.人間の精神や心はもっと霊的なものであり,コンピュータごときが人間になれるわけがない,ということなんだろうか. もちろん,コンピュータはいつか人間になるとは主張していない.チップを多数並べると霊が生じると主張しているのではない.コンピュータのプログラムは人間が作るのだから.ただ,物質の塊から精神的活動が生まれるというところに類似性を感じる,というだけのことである.科学は物質と非物質を分離することから始まった,という言い方に疑問を呈しているのである. そういうコンピュータであるが,その『知能』はすごい所まできているようだ.コンピュータ将棋はすでにアマチュア名人に勝った.そして,プロの最高峰の一角にあと一歩の所まで迫ってきている.コンピュータチェスは10年以上も前に世界チャンピオンを破ったことは有名な歴史的事実である.コンピュータ囲碁はまだまだ,あと100年は大丈夫なようであるが,それにしてもすごい.でも,それをプログラミングする人間がもっとすごいと言うべきだろう. だけども,コンピュータに『意識』は芽生えないのだろうか?パピヨンは専門外だけど,チップを並べただけでは意識を生むのに何かが欠けているような気がする.それは何なのだろう.果たして人間に分かることなのだろうか.このためには人間自身の研究が必要であり,脳の仕組みなどがどこまで解明可能かに依存するのかもしれない. 物質の塊である人間だって,この先,どんな素晴らしい『非物質的なもの』を生み出すのか,とても大きな可能性=楽しみがあるではないか.願わくば悪魔のようなものでないことを祈りたい. 私は二項対立概念で物事を見るのは好きではない.
by papillon9999
| 2008-05-25 21:04
|
Comments(11)
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コンピュータが人間になれるかどうかは、「人間」の定義にもよります。
そう遠くない将来に、人間の脳内の記憶情報はすべてコンピュータにコピーできるようになると言われています。 そうなると、違いはまさに「意識」のあるなしということになります。 しかし、ここでまた「意識」とは何か?という問いも発生することになります。 どうも、日本の「科学者」や「哲学者」はこの手のことに興味のある人が少ないようですが。
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Runnerさん,こめんとありがとう.私は仰ることに違和感は感じません.実はかなり抑えて書いています.
『意識とは何か』 ある『部品』が欠落するとある精神活動ができなくなるという関係を調べることができます.だから,その精神活動にその部品は不可欠だということはわかりますね. でもそれは必要条件に過ぎなくて,その部品だけあってもその精神活動はできないでしょう.総合的な有機作用かなにかに還元できるのか?興味は尽きないです. これは昔の人が,『なぜ日食が起きるのだろう』と畏怖した感情と同じなのかもしれません. ![]()
今日も放送がありますが、今、フジテレビで「絶対彼氏」というドラマをやっています。
速水もこみち君が恋人ロボット役で出てくるのですが、途中から、自分の意思を持つという話です。面白いですよ。 日本通でも知られる英国の生物学者ライアル・ワトソンは「生命潮流」発表の時点で、「意識を持ったのはチンパンジーからだ」と言っていました。 私はこれを聞いて、「あれっ?」と疑問を持ちました。 犬でも猫でも自分の名前を呼ばれると喜びますが、これは自意識を持っているためでしょう。 もっと、下等とされるアリを観察していても、たまにさぼってその場でエサを食べている者がいます。で、別のアリがそれを注意すると、また、労働に戻り巣へ運ぶ。 我々は人類を特別扱いしたがる傾向があります。しかし、まず自分たちを相対化しないことには意識の正体には迫れないように思います。
Runnerさん,大いに賛同!私は意識というより感情かな?
犬や猫は無論ですが,魚だって感情を持っていることは明らかです. 意識と感情についてはどう思いますか.参考のためにお聞かせくだされば嬉しいです. シュワちゃんのターミネーターも涙を流すことの意味を理解しましたね. ![]()
一応、「意識」と「感情」は別のものということになっているようです。
そのよい例が、「スタートレック」に出てくるMr.スポックおよびバルカン人ですね。 スポック自身はバルカン星人と地球人とのハーフのため、しばしば感情を出してしまい、その都度、カークからに突っ込まれていますが、純粋なバルカン人は完全に感情を克服した種族という設定になっています。 しかし、完全に感情を持たない状態というのはどういう状態なのでしょうか? 作品の中では、確かに、「怒らない」「悲しまない」「笑わない」というのは確認できます。 しかし、「楽しまない」というのはどうでしょう。スポックは知的好奇心を満たす出来事に遭遇すると、しばしば、「面白い」と発言します。 これって、「心地よい」という感情なのではないかと思います。これは「暑い」「寒い」といった医学上の「快・不快」とは違うものですし。 もし、厳密に感情がなくなれば、我々の行動というものは自己保存の本則にしたがってのみになってしまうように思うのですよ。まさに、「ロボット」のように。 ![]()
と思っていたら、続編の「新スタートレック」では「ボーグ」という敵キャラが出てきました。蜂や蟻をベースに設定された種族キャラのようで、まさに、完全に私の疑問に答えるキャラでした。
こう考えると、「意識」と「感情」との境界線はかなり曖昧なように思えます。
そうですか.スタートレックは残念ながらよく知らない.ググリでみたら,辛うじてスキンヘッドのおじさんに見覚えがありそうな気がするだけです.
かなり嵌ってるんですね. そう,科学と創作モノの想像力とどちらがすごいかですが,この勝負も面白いですね.専門換えしたいけどもう残された時間がなくなりました(^o^)のち..vv.. ←涙のつもり) ![]()
結局、「感情」がなければ「意識」があっても意味がないとスタートレックは言いたいのかも知れません。
(余談ですが、ボーグってある意味日本人に似ています) SF哲学はこのへんにしておいて、大脳生理学側からのアプローチとしは、一応、「辺縁系」と呼ばれる部分が「感情」をつかさどっているとされ、この辺縁系は哺乳類から生じたものであることから、爬虫類以前には「感情」はないとされています。 しかし、本当に辺縁系にしか「感情」がないのか。あるいは、この「感情」の定義に先に示したような「好奇心」も含まれているのかどうか。あるいは、「快・不快」といった「感覚」に近いものも「感情」に含まれるのか。 といった疑問や課題は残ると思います。 小学生の頃、花火をしていたら、飼っていたカエルが全員不思議そうに見物していた体験があるので、カエルにも好奇心があるように私は思うのですよ。
『カエルにも好奇心』
うんうん,わかるわかる.水族館では逆に魚たちが我々を好奇心で見ているのかもしれません.水面から見える魚釣りの時も,絶対,魚は水の中から我々を観察しているんですよね. 私は以前の記事で書いたように,良心とか,なぜそれが良いと判断するのかとか,宗教の神が殺せと命じた時にそれに疑問を持つとか,そういうことは前頭葉が発達しなければならない,ということを信じています(^o^)/ これに対し,俗情は脳の古い部分が司っているということも.魚たちはもし感情があっても,『俗情』に相当するのかもしれませんが. 辺縁系や前頭葉とか,いろんな場所も,全体の『場』というものを構成してそれで働いているのかもしれません.なあーんちゃって(^o^)/ ![]()
「好奇心」というのは自己保存とも関係していると思うのですよ。
アリでもゴキブリでも「情報収集」は毎日やっていますしね。 どうやら、このへんが「意識」や「感情」の芽生えと関係しているように思います。
なるほど,情報収集ねえ.参考になりますよ.考えて見ます.
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