随想や意見,俳句(もどき)
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『水伝の道徳』(1)-問題の多層性
2008年 05月 21日
『水からの伝言』,もう十二分に知れ渡ったこの『犯罪』,なぜ水伝は批判されなければならないのか,改めて書いておく必要があることを痛感している.
私も水伝に関しては一度批判記事を書いたことがある.しかし,その時点では一つの問題点しか感じていなかった.私にとっては当然の理屈であって,その理屈一つあれば批判の根拠として他の何も不要であった.今でもそれは変わらない. ところが,いろんな人がいろんな理由で『水伝批判』に対する『抵抗感・違和感』を感じており,この当然の理屈だけではなぜか通じないのである.最近,そのわけがわかった気がする.彼らのその違和感は私には非常に理解しがたいものだったが,その掴み所の無い所在をようやく突き止めたということなのだ.それは問題の多層性にあった. それに気が付いたのは愚樵さんの記事とそこに集まったコメント,それから一連の『水伝騒動』を考えているときだった.その『抵抗感・違和感』を想像を交えて書いてみる. ・「ありがとう」というような感謝,優しい言葉を大事にすることがなぜ悪いの? ・多少科学的に問題があったとしても,正しい道徳に使えたらいいんじゃないの? ・科学的に間違っている,ということは単純に言えないはずじゃない?科学理論がよく訂正されることってよくあることだし. ・科学的に成り立たない,といったって,科学も一つの価値観,信条に過ぎないのだから,それを押し付けるってとても変. ・科学って人の持っている大事なものを壊してしまう.だから,科学で人を批判するのって許されない. ・科学って人を傷つけてしまう.だから日常生活に科学を持ちだすなんて絶対しない方がいい. まだあるだろうが,これらを見ると,『水伝批判への抵抗感・違和感』には1階と2階での話のようにレイヤーの違ったものが混在していることがわかる.これらのレイヤーを以下の4つにまとめてみた. 1.『似非科学』という批判って説得力無い! いいことをやるんだから方便として許されるんじゃないの? 2.『正しい道徳』の説得力が大いに増す! 『正しい道徳』を権威を以って広めるために使えたらいいんじゃないの? 3.『きれいな言葉,感謝の心』ってそれだけで『絶対善』である! みんなが気持ちよくなれるのに,何の問題があるの? 4.科学は人を傷つけるからいやなのだ! なんで人が大事にしているものまでグシャグシャにする権利があるの? このように見ると『水伝』の持つ問題点が『似非科学』ということ以外にもいくつかあることがわかる.この記事ではそのことを訴え,なぜ『水伝批判』が行われるべきなのかを改めてお伝えしたいのである.上の1から4を順に考えていく. (パピヨンは『科学と道徳』シリーズ記事にも書いたように,『科学を冒涜するな』というような『科学権威主義』とは無縁の者である.ゆえに,科学嫌いの方でも安心してお読みください.ただ,『水伝騒動』には直接触れない.この記事ではその余裕はない.) 1.似非科学の罪は小さいか?科学的捏造詐欺 『水伝』が人々を騙して金儲けをしている,という批判はここではもう言うまい.私にはこれ一つで十分なのだが,そうは行かない人も多い.上に書いたように,『副産物としての益』との比較で考える人も多いからだ. だけど,ここで大上段に論述することも気恥ずかしい.あまりにも自明なことだからだ.だけど敢えて書かねばならないのだろう.そして,この似非科学=水伝の道徳は『益になっているどころか,逆にいかに有害で,個人をグシャグシャにするものであるかを後で『証明』する. (1)似非科学は常にきちんと批判しておかねばならない 確かに,科学的に「正しい」ことと「まだ明らかになっていない」ことと「間違っている」ということの境界はあいまいな場合がある.しかし,それとはまったく別のことである. 『水伝の道徳』というのは,科学(似非だけど)を根拠にしたからこそ信じたくなったのだろう.しかしながら,それを科学的(正当な科学)に批判されると,今度は『科学は人を傷つける』といって排除する.そこには元々から自己矛盾が存在しているのである. 素人の市民は少なくともわかった範囲だけでも良い,『科学を装ったもの』を信用しない方が良いのである.なぜならそれは結局はその人自身をグシャグシャにしてしまうからである.一度は心地よい気分に浸れてもいつかはあなたを不幸のどん底に陥れる.これに気づかないといけない. 素人の市民を,このように惑わせるものは一体何か,それこそが次に書く,無批判なプロモートである. (2)無批判なプロモートは無罪なのか? 最初に捏造した江本某は論外として,道徳の教科書などとして無批判にプロモートした連中は罪が無いのだろうか?イノセント=無罪なのか?本当はノー!である.そのような社会的行動を無批判に行うということ自体,そのような社会的行動を為す資格を有しない,と言うべきである.(念のため,個人で信仰したこと自体を批判しているのではない(まだ被害者と見ることもできる).あくまでも他者への働きかけについてである.それが結果的に次の”被害者”を生ぜしめる,その行為が批判の対象である.) しかし,心優しいパピヨンは無罪としてもよいと考える.ただし,1回のみである.一度,それが如何に似非科学であって危険であるかを指摘されたら直ちに理解すべきことであり(社会的行動を為す者として当然のこと),再検討をして二度とやらない,ということを以って無罪とする.(執行猶予か?) 改めて強調しておくが, 『科学的にウソを見抜けなかった』ということが批判の対象ではない. 批判の対象となるのは 一度注意されたあとも繰り返し無批判のプロモートを行うこと なのである.それを思い知るには次の危険性を理解することが必要だろう. (3)似非科学の危険性-改めて 江本某は『水伝』の実験を行う時に,どういう意図があったか,よくは知らない.ただ,きれいな結晶を恣意的に集めて,結果を捏造したことは間違いない.この行為に関して『悪意があった』と言えるのかどうか,自明ではないかも知れない.それは『宗教的善意』から発したことであって,金儲けは付随的に意図せずに生じたことなのかもしれない.私はそうではないと思っているが,今はそうしておいても良い. 問題は,仮にそのような『善意』から発したとしても,いくつもの『科学的捏造』が生じたらどうなるか,ということである.その危険性は火を見るよりも明らかでなくてはならない. 詐欺,優生学,怪しげな民間療法,偏見に導く間違った根拠,・・・枚挙にいとまが無いほどである.『水伝の道徳』を無批判にプロモートした人は,まずこのような一般論としての想像力に欠けていたことを自覚しなければならない. 人間は精神的に弱いものである.そこに『科学的根拠(似非根拠であっても)』を持ち込まれると,自分が心地よくなる方向であれば何にでも飛びつくのである.だから,『社会的にプロモートすること』が個人に対し如何に重大な影響を与えるかを想像しなければならないはずだ.それが社会的行動の責任である.もしそれが根拠の無いものであったら,を想像してみよ.その個人は根拠の無い夢から覚めたときにグシャグシャになるのである. (例えば,『ありがとう』をいってできたきれいな結晶の水を飲めば,がんが治るという信仰に発展しないとも限らない.その結果,手遅れになったらどうするのか,ということは一つの例である). (『個人的に信仰すること』自体を批判しているのではないことをここでも強調しておく.根拠の無い”希望”を与える方を強く批判しているのである). (水伝が信仰宗教であるのならば,道徳教育として使ってはいけない(憲法違反).プロモートする人は宗教伝道のつもりでないのは確かであるが.) そのプロモートにダウト(疑い)を掛ける物は何か,その一つの手助けとなるのが『科学』である.今回で言えば,『科学の装いをまとっている』のであるから,社会的行為を為す者は少なくとも『科学的にありうるのか』をしっかり吟味すべきであったのだ.それだったら無批判なプロモートは行えなかったはずである. ただし,繰り返すが,水伝において一度は『科学的におかしいことを見抜けなかった』としても許す.しかし二度と繰り返すな.二度と水伝をプロモートするな. つづく
by papillon9999
| 2008-05-21 23:35
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