最近の10記事
最新のコメント
最新のトラックバック
カテゴリ
最近の記事 ついーと 放射能・原発問題 憲法問題 犯罪・死刑・光市事件 9.11陰謀説 靖国問題 社会問題 政治・政局政局問題 官僚論 小沢一郎関係 私の感性と思想 韓国 俳句 紀行 宗教 よそ様でのコメント集 文化・論 酩格言コピー 身辺雑記 TB歴のあるブログ コメント集(非公開) 書きかけ(非公開) 写真集(非公開) 済み 以前の記事
2021年 07月 2021年 04月 2018年 12月 2018年 06月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 more... その他のジャンル
Stop the 原発ファシズム Stop the 官僚ファシズム Stop the 軍産ファシズム Stop the 経済成長至上主義 Stop the 弱肉強食システム |
今昔物語の「母親殺し」
2008年 03月 27日
岩波書店から毎月出されている小冊子で,「図書」という名前が付けられているものがある.冊子の半分は岩波図書のリストなんだけど,初めの半分にはいろいろな人の小文が載せられている.私は毎月それが黙っていても手に入るので,A5判の薄い冊子にもかかわらずそれらが溜まり溜まってかなりのスペースを占めるようになっている.
それら小文の中にキラリとした文を見つけることがよくあり,なかなか捨て切れないのだ.(私は貧乏性なので捨てることがなかなかできない.職場の議事録などは惜しげもなく捨てるのであるが).その冊子はおまけの感覚なのだが,良い文に出会った時は,数万円の残高が残ったまま忘れていた預金通帳を発見した時のような嬉しさを感じてしまう. また前置きが長くなったが,ずいぶん前(数年前という感じがする)の「図書」の中に,「今昔物語」の中にある母親殺しの話を題材にしたものがあった.書き手は四方田犬彦氏?だったと思う.ただし,これから書くことはうろ覚えで,細かい部分は正確でないかもしれないことをお断りしておく.また,記事を探し出して調べる時間も取りたくない. その「母親殺し」の話・・・・ 年老いた母親がもう殆ど寝たきり状態になっており,それを二人の息子が面倒を見ながら暮らしていた.ある時,息子達が仕事に出ていた時に,突然,鬼が二人を襲うのである. 二人は必死に応戦し,激闘の末,鬼をやっつける.(この間,もう少し長い記述があったような気がするが思い出せない).ともかく,最終的に鬼を仕留めて,二人はその姿をよく見たところ,それはなんと母親だったのである.それを見て,二人は嘆き悲しんだが後の祭りであった. さて,この話は何を訴えているのか,ということである.四方田氏はユング心理学者の理論を紹介して,母親というものの二面性を表わすものだ,というように解釈しておられた(と思う).つまり,母親というものは深く大きな母性愛者という一面のほかに,何か強大な抑圧者(ここはうろ覚え)となる一面もある,という意味である.(鬼子母神,というのもあったことを思い出した). しかし,私はこれを読んだその瞬間から,違うことを思ったのである.それは・・・ その老母は仏に祈っていたに違いない,「早く死なせてください・・・ その老母は心で詫びていたに違いない,「息子達よ,迷惑かけてすまぬ,すまぬ,・・・ その老母は息子達に呼びかけていたに違いない,「早く私を殺して,楽になりなさい・・・ その老母は悲しいことに,自死する術さえなかったのである.きっと.それで選択した道は自ら鬼となることだった.なぜ鬼なのか!? 鬼となって殺されること,それが最後に残された息子達への愛情発露の手段だったのである. 鬼を殺すのであれば息子達は罪悪に苦しめられなくて済む,そこまで考えた,母親の深い深い愛情であったに違いない. 鬼の死に顔はきっとこの上なく安らかだったに違いない. この記事はテレビ朝日で今朝(2008年3月27日)の8時半ごろから放映されたドキュメント放送を見て,すぐにしたためた.上に書いた「今昔物語」に対する私の解釈と似ているものを直感的に感じ取ったからである. きちんと見てないのではっきりとはわからないが,2006年に京都で発生した「介護疲れの承諾殺人」のルポだったと思う. この事件で,裁判所は執行猶予付きの判決を言い渡している.その詳細は偶然発見した次のサイトがいいだろうと思う.(今日のテレビ放送の事件の概要を確認するために,いろいろ検索していたら,「介護疲れの承諾殺人」というキーワードで発見した.) あなたの子どもを加害者にしないために このサイトに拠れば,判決言い渡しの際,裁判長も涙を浮かべていたという.そう,私もテレビ画面が涙で曇って見えなくなっていた.一人で見ていてホントに良かった.
by papillon9999
| 2008-03-27 10:19
|
Comments(14)
こんにちは、TBありがとうです。
わたしも、そのお話は、息子ふたりに負担をかけるのを苦にして、 ひと思いに殺されたかったのでは?と思いますよ。 (ユング心理学は、「象徴的解釈」とかいうのだと思うけど、 これはぜんぜんあてにならない、というのが、わたしの思うところ...)
0
たんぽぽさん,こんばんわ.
自慢じゃないけど,ユング心理学なんて名前だけしか知りません(^o^)/ ああ恥ずかしや・・ 自分の最期に臨んでも自分で始末を付けられない,ということはとてつもなく悲しいことだ,ということが最近になって想像できるようになりました.
最愛の我が子に疎まれるようになることは母親としては一番悲しいことでしょう.医療の延命技術だけ発達したせいで,ますます悲しい状況が深まりそうです.
東西さん,おはようございます.
上の↑の私のコメントには書き忘れたことがありました. 「ますます悲しい状況が深まりそうです」 というのは,医療の発達に比べて庶民の幸せ感はちっとも深まらない,ということです.いやそれどころか,悪化している感が強いと言えましょう. この原因の大きな部分は仰るように政治の問題です. 資本主義の矛盾の果てには庶民が主役になれる社会が出現するものと楽観的に思っていましたが,20世紀末から21世紀になってこんなにえげつない利己主義(新自由主義)が蔓延るとは思ってもいませんでした. あの判決を下した裁判長も,きっと深く心を痛めたのだと思います.
ここに書き込むのは久しぶりのような...。
私がこの記事から思い起こしたのは、姥捨て山です。そういえば『楢山節考』なんて映画もありましたよね。 『楢山節考』の世界では、殺人は必ずしも悪ではありません。もしそうなら姥捨てなんて行為はできっこありませんから。あの映画は、殺人が必ずしも悪でない世界の様子を描いたものでした。 翻って現代社会では、殺人はすべからく悪とされています。当事件を裁いた裁判長は、殺人が必ずしも悪とはいえない現実と、殺人が悪とされている社会のルールとの狭間で苦しんだのでしょう。苦しんだ様子はpapillonさんの記事から十分読み取れます。また、裁判官が「現実」を読み取ったのは良心があったからでしょう。 医療が発達したのは、殺人どころか人が死ぬことすら悪、という幻想(虚構)があるからこそです。姥捨て山の世界観なら終末医療など発達する余地はありません。「人の死=悪」の価値観は最近揺らいできてはいますが、でもいまだ強固な価値観=理念です。政治の役割は、こうした理念と現実との調整であるわけです。今の日本では、その役割を果たすどころか、現実の理念のギャップを広げてばかりいますが(怒)。
ついでに。
ユングの心理学は、けっこう役に立つと私は思ってます。ただし、これは自然科学のように杓子定規に当てはめようとすると害の方が大きい。「象徴的解釈」とはそうしたことも含意しています。 この母親のケースはひょっとしたら、その杓子定規のケースだったのかも知れませんが、母性が二面性をもつというのは普通に納得がいく話です。これは「地母神」として象徴されます(鬼子母神は、母性と父性のコンプレックスの一形態ですね)。 大きくいうと、母性は大地なんです。恵みを与えてくれるが時として怒り狂い、人間に害をなす。地震とかね。そうした大地の二面性を女性性として象徴した。細かくいうといろいろかみ合わないところもありますが、大まかな話では、大地の二面性と女性の二面性に少なからぬ共通点があるというのは、納得できるものだと思います。
愚樵さん,どうも.お久しぶり.
「姥捨て山の世界観=殺人は必ずしも悪でない?」 私はあまり深く考えたことがなかったのですが,果たしてこういえるのだろうか?と直感的に思います.確かに「捨て」なければならない上京があるわけですが,捨てたあとの子供たちの葛藤を見ると,このような世界観に基づいてやっているのか疑問に感じます. 「終末医療」 早雲さんの所でも考えたことがありますが,私自身,明快な結論は出せていません.でも「生命維持装置」などはむしろ安易な対応だと思っています.しかし,それにも拘らず,「無意味」ということを無制限に拡張してはならないでしょう. 「ユング心理学」 私はそういう「道具」を使うのはあまり好きではないのですが,その理由の一つを書いて見ます.母性を大地に喩えるとしても, 母性→大地→大地は地震→母性も地震に代わる抑圧性, といった「風と桶屋」のような形式に当てはめて一体何が有効なのか,と思うわけです.主観的過ぎると思います.(私が理解できてないからしょうが)
「殺人が必ずしも悪ではない」というのは、積極的に殺人を肯定しているわけではないのは理解していただけると思います。殺人の禁止が社会のルールの最上位にあるのではなく、最上位のルールが別にあるというケースです。で、その最上位のケースとは、元気な者が生き残れること。貧しい共同体では、ある意味当然のことです。
現代社会では、殺人の禁止が最上位といってもいいルールとなっているのは、豊かな社会だからです。豊かな社会であるはずなのに、貧しい共同体で適用されるようなルールが適用されてしまった。そうしたルールを適用しなければ、生き残っていけない現実がある。ここに矛盾があるという話です。 親を捨てた後、葛藤があるのは当然の話です。その葛藤から逃れたいからこそ、人は豊かであることを望む。今の人類社会、少なくとも日本の社会では、皆平等にそうした葛藤から逃れられる潜在力はあるはずなのに、それがうまくいっていない。 とまあ、結論は同じところへ行き着くんですが。姥捨て山の話はかえって、混乱させてしまいましたかね。
>「風と桶屋」のような形式に当てはめて一体何が有効なのか,と思うわけです.
>主観的過ぎると思います. だから、主観的でいいのでしょう。自然科学ではなく心理学ですから。またしても私の書き方が適切ではありませんでしたが、ユングの説で納得できればそれでよし、できなければできないで、何か問題があるというような話ではない。心理学と言っても他の流派もあることですし。納得できれば、ものを考える手がかりにはなるという程度の話です。 亡くなりましたが、河合隼雄なんて人はユングの心理学を元に、独自の見解も加えて心理療法なんてことをやってました。心理療法なんてものが効果があるのも、被治療者の主観とユングの説(を基にした治療者の見解)とがうまくマッチングした場合で、そうでなければ効果はないのでしょう。ユングの流派に限らず、心理学は万能というわけではないのですが、さりとて全く役立たずというわけでもなさそうです。 ところで、今、別の意味で話題のチベット仏教ですが、チベットの『死者の書』とユング心理学とが一致していく部分なんかは、大変興味深いですよ。
いえ,姥捨て山の話は同じだと思いますよ.ただ,その行動原理なのですが,「仕方ない」なのでしょうね.昔は食うものの配分で配分する分がなかったわけです.
現代では「仕方ない」というのが,「配分する分が無い」という意味ではなく,「普通生活」に戻れる可能性が絶無の状況下では,死なせるのも「仕方ない」という意味ですね. ところが,もう一歩変化して,「養うためのお金が無い」という意味で「仕方ない」となるのですよね.このことが,東西さんも言う,「政治の問題」なのでしょう.昔に戻っている,現代の経済力に比較すれば社会はむしろ退化・悪化しているわけです. 「主観的に解決する道具」 として存在価値があるとすれば,それは宗教ですね.個人的にそれで納得できれば他人がとやかく言うべきことではないですね.ただ,それが「普遍的学問」として幅を利かせるとなれば話は別になりそうです. 「死者の書」は興味があります.読んでみたいけど,果たして読むかなぁ?(^o^)/
↑心理療法への効果に触れていませんでした.(そうであれば普遍的価値があるといえる)
ただ,ホントに効果があるといえるのでしょうか?よくわかりません.昨今の怪しげなヒーリングや自己啓発などに悪用されてないか心配ですがどうなんでしょうか?
>「主観的に解決する道具」として存在価値があるとすれば,それは宗教ですね
そうなんです。ですから、個人的主観的な心理学と言いながら、その論理(と言えるかどうかは別として)は宗教の域にも入り込んでいく。だから、チベット仏教なんかとも関連が出てきたりするんですよね。 上の地母神なんかもそうで、これは大衆には宗教という形で現れる。これは世界各地にいろいろな形の宗教として残っているわけです。地母神(母性)とついになるのは天空神(父性)ですが、宗教を形成するこうした要素は、当然のことながら人間の心理のなかに存在しているわけです。ユングに限らず心理学は、ごくごく簡単に言ってしまえば、人間の行動様式を説明するための仮説であって、仮説の学問体系という意味においては、心理学もまた科学であるということにもなるわけです。 >昨今の怪しげなヒーリングや自己啓発などに悪用されてないか 怪しげなことに利用されるかどうかは、検証可能な自然科学でも同じことが起きますからね。心理学に限った問題ではないと思いますよ。 |

