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なあにが自己責任だ!
2008年 03月 23日
米国のサブプライムローンの不良債権化をきっかけに,新自由主義の化けの皮が剥がれてきた.米国では大手証券ベアー・スターンズ社の破綻寸前の救済劇,わが国ではあの慎太郎さん肝煎りの新銀行東京が破綻寸前だということが表面化したのだ.
この騒動でわかったことは(ずっと前からだけど),えらそうにジコセキニンという,新自由主義者どもの押し付ける奇麗事の理念が,なんと薄汚いものであるかということだ. しかし,彼らは言う. 『このような大きな銀行や金融機関が破綻したらとてつもなく大きな悪影響が出て,世界経済が破綻する.それこそ大変でしょ? 公的救済はやむを得ない必要なことなんですよ.』 この戯言は竹中の公的資金注入による金融機関の大規模な救済劇の際にも聞いた.ならば言わせてもらう. 『なにぃ?悪影響が大変だとぉ?それなら初めからジコセキニンなんてできもしない理念やキーワードで社会を統一しようなんてするんじゃねえよ!』 『自己責任』というキーワードで我々庶民や社会文化まで規定しおってからに,悪影響が大きいかどうかで出し入れするんじゃ,そのキーワードでくくることが成り立たないということではないか!ふざけるんじゃねえよ!まったく! このような現象は新自由主義が早くも行き詰まってきた,ということを意味する.そして大事なことは,その新自由主義自体は資本主義の行き詰まりを打開するためにハゲタカどもが考え出した,ということである(ハゲタカと言っては禿鷹に失礼か). これから言えることは,資本主義とはおのれ自身の行き詰まりを打開するために,常に修正を余儀なくされる,ということではないだろうか.言い換えると, 利潤獲得を原動力とした経済活動は必ず行き詰る ということであり,庶民にとっては 非資本主義経済が真に必要だ ということではないのだろうか?この『非資本主義経済』が『マルクス型経済』,『計画経済』であるのかどうか私にはわからない.『計画経済』がうまくいくとは今の人類では自信を持っていえないのが情けないのだが,それでもさらに洗練された『計画経済』のようなものがどうしても必要な気がしてならないのである.経済学者よ,出番だぞ!!ノーベル経済学賞は廃止だ!! 新銀行東京の救済では,あの歴史に残るアホ都知事が目を卑屈そうに瞬かせながら巨額の救済資金投入について都議会で答弁していた.私が邪推するに,あのアホはこの破綻は覚悟していたと思う.この邪推には絶対の自信がある.その動機は,自分のポケット財布代わりのものを作ることである. 恐らく,あのアホとそれに連なるアホどもは, 都民の税金を新銀行に一旦吸い上げ,しかる後に自分のポケットに呼び込むスキームとして新銀行東京を考え出した のだ.そして,そのうち経済復興が成って,新銀行自体さらにどでかくなって,悪巧みが表に出なくても済むようになるかもしれない,と甘い期待も抱いたに違いない.それが甘い期待であることは彼ら自身百も承知していたが,誘惑には勝てなかったのである. それにしても,とぼけヅラの竹中といい,歴史に残るアホ都知事といい,なんでこういう人材ばかりが跋扈してきたのだろう.いやそれこそ新自由主義の時代だから,というしかないのかもしれない. そうそう,忘れるところだった.今日のサンデープロジェクトに竹中が出たはずだ.番組欄で見た.無論,番組自体は見ないが,ああいう男に発言の場を与えるとは何ということ!あの田原総一朗という人間を未だにのさばらしているテレビ朝日も相変わらずひどい偽善者ぶりを発揮している. いやあ,ホントに竹中のあのとぼけヅラはアントニオ猪木の往復ビンタ100発分に相当するなぁ.K君は竹中平蔵のことを,新自由主義者と雖も民族主義だ,と新左翼の理論家らしくのたまうが,私にはあの竹中が民族主義だとは到底思えない.単なるちんけな利己主義者であって,どちらが自分の得かだけで価値観が決まる.巨利を懐にするのと引き換えに日本を米国に売ったのである.日本人と言うより米国人の日本出稼ぎ組といった方が良い.真の売国奴とはああいう奴を言うのだ.
by papillon9999
| 2008-03-23 11:04
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Comments(23)
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こんばんは。
>竹中平蔵のことを,新自由主義者と雖も民族主義だ,と新左翼の理論家らしくのたまうが えぇぇぇぇぇーっ?ブラックジョークですか。どこをどう見れば「民族主義者」になるんでしょう?どう考えてもアメリカのエージェントでは? 新自由主義には私も同調できません。が、かといって計画経済はうまくいかないと思います。市場経済は決してベストのシステムではありませんが、他の選択肢と比べると多少はましなシステムだということでしょうね。 papillonさんの表現を拝借するならば、「さらに洗練された市場経済のようなもの」でしょうか・・・・
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DHさん,どうも.新左翼理論では,
「資本主義的経済活動といえども民族主義に基づく,とか帰着する」 といった理論がないのですかね?もし違っていたら撤回して関係者にお詫びしますが,どうもそんな理論を感じるのです.いや,ホントに無関係かもしれません.すみません. 「さらに洗練された市場経済」ですか.うーん,言葉としてはいいですねぇ.ただ,そこには計画性取り入れないと成り立たないでしょうね.なぜなら,一番の理由は資源の有効利用です.もう,競争に任せて取り合いをする余裕はなくなってるので,有効活用する「計画」が必要になると思います.二番目は,やはり市場経済であれば本質的に利潤獲得競争になって行き詰まる宿命を持つのでは?と思うからです.どうしても作り過ぎになります.(このあたりはK君の考えからも学んだ所です) ![]()
新左翼に、理論家がいたとは驚きですが、新右翼とか新右翼とかに一定以上のシンパシーを感じるとは意外ですね。この様な新左翼も極右も極左も殆ど同じようなものですよ。
一定の主義があると言うより、極論から極論へいきなり飛び移れる性質のものです。 新自由主義=市場経済ではありません。弱肉強食の新自由主義では最後には極端な市場独占に陥り、結果的に市場経済は崩壊します。 それと市場経済と計画経済は矛盾しません。相互の調整は十分に可能でしょう。 現在の日本経済の低迷の原因は、新自由主義の跋扈の結果、市場経済が上手く回らなくなっているからですよ。 日本の左翼の本山?総元締め?老舗?元祖?の日本共産党の今の方針、スローガンを一言で言えば、社会主義革命ではなく、 『資本主義のルールを守れ』ですよ。
「新右翼とか新右翼とかに一定以上のシンパシーを感じる」
↑一つは新左翼の間違いですね.一定以上のシンパシーを感じているということは全くありませんよ.ただ,全共闘の連中とは学生時代から議論ばかりしていました.反体制では一致するものの,方法論としては常に対立です.新右翼と私は何の関係もありません.若者が新右翼に魅かれる理由を分析すべきと思っています.既成左翼の偽善に対する反発が最大でしょう. 「新自由主義=市場経済ではありません」 これは結果であって,理念は「市場原理主義」です.ただ,その結果,市場の寡占化が進み,市場原理が機能しなくなるのですが,皮肉な結末です.こうなると,恐怖の独裁体制になりますね.しかしそこに行き着くまでに他の理由で破綻するでしょう.今それが現れているような.正念場です. 「市場経済と計画経済は矛盾しません。相互の調整は十分に可能でしょう」 「日本共産党の今の方針、スローガンを一言で言えば、社会主義革命ではなく・・・」 いずれも同意します. ![]()
仰る様に、新自由主義=市場原理主義ですね。
市場経済=市場原理主義ではありません。 それで結果的に「新自由主義=市場経済ではありません」となるわけです。 現在の新自由主義は、『新』が付いているから新しく感じるかも知れませんが、実態は200年前の資本主義黎明期の原始資本主義に限りなく近いものです。 当時は資本主義の怖さも、市場の難しさも、誰も理解していなかったので、強いものが勝つ、市場原理主義に近い状態だった。 『市場経済』とは、新自由主義の対極に有る考え方ですね。 何故なら、あらゆる規制をなくすのが新自由主義で、市場の公的な規制を通じて『市場』の円滑な運営を行おうとするのが、現在の最新の資本主義経済の方針です。 欧州では『同一労働同一賃金』の規制の為、派遣労働と正規雇用の賃金差がありません。 資本主義は強力な生産力が有り、規制なしでは暴走する性質が本質的に備わっています。 ![]()
現在の最新の資本主義経済の方針は、現在の最新の『市場経済』の方針です。の間違いです。
「新自由主義=市場経済ではありません」
私にはこのことは全く興味がないことですが,逝きし世さんの仰る 「弱肉強食の新自由主義では最後には極端な市場独占に陥り、結果的に市場経済は崩壊します。」 と言う言明自体が,新自由主義も最終段階になる前までは市場経済であることを示しています.でも私にはどちらでもいいことです. 興味があるのは 「より洗練された市場経済」と「より洗練された計画経済」をうまく結合したらうまくいかないか, ということなのです. ![]()
こんにちは。
計画経済の「計画」をどのように捉えるか、どのように定義するかによって議論が異なってくると思います。 papillonさんの仰るような資源を有効活用する「計画」という意味での計画の必要性は私も同感です。市場に対する如何なる介入も否定する市場原理主義経済にはもちろん反対です。適切な介入は必要です。アメリカでさえ政府による介入が皆無ではありませんし。場合によっては日本より厳しい規制が行われていることもありますよね。 ただ、計画経済と言われるとどうしても過去のソビエト圏諸国で行われたような「強権的統制経済」を想起してしまうので、「うまく行かないと思います」と申し上げたわけです。 実際のところは、papillonさんの「『より洗練された市場経済』と『より洗練された計画経済』をうまく結合したらうまくいかないか」という御考えと小生の考えとはそれほど離れていないように思います。
DHさん,どうも.
「計画経済と言われるとどうしても過去のソビエト圏諸国で行われたような「強権的統制経済」を想起」 確かにそうですね.言葉遣いに注意深さが必要です.「さらに洗練された」ということでその違いを出したかったのですが,これでは「延長上」でなにかいい方向になるようなイメージを起こさせますね. 多分,延長上ではダメでしょうね.何かいい言葉が必要ですね.既にあるのかもしれませんが. ![]()
計画経済=過去のソビエト圏諸国、の認識が問題なんでしょうね。これは新自由主義=市場経済の等式と同じ間違いが有るようです。
=はイコールの左右が等しい意味ですが、等しくありません。一部にすぎません。 ソ連型経済は計画経済の、一形態ではあっても計画経済そのものではありません。イコールとは言い難い。 新自由主義は市場経済の中から生まれたが、がん細胞のように宿主を最後には殺します。 一見計画経済のように見えますが、ソビエト圏諸国の経済の特徴は、戦時経済です。 例えば日本でも、戦争中は国家や軍が物資を統制して各企業に生産計画を示して生産させていましたし、消費も配給制だったのでソ連式経済ですが計画経済だったとは誰も言いません。 戦争経済の極端な例が北朝鮮でしょう。未だに朝鮮戦争は休戦のままで、軍事独裁と呼ぶよりも、戦時独裁と呼ぶ方が実態には合っている。 ソ連は油断すると資本主義国が攻めて来ると思っていたんですよ。 ソ連崩壊の直前まで鉄道の主だった鉄橋とかトンネルの出入り口には軍の歩哨が警備していたし、民生を無視してまで軍備に金と人を注ぎこんでいた。
ここでの意味は,
「戦時経済だったからうまくいかなかったのであって,ちゃんとした計画経済であればわからない,まだ実験されてない」という意味なんですか? 「計画経済と統制経済は異なる,だから統制経済のイメージで考えてはダメだ」 ということですか? 計画経済にもいろんなバージョン,程度がある,ということですよね. 新自由主義は市場経済か,についての話は興味ありません. ![]()
その認識で正しいと思いますよ。
papillonさんの解釈と、私の解釈との間に相違は、ほとんど無いでしょう。 竹中平蔵の評価なんかは特に。 しかし、何で其れほど,いらついているのですか。?らしくありませんね。討論相手(私)との相違点を必死に探しているように感じられますが。 数ヶ月前の遣り取りからですが、理解できません。 生まれも経験も立場も環境も違う。元々相違点が有るのが当たり前なんですよ。 相違点ではなく共通点を探す努力こそが大事ではないでしょうか。? まあ竹中なんかとは共通点を探す努力は最初からしていませんが、これは国家権力とその手先対一市民とでは、共通点では無く相違点を探す必要性が有るからです。 きくちゆみ氏やpapillonさんや私の間に見解の相違が有るのは当然ですが、同時に共通点も多いのではないかと思っています。 右は(小泉以前は)努力して一致点を探して護憲リベラルから極右国粋主義まで仲良く一緒にやっているが、左は必死になって相違点を探して攻撃して分裂して、結果的には右に負けているんですよ。
逝きし世さん,立場を入れ替えないでください.(私の分析でも出ていることですが)
「相違点を必死に探しているように感じられますが 数ヶ月前の遣り取りからですが、理解できません」 別にいらついてはいませんが,よく思い出してください.そもそもの発端は私の最初の記事における奥菜本の攻撃ですよ. その時のコメントをお読みください.とても 「相違点ではなく共通点を探す努力こそが大事」 という姿勢には程遠いですよ. それから,残念ながらきくちゆみさんなどは,私と同じ側ではないと思っています.今はその立場が儲かるからに過ぎません.この結論は「相違点を必死に探した結果」でもありません.普通に考えた結論です.格差論の内田流と同じです. ![]()
>そもそもの発端は私の最初の記事における奥菜本の攻撃ですよ.
やっと思い出してくれたようです。奥菜本なんて怪文書を使って個人攻撃的な行動を始めたのです。 そして、奥菜氏は日本一怪しげな人物ですよ。 きくちゆみさんの主張が全部正しいと判断しているわけではありません。特に溶解した鉄塊が見つかった話は、多分永田メールですよ。 大体ですね、表に出せない危ない金の遣り取りを記録の残る銀行振り込みやメールで記録すると思いますか。? しかし永田メールはインチキだったが、武部元幹事長と堀江隆文の疑惑は以前解消したわけではない。 武部疑惑の解明が、メールの真贋の解明に格下げされて論議され、肝心の武部の疑惑は有耶無耶にされてしまった。 永田議員個人の嵌められた失策は当然非難されるべきでしょうが、疑いたくなるような餌を鼻先に持ってこられたわけで、食いついた責任はあっても、責任はその程度ですよ。 そして、武部と堀江の疑惑は今でも残っている。 これは武部元幹事長本人に疑惑を晴らす公人としての責任が有るでしょう。
「やっと思い出してくれたようです」
えーっと,誰が思い出した,と言うのです?私ですか? ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
それから
「奥菜本なんて怪文書を使って個人攻撃的な行動を始めたのです。」 という文では,個人攻撃的な行動を始めたのは誰だとおっしゃっているんですか?奥菜氏のようにもみえますが,文のつながりからいくと私(パピヨン)と取るのが自然ですが,そうなんですか?
ご返事がないようなので先に行きます.
今の課題は,逝きし世さん,あなたの「「相違点ではなく共通点を探す努力こそが大事」と言う姿勢にはほど遠い,という話なんですよ. それが突然, 「やっと思い出してくれたようです」 というような頓珍漢な方面の話として還ってくる. 奥菜本が怪文書であるかどうかの話ではありません.しかも怪文書ではない,と言うことは既に上で私が言っています. そして突然,永田メールの話になる. 「大体ですね、表に出せない危ない金の遣り取りを記録の残る銀行振り込みやメールで記録すると思いますか。?」 なんて文は私に投げかけているのですか? 何で突然こんな問いかけが私に来るんですか?何で武部元幹事長の責任などが突然出てくるんですか? これはいつもの発散パターンですが,そもそもにおいて,自分の発言には後始末をきちんとつけて次の話に行くようにしましょう. ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
匿名さま おっしゃるとおりです.
![]()
今こそ世界で唯一成功した社会主義と言われる日本型資本主義を復活させるべきだと思いますがね。
米国の要求に屈して金利政策が取れなかったばかりにバブルの罠にはまってしまって失敗の烙印を押されたように見えますが。 具体的には株式を持ち合っての護送船団方式、談合や系列、それらが可能にしていた高い法人税率と所得税の累進課税率を通じてのケインズ政策(国民への利益還元)の事です。 プラザ合意以降、米国の要求に屈するカタチで新自由主義化が進められて来ましたが日本経済は悪くなる一方ですからね。 かつてインドのネールは国民性に合わない政策は例え合理的であっても 失敗に終わると言いましたが、今の日本はまさにそれだと思いますね。 新自由主義の宗主国が揺らいでる今が日本型資本主義復活の絶好機だと思いますがね。 このまんま某改革を続けても悪くなる事はあっても良くなる事は無いと確信をしています。 内需中心、国民総体としての可処分所得増大によるデフレ脱却に方針転換すべき時じゃ無いでしょうか。
日本型の資本主義への回帰ですか.かつての『保守』への回帰ですね.
今は保守体制ではなく『新自由主義』という『非人間的革新』ですもんね.まだ保守の時代が良かった,というお気持はよくわかります. しかし,その時代も霞ヶ関の税金収奪システムがあったわけで,それを壊したいですね. 今は新自由主義と霞ヶ関がうまく折り合いをつけて,互いに利用しあっている状態だと見ています. |