随想や意見,俳句(もどき)
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私の猫遍歴1
2008年 01月 14日
今年の年頭の記事のつもりでありましたが,行きがかり上,こんなに後回しになってしまいました.そういえばブログやっている人で猫を何らかのモチーフにしておられる方は多いですね!ざっと思い出しても猫ばかり,五指をだいぶ超えますね.多分,犬よりはだいぶ多いことでしょう.
私も,人生の中である時期生きる時代を共有した小さな隣人達の想い出をまとめておくことにしました. 1.ミーの時代 物心ついた頃から高校入学直後まで暮らした懐かしい家での話です.古くて狭い,二軒くっついた借家ですが,庭があって縁側があって床下が高くて,今でもくっきりと思い出すことができます.今はなんと駐車場ですが(泣).親父はしがないサラリーマンで,親子五人,父母と弟二人の平凡な家庭でした. 動物を家で飼うことはあまりなく,野良がしょっちゅう遊びに来る,というパターンでこの時代はすごしました.親父が家の中で飼うことを嫌ったからです.それというのも,かすかに憶えているだけですが,親父が小さな子犬をもらってきたことがあります.私が4・5歳の頃だと思います.ところがその犬は,なぜか床下に隠れてちっとも出てこようとしないのです.そしてとうとうそのまま死んでしまいました.理由は両親達にも全くわかりません.それ以来,生き物は絶対飼わん,と親父が宣言したのでした. そうは言っても,我々兄弟は動物好きで,猫や犬を外で見かけるたびに頭を撫でたり抱っこしたりして我慢していたのですが,そのうち私たちの専属の猫ができました,多分,私の小学生時代をほぼすべてカバーしてくれたのではないか,と思います.それは茶色と白のシマシマ君.全体には茶色に見える猫でした.これがミーです. きっかけはよく憶えていません.家の中では飼えませんから身分は野良のままです.しかし,自由に人生を謳歌していました.当然親父がいないときは枕代わりになったり首巻代わりになったり,膝に抱っこすると,クニャーとしたあの独特の感触を精一杯味あわせてくれました. 親父を除く家族みんなが自分の膝に抱っこしようと奪い合いをしていましたが,一つだけ気になることがありました.それは時々ぎゃーっと叫ぶ悲鳴が聞こえるのです.ミーは他の猫によくいじめられていたのです.男子だけど弱かったみたい. そういう時はお袋の出番でした.『こらー!!またいじめよる!!』とお袋の大きな声が時々轟いたものです.いじめっ子は実は白と黒のシマシマ君.家の地方ではこういう模様の猫をキジ猫,と呼んでいました(さて場所はどこでしょう?) 『こらー!!このキジ猫!!承知せんよ!!』という声が聞こえたら,キジ猫君はさっと逃げるのでした.だから,すばやい猫だったのですが,やはりミーのことを羨んでいたのは間違いありません.同じ野良なのに,ミーだけたらふく魚の汁かけご飯が食えて,自分は食えないのですから.人の姿を見るとすぐさっと逃げなければならない,そういう役回りの人生を生きていました. さて,私のスタンスです.私はそう,キジ猫君も可哀想じゃないか!と内心思っていました.弟達がどうであったか知りませんが,私はそうでした.それで,キジ猫君にもえさをあげようとお袋に黙って,何度も試みました.白ご飯とか芋とか,魚の切れ端などあるものを台所から持ち出して.当然,簡単には食べてくれません.姿を見るだけで逃げるのですから.(石とかなんかが飛んでくることが多かったのです). 私は,手渡す前に,置いておくことにしました.そして離れたところから熱心に呼びかけたのです.『安心してよかけん,はよ食べんね』.キジ猫君は食べたいから逃げないようになり,じっと見つめあう関係になりました.見つめあいが1時間は続いた,ということもあったはずです. 少しずつ変化してきました.だんだん,距離感が無くなってきたのです.目を合わせても,警戒色はあるものの,こちらの目だけを見ている,というのではなくて,目をえさの方へ向ける,ということが出てきたのです.警戒感が和らいで来た証拠といえましょう. 距離はどんどん小さくなっていきました.そして,手の上にえさを載せて直接与えようとするまでになったのです.さすがにそれからはなかなか進展せず,あと少しのところで逃げるので,やむを得ずえさをそこにおいて遠ざかる,ということを繰り返しました. そしてとうとうその日が来ました.ついに,手の上から直接にえさを食べてくれたのです!その瞬間のキジ猫君の姿勢(動作)もはっきりと憶えています,半身に振り返るような格好で大きく首を後ろに向けて食べました.また,その時のえさもよく憶えています.なんと白ご飯でした!もっとおいしいものを持っていけばよかったなあ,と今思います.でも白ご飯でも食べたのですよね!その時の場所もしっかりと覚えています.宮崎さんちの石垣の下でした.土の土手もあって,そこの草むらで渡したのです.その瞬間,確かにキジ猫君と気持ちが通じたのです. それからどうなったでしょうか?実はそのあと後日の記憶はぷっつり消えているのです.気持ちが通じたあと私たちはどうなったのでしょうか.うーん,謎です・・・ ミーとの想い出も具体的には余り出てきませんが,一つだけはっきりと憶えていることを挙げておきます.ある冬の日,吹雪になりました.私たちは「こんな寒い日にミーはどうしてるやろねぇ」と心配していました.夜遅く,(と言っても子供の印象だから8~9時ぐらいでしょうか)親父が帰ってきた時に,ちょうどミーも玄関に現れたのです.その時に親父はいつもだと「あっちいけ」と邪険にするのですが,この時だけは,「おおー,お前も寒かやろ~~家ん中に入れてやらんね」と言ったのでした.どういう加減で機嫌が良かったのか,今でも謎です. ミーのお話は以上で終わりです.でも,実は全く同じ時代に重なるのですが犬くんも私の傍にいたのです.名前はチビ.今回の主役はミーに譲りましたが,チビも重要な伴侶の役を受け持ってくれました. 彼は野良犬ではなくれっきとした飼い犬君.飼い主の家は距離にして数百メートルは離れた所にありました.チビはなぜか,はるばると数百メートルの距離を経て,わざわざ私の家に遊びに来ていたのです.それもほとんど毎日(と思えるぐらい頻繁に),自分で遊びに来ては夕方自分で戻っていくのです. 今考えると涙が出るほど可愛い,懐かしい想い出です.この涙は,我々親子五人の貧しくて良き時代への郷愁でもあります.若くて元気な両親がそこにはいますもんねぇ.
by papillon9999
| 2008-01-14 19:38
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