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続々・赤木智弘さん
2007年 11月 30日
3.赤木さんの指摘・糾弾と赤木さんへの質問
これまで2回にわたって赤木さんを批判してきた.そのスタンスは,『なぜ戦争はだめか』というよりも,『「希望は戦争」という言葉に値する論理を持っているか』ということの検証(のつもり)であった.その結果は全然耐えられない,という結論になった.この意味で,『論座』という雑誌も私は見たことがないが大したモノではない,ということが露呈したわけである. しかし,一方で,左翼の偽善やメタボが一杯のぶよぶよしたような体質について,的確に指摘したようなところもある.そこには気がつかない視点もあった.これはきちんと受け止める必要がある.それは階層の構図について触れた所である. 経済格差という現状の背景には、まず「富裕層」が存在し、その下に富裕層によって安定した役割を与えられている「安定労働層」がいて、さらに安定労働層のための調整弁にされる「貧困労働層」が存在するという構図がある。 この,「左派(の安定層)はこういう構図の下に安住している」,と言う糾弾はそうだと言うしかないと思った.考えてみれば,我が国の労働運動というのは,やはり大労組のためであり,昔から『労働貴族』という言葉が存在した.これは組合幹部だけの話だったのだが,大労組と中小労組や未組織労働者との間にもこういう格差構造は存在した.後者は低賃金や劣った厚生環境条件下に甘んじていたのである(今さら私がここで言うまでもない).我が国の労働運動(特に社会党と民社党に率いられた)というのは,多かれ少なかれ,こういう面を持っていた.(だから,公明党や共産党が一定の支持を集めてきた,ともいえる). しかし,当時と今で違うのは,安定のパイが大きかったこと,そして劣っていたとはいえ貧困層でもそれなりの水準は維持できていたはずである(私が実感している).また,今は次々に「安定層」→「貧困層」へとこぼれ落ちていくのみでその逆のベクトルが存在しない一方通行の構造である.当時は逆ベクトルが存在しなかったわけではない. 今は赤木さんの言う「貧困労働者」からすると,一般の(安定)労働者までが『貴族』の地位にあるように見えるのだろう.ただし,貧困層を犠牲にするような構造に安住している,ということには程遠く,いつの間にかこうなってしまった,と言うのが実情であろうと思う.だって,こんなにひどくなったのは小泉以降であろう.それは突然,というわけではないから(中曽根を忘れてはいけない!)その前から犠牲者は少しずつ増えていたに違いないが,それでも重篤な事態に陥ったのは小泉・竹中に因るところが大きいはずである.彼らの所為で,「安定労働者」もいつ自分がそうなるかわからずビクビク物でいるはずだ.ジョーカーが自分に廻ってこないでくれ!という心境なのだ. このような二重(格差)構造をどうするべきなのか,実は全然わからない.私などに解決策がポンと提示できるはずがない(貧困者のための基金を創設する案を考えたことがある\(^o^)/).ただ,赤木さんの貢献もあって,新自由主義の格差社会を攻撃している者(私も含めてもらえるかな)は,自分たちも格差被害者から同じ穴のむじな,と見られているんだぞ,ということを知らしめたことがそれ(貢献)だ.私は正当な意識とは思わないが,そう思いたがる心性は理解できる.心に留めておこうと思う.愚樵さん,こういうことですね. ところで,赤木さんは最後にこういうことを書いている. 『考える時間を得るためには,生活に対する精神的な余裕や生活のためのお金が何よりも必要不可欠であり,それを十分に得られて初めて「考える」という行為をすることができる. そうした人間が,考えて活動するための「土台」を整備することこそ,私に反論する方々の「責任」ではないだろうか.』 要するに,社会のことを考えるにも,お金と時間が必要だ,貧困労働者に社会のことを考えさせるために,お金と時間を何とかしてくれ,ということだろうと思う.私はここを読んで非常に楽しみになった.もし赤木さんがフリーターから脱出できた時,どのような土台を整備するのか,貧困労働者に社会のことを考えさせるために,お金の援助をどのように行うのか,どの程度自分に余裕が出たらそういうことにお金を回すのか,ぜひ見させていただきたい. 社会を変えるのは大変なことである.その参考のためにもぜひやっていただきたい. 最後に私の思い出を一つ.たぶん,高校の頃である.長男なので私はいつも親戚にちやほやされていた.そしてある時,聞かれた. 「パピヨンちゃんはどんなお嫁さんがいいの」 私の答(何かで文を見ていたのだと思うが) 「安月給を嘆き責める人より,安月給(の理不尽さ)を夫と一緒に怒ってくれる人」
by papillon9999
| 2007-11-30 15:08
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Comments(15)
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一般の雑誌に掲載される論文というのは、その論文の筆者が責任を負うものであって、編集部が責任を負うものではありません。ある雑誌がある論文を掲載したからといって、編集部がその論者を支持しているわけでもありません。私は別に「論座」を定期的に読んでいるわけでも、愛読者でもありません。問題の論文も全文は読んでいません。
しかし、いずれにせよ、「赤木論文」が極論であるとはいえ、1つの主張を示し、大きな反響を呼んだとすれば、それだけの点でも、この論文が問題提起として「論座」に掲載された意味はあったのではないでしょうか。 ですから、この論文が掲載されたということをもって、>『論座』という雑誌も私は見たことがないが大したモノではない,ということが露呈したわけである< という言葉は、いささか勇み足のように思います。 一般の雑誌というものは、政党の機関誌のように自己の主張ばかりを述べるものではありません。また「正しい意見」ばかりを掲載することが、意味あることとも思えません。 いろいろな意見を紹介して問題を提起するというのも、雑誌の重要な役目の1つですから、その点では、むしろ「論座」は立派に役目を果たしたといえるのではないでしょうか。
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かつさん ご指摘ありがとうございます.おっしゃることはよくわかります.ただ,『編集部が責任を負うものではありません』という点には条件があります.編集部が取捨選択して載せる場合と,たんなる読者投稿の場合です.前者であれば,編集部の責任はとても大きいと考えます.
たとえばナチスの主張をそのまま載せることはまずあり得ないでしょう.あるとすれば,そのナチスの主張に,ある正当性を認めた場合だけのはずです.論座の編集部は赤木さんの主張に,問題提起の意義を認めたから載せたのでしょう.私は重みに耐える論理を持っているとは思いません.ですから,私の論座への評価は,残念ながら大したものではない,となります.私が編集部であれば絶対に載せません. 読者の広場のようなものであれば,編集部の責任ではありません.模しそうなのであれば撤回します.実際はどうなのでしょう? ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
どういうわけかコメントが消えてしまいました.
『赤木氏は戦争を積極的に支持し、主張しているわけではない』とありましたのでそれに対して. 実はこれはよくわかるんです.私はそういうことを心配して反論しているのではないことは,私の記事の論調からわかっていただけるかな,と思います.そこが「内田流」なんです.すみません.内田さんのファンでしたね.今はその議論はする必要はありませんが,私の先入観があるものでして,「内田流と私が思うもの」としておきますね(本当のところは保留という意味). 戦争支持者ではないからこそ,最初の記事の最後に書いた『不純さ』を感じているのです.もっとも,これも先入観がもたらしたものなのです.いろいろ本人のブログを読めば印象がまた違うのかもしれませんが,今のところ,これ以上深入りするつもりはありません. それにしてもフリーターのくせに,ブログなんか書いてる暇があるのですか! ![]()
読まれたのは、論座に載った続編のほうですね。
私が読んだのもこっちだけで、正直いってあまりよくないですね。 たぶん、既成左派・リベラルの「定型的」反応にがっかりしたあまりの、いささか感情的な反発が大きすぎて、論理性に欠けているように思います。 ブログも開設されていますから、こちらのほうが彼の考えていることがよく分かるかもしれません。 http://www.journalism.jp/t-akagi/ いずれにしても、私としてはこういう考えがあるということを紹介しただけでも、「論座」は立派な仕事をしたと思います。もし、彼の論文が載らなければ、誰も今の社会にそういう考えをする人がいること自体、気づきもしなかったのではないでしょうか。
<彼の論文が載らなければ、誰も今の社会にそういう考えをする人がいること自体、気づきもしなかったのではないでしょうか>
これは確かにそう言えます.記事の中に書いた『貢献』はあると思います.どうもコメントの順序がおかしくなりましたね.すみません. ![]()
すみません。いったん消したのは無用の紹介かなと思ったからです。
ちょっと行き違ってますね。 ![]()
TBありがとうございます。シリーズ興味深く読んでます。「自己責任」と「社会的責任」は深く思索しなければならないと感じました。
みなさん指摘してますが、ワタシのイメージも赤木君は「自己中な子ども」という感じですね。一つ目の引用で、安定層へ攻撃の刃がむくのは、まるっきり支配層の望む分断を助長させる思考。いつワーキングプになるかもしれない、とドキドキしている深層心理を必死にかくそうとしている仮安定層(大多数)を敵にまわしてどうすんの、という感じです。 2つ目の引用も自分の思考レベルが全ての人々に通じるという自己欺瞞。昔からのホームレスのなかにも飲まず喰わずの哲学者はいました。現に赤木君自信、ワープアなのに「考えている」。それが理論破綻していても、やはり考えている。一程度影響のある記述もできる( papillonさんも3つもエントリーをあげましたよね)。従来の本筋で訴えても目新しさがない、という計算づくであれば、結構頭よさそうですね。 ただ、本音で評判になったのはフロックであれば、ただの我が儘な子どもかな? (ワタシは後者のような気がしてるんですけど、笑) ![]()
でもね、ワープアを脱出した赤木君にたいし、(子どもだということが解ってて)さあどうする、どうする、と詰め寄るのはpapillonのイジワルかな(笑)。いいじゃないですか、一人のワープアが脱出できたんですから。でも、どうするかは見てみたいかな(爆)。
dr.stoneflyさん <papillonのイジワルかな(笑)>
バレましたか,エヘヘ\(^o^)/ いやあ,それにしても dr.stoneflyさんの態度,なんか不良息子をかばうお母さんみたい.最近では三田佳子,古くは美空ひばり(馬鹿弟)を彷彿とさせます.(別にかばっちゃいないけどよく謝罪した) でもね,dr.stoneflyさん,もうすでに『子ども』だといって見過ごしてはいけないステージに来ていると思いますよ.皆さんが一笑に付すようであれば私はまったく関心を持たなかったでしょう.しかし,私の周囲では『子どもだ』とかばう母親役はdr.stonefly一人だし,本質を見破っているのは布引さん,愚樵さんくらいのものです.ネットではいろいろいても,まともに受けておたおたしている感じです.一笑に付さなければなりません.もうすでに子どもではなく,また一人変なのが増えた,という感じですかね.雨宮なんとかとか,きくちゆみとか,この辺もなんか怪しいな,と思っています・・・(これもまた私の先入観で,違っていたら申し訳ないので,公言しませんが??いろいろいてもいいですけど) それより赤木君に,どういう土台をこれから作るのかぜひ聞いてくださいね! ![]()
赤木君に限らず日本人は正確な言葉使いせず、新鮮に見える新しい言葉を作りたがる。
目新しい言葉をマスコミが率先してもてはやす。自分で自作自演で悪質な造語を作って流行らす。 事実と表現(言葉)の関係が逆転して、さも『新しい言葉』が社会の現象を導く(印象操作?)ような錯覚を覚える昨今。 これでは井沢元彦の言霊信仰じゃないですか。(元彦君は餅焼き網や笊をただで配って安物の羽毛布団を高額で売りつける2流の詐欺師) 赤木君たちプアを救う可能性があるのは『戦争』ではなく本当のガラガラポンの『革命』でしょうが。 ところが日本では革命は忌み言葉のようですね。フランス革命記念日が『パリ際』なんて日本の誰が訳したんでしょう。 アメリカの「The Revolutionary War」や「American Revolution」を独立戦争と訳しているが意識的な誤訳では無いか。 明治期に、なぜ「革命戦争」や「アメリカ革命」と訳す知識人が一人も居なかったかの疑問は案外明治政府の情報操作と見れば面白いかも知れない。 蛇足。合衆国も変、本田勝一の指摘のように正しい訳は合州国。 The United States of Americaはアメリカ州連合国かアメリカ連合国又はアメリカ連邦。
わが国ではまともな論者が少ない,とはいえないにしても恵まれませんね.一般人は目立つ人にしか関心を寄せないようです.それだけのレベルしかないのでしょう.これでは小泉以上のパフォーマーが出現した時にあっという間にファシズムに席捲される恐れが強いです.すでに選挙結果の雪崩現象に現れていますが.ファシズムへの恐れ,など古典的で古い,と笑われそうですが,良識ある人でもあっという間にファシスト礼賛をぶつようになるでしょう.まともな論理に鍛えられていないから,審美眼が育たないのです.
この問題は美術界,アカデミズムの世界,でも感じています.簡単な記事にしてみます. ![]()
赤木君が『希望は革命』といえばマスコミは取り上げたか。?間違いなく取り上げない。
しかし戦争でも勝ち戦では大勢に変化は全く無い、逆に体制を強化するだけ。本当に変化が有るのは敗戦です。 しかし正解の『希望は敗戦』と言っていたらマスコミはやっぱり取り上げない。 赤木君のイヤラシサは正に其処にある。内田流と同じようなマスコミに対する媚を感じるのは私だけだろうか。? 必要以上に『右』に媚へつらう時にはファシズムを考えるべきです。 ファシズムは何も特殊な例外的な体制では無く、資本主義の究極の姿で、ポピュリズムでもある。 華氏451度で保守の定義が示されていますが、『保守』とは保ち守る意味で現状肯定派で、完全な現状維持で無く穏やかな進歩も含む概念。 対する左派は現状不満派で未来に自分の理想を実現しようとする。 右翼反動も現状不満派だが、理想が過ぎ去った過去にあるので、現状に反り返って動く。(ファシズムに簡単に変化する連中) 赤木君の主張はこの分類では保守ではなく反動に含まれる。中曽根、小泉、安倍も間違いなく含まれる。 改革を主張する保守は言語矛盾、右翼、反動と形容するべきですね。
布引さん いやあホントに参考になります.私が「不純だ」と書きましたが,『赤木君のイヤラシサは正に其処にある』と具体的に書いていただきました.『マスコミに対する媚!』 媚に篭絡されたという所に,論座の質が露呈されているわけですね.
「本当に変化があるのは敗戦!」これも至言! 『反響を与えた』ということが評価の対象になっています.この論調は絶対おかしいと思います.無視すべきだったのです.かつさん,すみません. 今はもう無視すべき時ではありません.すでに延焼しそうな火になりつつあります.大火になるから評価する,というのもおかしい話.放火でも大火になります.
愚樵さんへ TBありがとうございます.大変良い記事だと思います.今回は遠慮して,こちらのほうへ感想を書かせていただきますね.そちらに書かれたコメントも拝見しました.いずれも私が好ましいと思う感想を書かれています.この周囲だけでもこういう論調になったということは私も一安心です.赤木さんがこれからどう化けるかはわかりませんが,人間性としてはこの原点を忘れないでおこうと思います.
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