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餓死した裁判官の話
2007年 11月 14日
この記事は瓢箪からコマのめぐり合わせで書くことになった.元はといえば,前回の記事に私自身が書いたコメントに端を発する.記事に書き忘れたこととして,表題にある裁判官のことを追記したのである.そういう裁判官がいたことは聞いて知っていたが,その名前を知らなかったので訪問者にご教示を請うた.するとそれに回答があり,インターネットで調べたら,あるサイトに行き当たったのである.
そのサイトにはこの裁判官のことが詳しく描かれていた.新聞記事とそして彼自身の日記があったようで,それらの一部が要領よく紹介されている.それを読んで彼がどのような意味で自らの心をフリーズさせ,何に対して命を捧げたのか,ほんの少しながら垣間見えたような気がした.読者の皆さんもぜひ一読されることを勧めたい. 驚いたのは,この裁判官のほかにもう一人,餓死を選んだ人がいたことである.改めてこの二人の名前を記しておく. 山口良忠 東京地裁判事 亀尾栄四郎 旧制東京高校ドイツ語教授 この二人の行動をどのように評価するか,きわめて微妙であろう.批判はたやすい.同時に安易な賛美もどうだろうか.このサイトで紹介された新聞記事や日記の破片をを読むと,彼(ら)の信念はそのような安易な批判や賛美は頑として跳ね返す迫力を持っていることがわかる.しかし,私は深く心を打たれる.決して賛美ではない.何に対してだろう. サイトからの孫引き引用だが次のように書いてある. 『経済犯を裁くには、その人たちが罪に落ちる直前の苦しみ、立場に立たないと、正しい裁きは出来ないと思う。これから僕の食事は、必ず配給だけで賄ってくれ』 ここには山口良忠が単純な『信念フリーズ患者』ではないことがよく示されていると思う.山口良忠は『苦悩のすえ、配給生活は守ろうと決意した。』のであった.私が最も感銘を受けるのは『僕の食事は』という処である.ここにはこのような馬鹿げた法律に殉ずるのは自分一人でよい,家族や他人にそれを強要しない,という思いが現れている.こういう思いを発する彼の前頭葉に対して私の前頭葉は深い共鳴を感ずるのである. 亀尾栄四郎の場合はどうか.サイトの記事は次のように紹介する. 『「いやしくも教育者たる者、表裏があってはならぬ。どんな苦しくても、国策に従う」という固い信念』 これだけを見ると,山口と亀尾には多少(と言っていいかどうかわからぬが)の違いがあるような気がする.赤文字のような部分を見ると,『誤った国策』への批判精神がこれだけではわからないからだ.しかし,それも含めて安易な評論は慎んでおかねばならないだろう. 私はこういう人たちの名前を語り継ぎたいと思った.歴史に残る大人物ではなくても,後世,子孫が『うちのじいさんのじいさんのそのまたじいさんはこういうことをしたんだよ』ということが誇りを持って語り継がれることは素晴らしいと思う.尤も,これは諸刃の剣であって,そっとしておいて欲しいこともあるだろう.でもたいていの場合は自然とそのようになる.心配は要らないと思う.遠い記憶の彼方にいやでも沈んでしまうのだ.そういう人がいた,という痕跡も残さずに.心配は要らない. そう,ただ普通に生きて,そういう語り継がれることをなすような人生でなくても良いのだ.しかし,ある時代に公害やら国の理不尽な立ち退きやらに遭遇してしまった運の悪いご先祖さまもいるかもしれない.その時に,『結局は負けてしまったけれどもその理不尽さに対してこういう抵抗をしたんだよ』というようなことが(誇りを持って)子孫に語り継がれるならば,そのご先祖は決して犬死ではないだろうと私は信じたい.もう本人はとっくに死んでいるのでなんの慰めにもならないが,それは一粒の小さな花,何百年も経った古い種が花を咲かせたようなものではないだろうか. この逆は,汚名.竹中平蔵の子孫は巨額の不正蓄財で,子孫はいつまでも恥ずべきご先祖様を戴かないといけないのだ.政府審議委員達の無責任な,かつ無定見な舵取り,などもせめてこういう恥という側面から質の良化を期待するほかはないと思うのだが,現実には責任の所在が実にあいまいできわめて遺憾である. 尤も,誇りにしろ汚名にしろ,子孫には何の責任もないので,子孫自体が威張ったり,逆に非難され,いじめられたりするようなことがあってはならないのは当然だけど. ところで,山口良忠の行動を見るとき,思い出すのは巷間あふれる精神論である.一昔前に流行ったのが『清貧の思想』.これはどういう著者がどういう立場で書いたのか,実はよく知らない.しかし,先入観だけでいうと,『清貧を説くなら自ら清貧になってから言え』と当時は題名だけで思ったものだ.それから『国家の品格』.これも門前払いした.そして『内田流格差論』.これらにはすべて,『清貧を説くなら自ら清貧になってから言え』を捧げたい. ただし,怖ろしいことは,これらの言葉はすべて自分にも還ってくることである.どうしよう・・・大丈夫だろうか・・・
by papillon9999
| 2007-11-14 20:11
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Comments(55)
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布引洋
at 2007-11-15 13:48
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戦後に餓死したインテリの心境は、それ以前のの戦争中の立場や心境、信条と深く関係している可能性はどうでしょうか。?
丸山真男に因れば日本型ファシズムと戦争の積極的な支持者は小工場主、現場の親方、棟梁、土建請負業者、小売店店主、小地主、自作農上層、小学校等教員、村役場等一般下級官吏、僧侶神官などの中間社会層だった。 此れに対する中間層のもう一つのグループがジャーナリスト、教授、弁護士、学生層の一部等の文化人(インテリ)グループ。 インテリ層も多くはは積極的に協力し其の他は消極的に協力し永井荷風のように非協力だったのは極少数。 積極的に反対したのは共産主義者だけだった。 結果的に全員が真実に目をつぶり戦争に積極的に参加したがインテリ層の罪は其の他の階層の罪より大きいのではないか。? なぜなら他の階層と違いインテリ層には調べるつもりなら幾らでも真実は見つけられた。 しかし、そうしなかった。 このことは戦後彼らインテリの良心に負担にならないはずが無い。
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布引洋
at 2007-11-15 14:24
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戦争に積極的に協力した知識層の半分は戦後に反戦平和を唱えるようになった。
一億総懺悔と言ったのは、このグループに属する連中です。 残りの消極的協力グループも殆どすべて反戦平和勢力になる。 戦後にインテリ文化人グループは反戦平和の一大勢力になったわけです。 しかし戦争を遂行したもう一つの中間層。此れが問題で、自分が加害者である自覚が薄い。だまされたとの自覚しかない。 困ったことに今度戦争が起こったら『うまく立ち回って大儲けする』なんて連中も大勢いました。 しかし社会や文化は知識層がリードする。戦後長い間、知識層=護憲左翼の状態が続き、反戦平和のインテリ文化人グループが日本を一定の方向に導いてきていました。 現在の右翼改憲派知識人は言語矛盾で、知識があれば右翼にはなれないはずなんですが。
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papillon9999 at 2007-11-15 14:27
ふむふむ,一種の罪滅ぼしというわけですね.それもあったかもわかりませんね.餓死する勇気があるのなら戦争反対の拷問にも耐えられたのかもしれませんが.ただし,戦前では自分ひとりではなく.家族,係累にも累が及ぶかもしれませんね.
ただ,罪滅ぼしだったのかどうか,今はあまり興味がないのです.でも反対を貫いた共産主義者達はこれもしっかりと名前を語り継いでいかなければなりませんね.すみません.片手落ちでした.
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papillon9999 at 2007-11-15 14:35
書いているうちにもう一つ書かれましたね.
『自分が加害者である自覚が薄い』 しっかりと総括ができていないからでしょう.世間のおっさん,おばさん達は総括の能力がないですから,頼りは国の総括です.しかし,国は未だにきちんと総括していません.戦犯が生き残って総理になるぐらいですから.国がきちんとやらない,というのは世間の人々を目覚めさせないためでしょう. 『知識があれば右翼にはなれない』昔の学生時代はそうでしたね.今は知識は自分の有利になること(金儲け,出世)に使うべきもの,となっているのでしょう.ここにも『捏造論理』がありそうです.歴史教科書を作る会の連中だって,真に自分と向かい合えばいかに論理がおかしいかわかるはずです.そのポジションが自分に有利だと思っているのでしょう.そうでなければただのアホに過ぎません.
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布引洋
at 2007-11-15 17:04
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西部邁が2003年4月号 正論「アメリカ戦略にはらまれる狂気」でイラク戦争を「最も汚い侵略」と主張して岡崎久彦を批判。
作る会の内紛での発言は靖国文化人でも案外正論を吐いていますよ。 胡散臭い内田流格差論が何故若者に支持されるかの謎ですが、多分新自由主義の寵児ホリエモンや村上ファンドの金儲け至上主義に対する反発感でしょう。 それにしても理論的程度が低いですな。 5年程前に流行った日系米人作家の『金持ち父さん貧乏父さん』 内容はポリエモンの行動原理そのもので、健全な勤労意欲を持つ者にとっては腹立たしい限り。 如何にして金を儲けるかが書いてあるが、その内容の程度の低さには呆れ返るばかり。(君も成金になれる的な内容) この本がマルチ商法のバイブル的な扱いになっていて可也売れたらしい。 親族の一人がマルチ商法に嵌ったが、勧誘や騙しの手口がカルト宗教に良く似ています。(脱会させるのに一苦労) しかしホリエモン流金儲け至上主義の対案が、経済学も社会学も無視した理論的な程度の低さがどっこいどっこいの内田流格差論では、騙された若者は救いようが無い。
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papillon9999 at 2007-11-15 18:45
西部邁さんの立ち位置は私なりによく理解しているつもりです.従って,岡崎久彦のように米国の茶坊主は我慢ならん,という心性がよくわかります.西部氏も作る会だったのですか.西部氏は自分を騙して,というのではなく,心底から思っていることを言ってたような気がします.
内田流はほんとは何を言ってるのか私はよく理解できないんです.よく読んでない所為もありますが.結局は快川禅師の話ではないけど,『炎なんてないよ』といってることになるんでしょう?『それは考え方の問題だ』なんて言いながら.
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MS
at 2007-11-15 22:04
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「罪滅ぼし」という感覚も、安っぽいという批判が多くありますが、安易に批判されるべきものではないような気がします。「心苦しさ」は何らかの行為によって代償されるべきであるという感覚は、むしろ正常なものであり、自己犠牲の精神の原初的な感覚であるように思えます。
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MS
at 2007-11-15 22:05
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すべての人が同じように「死ぬ」だけの勇気は持てませんが、このように餓死までした人が法を守る「一流」の人であるとすれば、所詮、餓死ができなかった「分際」で「二流」にしか過ぎないことを徹底して自覚することもまた、生き残った者にとって必要なことであるかもしれません。所詮「二流」にしか過ぎないものは何も誇るべきことを持っていない、という感覚は、戦死した人々に対しての「負い目」とも重なると思います。この「負い目」をより良く言語化することこそ、本当の癒しを生むものであると考えます。
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MS
at 2007-11-15 22:06
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いずれにしても、死に対して勇敢だった人々に対して、自己を誇るべき立場にはないように自覚しています。むやみな「誇り」を「人工的」に植え付けることはむしろ、日本の伝統的な「精神」に反している不健全な「精神」でもある可能性もあるのではないかと思います。
他者の「死」を契機にして、自己の存在の無力さを自覚することは、人を真実に生かす契機となるものであり、ひょっとすると死に至るまでの勇気の源なのかもしれません。
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papillon9999 at 2007-11-16 09:28
MSさん コメントありがとうございます.いずれにしても『自己の小ささを徹底して自覚すること』は何に対しても好ましい態度と言えましょう.
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布引洋
at 2007-11-16 11:06
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内田流格差論を一言でいえば典型的観念論です。其れも程度の低い。
自分の思ったことが大事。『思ったこと=現実=事実』『観念=実体』 哲学的にはソクラテスの流れで宗教的な思考方法でもある。 内田流では『格差があると思うから、社会の格差が存在する』『格差が無いと思えば格差は無くなる』訳です。 『熱いと思うから熱い』『熱いと思わなかったら熱くない』此れが禅の悟りの境地でしょう。内田流は二流の生臭坊主ですね。 不幸だと思うから不幸になる。貧乏だと思うから貧乏だ。内田流派幾らでも応用が利きます。 坊主の観念論も長期的大局的には無理でも、短期的局部的には当たっている場合もある。 例えば指先が熱いと思うのは脳でそう感じるからで、本当に指が熱いか冷たいかの事実は単なる原因。 指と脳の間の神経細胞を遮断すれば熱くない、逆に熱くなくても熱いと脳が思えれば熱いわけです。 一時的に脳が熱いという考えを止めれば熱くない。『心頭滅却すれば火もまた涼し』は可能です。
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布引洋
at 2007-11-16 11:40
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山伏が火の中を裸足で歩いたりの宗教行事は一定の修行を積んだ宗教的興奮状態では可能です。短時間一時的局部的の条件付ですが。
私も此れと良く似た体験をしています。 -20度以下で風速20mの体感温度は-40度近い。この条件で手袋を外すと普通は5分以内に指が凍て利かなくなる。 しかし二重編みの毛糸手袋の上にミトンでは大きな手懸りしか掴めない.で仕方なし手袋を脱ぐ破目に陥る。指が凍るか岩から落ちるかの二者択一では仕方が無い。 岩登りが難しいから手袋を脱ぐと5分で指が凍る。この時、脱がずにもっと辛抱すると段々危なくなってくる。判りやすく言うと落ちそうに為るんですね。(落ちると死にますが) 脳が思考を停止する。『心頭滅却すれば火もまた涼し』状態になったとき手袋を脱ぎ素手で登りだせばもう寒さを感じない。此れで冬の壁を登っていたんですよ。この話を友人にすると『あんたは教祖になれる』と言わた。多分脳内麻薬が大量に分泌されていた状態だったのでしょう。
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MS
at 2007-11-16 12:20
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>> 多分脳内麻薬が大量に分泌されていた状態だったのでしょう。
われわれ個人もまた死の前にはおそらくそのようであるのですが、死は等しく重い事実ではないということを証拠立てることも可能でしょう。個人の命は地球よりは重くありませんし、実際に軽く扱われているものです。そしてこの情を差し挟まぬ無味乾燥さこそが科学の重要な立場であり、このようなものを「信じる」によって人間社会が維持されていることもまた事実でしょう。 格差の是正は国会での議論で解決するほかはありませんが(と言うよりそのとおりを望んでいますが)、現世では100パーセントの完全な格差の解決が可能であるかと言うことには、絶望をせざるを得ません。格差是正が最大の目的であったはずの共産主義の壮大な実験は、最大の格差を生んだと言うことは皮肉でしょう。 格差の拡大を阻止するために国会での論議があるとすれば、そこで理性的に戦わされた議論も最終決着の場面では、個人の情で決まることも多いでしょう。むしろそれは法廷の立場ではないという意味で、真に我々国民のものです。
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MS
at 2007-11-16 12:21
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ソクラテスの有罪の票決は、実際には同数に近いギリギリで決まりました。裁判開廷前にはほとんどの人がソクラテスを有罪だと考えていただろうことから考えると、彼の弁明が証拠だった筋道だったものであることを示しています。
ソクラテスは、無実の罪で毒杯を飲んだあと「医神アスクレピオスに鶏の借りを返しておいてくれ」と遺言して死にますが、ニーチェはそれを「彼は精神を病んでいた」と皮肉ったわけです。確かに有罪が判定される裁判の場で「声が聞こえる」などという発言をソクラテス自身がしており、統合失調症であったのではないかとすら邪推可能であるかもしれません。 狂ったソクラテスの異名を持ったディオゲネスは、樽で生活し、道端で自慰をしましたが、その皮肉めいた狂気を町の人は愛したと言うことです。
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布引洋
at 2007-11-16 13:29
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MSさんへ
キリスト教の造詣が深いようですが,我が日本国ではキリスト教信者は1%程度。キリスト教的倫理を得々とお書きに為っても我々不信心者には何のことやらさっぱり判らず仕舞い。 しかも長い。 此れでは良くって無視。最悪の場合は反感を買うだけですよ。 善意からの忠告と理解してください。 長ったらしい知識のひけらかしは、時として反感を買います。みんなが知っている話は特に。 御自分の言葉を使って出来る限り短く簡潔に文章を作ってください。。 短い言葉ほど人の心をうつものです。
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papillon9999 at 2007-11-16 15:18
MSさん,布引さん いろいろコメントありがとうございます.すぐ上の布引さんの感想,実は私も似たようなことを感じていました.発言の趣旨がいまいち理解できないのです.それから,MSさんが愚樵さんの記事へのコメントで,聖書に触れた記述がありますね.私はその内容に非常な違和感を感じています.でも今のところはそれに触れるのは時に非ずかと思います.愚樵さんがなにか記事を書かれるようですから,いずれ機会があるでしょう.
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MS
at 2007-11-16 15:24
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キリスト教の話はここではしていませんが。
ソクラテスもディオゲネスもキリスト教以前のギリシャ哲学者ですし、ニーチェは「反」キリストです。 「善意」と標榜するときには時に「説明不能」ということを暗に予感させるもの、「反感」には慣れておりますが(またそれも意図されてさえいますが)、管理人さんの手前、退散致しましょう。 ちなみに残念ながら、わたしは日本で1パーセントのキリスト教信者ではありませんので悪しからず。
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papillon9999 at 2007-11-16 17:01
内田流の批判を山口判事の件になぞらえながら作ってみました.内田さんは次のどちらかのようにすべきなのです.
まず,山口判事バージョン:『「格差は考え方の問題であるから,俺のようにしたらいいのだ」と宣言して,敢然と現・職を辞し,日銭で暮らすほかはない職について,考え方を身を以って教えるのです.体力はありそうだから心配ないでしょう. べらんめえバージョン:『「格差があったってちっとも構わねえじゃねえか.悠々と生きようぜ」と宣言して,敢然と現・職を辞し,日銭で暮らすほかはない職について,お金が万能ではないこの世の生き方を身を以って示すのです. (なあんて馬鹿なことを書いてしまった.愚樵さんに苦笑されそうです.あとで恥ずかしくなったら削除するかもしれません)
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布引洋
at 2007-11-17 10:11
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内田樹が餓死しかかっている山口判事に向かって『人はパンのみにて生きるに非ず。空腹は気持ちの持ちよう』と説教している図はどうでしょうか。
インドで一ヶ月以上不眠不休で断食する少年の話がテレ儀で報道されていました。(インド人はすごい) ただし夜はカーテンを閉めて他所から見えない。(インド人はかしこい) 西欧一神教的な考えでは、人間と動物の違いは宗教の有無。その宗教にも上下があり、アニミズム、シャーマニズム→多神教→一神教と進歩していった。 数学的に表現すると無限の神々(アニミズム)→有限(多神教)→唯一神。 ところで数学的には、一神教から最後の一神を取り除いて無神論になるのが自然の摂理。ゼロを発見した数学の天才インド人なら一で終わる間違いに簡単に気付いたはずだが。 昨今の世界の問題の殆どが一神教がらみで起こっている。宗教の中でも一神教が一番質が悪い。多神教の方がはるかに優れているように見える。 MS 氏は表現力も問題だが読解力も同程度。キリスト教的倫理と書いたらキリスト教信者と曲解する、衆人周知の陳腐な知識をひけらかすなと書いたら、これ見よがしに書き連ねる。これは単なる嫌がらせですね。
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papillon9999 at 2007-11-17 18:44
いやあ,布引さん,山口判事への説教バージョン,とても秀逸です.私のよりはるかに質がいい.これだと全然恥ずかしくありません(私のは恥ずかしい・・・)
数学の喩えも素晴らしい.1は途中であって,まだ0がある・・・うーん,確かに・・ それから,上の方に書かれた,布引さんの貴重な極限体験.これも何気なく通り過ぎましたが,非常に面白い話です.脳が騙されるのですね. 真っ赤に焼けた火箸のように見せかけて肌にくっつけると,そのように先入観を与えられると実際には熱くなくても火傷ができるそうですね.
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布引洋
at 2007-11-18 15:52
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養老 孟司の『バカの壁』のなかで唯一納得した記述が考古学者(旧石器捏造事件を最初から指摘していた)竹岡俊樹氏が考古学的手法でオウムを解明した「オウム真理教事件」(まだ読んでない)の話。
なぜ麻原のような風采の上がらない胡散臭いペテン師に、まんまと高学歴の弟子達が騙されたか。? 何故あそこまで信じることが出来たのか、の不思議。? 麻原は唯一真面目にヨガを修行していたらしい。 弟子達がヨガ修行して得られる身体的精神的変化を知っていた。予め知っているので確信を持って予言できる。自分達に起こった変化を言い当てられた弟子達は苦も無く騙された。(信じ込んだ) 精神(脳)と身体の相関関係の科学的(医学)解析は緒に付いたばかりでまだまだ解明不足。 ところが普通の人は、ほとんど自分の体のことは、自分で判っていると思っている。 ここに大きな誤解が存在するようです。 特に脳内麻薬などは判っていることよりも判っていない方が多い。科学はまだまだ進歩する必要がありそうです。
餓死した裁判官の話は、中学の社会の授業でだったか、聞いた覚えがあります。そのときの教師の話には、餓死した裁判官は“バカな奴”というようにニュアンスが含まれていたような。
今の私は餓死したそのお二人を“バカな奴”とは思いませんが、“若い”とは思います。そしてその“若い”というイメージはイエス・キリストのイメージとも重なっていきます。それから清貧というイメージにも。 いずれの人も死に至ってしまったのは、その誠実さと若さ故。もし仮に命永らえていれば、フリーズから逃れられている人ゆえ、もっと別の場所(それが高いかどうかは別として)に辿り付けたであろうと思います。 インドの地が育んだ仏教という宗教は、それに対してどこか老練さを感じさせるものですが、仏教開祖のシャカも、スジャータに命を救われなければ悟りを開くことはなかったでしょう。 内田生臭坊主にも、私はどこか老練な臭いがするように感じられています。論理をこえた知恵に長けているがゆえに、論理に全幅の信頼を置く若者を上手く転がすことができるのでしょう。
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papillon9999 at 2007-11-26 00:19
布引さん 『自分達に起こった変化を言い当てられた弟子達は苦も無く騙された。』 これは養老孟司の説ですか?もしそうなら少しは見直さないといけませんね.『考古学的手法』で解明した竹岡説,これもどんなつながりで解明できたのか,推理小説並みの期待感があります!
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papillon9999 at 2007-11-26 00:52
愚樵さん イエスのイメージ,私は違いますね.山口判事は求道者とかガンジーなどと一見似ていますが,違いがあると思うのは,『人をこのように導きたい』という思いがないことです.こんな馬鹿なことをやるのは自分ひとりで十分,という感覚.そこには大きな違いを感じます.
(判事であるがために闇米に手を出さない,という使命感?は似ていると言っていいかもしれません.) それから,清貧.これも似ていますが,これにも大きな違いを感じるのは,『清貧を説く人に清貧の人はいない』と思うからです(これは「格言」のカテゴリーであとで記事にしようかな). 『何も言わず自分一人で清貧を貫いた』というのであれば,山口判事のイメージに近づきます. もし山口判事が闇米を食べて命を永らえたとしたら,きっと別のことでも何かを残したような気はします.でもこういうこと(餓死)で現世に衝撃を与える役目だったのでしょうね.人は二つも人生はできませんものね. ところで内田の『先生』が生臭坊主なのかどうかよく知りませんが,『論理に全幅の信頼を置く若者を上手く転がすことができるのでしょう』というあたり,とてもよく当たっているような気がします.
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布引洋
at 2007-11-26 14:57
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餓死した裁判官は“バカな奴”は、当時の圧倒的世論でしたね。
『建前だから、規則だから、法律だから守らなければならない』 1945年8月15日の前ならそれでも良かった。 しかし事態は一変。 良いことは実は悪かった。正しいことは実は間違っていた。正義は悪だった。 8月15日以降は『規則だから守る』では済ませられない世の中に為ってしまった。 自分の頭で考えないといけない。 其れと鬼畜米英を言っていた政府高官がアメリカ軍に協力したり、一億玉砕を叫んでいた軍人が命惜しさに最初に逃げたり、戦陣訓の東条が生きて虜囚の恥を曝したり、金属供出を強要した連中が物資を隠匿したり。 あまりの馬鹿馬鹿しさに多くの一般庶民は『今度戦争が起これば、うまく立ち回って大儲けする』等と言っていた。
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papillon9999 at 2007-11-26 17:18
『鬼畜米英を言っていた政府高官が・・・・供出を強要した連中が物資を隠匿したり。』
そうなんです.ここですね.山口判事の人生の役目は このような恥知らずたちの行いをあぶり出すためだったのです.きっと.私は『人生の役目』なんていうことを考えるのは嫌いですが,山口判事のケースではなぜか自然に出てきました.だって,こういう役目をする人は他にいなかったわけですから. 『今度戦争が起これば、うまく立ち回って大儲けする』 これは非常に興味ある心性です.戦争は恵まれない階層の人たちを含めた野心家達の望みなのですね.大逆転のための.大津留公彦さんの記事にあった,『希望は戦争』ということに繋がります. しかしながら,そういう人たちは真っ先に死ぬ役目を負わされるでしょう.そのことは恐らく認識できないのです.
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井上信三
at 2009-10-03 15:04
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昨日から山口良忠のことを調べていてここに来ました。「沖縄県民かく戦へり」というブログに山口のことが書かれていたのが山口を知ったはじめですが、そこに投稿したコメントを転載します。
法匪 山口良忠の姓名を読むたびに背筋に虫唾が走ります。 山口某なぞ真っ当な人間ではないし、ましてや偉人なぞでは決してありません。 こいつが餓死したのは単なる自己満足。法律を守ろうとか何とか言う気持ちなぞ全然ありません。 こいつの妻子や親兄弟あるいは友人知人同僚で餓死した人間がいますか。居なかったですね。ということは、彼の妻や親兄弟、友人知人同僚などは当然のこと食料を闇買いして生きていたことになります。親兄弟や知人から山口のところに食料が送られてきたが、彼はそれを食べなかったという事実から、彼の親は他の人に与えるほどの余剰食糧を所有していたことになりますが、当時の食料配給量は、彼が餓死した事実を見ても生きてゆくに足りない量しかなかったことは事実ですから、彼に送られてきた余剰食糧は闇買いしたものであることは間違いありません。 続く
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井上信三
at 2009-10-03 15:06
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続き
ところで、刑事訴訟法第239条第2項には 公務員が犯罪の事実を知った場合にはそれを司法官権に通報する義務を課しています。ところで、山口に余剰食糧を送ったということは、送り主すなわち彼の親兄弟が食糧管理法という法律に違反してやみ買いをしたことを意味します。すなわち、山口良忠の親兄弟は食糧管理法を破った「犯罪人」であり、犯罪人から送られた食料を受け取った時点で彼は犯罪の事実を知ったことになります。 そうすると、彼が真の遵法精神の持ち主であるならば、食糧管理法違反で親兄弟を告発すべきでした。しかし彼はそれをしなかった。そのことは彼が刑事訴訟法の規定を意図的に破ったことを意味します。犯罪者とは法律を破った人間を指します。したがって、山口良忠は法を遵守して死んだ清廉潔白な人間ではなく、人間性を無視した悪法を単なる自己満足のためにのみ守り、刑事訴訟法を公然と破って死んだド阿呆・クソ犯罪者であります。 続く
Commented
by
井上信三
at 2009-10-03 15:08
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続き
それも通常の犯罪者ではなく、法律を徹底的に勉強し、超難関の高等文官試験司法科に合格して裁判官に任命された法律のプロであることを考えれば、普通の国民に課されるものより以上の法律遵守義務を負わされており、彼もそのことは十二分に理解していたはず。それを無視して犯罪告発をしなかったということはきわめて悪質です。 続く
Commented
by
井上信三
at 2009-10-03 15:09
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続き
単なるド阿呆ならよかったのですが、彼は国家権力を背景に犯罪者を処罰する権限を握った裁判官でしたからたまったものではありません。生きるために必死の思いで大混雑列車に乗り、なけなしの金で何とか手に入れてきた食料を、駅に待ち構えている警察官により食糧管理法違反ということで没収され、場合によっては逮捕されて裁判にかけられ、生きるために普通の人でも親兄弟妻子のために必死の思いで行った闇買いも度重なれば実刑に処したのが当時の実態でした。山口のような「遵法精神に富んだ」裁判官ならおそらく苛烈な刑を課したことは間違いありません。ちなみに、没収した食料はどうなったと思いますか。警察官・検察官・裁判官およびそれに連なる公務員共が山分けしたのが実態だったそうです。 続く
Commented
by
井上信三
at 2009-10-03 15:10
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続き
私も昭和21年当時小学校5年生で、都内から近くの農村に食料買出しに行って警官の刈り込みにあい、なけなしの金でやっと買ってきたサツマイモやかぼちゃなどを没収されて悔しい思いをしたことが何度もありました。子供だったので逮捕はされませんでしたが。その当時聞いた話では、ある老婆が2人の幼い孫を養っていて、生きるために始終食料闇買いをしていたために常習だということで目をつけられてあるとき逮捕され、裁判で執行猶予の刑を受け、釈放され帰宅したら2人の孫が餓死していたという話を聞いたことがあります。 たぶん、この法匪 山口良忠もそういった裁判をして無辜の庶民を死に追いやったことがあったでしょう。 こんなインチキ自己満足人間 山口良忠を賞賛することはいい加減やめにしたらいかがでしょうか。
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papillon9999 at 2009-10-04 11:14
井上信三さま ようこそ。こんな過疎ブログにお出で戴き光栄に存じます。
さて,コメの内容を拝読しました。 あなたの最初の書き出しで想像した事は,山口良忠が,何か沖縄に関して,すごい非人道的な判決を下した実績があるのか!というまことに無念な気持ちでした。しかし,よく読んでみるとそうではなくて安堵しました。 あなたの書いたことは 1.山口良忠も他の裁判官と同じ裁判(闇米に関して)をしたくせにという話, 2.山口良忠の縁者が無事に生き延びたことで,自分の縁者の不法行為を見逃したと非難する話の二つほどです。 まず1に関して申し上げましょう。山口良忠も,闇米で告発された人を裁判する羽目になったら苦慮した末に有罪としたはずです。だからこそ,彼の良心と葛藤が生じたわけです。こんな悪法であっても,裁判となったら仕方がない,有罪は有罪です。 だから,記事にも書いたように,そんな悪法で裁く自分だけは,その悪法でも守る決意を貫いたわけです。悪法でも有罪とするからには自分の命と引き換えにそれを実行したわけです。
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papillon9999 at 2009-10-04 11:15
そして,これはコメント欄である方が書いたようなイエスの使命感を持って実行したのではないのです。こんな馬鹿なことで死ぬのは自分ひとりでたくさんだ,と。なるべく悪法の犠牲者を少なくするのがせめてものできることだったのです。
こういう人物を評価しないということはそれこそ真っ暗闇です。 2番目に関して,身近にいたはずの違反者=犯罪者を告発しなかった,と言う理屈は,今書いたように,悪法による犠牲者をできる限り少なくすることの一環です。 取締りで捕まって告発された者の裁判だけは仕方なくしなければなりませんが,そういう者を無駄に作り出す必要はありません。 あなたは運悪くつかまって裁判に掛けられた人だけが有罪となったことに不公平を感じますか? たとえば ナチスからユダヤ人を助ける時に,助けられたユダヤ人とそうでないユダヤ人がいるわけです。それを不公平だと感じますか?そうではないでしょう。できる限り救ってあげることが正義ではないですか?
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papillon9999 at 2009-10-04 11:15
あなたは闇米買いを見つけたらことごとく当局に密告することが良いことだと思いますか?そのような社会が良いと思うのですか?そういう社会を求めるのですか?
あなたはおそらく記事をよく読んでおられない。一回ざっと目を通しただけで,記事の趣旨を理解しないまま,先入観に囚われてこのコメを書いたはずです。 私の記事は自分が餓死したそのことだけで称えているのではないのです。そういう悪法に殉じるのは自分一人でたくさんだ,という,異常事態においても杓子定規でない判断力を称えているのです。記事をよく読んでください。
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井上信三
at 2009-10-09 12:07
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>なるべく悪法の犠牲者を少なくするのがせめてものできることだったのです。
こういう人物を評価しないということはそれこそ真っ暗闇です。 こういう自分勝手な手合いが賞賛される世の中こそ真っ暗闇であります。 >身近にいたはずの違反者=犯罪者を告発しなかった,と言う理屈は,今書いたように,{悪法による犠牲者をできる限り少なくすることの一環です」。 貴方は「」内の事を誰から聞いたわけですか。誰からも、もちろん本人からも、聞かない単なる貴方の想像にしか過ぎないでしょう。 続く
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井上信三
at 2009-10-09 12:18
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>取締りで捕まって告発された者の裁判だけは仕方なくしなければなりませんが,そういう者を無駄に作り出す必要はありません。
この山口が「食糧管理法」を真にあくほうだと信じ、それでも自分はその法律に従う、というのであればそれはそれで一向に構いませんが、その悪法を守れば確実に死が待っていた時代です。私はそのような時代を実際に体験していますから知っています。それだからこそ、」上は稀代の無責任男天皇ヒロヒトから、下は私のような子供まですべてが法を無視して闇買いという犯罪行為に走ったわけで、そういう状況であれば法匪山口の人を裁く職業人としての勤めはただひとつ「刑事被告人の闇買いを正当防衛行為として公訴棄却あるいは最低限無罪判決を下すべき」でした。
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井上信三
at 2009-10-09 12:49
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続き
>あなたは運悪くつかまって裁判に掛けられた人だけが有罪となったことに不公平を感じますか? もちろん大いに感じます。 >たとえば ナチスからユダヤ人を助ける時に,助けられたユダヤ人とそうでないユダヤ人がいるわけです。それを不公平だと感じますか?そうではないでしょう。できる限り救ってあげることが正義ではないですか? 論理の大きなすり替えです。詭弁です。したがって答える必要を認めません。 >あなたは闇米買いを見つけたらことごとく当局に密告することが良いことだと思いますか? 密告という言葉を私が使いましたかねえ。他人の文章を批判するならその文章をよく読んでからにしましょうよ。一般論としては犯罪行為を「ことごとく」当局に密告することは是認できません。私が書いたことは、刑事訴訟法第二百三十九条 (旧刑事訴訟法第二百六十九条)の規定で犯罪事実を知った時は告発せよ、ということであって、いわゆる密告とは違います。 そのような社会が良いと思うのですか?そういう社会を求めるのですか? 思うわけないじゃないですか。
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井上信三
at 2009-10-09 13:08
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>そのような社会が良いと思うのですか?そういう社会を求めるのですか?
思うわけないじゃないですか。 公務員特に法の名の下に人荷」死を宣告することがある裁判官という食を自らの意思で選んだ人間である法匪山口良忠だからこそ告発(ではなかった、貴方の論法では密告でしたな)すべきだといっているのです。普通人のことは私の文章では触れていません。 >あなたはおそらく記事をよく読んでおられない。一回ざっと目を通しただけで,記事の趣旨を理解しないまま,先入観に囚われてこのコメを書いたはずです。 この部分はそっくり貴方様にお返しいたします。
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井上信三
at 2009-10-09 13:10
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続き
>私の記事は自分が餓死したそのことだけで称えているのではないのです。そういう悪法に殉じるのは自分一人でたくさんだ,という,異常事態においても杓子定規でない判断力を称えているのです。記事をよく読んでください。 私は貴方の文章を批判しているのではなくて、自己満足の向こう受けを狙って大芝居を打った山口良忠というド阿呆を批判しているだけです。 >悪法に殉じるのは自分一人でたくさんだ,という,異常事態においても杓子定規でない判断力を称えているのです。 彼の行動そのものが硬直した杓子定規な考えの結果起きたことではないですか。稀代の無責任男天皇ヒロヒトをはじめとして、彼の当時の最上級の上司であった最高裁判所長官(あるいは大審院院長)です闇買いをして生き延びたのですから、かれががししたということはそれだけで山口良忠という男が硬直した考えしかできない下司であった証拠であります。 なお、同じころ餓死した亀尾栄四郎氏の場合は、貴方の文章から判断する限りにおいて、無条件で尊敬します。
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井上信三
at 2009-10-09 13:32
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なお、山口良忠については、中部大学教授武田邦彦氏がご自身のブログで批判的に書いておられます。
武田邦彦(中部大学) というキーワードで検索すると同氏のブログが開きますから、その中の「人生の鱗第三話」をご覧ください。
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at 2009-10-09 18:34
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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papillon9999 at 2009-10-09 21:34
井上信三さま 長いレス,まことにありがとうございます。
長いコメを頂いたので整理します。あなたが,山口良忠を『法匪』だとして最高の軽蔑を抱かれる理由をまず確認します。 1.闇米買いで裁判に懸けられた人に有罪を宣告しておきながら,自分は何をしたか,独りよがりに闇米を食わず自己満足に陥り,身近にいる違反者を見逃した。(身近なものだけではなく,同僚や城址の裁判官や無責任男の天皇ヒロヒトをも見逃した=見て見ぬふりをした。) 2.裁判官として,『緊急時の正当防衛』を適用して無罪とすべきところをそうしないで有罪とした。 という二つにまとめることができると思うのですがいかがですか? もし違っていれば改めてお答えしますが,仮に上の二つとして私の考えを書きます。(武田邦彦なるお方のブログは見ないで書きます。先入観なしで考えたいからです。そのあとそのブログを見てみます)
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papillon9999 at 2009-10-09 21:35
1に対して。1は本来の裁判官の職務ではありません。一市民としての義務がどこにあるのか,という問題になります。これを警察に訴えることを”密告”と表現したわけです。裁判官は担当した裁判を裁くのが仕事です。一般市民としての正義感を発揮すべきは当然ですが,山口にとって警察に訴えることが正義とは思えなかったのです。
2について。あなたの判決案=正当防衛はとても素晴らしいと思います(同意かどうかは別)。もし,山口がそういう判決案があることに気づかなかったということで非難するのであれば,あなたの彼に対する非難は,『無能な裁判官』とすべきであって,『偽善者』とか『法匪』とかの非難は的外れです。もしそういう判決案に気づいていたけど有罪としたものとすれば,それは彼自身の裁判官としての判断です。あなたが非難すべきは,判決を誤った(と思う)ということにすぎません。今のあなたの非難態度はやはり的外れです。判断力が乏しい=無能な裁判官,という非難になるはずです。
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papillon9999 at 2009-10-09 21:37
それから二つほど。
まず,亀尾栄四郎に対するあなたの尊敬ですが,『どんなに苦しくとも無条件に国策に従う』ことが尊敬の対象であるとすれば,その従うのは自分だけでいいのですか?自分の家族にも従わせることは必要ないとおっしゃる?亀尾はいいけど山口は裁判官だから許せないということですか? 二つ目。「私は貴方の文章を批判しているのではなくて、・・・山口良忠というド阿呆を批判しているだけです。」と書かれましたが,それであれば,そういう論拠で山口を称えた私の記事に対し,あなたの論拠での非難をここに書くことは筋違いになります。 以上,こちらで解読できる範囲でお答えしました。的がずれていたらご指摘ください。
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papillon9999 at 2009-10-09 21:43
あと一つ追加しましょう。
山口に対する『法匪』の汚名は,もしそれがやむを得ないものとしても,当時の裁判官のうちで最後の一人として与えるべきものと信じます。 その前に,最高裁長官以下,すべての裁判官に投げつけ,それらの最後に,投げつけるとすれば投げつけるべきです。餓死して有名になりたかったとしても,そんなことは理由になりません。偽善にもなりません。とにかく,最低でも自分だけは法を守ったからです。
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井上信三
at 2009-10-10 21:44
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私が亀尾氏を尊敬し、法匪山口良忠を非難する理由は、亀尾氏は闇買いをした他の何人も裁かなかったのに反して、山口は、闇買いをせねば死を待つばかりの状況においてやむを得ず闇買いをした下層庶民を主として処罰し、統制食料品を不正に隠匿してそれを闇で流している業者などはほとんど処罰せこと、すなわち弱いものいじめをやったことに尽きます。
彼は餓死するよりも、勇気を奮って「朕はたらふく食っているぞ、汝臣民飢えて死ね!」と叫んだ市民のように、天皇や大審院院長などをはじめとする支配者の犯罪行為を告発すべきでした。そうすることもできないで、弱いものを主として断罪した裁判官山口だからこそ、私は彼を法匪と呼んでいるのです。その他の裁判官については当然法匪と呼ぶべきですが、ここでは法匪山口のことについて書いているので、他の裁判官らについては触れる必要を認めません。
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井上信三
at 2009-10-10 22:00
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>1について 「山口にとって警察に訴えることが正義とは思えなかったのです。」 法匪山口がはそう思った事を貴方は知っていたわけですね。私はそんなことは知りませんでした。 >2について 正当防衛論はともかく、無罪判決はいかようにも書けたはず。それをしなかった山口はやはり自分さえよければ、という独りよがりの卑怯者であります。 >「私は貴方の文章を批判しているのではなくて、・・・山口良忠というド阿呆を批判しているだけです。」と書かれましたが,それであれば,そういう論拠で山口を称えた私の記事に対し,あなたの論拠での非難をここに書くことは筋違いになります。 左様でございますか、失礼をばいたしました。わたしはた
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papillon9999 at 2009-10-11 03:12
井上信三さま 亀尾は教育者です。あなたの論理を進めると,教え子全部に,国策に従うよう,教育すべきではないのですか?
まあ,それはともかく,私が挙げた1の論拠に対して,あなたの反論を見てみましょう。以下の主張をされています。 『彼は餓死するよりも、勇気を奮って「朕はたらふく食っているぞ、汝臣民飢えて死ね!」と叫んだ市民のように、天皇や大審院院長などをはじめとする支配者の犯罪行為を告発すべきでした。』 告発しなかったことがなぜ,警察官でもない山口の責任になるのですか? (有罪と判決する)裁判官ならば違反を正義感に反して告発すべきなのですか?(『警察に訴えることが正義とは思えなかったのです』ということは容易に想像できることです。そのような想像力無くて人の非難はできません,というようなことは言わずにおきます。) 餓死したからそういう責任が生じるのですか? 餓死というスタンドプレイをした責任なんですか? 餓死しなかった裁判官よりも大きい非難を浴びるべきなのですか? 餓死したという”名誉”を得た分だけ罪が重いという意味ですか? まずそこの点をはっきりさせましょう。あとはまたそれが済んで考えましょう。
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papillon9999 at 2009-10-11 03:35
ちょっとした喩えを思いついたので,これと同じことかどうか,あなたの考えを教えてください。
制限速度50キロの道路を50キロで運転している時,60キロで走る車に追い抜かれた。裁判官であるあなたは,ナンバーを控えて,警察に告発する義務を負いますか? それから,その違反者は警察の取締りで捕まりました。しかし反則切符に従わず,裁判に持ち込むとします。そして,それをあなたが裁判官として裁くことになりました。(とします) あなたは有罪(反則金を支払え)を宣告しますか?しませんか? なお,武田邦彦なる人のブログは,あなたとの話が終わってから拝見することにします。先入観無く議論できると思うからです。
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井上信三
at 2009-10-11 09:33
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どうも貴方の議論にはついていけませんので、投稿はやめにします。
単なる感想を投稿したつもりでしたが、こうまで真剣に反論されるとは考えても見ませんでした。 感想の投稿だけでやめておけばよかったものを、反論に応じたのが間違いでした。貴方の主張に全面降伏したとお考えください。
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papillon9999 at 2009-10-11 09:43
>こんなインチキ自己満足人間 山口良忠を賞賛することはいい加減やめにしたらいかがでしょうか。
これはあなたが初めてコメを下さった時の最後の言葉です。 単なる感想とも思えませんが,価値観が全く違うこととその理由が私の驚きだったのです。 それで,その違いがどこから来るのか,大変興味があったとともに,お互いにそれを知ることが新しい考えに達する可能性を開くと思ったのです。 これまででは,私の考えは変わるに至っておりません。 私は,上の交通違反の喩えと山口の遭遇した事件とがまったく同じように見えます。 上の喩えでの裁判官は有罪を判決せざるを得ません。また,あなたの論理で行けば,裁判官は日常茶飯事に生じているであろうスピード違反を暴くために,常に道路で見張っていなければなりません。 私の考えるこのアナロジーが成立するかどうか,あなたの考えを知りたいです。
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papillon9999 at 2009-10-13 17:13
あなたとの話がとぎれたようなので,ご紹介の武田邦彦なる人物のブログを拝見しました。
しかし,山口良忠に関する記事を発見できませんでした。仕方ないのでついでに少し記事を拾い読みしましたが,まあ,特に印象に残るような主張はなかったです。 特にご指摘が無ければ,自分から見に行くことはもうないでしょう。
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井上信三
at 2009-10-15 22:20
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papillon9999 at 2009-10-15 23:56
ようやく探し当てることができました。そして読んでみました。
ひと言で言えば”軽い”です。 細かく言えば長くなりますので簡単に言いますが,例えば 『巨悪が退治されるまで、篠崎キクに無罪の判決を下すべきであった』 ということは,すべての裁判官がすべての人を無罪にすべきだったということです。それとも山口だけはそうすべきだったとでも?つまり,山口批判になっていないし軽いのです。それから 『 人間の頭は歪んでいる。 「幻想としての正義」と 「全体像を見ることができない利己」 が脳細胞の中で戦い、行為で利己が勝ち、いいわけは正義がつける。誠実であるということは心の問題であって頭ではない。 山口判事は判決を下すにあたって頭の判断を優先した。そして、頭で判断した論理が人間という目で見ると間違っていたことを彼の心が知ったのである。』 という最後の部分はまったく外れで,論評にも値しません。 私の感想は以上の通りです。
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papillon9999 at 2013-12-27 20:47
76.164.214.18 sac à main at 2013-12-27 16:16 x
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