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「9条下での武力行使」へのコメント
2007年 10月 20日
この記事は愚樵さんのこの記事に対するコメントとして書こうと思ったものである.しかし,コメントしては長すぎるようになって,失礼かと思いコメントのスタイルのまま記事としてあげることにした.自分の論理として改めてまとめるには時間が取れないが,とりあえずコメントのスタイルなら何とかまとめることができたという次第.
====コメントしようと思った内容=============== 私は国際的警察力の必要性というものを以前,おずおずと書いたことがありますが,それをとてもきちんとした論理でまとめておられる点,大変参考になりました.深く敬意を表します.仮に愚樵さんがアカデミズムの世界におられるなら,このような分析・理論は大きな反響を喚起したことと想像します. そのような評価をした上で,あえて書かせていただきます.私はやはりこれは私の考える議論の暴走の一種かな,と思いました.その理由はいくつかあり,付随する考えとともに下記に列挙してみます. 1.理論と具体化の乖離 国際的警察活動の必要性とその意義と意味は愚樵さんの議論でよく理解できます.一般論としての理論に関して大変注目に値すると思います.しかし,問題はそこから自衛隊派遣の議論にすぐになってしまうことです.これでは議論の行きがかり上,派遣はやむをえない,という議論になっていきます.こういうのは私のいう議論の暴走となってしまうと思っています.この理論を現実化する際に,とても慎重なプロセスが求められなければなりません. 2.常に正しい判断ができるか 憲法の怖れることは一人歩きです.つまり,今回の解釈で派遣が可となっても,これが突破口になって次にはどんどん恣意的解釈がなされ,いつの間にか侵略になっていないとも限りません.40度のお湯がいつの間にか80度になっても気づかない,というのと似ています.その度にきちんとした議論をすればいい,というのが防壁として役に立たないのは,現憲法の解釈改憲がここまで進んでいることを見るだけで十分でしょう. 3.防波堤はどこか 岸・中曽根・小泉・安倍のような連中がまた総理になるかもしれないのです.この入口で抑えなければいったん開いた戸は閉めることはできないと思います.(この議論とは別に,今回のアフガンがこれを適用する価値のあるものかどうか,これは慎重な吟味が必要です.) 3.判断基準が難しい(国連への不信) 真に国際的警察活動が必要な事態なのかどうか,見極め・判断がきわめて困難なことが多いはずです(今回のアフガンにしても).そして,国連決議といっても,国連自身が本当に理想的なものにならなければ完全に信頼することはできません.上の方のコメントにありますように,経済的エゴでことが決まる,ということも多いはずです.つまり,国連を派遣の判断基準にする,ということは国連の現状では時期尚早ではないか,と思うのです.(この点で,小沢代表にも慎重さを求めたい). 4.国際警察のあるべき姿 もし,どうしても派遣する時が来たならば,自衛隊の身分を変えるべきです.愚樵さんは警察か自衛隊かという身分を気にしておられるようですが,私はそういう観点ではなく日本(軍)かどうか,ということを問題にしたい.指揮権は日本(軍)ではなく,それこそ国際警察部隊,という組織の支配下に参加する形が望ましい,と考えています.人員は自衛隊からの転用でもいいですが,あくまでも国際警察への派遣であって日本(軍)そのものの活動ではない,という形です.当然,現在はそういう組織は国際的にありませんから,現段階では参加不可能です.(現実には,武器の調達はどうするか,自衛隊から借用するのか,といった面倒な検討事項があります). 5.人民のための軍隊ってありうるか 愚樵さんは記事の中で,「人民の人民による人民のための治安維持」と書いておられます.こういう武力組織が国が作った軍隊で果たして可能であろうか,ということです.私は悲観的です.あるとすれば,レジスタンスや解放戦線のようなものでしかない,と思われます.ナポレオン時代のフランスは強かった,ということですが,このあたりの考察は私にはまだ十分判断できません.しかし,それほど厳密に区別できるものなのかどうか・・・(領主のためと人民のための区別) ただ言えることはもっと日本国家自身への警戒が必要なのでは,ということ.国家に対しては性悪説の立場,でものを考えることが必要かと感じました. 念のため最後にまとめると,国際的警察力は必要だが,それが即自衛隊派遣に結びついてはならない,ということです.以上,十分に吟味することができませんが,ざっと考えをまとめてみました. =============================
by papillon9999
| 2007-10-20 10:34
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Comments(11)
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日本国憲法を、どの様に読んでも小学校高学年以上の語学力が在れば、国家としての日本国には『警察力』以外の武力の保有は即違憲、違法であることは明白。
そのためにも半世紀前の『警察予備隊』の名称は当然必要だった。 現在でも平和憲法が存在する以上『じえいたい』は『軍隊』ではないはずで『軍隊』なら即違憲、違法の存在で、ヤクザやギャング等の非合法の武装集団の1つににすぎなくなる。 それで今までは、例えば階級を軍隊用語と違わせたり、駆逐艦を護衛艦と呼んだり一昔前は戦車を特車と読んだりして、普通の『軍隊』との違いを強調していた。 湾岸戦争までは、日本の領海外には出さないようにしていたり色々気を使っていた。 『命令拒否権の有無』は軍と警察を分ける重要な指摘ですね。 国際的警察力は必要性は当たり前ですが、当然警察が任に当たるべきでしょう。 治安の回復(安定)は社会生活を営む上で不可欠で、『警察』が其の役目を負っている。 『軍隊』の最重要目的はなにか。? 、他の組織には絶対に出来なくて『軍隊』にしか出来ない役目(仕事)は「破壊と殺戮」以外にありえない。
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戦争をするのが軍隊の仕事で、今の日本の『自衛隊』には『普通の軍隊』とは違う色々な不思議が存在する。
『軍』では敵前逃亡は最高刑(死刑)、自衛隊は懲役7年。此のへんは『軍隊』の特徴よりも『警察』の類似団体と似ている。 上官への反抗罪や命令拒否、敵前逃亡を死刑にしないと『本物の戦争』はやり難い。 今の日本で若者達(自衛隊側も)は、自衛隊任官は国家公務員としての就職活動の一環として捉えているが、此れでは戦争は無理。 『愛国心』論議とも関連するが、国家に一つしかない自分の「心」と「命」とを捧げる必要があるのが『軍隊』で、ここが『警察』とは全く違うところ。 今の日本に本物の『軍隊』は必要ないし、あったとしても誰も(ネットウヨでも)志願するものは殆どいないでしょう。 ![]()
>議論の暴走の一種
ご指摘の通りだと思います。私にもその自覚はあります。そうでなくても私の議論はいつも暴走気味ですが、今回は(今回も?)確信犯です。(笑)。 このような暴走に至ってしまった理由は2つあります。 1つは左右の陣営対立が、私にはあまり意味のないことに思えてきたことです。9条改憲を巡って左右はやりあいますが、現下の状況でまず考えなければならないことはわが日本の対米従属です。この点は不思議なことに両者は一致している。右は改憲することで日本の独自性を守ろうとし、左は護憲でそれを行おうとしている。立場が違うので視点が違い、共にまず対米従属から脱するべきという認識では一致しているのに、それを認めることが出来ない。 そんなジレンマを感じているときに、小沢氏の主張です。これには左右陣営とも批判した。ということは、左右の論理にはない論理があるはず。というところから出発した。 ![]()
もうひとつは、護憲政党の存在意義が薄れたのを残念に思っていたこと。
護憲は大切なことですが、今の護憲政党のあり方を見ていると、批判ばかりなんです。「健全な野党」といったのは共産党ですが、これでは政党としての自立的な存在意義を自ら否定したのと同じです。ジリ貧になっていくのは当然の流れといえましょう。 革新政党に求められるのは、「革新性」です。与党への批判も必要ですが、それはその政党の理念から出てくるものでなければならない。 ところが「護憲」はもはや理念とは認められていない。“~であってはならない”“~してはならない”ばかりで何をすべきかが語られない。そこに歯がゆさを感じていたのです。 そういうわけで、では私が「革新性」を語ってやろうと目論んだ(笑)のが「9条下の武力行使」のエントリーだったわけです。ですから暴走は確信犯なんです。暴走でないと革新性は語れません。 ![]()
私はこの暴走がいかなる意味を持つのか、もう少し考えてみたいと思っています。あさっての方を向いた単なる暴走なのか、それとも、何処か意味のあるところへ一歩となり得るものか。意味あるところへ向けたものであるとするならば、さらにその方向性を厳密に定めていく作業も必要でしょう。布引さんが評価してくださった「命令拒否権」も、そうした作業の1つだと思っています。
現実の私はなんの力のない林業労務者に過ぎませんが、ブログ空間の中では夢を語ってもいいんじゃないかと。
布引さん 国際警察について,若干ではありますが私とニュアンスが違いますかね.私は巡査さんをそのまま海外へは派遣できないだろう,と.武器や訓練などについてですが.そのためにしかるべき集団を組織する必要があるのでは,と考えるわけです.
その際に,日本警察の別働隊,と考えてもいいし,自衛隊から転用するのもいいかもしれない,と考えるのです.だって,指揮権は日本にあるのではなく,国際警察にあるとするのですから,自衛隊でもいいかな,と思います.(実際は法的整備が非常に面倒かもしれませんが)
愚樵さん 私は愚樵さんの「革新性」に入れ込んでおられる姿を見ると,戦前の戦争に突き進んだ知識人を見てしまいます.きっと,戦前の進歩的知識人達もそのようにして自分に戦争を許して行ったのです.
私のいう「智の暴走」,「議論の暴走」とは,愚樵さんのようなとても素晴らしい知性の持ち主が,自分の議論で以って戦争許容論まで突き進んでいくことを想定しています. ![]()
日本の文民警察官は国際的にも評価され、カンボジア等の実績もあり問題ないでしょう。
それで、『自衛隊でもいいかな?』となると首を傾げざるおえない。 そもそも『自衛隊』とは何者か。? 外見上は軍隊そのもので、無責任男の小泉純一郎は『軍隊』と言い切っていましたが『軍隊』ならば即違憲です。 違憲であるなら日本国にとって『自衛隊』は存在を許されない違法な武装集団となる。 違法なら自衛隊解体以外の選択肢はありえない。 現在、国内的には災害救助を前面に訴えて軍隊らしさを打ち消しながら、対外的には『軍』と思われたいコウモリのような不思議な代物。 新しい教科書を作る会や国民会議等の極右国粋主義者は自衛隊を『国軍』にして日本を『完全なる国家』にしたいのでしょう。 しかし普通の市民にとっては、軍隊モドキデの今の『自衛隊』を完全なる『自衛隊』?に編成しなおす作業が大切ではないでしょうか。? ![]()
>自分の議論で以って戦争許容論まで突き進んでいくことを想定
papillonさんのこの指摘は肝に銘じておきます。どんな理由があろうとも、許されないものは許されないのですから。 しかし、この世の中は許されないはずのものがおおっぴらに語られ、実行されています。なぜ、こんなことになってしまったのか。そして、この許されないものに歯止めをかけるのはどうしたらいいのか。 悩ましい限りです。 ![]()
日本列島での領海侵犯や領空侵犯がどのくらい起こっているのか知っていますか?
これらの事態に自衛隊以外で担当できると思いますか?在日米軍ならできるかもしれませんが・・・。 なにも、自衛隊は戦争する為にあるのではなく、戦争させない為にあるのだと思いますよ。ようは考えしだいですね。
そうですか.そんなに頻繁なら国境警備隊を作る必要がありますね.イラクやアフガンに派兵する必要はないけど.
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