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不死と餓死
2007年 09月 20日
エ○バの証人が家族や親戚から謗られながら,時には輸血拒否で命を捨ててまでも信者を続けていく最大の理由(動機,インセンティブ)はなんであるがご存知だろうか.それは神に是認され,永遠の命を授かることである.
現在はすでに神の第七日目に入ってイエスの天での支配が始まっており(1914年以降),地上では『終わりの時』が進行中である.この『終わりの時』が終わるのが有名な『ハルマゲドン』であり,その年がいつになるのか,昔から預言がエホバ教団(統治体という)よりしばしば告げられた. 最初はその1914年のはずだったが,それが失敗とわかると,1914年を見た人が滅びてしまうまでの間(つまり,死に絶えるまで)に起こるはずだ,に変更された.そして,1975年などいくつかの預言を行ったが,ことごとく外れ,現在では死に絶えるまで,という教義も撤回している. しかし,証人たちは今か今かとハルマゲドンを待ちわびているのだ.ハルマゲドンでは何が起きるか,というと,エホバに忠実でなかった者たちが滅ぼされ,賛美する人たちだけが生き残る.このうち,一部の人たち(油注がれた者)は天に上げられ,イエスとともに支配する側になる.この数は14万4千人で,すでに大部分は死んでいるので天で復活を果たす.まだ存命中の(つまり残りの)油注がれた者はハルマゲドンの日に天に昇ることができる.この数は現在約七千名,と称している.だけど残念ながら,この七千名はすでに決まっており,あなたがこれから入れる可能性はゼロである! ところが,そのステージに達してもまだまだ安心できないのだ.せっかくハルマゲドンを生き延びてもそれで永遠の命が手に入るか,というとまだまだなのである.ハルマゲドン後,地上は楽園になり,油注がれた者以外の忠実なる僕たちは地上の楽園に放される.そしてイエスの千年統治が始まるのだが,千年の終わりの日に再度,サタンが解き放たれる.そのサタンによる最後の試練に耐えきれた者だけが,永遠の命を授かり,地上の楽園で生を全うするのである.(あれ,おかしいな,永遠なんだから,全うはあり得ないか ^_^;) 最後の試練に耐え切れなかった者でも,少なくとも千年の寿命は授かることになる.エホバの証人達はまずこの千年統治の楽園への切符を手に入れようと必死なのだ.このためにはエホバの怒りを買うことは厳禁,従って,輸血を拒否して仮にこの世で生を失っても仕方ないと思う.なぜなら,ハルマゲドンの日に,『義なる者』として復活することができるからだ. 妻:「エホバに付き従えばこんなにいいことがあるのに,何で従わないの?ハルマゲドンが怖くないの!?」 私:「生きるために他の生命を奪わなければならないような(注:肉食獣など)世の中を作ったエホバなんて大っ嫌いなんだよーだ!ハルマゲドンなんかちっとも怖くないよーだ.こんな世の中,すぐさま終わって欲しいんだよーだ!」 妻:「なんて不敬な!じゃあ,エホバに滅ぼされなさい!楽園ではあんたともお別れね!私は永遠に生きるんだから!」 私:「ふん,もっといい人を探せば!大体,不死なんて死んでるのと同じだよーだ!」 妻:「ふん,滅ぼされる者の強がりよ!」 ある日のやり取りである.現在まで完璧に平行線. ところで,このことから思い出すことがある.それはdr.stoneflyの戯れ言さんと愚樵さんとのやり取りである.その中ではホームレスのおじさんの,この世を拒否する状況が切々と描かれ,そしてそれを受けて,何と『餓死の思想』が語られていた. 死に往く者と残される者の想いには,元々大きなギャップがある.『死は死』であるが,本人はよくても,『そんな死に方』であったら残される方はたまらない,ということがあると思う.例えば,ここにあるホームレスの救助拒否や自然の餓死,の他にも特攻隊,いじめ自殺,殺人,等々,『死に方の異常さ』を感じさせるものは数多い. しかし,引用した記事が胸を打つのは,こういう『単なる異常さ』(変な言葉だ!)だけではないような気がする.そこには『この世』というものの限りない『emptiness』を突きつけてくるものがあるからではないだろうか. 『生きてることはただそれだけで悲しいことと知りました』という世界, 『人は塵から生まれ塵に帰る』という世界, 『七輪の さんまは並んで 空を見る』という世界・・・ ひょっとしたら,永遠の楽園を恋い焦がれる,妻や他の信者達も,一見,まったく逆のように見えて,こういう世界を無意識に感じ取っているのかもしれない,と今では思う.紙の裏表というか,紙の端まで行ってちょうど裏に戻ってきたような,いやそれよりメビウスの輪と言った方がいいかもしれないが,永遠に生きたい!というよりも『emptiness』の世界から逃げ出したいだけなのかもしれない.ほんとはわかっていてやめられないのだ・・きっと・・・ 一つだけ,ぜひ知りたいことがある.もし,あのホームレスがもう一度人生をやり直せるとしたら,もう一度望む時点に戻してあげると,神が言ったとしたら,彼はどうするだろうか.私も,あの時点にもう一度戻れたらどんなにいいだろう,とよく思う. 自然の流れに身を委ねた彼は一体どうするだろうか.いやいや,そんな問いこそほんとうに無意味だ・・
by papillon9999
| 2007-09-20 17:12
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Comments(14)
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布引洋
at 2007-09-21 09:11
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インターネットのブログは多いが、この様な記事が読める機会は滅多に無い。
ものみの塔が一神教を代表している訳ではないが、一神教の持つ特徴を典型的に持っているようです。 読んだ感想は、日本では一神教は絶対に主流に為らない。 日本人的感性では理解するのは無理で、反発する方が自然な流れですね。 千年王国と不死の思想は、欧米や中国では理解されるでしょうが日本では如何でしょうか。? 秦の始皇帝は自分の不死と千年王国を願ったが、日本人は長寿と穏やかな死を願った。 不死を願うのと、長寿を願うことの間には越えられない大きな断絶がある。 愚樵空論の「魂に聞いてみる」にも書いたが、日本人が最も恐れるのは『死』そのものではない。 人がもっとも恐れるのは『死に至る苦しみ』です。苦しみを恐れる。
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布引洋
at 2007-09-21 09:12
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現代人にとって「死」は、綺麗に包装された状態、一番人に見せたくない汚いもの醜いものを隠蔽された状態で認知される。
しかし昔は「誕生」も「死」も家の中で、衆人環視のなかで家族に見守られながら営まれていて、誰でも死が避けれないものと理解していた。 イジメ自殺の報道を目にする度に、この子達は本当に死を理解していたのだろうか。?死を理解して自殺したのだろうか、?と思わずにはいられない。 『自殺』や『不死』などと言う考えは、死の実態を理解していれば絶対に出て来ないのではないでしょうか。?
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布引洋
at 2007-09-21 10:08
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ホームレスの餓死願望ですが、『死に至る苦しみ』の範疇に入るのではないでしょうか。?
気候の良い春秋の天候の良い日には野外生活も苦痛ではない。むしろ快適かも知れないが、雨の日や厳寒の冬、熱帯並みの夏の炎天での段ボールの寝床でのごろ寝は体力を消耗する。 数ヶ月の野外生活は労働意欲どころか、生きる意欲さえもが擦り切れ消耗し尽す。 条件の非常に悪いビバークでは、どんどん体力を消耗して『死』が静かに確実に近づいてくる。経験の無い苦しみと恐怖。なりよりも苦しく長い一日。 『死に至る苦しみ』は誰にとっても恐ろしい。餓死願望に聞こえたかも知れないホームレスの一言は自殺願望では決して無い。
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papillon9999 at 2007-09-21 10:42
<この様な記事が読める機会は滅多に無い>
過分のお褒めを戴いたと理解してよろしいでしょうか.ありがとうございます.布引さんの死生観には常々敬意をもって観ています. 「死」というものも最近では劇場型のような気がします.よく耳にはするのだけども身近に想像も実感もできない. 日本では不死は形を変えて神仏になることですね.生身で永遠に生きようと本気で考えるようなことはなかったと言えませんか. 「生きる意欲の喪失」と「自殺願望」とは全く違いますね.生きる意欲の喪失は「死に至る苦しみ」まで想いが及びません.自殺はその苦しみを乗り越えようとする強い意思があります.
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布引洋
at 2007-09-21 12:57
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不死と千年王国はセットの考えですね。
一神教的には有り得る。しかし仏教的世界観では有り得ない。 『生まれたものは全て死ぬ』『栄えるものは必ず滅びる』が仏陀の世界観、死生観で科学的思考とも合致する。 そうなんですよ。不死や千年王国は科学的思考方法からは決して出てこない考え方です。 歴史的に見ても幕末に来日した外国人達は日本人が世界で一番宗教心の薄い世俗的民族であると感じたらしい。 手塚治虫の「火の鳥」では最高の刑罰として不死となる話がありましたが、『死』よりも『不死』の方がより苦しい(恐ろしい)のではありませんか。 ギリシャ神話でも死ぬことを許されず永久に苦しむ話が色々ありましたね。
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papillon9999 at 2007-09-21 13:53
火の鳥の話では,確か宇宙の果ての星に異形の植物の姿に変えられて永遠にじっとしている,という場面を思い出しましたが,その時に底知れぬ空虚感を感じたことを憶えています.無常と全然違う空虚感.永遠=空虚の等式です.たとえ動けるとしても永遠ならば動いていないこととおんなじではないか,実に恐ろしい気がしました.
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布引洋
at 2007-09-22 09:04
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ホームレスの餓死願望の話に戻りますが、
あれは「自殺願望」ではなく、単なる目の前の現実にある『苦しみ』からの「逃避願望」ではないか。? 『苦しみたくない』と考えるのは極自然な考えです。鹿児島県の選挙違反冤罪事件でも住民11人中6人までもが、身に覚えの無い買収を3日~一週間の『任意の取調べ』であまりの苦しさに耐え兼ね自白。 富山県強姦冤罪事件では3日間の『任意の取調べ』で自白。裁判中も無罪を訴えることは無かった。 現在裁判が始まった秋田県藤里町の児童連続殺害事件では男児殺害事件後一ヶ月にわたり報道陣と警察が24時間包囲して軟禁状態で監視、精神的に追い込んだ後『任意捜査』と称して18時間の尋問(拷問)の結果自白。 多くの人は、将来のおそろしい結果(有罪や死)よりも現在の恐ろしい現実を、より恐れる。 富士山丸事件(北朝鮮兵士密航事件)で北朝鮮に捕まった紅粉船長は捜査当局の『有罪を認めれば、裁判では無罪になり直ぐに帰国できる』を信じ自白。懲役刑で北朝鮮で服役。 日本の冤罪事件でも『有罪を認めれば直ぐに帰れる』がキーワード担っている。 人は目の前の苦しみから逃れたいのです。
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dr.stonefly
at 2007-09-23 06:40
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papillon9999さん、おはようございます。
TBいただきながら、お返事が遅れ申し訳ありません。 エホバの証人の教義ははじめてしりました。 実はワタシは宗教嫌いで、その理由の一つに「選民」ってのがあります。選ばれた者だけ助かる、ってやつですね。なんとも心が狭い。選ばれた(と自分で思って居る)者同士が、根拠なく確認し合って慰めあっている。確認出来る仲間を増やすことに専念する。好きにしていてくださいって感じです。(エホバの場合、数限定ということなので仲間を増やす事もないか(笑)。優越感にしたれそうですね) 「この世」が「emptiness」を突きつけられるものかもしれませんね。ワタシは「この世的な価値」に疑問をもつと「emptiness」を感じます。 でも「生」は「emptiness」を突きつけられるものかどうかは、解りません。ワタシには「死」が解らない、そして「生」もまだよく解ってないのかもしれません。
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dr.stonefly
at 2007-09-23 06:40
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>もう一度どこかに戻るとしたら…
ワタシの書いた記事はワタシの願望かもしれません。 ホームレス(ひとくくりではない)個々は、それぞれの「生」を生きて来たのであり、現状満足しているもの、怒っているもの、この社会にしがみつくもの、達観しているもの、苦しんでいる者、楽しんでいるもの……、それぞれです。 ホームレスという言い方は、この社会が括った言い方で、個々ではありません。 ワタシ自身は何処かにもどれば高学歴、高収入になれるかもしれませんが、ここ数年で全く興味をなくしてしまったので現状でいいです。 というか、どっかに戻っても繰り返すことが目に見えているので、戻ってやり直すのはめんどくさい、ってとこかな(笑)
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papillon9999 at 2007-09-23 20:08
布引さん 「人は目の前の苦しみから逃れようとする」というのは当たっていると思います.あの「彼」の救助拒否というのも,「生は苦しみ」だったからなのかもしれません.しかし,もうすでに苦しみも無くなっていたのかもしれないという気もします.
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papillon9999 at 2007-09-23 20:19
dr.stoneflyさん,コメントありがとうございます.すみません.反応しにくかったのでしょう.「あの」ホームレスについて,書いたつもりですが,彼自身は世の「emptiness」を感じているはずはないと思っています.それを(記事で)見た私が感じたことなのです.
人生のある時点に戻る,という無意味な思考実験を考えたのも,彼は救助を拒否する,という明確な「意思」を持っていたからです.ですから,もう一度やれるとしたら,やってみる意思に転化するのか,そしてその結果,またここに再度行き着いてくるだろうか,というように思ったのです. それにしても,dr.stoneflyさんの厭世観念は気になります.
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布引洋
at 2007-09-24 09:14
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dr.stoneflyさんの厭世観は私も気になっています。記事の内容は同感なんですが、結論部分が気がかりです。
実は私も良く似た体験を幾つかしています。 一年で一番暑い7月中ごろアスファルトの路上で倒れている若者を救助したことがあるが、私『大丈夫ですか?』若者『大丈夫です』 当日の気温は35度以上で日の当たる路面温度は60度以上で少しも大丈夫ではない。 5月の連休時、剣岳早月尾根上部の稜線から池ノ谷側へ100m雪面を滑落した青年、私『大丈夫ですか』青年『大丈夫です』私『何故其処で動かないのですか』青年『動くと落ちるんです』 停止地点の下は絶壁で、少しも大丈夫ではない。 全ての人間は必ず死ぬが、死んだ経験のある人物は一人も居ない。 人の死までは科学で扱う分野だが、死の体験は科学の範疇では無く、宗教の受け持つ分野。 死んだ人は一人も居ないので、経験からしか学べない人間には死を実感できない。(正確に考えることが出来ない) 自分が確実に死にかかっていても、それを事実として認識していない。
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papillon9999 at 2007-09-25 17:09
青年『動くと落ちるんです』 これが何で大丈夫なんでしょう.不謹慎にも笑ってしまいますが,想像では決してわからないでしょうね.
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papillon9999 at 2011-09-25 09:01
おやまあ,こんな記事も書いていたんだねぇ・・・なつかしい シミジミ・・・
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