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刑事弁護の限界
2007年 09月 08日
最初のタイトルは 『刑事弁護人の役割の小さな矛盾』 というものでした.推敲の結果,このタイトルに変更しました.記事の中身は変えていません.
最近,また光市母子殺害事件に関するブログ記事が目に付くようになった.特に最近多いのが,光市母子殺人事件に対する弁護活動に対する攻撃,およびそれに対抗する擁護論の対立である.私が以前,記事に書いた頃は遺族の本村氏をめぐる議論が多かったと思う.明らかに話題がずれてきている. この弁護活動に対する批判は,信じられないことに,『極悪人を弁護するとは何事だ』というレベルのものが多い.こういうのは論外であるので,話題にはしない.今回の話題は,この論外の攻撃に対する擁護側の論理についてである. すなわち,『極悪人でも弁護活動は必ず必要だ』という当たり前の議論なのだが,そのこと自体は何も問題はない.しかし,その論拠として示されている論理に,私は小さな矛盾を感じたのである.(この矛盾は実は以前の記事で指摘したものと同一のものだと思っている.) 『極悪人でも弁護活動は必ず必要だ』という論拠として,Because It's Thereに次のような所論が掲載されていた. 英国のブルーム卿は、1821年、「刑事弁護の真髄」について、次のように説いています(戒能通孝「リーガル・エシックスとその基本」法律時報32巻5号(1960年)5頁、佐藤博史『刑事弁護の技術と倫理』26頁)。 「弁護人はその依頼者に対して負担する神聖な義務として、世界のうちでただ1人の人、つまり、依頼者のために、かつ依頼者のためにのみに、その職務を行わなければならないということであります。いかなる手段をつくしても依頼者を助けること、弁護人を含む依頼者以外のものに対するいかなる人にどのような迷惑をおよぼしても、依頼者を保護することは、弁護人の最高にして疑いを容れる余地のない義務であります。弁護人は依頼者以外のものに対し、驚き、苦しみ、災厄、破壊をもたらそうとも介意すべきではありません。否、弁護人が愛国者として負担する国家に対する義務をも必要あれば風に吹きとばし、依頼者保護のため国家を混乱に陥れることも、それがもし不幸にして彼の運命だとしたら、結果を顧みることなしに、続けなければならないのであります。」 この過激とも思える「刑事弁護の真髄」を読むと、刑事弁護人の役割がよく理解できるのではないかと、思います。被告人のために、かつ被告人のためにのみ、献身的に最善を尽くすこと(積極的な誠実義務)の遂行こそ、弁護人の任務・役割なのです(佐藤博史『刑事弁護の技術と倫理』26頁)。 孫引きのまた孫引きぐらい,引用が飛んでいて大変申し訳ないが,結局は いかなる手段をつくしても・・・助けること、・・・いかなる人にどのような迷惑をおよぼしても、依頼者を保護することは、・・・余地のない義務・・・。弁護人は・・・驚き、苦しみ、災厄、破壊をもたらそうとも介意すべきではありません。 ということを肯定するために,英国のブルーム卿の論理を引用してある.私はこのブルーム卿の論理に矛盾を感じるのである. なぜ,『いかなる手段をつくしても依頼者を助け』なければならないのだろうか.それは被告が顧客であり,顧客の要請に応えなければならないサービス側としての義務であろうか? もちろん,そんなことではないはずだ.どんな極悪人であっても,犯罪が確定するまでは推定無罪であり,一個の人間として尊厳を有し,尊重される権利を有する,したがって,弁護士はその権利を全うしてあげる役割を担い,それを行う権利を妨げられない,というものだと信じる. その大切な尊厳,権利は当然普遍的なものであろう.だからこそ,被告そのものにもその普遍性が及ぶので,被告自身もその権利受益の対象となるのである.ところが,それを実現するためには, 『依頼者以外のものに対するいかなる人にどのような迷惑をおよぼしても良い』 となるとこれはどういうことになるだろうか.つまり,これを逆の面から言うとすれば, 『被告の人権を守るためには,他人の人権は踏みにじっても良い』 という意味になるではないか.私はここに小さな矛盾を感じるのである.もしこの言い換えが当たっているのであれば,たとえ一人の人権を守るためとはいえ,他人の,一人以上の人権を踏みにじっても良いような「人権」とは非常に軽いものになるではないか.そんな「軽い」人権であるならば,他人にいかなる迷惑をかけてもいい,ほどの価値は全く認められないのではないだろうか. 私は,ここに,弁護活動の限界を見るのである.いや,見なければいけないのではないか,と思う.実際の裁判のあり方は,この限界を認識した上で,あるいは前提として論じていくべきではないだろうか. ということで,最後に,素人の私が僭越で無駄なことであるが,その裁判なるものを考えてみたい, 現在では理念としては裁判とは社会正義を実現するところ,という意識が国民に強く,また弁護士法にもそのように書いてあるようだ.しかし,現実にはかなり違っていてずれがあることが混乱の原因であろう. つまり,裁判とは,ゲーム理論のように,お互いが最大の駆け引き(ディベート的,したがってはったりでも良い)を行って,その結果,落ち着くところに自然に収まるゲーム感覚なのか,検察・弁護人双方が協力して,何が真実起こったのか,を解明していく場にするのか,現実にはこれがあいまいである. 私自身は次のように考える.裁判とは 『何がどのようにして起こり,その結果どういう事態をもたらしたのか,そしてそれはどういう意図の下で起こったのか,裁判とはこれをできるだけ客観的に(これをここでは“真実”と呼ぶことにする)解明する場にすること』 である.このことは,被告・被害者ともに双方中立な立場である.その際,『いかなる極悪人でも死刑にはできない』のであれば,より真実に近づけると思う.もちろん,責任能力がない,とされた場合でも,この真実は明らかにされなくてはならない. そうそう,私自身の死刑に対するスタンスを書いておかねばならない.『いかなる極悪人でも死刑にすべきではない』というものである.以前の考察において,紆余曲折の上でこういう考えを持つに至った.そういうのに到達できたのは喜びでもあった. しかし,それ(死刑廃止)が実現するためには国民感情への配慮が必要である.そのためにも裁判を上に書いたようなものにする必要があると考える.なぜなら,真実を明らかにすることこそが,死刑という報復手段を奪われた遺族の最後の慰めとなるのではないか,と考えるからだ. (これ以上は素人の私がいくら言っても無駄なのでやめておく.いや,最後は余計なものを書いてしまった.)
by papillon9999
| 2007-09-08 23:15
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Comments(9)
示唆に富む文章でいろいろと考えるヒントを頂きました。ありがとうございます。
思い浮かんだ疑問のひとつが、「人権」とは何か? というものです。人間ひとりひとりの生存権が人権であることは間違いないでしょう。犯罪によって人命が失われたなら、それは明確な人権侵害です。 最近遺族感情が大きく取り上げられるようになりまして、裁判におけるセカンドレイプなどという言葉も言われるようになって来ました。しかし、遺族感情は人権なのでしょうか? 巷ではまごうことなき人権という前提で議論が進んでいるようですが、これは今一度見直すべきでしょう。
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愚樵
at 2007-09-09 05:38
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もうひとつ、弁護活動の限界という話ですが、これは「被告人の推定無罪」という虚構から生まれる、当然の帰結ではありますまいか。 しかし、この虚構は加害者の人権云々という以上に、近代国家には重要な虚構です。もしこの虚構が無効になってしまったら、権力は恣意的に犯罪者を作り出すことが出来る。実質的に裁判を受ける権利を奪われてしまいます。 推定無罪の虚構と弁護の限界は、解決不能のジレンマのように思います。そうなると、ジレンマの幅をできるだけ小さくする努力もさることながら、どうしても避けえなかったジレンマの被害者の救済が重要になってきます。 遺族の慰めという点ですが、これは私の言葉を使わせていただきますと【private】領域に属する事柄です。客観的事実は【pubulic】ですから、これが最終的に遺族に届くかどうかは、遺族の受け止め方次第ということになってしまいます。遺族の望まない事実が真実であった場合、その事実どう折り合うかという問題が遺族に突きつけられますし、どうしても折り合えないというケースも充分に考えられます。
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papillon9999 at 2007-09-09 08:22
私が考えられる深さは,やっとこのあたりまでなんですが,愚樵さんはこれからさらに深いところまで降りていかれるんですね.なるほど,こういう観点は全く浮かびませんでした.以下のような整理でいいでしょうか?
1,弁護活動の限界は当然ある(推定無罪の虚構との引き換えですか?) 2.推定無罪を貫徹するときにこの限界は邪魔で,解決不能のジレンマとなる 3.被害者の救済が重要となる(遺族感情への配慮という意味ではない) 4.遺族感情は重視すべきもの(人権)か疑問 5.真実を明らかにすることは遺族の慰めになるとは限らない またこれらのことを組み入れて考えて見ます. 5に関連して,真実を解明することは中立,と書いた意味ですが,遺族にとって,真実が明らかになってほしくない,という場合もあるかもしれません.時には被害者にも落ち度,があるかもしれないからです.しかし,それは加害者にとっては当然主張したい点です.この意味で遺族の感情が最優先,ということはありえません. (しかし,被害者が証言することはできないのでその分,バイアスが必要です)
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布引洋
at 2007-09-09 08:53
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以前キムタク主演の検事モノのドラマで、『被害者(弱者)の立場に立てるのは検事だけ』の台詞がありました。
日本の庶民感情にピッタリの台詞。 弱者(被害者)を守る検事(警察、政府、国家)の図式は一見マトモで誰にでも納得できる。 しかし、此処で捻くれ者の私は一言、言いたい。 本当に検事は弱者の味方か。? 弱者を守るために検察、警察はあるのか。? 国家とは、国家権力とは本当に弱者を守るために存在しているのか。? そんなモン嘘っぱち。国家権力は弱者の為ではなく国家(強者)のためにある。 papillonさん、愚樵さん、キムタクなんか嘘っぱちで、存在自体が我々男性諸君全員の敵ですよ。(男は顔じゃない)
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papillon9999 at 2007-09-09 09:07
裁判自体,国家の暴力装置の一つですよね.その装置の中で我々は何がどこまでできるのか,ということでしょう.私は「男は顔」でもいいのですけど^o^;;;
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papillon9999 at 2007-09-20 12:19
Tracked from 法律家による法律・司法・.. at 2007-09-11 18:09 x
タイトル : 今の国民に期待できないことは、刑事弁護への意義を理解すること 山陰中央新報 - 刑事弁護の役割とは/公平な司法判断はぐくむ は刑事弁護の意義を明快に解いてはいる。 しかし、今の国民には上記の論説をことごとく無視してしまうだろう。 近時、刑事弁護に対する理解は明白に低下している。 多少の想像力があれば、容易に理解で.....more Tracked from 日記 悠々自適 at 2007-09-18 23:55 x タイトル : 光市母子殺害 供述変化は「調書の意味分からず…」光市母子殺害 山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が1、2審の無期懲役の判決を破棄した元会社員の男性被告(26)...more
返答TBとコメントありがとうございました。
自分は、今の刑事裁判の制度は言葉の定義による罰則の平等化が限界に来てると考えます。 言葉の定義よりは数値化にするべきだと考えてます。 勿論、個々の犯罪を全て数値化することは出来ないかもしれませんが、言葉の定義に当てはめていくことも本質的には同じだと思います。 ですから、犯罪を数値化して、被告の事情や生い立ち年齢なども、被害者や遺族感情の反映も細かい設定に沿って数値化。裁判では各事件ごとの細かい違いを誤差としてどう扱うかについて争えばよいのではないかと考えてます。 また、無罪を主張する人には有罪か無罪かを決める別の裁判を先にするべきだと思います。 (続きます。)
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ファブヨン
at 2008-03-02 17:13
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数値で細かく決めるシステムに変えることは≒死刑廃止と考えてます。
細かい数値の落ち着く先が、死刑と無期という二択になるのは、不自然です。 懲役年数と待遇をより細かく設定しなおすべきです。 特に待遇に関しては、資本主義の世の中ですから、やはりお金は大切。 有罪の場合、財産の多くは被害者や遺族に支払われるべきで、懲役期間中も細かい規定のもとで働き利益を被害者や社会に還元するべきだと考えてます。 考えようによっては、奴隷のような扱いとも取れますが、今の社会全体の中では一般の人達が底辺で生活する状況も、大変厳しいものがあります。 生活保護に匹敵する待遇を受けながら、何らかの(選択の幅もあり能力も発揮できる)動労をするべきです。 その中で、学んだり喜びを得たりすることもあると思うし、真面目な者や能力の高いものはそれだけ被害者や社会に貢献できたとして、減刑や待遇の改善があっても良いと考えてます。 と、いきなり触発されて長く書き過ぎました。 ときどき訪問させていただきますのでよろしくお願いします。
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papillon9999 at 2008-03-03 09:39
ファブヨンさん,こちらでもコメント戴き,ありがとうございます.量刑を客観的に決めようという意図ですね.反省の度合いなども点数として有利に働くように決めることができますね.
それから勤労の義務ですが,これは受刑者自ら,更正するきっかけを与えてくれるものかもしれません.減刑も可能だと思います. こちらこそどうぞよろしくお願いします.私の意見に違和感がある場合は遠慮なく指摘してくだされば嬉しいです. |