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「アンニョン・さよなら」の上映会
2007年 07月 07日
自主制作映画(と言っていいのかわからないが)「アンニョン・さよなら」の上映会を故郷近くの二つの市で開いた.上映会主催者の求めに応じて,その手伝いといった形で参加したものだ.ご存知の方も多かろうが,この映画は韓日合同製作で,監督は韓国の金兌鎰(キム・テイル)氏,演出等はキム氏と加藤久美子氏の共同であたったものだという(不正確かもしれない).
内容は,日本軍に徴用されて戦死した或る韓国人兵士が靖国神社に祀られていた!,そのことを知った娘(イ・ヒジャ氏)が靖国神社から父を取り戻そうとする奮闘物語だ. イさんにとって,父が靖国神社に祀られるということは二重の耐え難き受難であるのだと思う.そして父もまた自分と同じことを感じていると,娘として確信している. 一つはそもそも韓国人でありながら「日本人戦士」として戦わされ,最後は靖国神社にまで放り込まれてしまった屈辱,もう一つはこともあろうに侵略戦争の精神的シンボルである靖国神社に祀られ,被害者であったはずの自分(父)が侵略者として尊崇されるという途方もない皮肉. このような理由から(だろうと推測する)イさんの行動はまったく正当なものであるはずだが,神社側は合祀の取下げを認めない.玄関先でのやり取り場面があるが,この理由がなんとも貧弱である.曰く,一度お祀りした神様は取下げることができない,ご本人がどう思っておられるか確認できない,・・・などではなかったろうか.しかし,前者は事実に反するようだ.実際,戦争突入の際に靖国を頂点とする戦時体制構築のため多くの神社で統合や改変?がなされたらしい(不正確かもしれない).後者については言わずともいいだろう.台湾の遺族が抗議に訪れた場面も映される. イさんたちが靖国神社を訪れると,そこでは靖国神社を必要とする人たちの激しい攻撃を受ける.この衝突場面は生々しい迫力を与えている.このほか,この映画では靖国神社を賛美する人々も画面に登場し,彼らなりの論理を述べる機会を与えられているが,この編集は大変新鮮だ.その発言に対しては製作者側からはなんら貶める編集はなく,当否はただ見た人の判断に委ねられる.この映画が決して押し付けがましく感じられないのはこういう慎み深いスタンスが貫かれているからだろう. こういう妨害で絶望的な気分になるのだが,この映画が私たちを勇気付けてくれるのは日本人にも多くの理解者・協力者が存在し,一緒に奮闘していることがよく伝わるからだ.箕面忠魂碑や金沢の大戦記念碑(不正確で申し訳ない,後で正式名称に修正します)撤去要求でがんばっている人々も登場する.ずっと以前の記事で書いたように,「ホントの敵は自分の国にいる.相手国の民衆とはその敵と戦う同志なのだ」ということの実例・実践がここにあるような気がしてとても感動した. 映画で圧巻は中国で戦死した場所を訪れた時のことである.イさんの父は中国で戦病死(破傷風)したことがわかり,その現地を訪れる.そこへ行く途中,南京へ立ち寄るのだが,厳然と「虐殺」が語り継がれている.子供が手足に釘を打ち込まれたまま骨になっているのに対し,同行日本人(実は協力者としてこの映画の最初から出ておられる.名前は失念したのでAさんとしておく.判明しだい修正予定)が手を合わせるシーンでは新たな悲憤が沸きあがる. ここで初めて知ったことだが,彼ら現地の人々は「虐殺」とは言わないのだ.屠殺! 虐殺ならまだしも「人間」を殺しているように聞こえるが,日本軍にとっては相手は人間にも見えなかったのだろう.実に適切な表現であることが悲しい. 父が戦病死した病院跡でイさんは60年後の供養を始める.真っ白なチマチョゴリを着てあいにくの雨の中,地面にひざまづいて父の霊を慰めるのだ.「アボジ!」と叫ぶ所でとうとう私は涙を堪えることができなくなった. (余談になるが,真っ白なチマチョゴリが雨と土に汚れるのをいとわずひざまづく場面で私はなんと「特攻精神」を連想した.特攻精神は日本の専売特許ではない.実は韓国の方がよりすさまじい,と私は思っている.どうにも救いがないのだ.友人のK君に話したら,それは儒教が影響しているのかも,と言った.激しく同意.たとえ靖国に祀られるというような希望・代償がなくても,すべてを捨ててしまう.そうさせる原動力は儒教以外には今の私には考えられない.) この映画を見ると国がなぜ靖国神社を必要としているかがよくわかる.靖国神社で英霊たち(その目線の奥には当然天皇がいるだろう)に衷心より尊崇を捧げる人たちの心の拠り所なのだろう.英霊たちが神になって還った所,と信じなければあの死が単なる犬死になってしまう.それがとても堪えられないのだ. 靖国神社の代わりに無宗教の追悼施設を作らねばならない,という議論が軍国主義に反対する人の中にも聞こえる.私も考えないことはないが,しかし,「追悼」が追悼に終わらないのが一番の問題である.必ず「顕彰」の色彩を帯びることになる.きっと国は「顕彰」をやりたがるようになる.これに関して,私は以前の記事とコメント欄でも考察した. ===引用始め==== ・・・もうひとつ逆に言えば,仮に無宗教で行っても,上に書いたような意図・目的で慰霊・顕彰を行うとすれば,これはまた問題となります.今度はそれ自身が宗教化するからです.霊を扱う場合,十分注意しなければすぐ新たな宗教を生み出すことになります. 叙勲なども今は宗教ではないですが,『国への忠誠へのご褒美』,として一種の宗教化が起こる危険性があります. 国が慰霊を行う場合,『もう二度と繰り返さぬ』,『犬死させて済まなかった』,という意図で行わなければならないのです. ===引用終わり==== つまり,追悼施設が新たな「靖国」に転化されることになる.確か麻生外相もこの論を持っているのではないかとうろ覚えしているが,おそらくこの辺のことを見透かしているのかもしれない.靖国神社など国は必要とあらばあっさり切って捨てるだろう.伊勢神宮と違って由緒の有るものではないからだ.「軍国」精神を生き延びさせるためには靖国は惜しくはないはずだ. 上映会の後は酒盛り.これは常に次につなげていくエネルギー源となる.
by papillon9999
| 2007-07-07 13:51
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Comments(6)
お久しぶりです。お元気そうでなによりです。
関連しそうな記事のトラックバックを送らせていただきました(ここのところエキサイトの不具合でTBが反映されなかったりしているのですが、エキサイト同士はどうにか大丈夫みたいです)。記事を翻訳しっぱなしの手抜きエントリー(汗)ですが・・・。
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ハムニダさん 憶えていて下さって大変嬉しいです.コメントとTBありがとうございます.エキサイトは半年寄り付かないと削除されてしまうのですね!危うく皆さんの貴重なコメントが消えてしまうところでした.
残念ながら,これをきっかけにまた怒涛の更新,と言うわけには行きそうもないのですが,これまでよりは頻繁に戻ってこようと思っています.何しろ,このブログのページを開けるのが怖くなってしまいました.大学の授業を長くサボっていると,授業によりつけなくなるのと似ています.取り急ぎご挨拶! ![]()
おはようございます。おひさしぶりです。
最近の「愚樵空論」さんの復活も、貴ブログの久しぶりの投稿もワタシにとっては嬉しいうえに力を頂け感謝しております。 上映会お疲れさまでした。 ワタシも「アンニョン・さよなら」は地元の小さな上映会で観ました。あまりの出来の良さに会場にて大枚5000円をはたいてDVDを買ってしまったほどです。 関連して2本ほどエントリーしたのですが、やはりエキサイトにTBが通りにくくなっているようなので、コメント欄にて失礼します。 http://dr-stonefly.at.webry.info/200704/article_14.html
dr.stoneflyさん 長いこと音信不通ですみませんでした.そうですか.愚樵さんも中断されていたのですか.知らなかった.再開されてよかったですね.実はまだ,皆さんに更新の挨拶は全くしていないのです.これからぼちぼちご挨拶に伺おうと思っていますが,ご紹介の記事,早速拝見しました.
中山文相の話には最初笑ってしまいましたが,すぐにすさまじい怒りに変わりました.何というすさまじく幼稚な論理なのか.あれで心の咎めが軽くなる人もいるのかもしれません.カルト集団が,とんでもない教理でも教祖の説明ですべて納得するのと似ていますね. とむ丸さんの記事も素晴らしいですね. そうです.上映会ではご婦人たちがめがねを取って目頭をじっと押さえていました.男たちはそっとわからないようにぬぐっていましたが. ![]()
早雲さま 長期間留守の間にも気にかけていただいて,なんとも嬉しい,光栄の至りです.そうですね,”ぼちぼち”でいきます.よろしくお願いします.
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