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『法隆寺の謎を解く』の謎を解く(5)
2006年 11月 03日
構図の問題はまた後で触れる予定であるが,武澤氏の主張は結局,『めぐる行為に支障なく人が通れるから霊の封じ込めができない』というにすぎない.この主張には,1. めぐる行為でなくても人は通れること,2. 真ん中に柱がなくてもめぐる行為はできること,この二つが忘れ去られているようだ.つまり,梅原氏の誤認?を指摘するのに,めぐる行為は全く関係のないことになる.しかも,『めぐる行為では中門の柱の謎を説明できない』という結論になると,めぐる行為は中門の謎と全く関係のないことになる.この関係に非常に重きを置いた議論は一体なんだったのか.めぐる行為についてはまた別の観点から採りあげることになろうと思う.
・『梅原氏の誤認?』と中門の柱 武澤氏はあちこちに『梅原氏は誤認から議論を始めた』という趣旨の文言を散りばめている.それを見ていく前に,武澤氏が中門と霊との関係を論じた箇所が一箇所あるのでそこを見てみよう.それは第3章の中の「門の真ん中に立つ柱は怨霊封じか」という小題のついた箇所である(p144). 「ふむふむ,ようやく『柱では霊を封じ込めることはできない』という直接的(人に対してではなく霊に対して)な主張を展開するのだろうな」と私が期待した部分であった.ここも武澤氏の議論を見るのに非常に重要な箇所だと思う.詳しく引用しないとそれが伝わらないので以下に示そう. 「(梅原説は)“聖人は子孫を継がず”という不吉な相をこの柱に読み取る鎌倉時代の風説に近いものがあります.また政治事件からこの問題を追っていますので,なぜ法隆寺においてのみ中門の真ん中に柱が立つのか,という点に関して他より強い主張を持っています.」 という文に続けて,「しかし」と,梅原説に対する反論を次のように挙げる. 1.和辻哲郎初め多くの人が感じる聖域空間の「透明な響き」(など)が怨霊などと結びつかない.【注1】 2.聖域空間としてのデザイン上の要因から連子窓が多用されているが,光も風も視線も通す連子窓は怨霊封じにそぐわない. 3.百歩譲って仮に怨霊が閉じ込められたとしても,真ん中に柱が立つと怨霊は金縛りにあったがごとく出られなくなるのか疑問.象徴性にかかわる問題であり,時代の心性や慣習によるところが大きい.慎重に考える必要がある. 4.鎌倉時代の法隆寺僧が伝えることとはいえ,新創建時と時代の隔たりがあるので当初の実情を伝えているとは限らない.本当に出入りを妨げ,通せんぼをするような性格のものであったかしっかり見極める必要がある.【注2】 という趣旨を書いてきて,次のように続ける. 「これまでみてきましたように,真ん中に立つ柱は門の出入りになんら不都合をきたすものではなかった.むしろ出入りするひとの動きを円滑にするとさえ,いえる.したがって,不吉な意味合いもまた雲散霧消したのです.」 ・・・?ここでどうして雲散霧消するのだろうか・・・?「これまで見てきましたように」とは霊に関することの議論だと思われる.それが突然,「門の出入りになんら不都合をきたすものではない」と人間の事情にすり替わっている.すると,赤文字の『したがって』は何が『したがって』なのだろう??? こういう風にして,ここでは雲散霧消したとして根拠もないまま既成事実化される,こういう議論の方法が武澤氏のこの本には多く見られるのである.あとでまたいくつか指摘する. それにしても,上の3.で象徴性の問題といいながら,霊は連子窓から通れるから封じ込められないとは・・・象徴性とはマジナイだ.だからマジナイをしたら風のようには飛んで行けないのだ.さらに,直後にも「霊は空中を浮遊し自由に飛べるはずだから,門の真ん中に柱があろうと扉が閉まっていようと,そんなことは関係ない,早い話,回廊に囲まれていても連子窓からすり抜ける・・・」などと書いている.直接に霊を用いて梅原説に反論したものがこの程度だ.(尤も,柱が通せんぼをするような性格のものであったか,しっかり見極める必要がある,とは書いている.しかし,見極める努力はやっていない.そういうことやマジナイがほんとに効くのかどうかの議論を私は期待したのだが.) この小題は次のような文章で終わっている. 「・・・門の真ん中に立つ柱が二つの口をつくっているとみるべきなのです. 中門にある二つの口- ここでインドから伝わってきためぐる作法が重要な意味を持ってきます.中門に接続する列柱回廊はまさしくめぐる道,プラダクシナー・パタなのでした.二つの口は囲まれた聖域への入口とみなされます.門の真ん中に立つ柱が出入りを妨げている,通せんぼうとみるのは誤認といっていいでしょう.」 ここでは霊に関して論じていたはずがいつのまにか再び人の問題にすり替わり,『人間がちゃんと通れるのだから,霊を通せんぼするというのは誤認ですよ』と主張する.またここでも,『誤認』が『誤認といってよいでしょう』という一言で既成事実化,オーソライズ(根拠付け,権威付け)されるのだ. 【注1】 これは私の白ペンキ塗りの喩え,あるいは「美しい国?へっ」に書いた「群青の世界」と同じだ.その隠された部分には,どろどろした人間達の葛藤,血に染まってのた打ち回って死んでいって,蛆虫がたかって汚らしく朽ちていく人間の姿,があるのだ. 【注2】 これは逆で,むしろ後年になるほど法隆寺のイメージが良化する方向だと思う.再建当時が最もその血なまぐさい葛藤が見られたはずだ.
by papillon9999
| 2006-11-03 23:40
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Comments(4)
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布引洋
at 2006-11-04 15:17
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聖徳太子と言えば飛鳥ですがもう一つの忘れられた飛鳥にも注目したい。
古事記のも記載が有る『近つ飛鳥』が大阪府南河内郡太子町及び羽曳野市に存在します。此処には大和の飛鳥『遠つ飛鳥』と同じように飛鳥川も有ります。 大和の飛鳥よりの数百年古い飛鳥らしいのですが最古の官道として栄えた竹之内街道が通じています。 街道の近く二上山の麓に在る聖徳太子御廟所の存在は近つ飛鳥との関連を考えた時興味深い。 地元では聖徳太子の墓と伝えられている太子の霊廟は周りをぐるりと隙間無く卒塔婆で取り囲み何かを守っている感じではなく何かを封じ込める様に感じられ見た者を驚かします。
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papillon9999 at 2006-11-04 15:36
布引洋さま 非常に興味深いこと,有難うございます.当麻寺も太子に関係した面があるそうですね.二上山に行った時に,太子ご廟所も見て来ればよかった!そういえば当麻寺の塔にもどこかに偶数間が存在するそうです,まあ,私の俄か勉強じゃすぐぼろが出ますのでこの辺でやめておきます.
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papillon9999 at 2006-11-04 15:47
ひょっとしたらコピータウン(何ていうのでしょうか,リトル東京を他の国に作るようなこと)が存在していたのでしょうか?何のために?うーん,もしそうであれば非常な興味が湧いて来ますねぇ!
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特命希望
at 2018-07-27 13:45
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はじめまして。お言葉ですが布引さん、
>3.百歩譲って仮に怨霊が閉じ込められたとしても,真ん中に柱が立つと怨霊は金縛りにあったがごとく出られなくなるのか疑問.象徴性にかかわる問題であり,時代の心性や慣習によるところが大きい. 完全に論破されてますよこれで。方向転換が不可能で、まっすぐ進んで柱にぶつかったらそれ以上進めなくなるって、聖徳太子=厩戸王をどれだけ無能扱いしてるんですか?香港映画のキョンシーでも方向転換くらいは出来たはずですよ。 |