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いじめ自殺問題の本質(2)
2006年 10月 19日
いじめ自殺問題で大きな障害となっていることが,教師や校長や教育委員会の保身主義者共による『いじめ問題の隠蔽』である.これは『いじめがあってはならない』という強迫観念を社会が与えているために,もしそれがばれたら自分の出世に影響すると思い込むからだろう.前稿では『いじめはなくならない』ということを前提に議論を進めるべきだと書いた.この方が『自然の法則』からみても,実際の社会システムから見ても自然なのだと思う.
ただし,『いじめをなくすための努力をする必要はない』と言ってるのではない.無論,AとBの二者択一として論じているのでもない.しかし,いじめをなくすための努力も,上のような立場に立ってやるのと,『無謬神話』に縛られてやるのとでは天と地の違いが出てくるはずだ.この観点から今度は次のBの立場に立って考えたい.(再掲) B 『如何に自殺を防ぐか』 ここで,自殺事件が一度起きたらなぜ全国のあちこちで示し合わせたように相次ぐのかを考えてみよう.それは『自殺』には自殺者のメッセージが込められているからだと思う.そのメッセージとは,いじめた当事者や無責任な教師・傍観者達に対する『復讐』なのだ.(当事者の名前を遺書に書くかどうかは問題ではない.当事者の心を刺せばいいからだ.そのことは当事者が一番知っている).とすれば,このメッセージは普遍的な意味を持つため連続する可能性があり,そうすると,我々は次のことが重要であることに気付かされる. 『自殺を復讐の道具にさせてはいけない』 これでかなりの自殺者(予備軍)が思い止まってくれる,と信じたい.無論,個別のケアはやった上での話であるが.従って,我々はいじめられた側に次のことを訴えなければならない. 『どんなにいじめられようと自殺はするな!』 『自殺では決して復讐なんかできない!』 具体的には,いじめ自殺事件に対して過度の慌てふためきは慎まなければならないと思う.かわいそうなようだがそれが『自殺を復讐の道具にさせない』一つの方法ではないのか.それが『自殺では決して復讐なんかできない』という我々からのメッセージの発信となるのではないだろうか.(とは言っても『過度の慌てふためきを慎む』とはどういうことか,なかなか難しい.とりあえずはメディアは過度の感情的表現はせず,交通事故と同じ扱いをすることだろうか.そして,Bの立場に立っていることを前提として,教師はその対応の仕方によって処分が決まる,ということではどうだろうか.具体的にはなかなか難しいのは確かだ.) 教師はクラスを観ていなければならない,常に『いじめが起こっているかも知れない』という心構えで.これは性悪説に立つ事を意味する.ただし,子供の人格を疑えと言うのではない.なければ幸い,生じているかもしれないという心構えの問題なのだ.すると微妙な空気にも気がつき易くなる(かもしれない).幸いに発見できたら全力で命を守る.そしていじめ自体は断固として止める.しかし限度があるはずだ(表面上はみんな良い子かもしれない).そういう意味で,たとえ発見できなくても上のメッセージを発し続けなければならない. そもそもいじめの被害者は理不尽な交通事故・通り魔事件に遭遇するようなものだ.いじめの発生もそういう『バラつき』の中で生じる,と考えた方がよい.被害者自身には何の責任もないのだ.だから,被害者になっていることを隠す必要もない.目立たないが,そういう意識の共有も非常に重要な点である. 誤解のないように何度も書くが,これは『いじめられた側にも問題がある』ということを言ってるのではない.また,教師達その他を批判しなくてよい,という意味でもない.いじめをなくす努力が不要だ,と言っているのでもない.『いじめを根絶すること』だけを目標に教育をあれこれいじることは,不毛であるばかりでなく,有害である,ということを訴えたい. 奇しくもタイミングよく?政府は『教育再生会議』なるものを立ち上げた.座長はノーベル賞受賞者の野依氏だ.いじめとは直接関係ないが,いじめ対策なるものも出てくることであろう.美しい国の『有識者達』がどういう名策を打ち出してくれるか,お手並み拝見しよう.迷策とならなければよいが・・・
by papillon9999
| 2006-10-19 00:41
|
Comments(15)
TBありがとうございます。
唐突ですが >『どんなにいじめられようと自殺はするな!』 >『自殺では決して復讐なんかできない!』 まったくその通りだと思います。ワタシも声を大にして言いたい。 最近一番それを感じたのが、生活保護対応を拒否した秋田市役所の前で自殺した青年です。言葉は悪いが、君の死で何かを感じるような奴らじゃないよ、と言いたい。そして君の死で何も変わらないよ、と。ちなみに平良夏芽が死んでも、たとえそれが殉職でも、何も変わらないでしょう。生きて闘わなければならない。 ところが、今回は「子ども」なんですよね。仕方がないですが、闘うことを知らない。自己責任と思い背負い込む。 狭い世界が全てだと思っている子どもなんですよね。またそこが全てだと思わせる大人であり、教育なんですよね。 教育改革で、また狭い世界の狭い教育が強化される。憂鬱です……。 ワタシが自殺を防ぐ方法として考えるのは、闘うことを教えることかな。 闘っている大人の姿を見せることでもいいかもしれない、とふと考えてしまいました。
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dr.stoneflyさま コメントありがとうございます.dr.stonefly さんのご意見は私とほとんど同じだと思いました.私の記事では,いじめの被害者の『抵抗力の強化』についてはあえて全く触れませんでした.『君は今のままで良いんだよ』ということを伝えたいためです.でも強くなるに越したことはありませんね.ところで,
『君の死で何かを感じるような奴らじゃないよ』 『君の死で何も変わらないよ=生きて闘わなければならない』 は素晴らしい言葉です.ありがとうございます.
現実的で冷静なご意見です。現実に起きていることを有ってはならないことと考えるから対応がおかしな事になります。
ところで、人生の目的はただ生きることだと思っています。与えられた条件はそれぞれ異なりますが、その中で生き抜くことこそが人生のただ一つの目的だと思えれば他人の生も自分の生も掛け替えのない貴重な価値を持ちます。気も楽になりますし。
早雲さま コメントありがとうございます.
『人生の目的はただ生きること』 俳句の世界のようなお言葉です.私も最近,これが少しは理解できるようになってきたかなぁと・・・・私の中ではこの言葉は『無常』と通じています.
TBありがとうございます。
いじめを受けた者の自殺が復讐である、という指摘はその通りだと思います。ただ、なんと消極的な復讐であることか。「復讐」という言葉がもつ、強い響きがこの自殺には感じられませんね。 「自殺を復讐の手段とさせてはならない」のは、全くその通りです。こんなバカげたことはありません。ですが自殺をするほど追い詰められた者に、こういった言葉が通じるかどうか。いじめを受けて自己を否定的に捉えてしまっている者には、この言葉は強すぎるように思います。健常者には当然と受け止められる言葉も、弱ってしまった者には劇薬になることがあるからです。 うつ病の患者には、「ガンバレ」は禁句だといいますね。そういったの同様のことがあるように思います。 弱った者は、ただただ受け止めてやればよいのですが...、これが難しいんでしょう。積極的に何か働きかけなければと、どうしても健常者は考えてしまいます。 『人生の目的はただ生きること』 こうなれば極意を極めたようなものなんでしょうが。
いじめ自殺問題で大きな障害が,教師や校長や教育委員会の保身と隠蔽体質で、これは『あってはならない』という強迫観念、との指摘は慧眼、問題の本質を的確に言い当てています。
変な連想ですが官僚たちや警察、税務署などのある程度権力を持っている人たちに共通する特徴のようです。 官僚主義と権威主義が教育の現場でも幅を利かしているとすると、解決は可也困難です。 子供社会は常に大人社会を反映します。大人の社会の虐めを無くさない限り子供社会で無くならない道理です。
愚樵さま コメントありがとうございます.おっしゃることはよっくわかります.うつ病の患者への禁句のことも承知しています.
ただ,いじめ自殺者は不治の病やうつ病という『病』で死を選ぶ人とは違う動機を持っているのではないか,という気がしてなりません.追い詰められたと言っても,たいていの場合,両親を恨んだりはしていないようです.両親には大抵,お詫びの言葉が残されているような気がします. ここから読み取れることは彼らのある積極的な意思です.『病』ではないのでこの世をもっともっと謳歌したいはずなのに,死を選ぶというのは『逃げ』ではなく『攻撃』だと思えるのです.だから,そんな『攻撃』は何の役にも立たない,という強烈なメッセージが必要だと考えるわけです.ちょっと誤解を招きかねませんが最悪を回避するためには『逃げ』の方がましだと思います.逃げる,という方法がある,ということを伝えたい. もう死んだ子に言っても仕方がないのですが,少なくとも『予備軍』へぜひ訴えたいです.
布引洋さま ありがとうございます.ほんとに,『汚い大人の社会の張本人のくせして何を言うか!』という気分ですね.
美しい国の美しい人たちの得意技・・・それは『なかったことにする!』
先日はコメント、TBありがとうございました。
いじめられたら緊急避難的に逃げ込む場所、が具体的にあればいいですね。周りの人や、親が、気をつけてなんてことを言っていたらはじまりません。誰にも頼れない、他に選択がないから死を選ぶんでしょう。中学生ですから視野も行動範囲もけっして広くないだろうと思われますし。もちろん大人同士でもし、いじめにあったら、いったい何に頼れるでしょう。大人だってまずどうすればいいかなんてわからないですからね。
>逃げる,という方法がある,ということを伝えたい.
僕も自殺にはもちろん反対ですが、たとえ逃げても問題は解決しません。やはり戦うことが重要です。僕も子供の頃いじめに遭ったのですが、ボクシングを始めてその相手にきっちりと落とし前をつけました。もしも腕や体力に自信がなければ、凶器を使っても良いと思います。ナイフや催涙スプレーを携帯して時々ちらつかせるだけでも、いじめ抑止に相当な効果があります。暴力を否定する現代社会の風潮が子供たちの行き場を失わせ、陰湿ないじめとそれに伴う不幸な結果を招いているのではないでしょうか。相手によっては暴力を使ってもいいんだよ、と子供たちに教えてあげる必要もあると思います。
よむりんさま お久しぶりです.「こんな日は、虹が出るんだ」さんですよね.上のコメントで「逃げる」という意味はおっしゃるように「緊急避難的に逃げ込む」ということも含みます.そういう場所を作るのは非常に大切だと思います.
何といっても教師や校長や教育委員会の官僚主義,事勿れ主義が諸悪の根源で,それが改善されない限り,彼らを信用したシステムを作っても意味がないでしょうね.彼らの入らないシステムが必要です. 大人の場合は「組織内で正当に評価されない」ということもいじめに入るような気がします.こういう場合は裁判等で徹底的に闘う必要があるでしょう.そういう闘いを広く知らせて支援するシステム作りも必要ですね.今でも少しはあるのかも知れませんが. 意地悪でなく,主観の違いで評価が分かれる場合は,新天地を求めて飛び出した方がいいでしょうね.それか,いつか眼に物を見せてやる日を楽しみにじっと耐えて頑張るかですね. とにかく「最悪の自殺」を防ぐシステムが必要です.
戦うことが大事さま コメントありがとうございます.大事さんのおっしゃることはよくわかります.護身のためにボクシングや空手などを習うことも大変有効な方法かも知れません.場合によっては棒などで武装してもいいと思います.(ただ,自分が犯罪者になっては自分が損なので,脅しだけにした方がいいでしょうね.「自殺する気」になれば相手はその迫力にきっと負けることでしょう)
ただ,私はここで少し問題を感じます.それは,「闘え」,「強くなれ」というのは,ある意味で逆のメッセージを含み,社会の意識を不健全なものにする怖れを感じるのです. それは,「弱いからいじめにあうのだ」というメッセージです.それは「いじめられる方も問題があるのだ」というとんでもない間違った意識を呼び起こす危険性です. 長くなったのでアップできなくなりました.分けます.
つづきです
私はいじめられる人に言ってやりたいです.「あなたには何の責任も落ち度もない」,「あなたはあなたのままでいいのですよ」ということです. いくら「からかいやすい生徒」でも,そのこと自体なんの落ち度でもありません. 無論,自分を守る術として闘う技術を学ぼうとする意欲があれば,それを身に着けるのは非常によい方法だと思います.(勢いがつきすぎて自分がいじめる側に廻るケースもよく聞きますが,それはないようにしなければ) しかし,そうでない人も多いはずです.一律に『闘うこと』が解決のすべてではないと思います.そうでない人でも命を救えるシステム作りができないかと思うのです. とにかく腕力で立ち向かうことをしない人が「攻撃しよう」と思った結果,それが「自殺」なのではないかと,今は考えています.究極の武器「自殺」を絶対に使わないで済むようなシステム作りが重要です.
・・・当然ながらストレスがたまる。さらに親の期待に応えられないと感じる真面目な子ほど、そのストレスは大きなものとなる。
心理学の法則、すなわち「悪意は不健全な精神に宿る」という法則にあるように、「無力感」や「絶望感」で傷ついた心は「陰湿なイジメ」という形でストレスを発散するようになる。 これも自己防衛本能の一つであり、珍しいことではなかった。 ただ、昔は少数の子供だけの問題であったのが、現在は大多数の子供が抱える問題となってきており、昨今の教育現場を悩ます重大問題となっている。 いじめの本質は「無力感」や「絶望感」である。 怪我をしている場所と違うところに薬を塗っても怪我は治らないのと同じで、「無力感」や「絶望感」で傷ついた子どもを救い出すことが一番重要である。
これはまたチョー古い記事にコメントと戴くとは驚きですな。さて,この教育委員会さまの趣旨は,いじめる側もかわいそうだということですかね。
仰る通りと思いますよ。ただし,「無力感」や「絶望感」で傷ついた心,というのはいつの時代にも生じるものでしょう。つまり,人間が生きている限り,誰かは必ずこのような気の毒な役目を背負わされることになります。 すると,まあ,いじめのタネは尽きないんですね。 だから,教師も学校もいじめがあるかも知れない,というのは当然の心構えとして持っておかねばならないわけです。 尤も,最近の教師はいじめの兆候に気づいても対処方法がわからないのかな。その結果,無いことにするのだ,きっと。立身出世のための事なかれ主義とはちょっと違うのかも。 |

