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私の死刑廃止論
2006年 10月 03日
これまで何度か「死刑問題」について考えてきた.その度に自分の手には負えない問題だとあきらめていたが,最近の4本の記事(とりあえずさん,お玉おばさん,華氏451度さん,愚樵さん)を拝見しているうちに,自分なりの言葉を見つけることができたような気がする.私ごときが畏れ多いことではあるが,公開してご批判を賜りたい.
ただし,お玉おばさんの記事で紹介されている,ロベール・バダンテールの「そして、死刑は廃止された」は読んでいない.これを読まずに書くことは意味がない,と怒られるかも知れないが,ご容赦願いたい. 社会にはある確率で先天的な障害を持って生まれてくる方々がおられる.これは生物学的に言えば遺伝子の一部が何らかの理由で傷つくことが原因であるといわれている(正確ではない記述かも知れない).この遺伝子が傷つくことはある確率で生じ,完全にゼロとなることはないらしい.これは見方を換えると,先天的な障害を持って生まれる方は,ある種,気の毒な役目を負わされている,と考えることができる.例えば私には幸い生じなかったが,その分,それを背負って下さった人がいる,ということだ.こういう役目がやむを得ないものとすれば,これは可能な限り社会全体で受け持つべきことではないだろうか.こういう意味で,私はいくらコストがかかろうと,障害者の人も普通に生活していけるように社会システムを構築すべきだと信じている. 別の例では交通事故も同じようなことが言える.無法運転は論外だが,いくら万全の注意をするといっても,例えば出会い頭の事故というのはある確率で生じるものだ.それを前提として社会システムを考えなければならない. その他,長生きする人もいれば夭死する人もいる.自動車のような工業製品だって長持ちしたりすぐ壊れたりする.ある確率で不良品が出る.まあ,数え上げればキリがないはずだ. もっと生命体を考えてみよう.生まれつき優しい性格の猫がいるかと思えば根性悪く生まれついたニワトリもいるだろう.群れから外れやすい魚がいるかと思えば(ニモ?)アリにだってよくサボりがちなアリがいるそうだ.しかし,これでも魚は魚,アリはアリだ.これは自然界の法則,ばらつきの発現であるといえる.これが多様性を持つ自然の本質であり,こういうのがシステムとしてはむしろ健全なのだと思う. 以上のような考察の下で,人間社会を考えてみる.そこにも実に多種多様なバラつきがある.遺伝子の多様性のみではなく,感性,知能,性癖,境遇,性格,人や物事との巡り合わせ,・・・・,多種多様なバラツキが相互に反応しあうだろう.このような状況も『自然の法則』なのだと思う.社会全体だけではなく1個の人間としてもばらつく(昨日は鬼,今日は仏). すると,どういうことが起きるか.そこでは殺人をやりたくてたまらない性癖を持った人も生まれるかも知れない.あるいはとてつもなく運の悪い巡り合せで殺人に至ってしまうかもしれない(小学校であいつと同じ学級になったばっかりに腐れ縁ができて・・・). 私は冒頭に書いた4本の記事を読みながら,凶悪殺人犯もこの文脈で捉えるべきだと思うようになった.凶悪犯たちは社会システムの多様性を構成するために,特殊な役目,ある意味で気の毒な役目を負わされたのだと考えたい.すると,彼らを次々に排除するのはやはり重大な問題がある.これは気の毒な役目の人を切るという非常な仕打ちでもあり,システムの健全性を損なう恐れもある.こういう観点からすれば,社会は,国は,あるいは我々は,彼らをも包容するシステムを作らないといけないのではないか.その一つとして『死刑廃止』もあるべきではないだろうか. もちろん,我々は『どんなに社会が悪くても,どんな育て方をされても,人を殺すな』,というメッセージを発し続けなればならない.しかし,それでも不幸にしてそういう人も出てくることはゼロにはできない.それを社会全体が受け持つべきだということだ.死刑廃止をした方がむしろ凶悪犯罪が少ないという話をよく聞くが,それは国がそれだけ生命に対して大きな慈しみの心を持っているからだろうと思う.人々はそういう社会ではきっと優しくなれるのだ.(当然,国は『生は死よりも善である』という価値観を強制することになる.死刑願望など無論認められない.) ちなみに,よくキリスト教の心髄だと誤解されている『汝の敵を愛せよ』というのは,全く意味が違う.これはもちろん社会システム論から来たことではなく,神にしかできないことを人間に要求し,人間のちっぽけなことを実感させ,ひいては神への深い畏れを抱かせるためのものでしかない. 私の死刑廃止論は今のところ以上のようなステージにたどり着いた.ここで抜けているのはやはり被害者遺族の救済だ.これには特効薬はないのだろうと思う.国は,凶悪犯を死刑廃止で包容するからには,遺族に対しては全力を挙げてその癒しに知恵とお金をかけるべきだ.情けないけど今はこれだけしか言えない. 【10.9 補完:重大な文言がが抜けていることに気付いた.大きな抜け目であった.加害者が気の毒な役回りをさせられている,と書いたが,不条理さにおいては被害者とその遺族達こそが加害者よりも何倍も何倍も,数学的に言えば無限大の倍率の不条理な役回りをさせられているではないか.無論,暗にはそのことは認識しているが,何よりもまずそのことを明記すべきであった,だとすればどうなるか.それは,死刑廃止論を言うならば,それよりももっと熱意を以って被害者(とその遺族)救済を叫ぶべきである,ということだ.ただし,具体策として特効薬は思い浮かばないが,それこそ衆知とお金をかけるべきではないか!】 これまでの私のスタンスは 『冤罪がゼロとなる可能性がなくならないとすれば,死刑廃止はやむを得ない』というものだった.つまり,凶悪犯を死刑にすることよりも無実の人を誤って殺すことがないようにする方が重要だ,という意味である.ここに,『冤罪』とは,文字通り無実というだけでなく,もっと広く,罪を犯したとしても『本当はそんな凶悪な人ではない』という場合も含めて考えてよい.上に書いたように,そんな人でも運の悪い巡り合わせで,本来の自分だったらできない犯罪を犯す場合も考えられるからだ. そういう消極的な立場から,『私の死刑廃止論』という題名で記事を書けるまでになるとは思っても見なかった.嬉しい. だけどこれはあくまでも私の頭の中だけで考えたもの.実際に私が被害者遺族の立場になったら,こんな観念論なんかクソクラエだ.復讐を果たすために生涯付け狙う.絶対! でも逆に,私がひょんな行きがかりで人を殺す巡り合わせになったとしたら,ぜひ皆様,助けてください.『私があの「アルバイシンの丘」です』と皆さんに訴えますから.私は決して悪い人間ではないでしょう?人を殺すような人間ではないのはよくご存知でしょう?何かが狂っただけなのです.ぜひ死刑免除を嘆願してください.お願いします・・・
by papillon9999
| 2006-10-03 23:57
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Comments(13)
ケビン・スペイシー主演の、『ライフ・オブ・デビッドゲイル』という
映画をご存知でしょうか。 この映画は、冤罪事件の究極の姿を表現しています。 もちろん、フィクションですが。 この映画を見た私は驚くとともに、現実社会でもあり得るのでは、 と思っています。 911をはじめ、何が起こってもおかしくない時代ですからね。 ちなみに、「タイタニック」のケイト・ウィンスレットが、製作に ニコラス・ケイジが参加しています。 「死刑制度」に一石を投じる衝撃作です。 お暇があれば、是非見てください。
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triumphyyさま 早速のコメントありがとうございます.『ライフ・オブ・デビッドゲイル』ですか.残念ながら見ていません.『冤罪の恐ろしさ』を描いてあるのでしょうか.見てみたいものです.というか,見たらきっと心が重くなりそうですが,それでも想像力を磨くために見たいものです.ご紹介ありがとうございました.
もし当局が何かを取り違えて,私をテロの犯人だと思い込んだらどうしましょう!ありえる話ですね・・・
いやいや、私は911事件が冤罪だと言っている訳ではありませんw
あと、この映画はどんでん返しで有名な映画ですので、ネットで調べてしまうとネタばれしてしまうかもしれないので要注意、です。 なんの先入観もなく、いきなり見る、がいいようです。 どこのレンタルビデオ屋でも借りられますので、ノープロブレムです。 あとは、映画を見てのお楽しみ‥‥ですね。 では。 ![]()
『これが多様性を持つ自然の本質であり,こういうのがシステムとしてはむしろ健全』の言葉は、全く其のとおりで一番大事だと思います。
然し社会は、と言うよりも社会の上に立つ者は其の逆の場合が多い。 てんでばらばら不規則なものより、規則正しいモノに価値(美)を見出す。 朝礼の整列に拘る教師.(私は此れが苦手でした) 整然とした卒業式に拘る東京都教育委員会。 甲子園の高校野球の入場式に美を感じる人々。(私は神宮の学徒動員を連想) 整然とした規則正しいモノに多くの普通の人々も、美しさや正しさを見つける。 整然とした規則正しさは『単純』とも解釈できます。 単純で綺麗な結晶体の金属に比べアモルファス金属は数十倍の強度も持っています。 東欧のルーマニアは共産党員の比率が一番高い均質国家だったが、一番劇的に崩壊した。 整然とした規律正しいモノ、単純なモノはどんなに強く見えても内実は弱い。 『多様性』『複雑さ』『包容力』こそ強さなのです。 ![]()
祝・アルバイシンの丘版・死刑廃止論!! とにもかくにも、嬉しく思います。「生まれつきの殺人者」というのは存在しないはず。しかし人間は状況の中で、(おっしゃるように多種多様なバラツキが相互作用して)凶悪になってしまうこともある。その殺人者を消しゴムで消すように消してしまうのは、「上策にみえて下策」だと私はいつも思っています。
親しい人間が殺されたら……はい、私も復讐に燃えるでしょう。しかし時間が経つにつれて、復讐の念だけに凝り固まって生きるのはむなしい、と思い始める気もします。 貴君が殺人を犯されたら……そうですね、「悪い人ではないと思っていましたけれど、人間はいつなんどき、どうなるかわかりませんからね~。きっといつのまにか凶悪になってたんでしょうね~。でもそういう奴でも、死刑にしちゃいけません」と言って、嘆願書を出すことにしましょう(笑)。
triumphyyさま 私も911事件が冤罪だと言ってるわけではありませんよ.映画を見てみましょう.ご紹介ありがとうございました.
布引洋さま 『多様性』『複雑さ』『包容力』をなくすものとしてここに挙げられた例はその通りと思います.ルーマニアの例はとても示唆的です.
華氏451度さま その節はぜひよろしくお願いいたします(笑)でも嘆願の時はもう少し褒めた方が効き目があるのではないか,と心配です(再び笑)
こんばんは。えらそうに麗子の一回目を担当させていただきましたが、このエントリーは、はるかな高みにありますね。
交通事故とか予防接種の事故、たとえていえば炭坑のカナリアのように、時々しわ寄せが出てしまう、その際に我々自身が社会のあり方や、被害をみんなで支えていくきっかけにしないで、悪者探しだけに終始してまた満足してしまう、実は大事な機会を失っているのではないか、という気がしていたのですが、自分ではうまくまとまりませんでした。ホントにおっしゃるとおりだと思います。 ![]()
初めてコメントさせていただきます。
お玉さん、華氏さんのところでも書いたんですが、私の死刑廃止論の理由は、アルバイシンの丘さんととてもよく似ているようです。 私は、「社会が生んだ犯罪者を社会が抹殺する権利はない。社会は、その罪を一緒に引き受け、彼らを生かし、教訓を学びとる必要がある。それなしに社会が犯罪者を再生産することを止められないし、社会が犯罪者を生んでしまった罪を償うことは出来ない。」という考えです。 奇しくも似たような考えに帰着されたのをみて嬉しくなり、一言それだけ伝えたくてコメントさせていただきました。
luxemburgさん 実は今、保育園の孫の運動会で遠くの町に来ています。ちょっとだけネットを使う機会ができました。
ところで過分のコメントいただき、ありがとうございます。これも皆さん方の示唆に富む記事を拝見したからです。濃い中身にものすごく刺激されました。ありがとうございました。
Looperさん 実は今、保育園の孫の運動会で遠くの町に来ています。ちょっとだけネットを使う機会ができました。
私はあちこちでお目にしているので、初めての気がしません。よろしくおねがいします。Looperさんもたくさんコメント寄せられていたのですよね。そういうものがきっと私にも影響を与えたのだと思います。相互に啓発しあってより高いステージに進めるといいですね。 孫の検討、祈ってください。そうだ、Luxemburgさんも!
『保育園の運動会』の最後の方に書いたが,『私の死刑廃止論』においてとても重大なことを書き漏らしていたので追記しました.ぜひご覧戴きたく存じます.
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