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靖国問題の議論の仕方
2006年 07月 23日
またしてもサンデープロジェクト.ただし,夜の再放送を朝日ニュースターチャンネルで見た.田原某が昭和天皇メモを題材に,初めは武部幹事長との単独会談,そのあとに加藤紘一,菅直人,櫻井よし子,岡崎某,と4人での会談,と2部構成であった.
本記事はこの番組を見ていて気づいたことと,議論の仕方を整理するために書いてみた. ・田原某は,昭和天皇個人の意思を無視するのか,という一点で執拗に武部氏に食い下がっていた.つまり,天皇の『御心』を武器に,自民党から靖国神社側に分祀を迫らせよう,としたいようだ. ・武部氏が,一宗教団体に干渉はできない,というと,『天皇の御心を無視するとは何て不逞な態度だ』という印象を与えたがった.このことからわかるのは,田原某は,自分のことをものすごい忠臣(天皇への)だとアピールしたい男なのだ. ・憲法にある政教分離ということが,武部氏クラスの保守政治家にも理念として結構理解されていること.『一宗教団体に干渉はできない』という至極まっとうなことを述べて,田原某をたしなめていた.しかし,首相等の公式参拝がこれに抵触する,とは考えていない点が限界. ・櫻井氏や岡崎氏らは,どんな屁理屈でも厭わない,恥さらしの議論が平気だ,ということ.メモの文の曲解やメモの信憑性を問題にする,苦しい理屈の発見.挙句の果ては『側近はあんなメモは書かないはずだ』.特に岡崎氏というのは何でテレビに出るのだろう.まともな理屈がしゃべれないではないか.田原某がまだマシに見えてくるではないか! 靖国問題はいろいろな問題が複雑に入り組んでいる.尤も,私などからすれば話はきわめて簡単で,『憲法違反だ』とか『神になんてなれるはずがない』などで十分なのであるが,それで片付かない『情』の部分が大きいのだ.それで,どういう議論をすべきなのか整理してみたいのである.(あくまでも軽くだけど) 1.天皇がどう思っているか これは,本来は本質とは無関係のはずである.しかし,靖国を信奉する人々にとっては天皇個人がどう思っているか(いたか)大問題であろう.今わかったことは,『昭和天皇は少なくともA級戦犯合祀に反対だった』.しからば現天皇はどうか.これが公になったら大変だ.私の予想では『靖国神社そのものに反対』ではないかと思う. 昭和天皇の合祀反対はわかる気がする.自分を真には尊重せず,やりたい放題にやった軍部の独走,それをとめることができない自分の惨めさに,本当にやり場もなく怒っていたのであろうと信じる.ただし,必ずしも朝鮮から中国侵略(進出?)に反対だったわけではないだろう.やり方の問題だと思う.平成天皇の考えは,靖国神社ではなく国立の追悼施設ではなかろうか.そこには犠牲となった国民すべて,および海外において陵辱され被害に遭ったすべての人間が対象となるはずだ. だけど,この項目は使えないので議論しても仕方がない. 2.A級戦犯合祀問題 分祀すれば後は何してもいいのか,という問題がある.しかし,合祀問題は一宗教法人である靖国神社の勝手.そもそも,そんな所に大事な『英霊』を存置しようという事が間違いの基なのである.つまり,ここから見えてくるのは,『靖国神社ってそもそも何?そんな偉いところなの?』という『そもそも論』が有効ではないか,ということだ.次の3とも関連する. 3.英霊の顕彰,誰がするのか 誤解が多いとよく指摘されることに,靖国神社は『慰霊ではなくて顕彰施設だ』ということがある.すると,顕彰するものは誰だろう.天皇か?それなら靖国神社は天皇に裁量権を譲らねばならぬ.合祀など勝手にできないはずだ.それをやったということは,顕彰するものは天皇ではないことになる.すると国だろうか.しかし,憲法上,それはできない(一宗教施設を使ってはならない).すると靖国にいる『神』だろうか?しかし,英霊達は祀られて『神』になるという.すると(あとの)自分が自分を顕彰することになる.これはどう考えてもおかしい.このように考えると,今はだれも顕彰する主体がいないことになる.不思議だ.そもそも一宗教法人ごときに任せるのが間違っているのではないか? 4.英霊達の結果責任 さらに,非常に言いにくいことではあるが,英霊達が果たして『顕彰に値するのか』ということがある.これは戦争を引き起こした責任のことではない.また他国を蹂躙した責任でもない.そういう道義的責任を責めているのではない.こういうのは水掛け論に陥いるので,無駄なエネルギーの消耗となる.そうではなくて,だれもが,たとえ軍国主義者であっても認めざるを得ない責任の所在を明らかにしたいのだ. これは誰も触れようとはしないが,結果として『国民と国土をまもれなかった』責任を問いたい.英霊達がどんなに頑張ったか,ということとも関係ない.結果的に,多大なる国民(非戦闘員)を犠牲にし,二発の原爆と共に国土を蹂躙された.そういう英霊達は顕彰に値するのか,という疑問だ.「死者に鞭打つ」ような議論が好まれないことはわかるが重要だと思う.この違和感を以前の記事において,『恥を知るサムライ』に擬して書いた.英霊達はきっと恥じていることだろう,一般国民の『慰霊』に先立って自分達ばかり『顕彰』されることを.つまり,最重要なのは『英霊達の顕彰』ではなくて『英霊達も含めた戦争犠牲者すべての慰霊』だ.(なぜ軍人の遺族だけが未だに年金をもらっているのだろう?一般国民の犠牲を差し置いて) ここから出てくる結論は,『英霊達や海外の被害者も含めたすべての戦争犠牲者』を一緒に慰霊ができる施設を作ることだ.(無宗教であるべきことはいうまでもない) 5.今後の顕彰問題 最後の問題は今後出てくるであろう,自衛隊やNGOなどの国際紛争殉難者達の顕彰だ.軍隊信奉者達は『死に行く者たちの精神的支柱』を作りたがる.また実際『死を実行させる』ために必要なのだ.これは慰霊ではない.顕彰施設が欲しいのだ.しかし,この場合も誰が顕彰するのか,という問題がついて回る.一般的に言えば国民だろうが,恐らくそれでは軍隊信奉者達は納得しないだろう.天皇か神か.いや,それは困る.総理大臣ぐらいにして,上の『慰霊施設』に同居させることで我慢してもらおう. 以上,靖国問題の議論を『情』を基盤とした議論と噛み合わせるための論理を考察した(乱暴な議論なのは承知の上).靖国に参拝して欲しい,という素朴な議論と向き合うためには,『憲法違反だ』とか『神になんてなれるはずがない』などと切り捨てたのではいつまで経っても解決しない.相手は『論理』ではなくて『情』だからだ.当然,相手が納得するとは限らない.しかし,議論が噛み合えばその過程で相手が少しずつ変わっていくことを期待できるではないか.
by papillon9999
| 2006-07-23 23:58
|
Comments(49)
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倫理、社会問題として靖国を論じる真面目なグログに宗教的側面(怨霊信仰)からコメントしてみました。
明治二年、新政府が作った新興宗教で、かつ陸海軍が管理する宗教的軍事施設を、『左』は真面目な宗教と考えず馬鹿にしているのが現状です。 理性的な合理主義から見れば、理論的に破綻した靖国神社に右往左往する『右』は嘲りの対象でしか有りません。 理性で判断しょうとする『左』と、情念で行動する『右』では初めから議論が噛み合うはずが無いのです。
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遺族と、何も知らない一般庶民には「顕彰」「慰霊」を其の時々に使い分ける二枚舌ですが、天皇(国家)にとっては絶対必要な慰霊施設なのです。
日本には元々、非業の死(尋常でない死)を遂げた魂は怨霊となって現世(生ている者)に祟ると言う、怨霊信仰が広く信じられていました。 恨みを抱いてで死んだ霊魂は死に切れず怨霊となってこの世に留まるのです。 飛鳥時代に日本に入ってきた仏教も怨霊信仰と結びつき、死者の魂(怨霊)を現世と離脱(解脱)させ成仏させると言う、世界に例を見ない形に発展していきます。 靖国とは天皇(国)の為に非業の死(尋常でない死)を遂げた怨霊を、天皇(国)が慰霊するための神社なのです。 一般庶民には無意味な顕彰施設ですが、天皇(国家)にとっては絶対必要な慰霊施設なのです。 解決策として靖国神社を皇居内に移し、一般市民は遠く外から拝んでもらう様にするのが一番良いでしょう。 現状の儘なら政府関係者(首相)は頭巾を被るとか真夜中に参るとか世間に知られないように参拝すべきです。(昔の貴人はそうしていた
『理性的な合理主義から見れば、理論的に破綻した靖国神社に右往左往する『右』は嘲りの対象でしか有りません。』というのは,それはそうです.そこを敢えて相手の土俵に乗って,噛み合わせて見よう,という無謀な?企てなのです.誰が顕彰するのか,という問に,彼らはどう答えるのでしょうか?靖国に昔からいる神でしょうか?変な感じでしょう?
それから,『靖国とは天皇(国)の為に非業の死(尋常でない死)を遂げた怨霊を、天皇(国)が慰霊するための神社なのです。』と決めたのは明治政府でしょうから,歴史はないわけです.現天皇はそんなものにオーソリティを認めているでしょうかねぇ.私は疑問に思っています. ![]()
病死した松岡,白鳥は入っているのに,上司の近衛文麿元首相は入っていません。
軍人の癖に捕虜になった東條英機よりも、戦陣訓を守って自決した近衛文麿卿の方が余程『英霊』の資格が有りそうです。 靖国に祭られているのは実は『神』では無く、国家に殺された事を怨んでいる恐ろしい『怨霊』と考えれば、何の利益も無く損害ばかりが大きい靖国参拝に首相や政府首脳が拘る理由が多少理解できます。 裕仁天皇は祟りを恐れていたのではないでしょうか。明仁天皇はもう少し合理的判断をしていると思われます。
『死んで虜囚の辱めを受けず』を強要したトップ自ら情けない虜囚をさらしたのですから,同じ日本人として熟柿のように赤面します.沖縄の平凡な農民が虜囚となるのを恥じて一家で殺しあうのと比べてなんということでしょう.東条ら指導者の遺族は,百年間は先祖を恥じて人前に出られないはずだけど・・・恥じるどころか反撃してる・・・
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敗戦以前は陸海軍が推薦し国家が顕彰していたので単に戦死しただけでは靖国神社には祭られませんでした。
ちゃんとした審査が有ったようです。当たり前ですが神様になる為には其れ相応の資格と条件が必要だったのです。 戦後は神様の世界もハイパーインフレで権威も何も無い一神社の宮司が勝手に決めてしまい、死ねば誰でもなれるようです。 権威付けの為、是非とも天皇とか首相などの権威ある人の参拝が必要なのでしょう。靖国神社側の政治的エゴイズムですね。
『神様になる為には其れ相応の資格と条件が必要だったのです』 そうだったのですか.またしても教えていただき感謝します.考えてみると当然ですね.審査は活躍の度合いで公平になされたのかどうか心配ですが,まさか出自など関係してないでしょうね.
TBありがとうございます。私の考えは拙ブログにて述べた通りですが、
>英霊の顕彰,誰がするのか について、もう少し考えを述べさせてもらいます。 顕彰とは辞書によると「広く世間に知らせて表彰すること」ですが、靖国で行われている顕彰は明らかにこの範囲を超えています。戦没者を「神」にまで引き揚げるのですから、これを為しうるのもこれまた「神」でしかありえません。しかも単なる神ではなく「最高神・絶対神」。天皇教の教義によれば、最高神は天皇陛下です。 では、天皇教の信者たちが生身の天皇に100%忠実かと言うと、それがそうでもない。一見不思議なことですけど、キリスト教なんかでも見られるごく普通の現象です。 ![]()
論理的に考えれば天皇が人間宣言をした時点で天皇教は破綻しているのですけど、信者はそれを認めません。宗教はそれを信仰する者がいる限り成立します。彼らの信仰する神は、彼らにとって都合の神でしかありません。
ですから例の天皇のメモが公表されたとき、信者たちはその「お心」を疑ってかかることができるんでしょう。彼らの信仰している教義とは違うから。「天皇陛下がそんなことを考えるはずがない」。筈がないかどうかなんて、誰にもわかりはしないのに。そうは考えないんですね。布引さんのいうところの「情念」でしょうか。
『天皇が人間宣言をした時点で天皇教は破綻』しているのに認めないのでは同じ土俵に乗れませんねぇ.そういう『情』を相手にしようとしているのですが・・・でも昭和天皇の意思と神社側の意思が違っていた,となるとほんとうにショックだったでしょうね.
すると今度は,顕彰する主体は天皇個人ではなくて,抽象的な『天皇』という概念だと言い出したりするかもしれません.こうやって,天皇個人はまたないがしろにされていくのですね. ![]()
>顕彰する主体は天皇個人ではなくて,抽象的な『天皇』という概念だと言い出したりするかもしれません
そういうことでしょう。こちらの記事をご覧になってください。彼らの思考がよくわかると思います。 Dr.マッコイの非論理的な世界『 「天皇」の何が大切なのか』 http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20060724/p1#seemore ![]()
天皇教(靖国教)は百年ほど前に作られた新興カルトです。
創価学会と五十歩百歩の存在で、邪魔になれば何時でも教祖(宗門)を排除してしまいます。 今の創価学会の新聞や出版物を読むと、宗門と竹入義勝氏に対する罵詈雑言が殆んど全部で、正気の人が読める代物では有りません。 天皇教でも邪魔になれば、何時でも天皇を排除するでしょう。 幕末に英国公使の通訳として来日したアーネスト・サトウの日記によれば孝明天皇の死因は病死ではなく,急進派の岩倉具視が邪魔な保守派の天皇を暗殺「毒殺」した。 真否は判然としないが当時広く噂されていた。家茂の死から数ヶ月後の死は歴史を大きく動かした、当時15-16歳の明治天皇にどれ程の実権が有ったか不明。 例えそれが神でも進歩の障害は取り除かれる、いわんや天皇おや。 5000年前人類最初の都市文明がメソポタミアに興った当時一帯はレバノン杉の森林に覆われていた。 シュメールの神話では森を守る神フンババを英雄ギルガメッシュが殺して森を切り開き都市を造り人類の文明を起こしたとされる。
愚樵さん 非論理的な論理を体感しました.平沼騏一郎の流れでしょうか.憲法擁護論もあんなにならないようにしなければなりません.でも論理って結局限界があって,非論理的な部分が必ず必要になりますよね.
ただ,そんなに聖なる天皇の概念であれば,単なる一宮司がいろいろ裁量を振るうのは非常におこがましい.いったいどんな資格があってそういう裁量ができるのか,今度はその点が問題になりそうです.
布引さん ほんとに危険なことです.民主的な天皇は抹殺される可能性がありますね.いったい誰に『ホントの天皇はこうなのだ』という権利があるのでしょう.どういう根拠があるのでしょう.人間天皇以来,完全に教祖なきカルト宗教に陥ってますね.(いやカルトは最初からでしょうが,教祖なき,という所が)
こんばんは
ご覧になられましたか。あの方の思想の源流は西部萬氏のようですが、キッチリ考えられているがゆえに「非論理」の部分がとてもよく理解できる、右翼(ご当人は「保守」だと述べておられて、いわゆる右翼≠保守なんだそうですが)としては優れたブログだと思っています。 ただここで気をつけなければならないと思うのは、だからといって天皇教が全く無意味なものではなかった、ということです。明治天皇擁立には布引さんがご指摘のような経緯があったにせよ、明治の元勲たちの陰謀(明治維新)は結果としては大成功であり、欧米では何十年にも及ぶ戦争が必要とされるような改革が瞬く間に成し遂げられたという事実もまた、当時の欧米人が驚きと共に証言しているところです。
こんばんわ.非論理的だけど大変わかりやすいです.『「非論理」の部分がとてもよく理解できる』ほんとにそう思いました.
明治政府はほんとにうまく天皇(制)を利用できましたね.下手したら大内乱かつ被植民地になったことでしょう.しかし,そうなる代わりに大敗戦まで突っ走ってしまいました. 西部氏の右翼と左翼論は私なりによく理解できているつもりです.法に基づく市民社会を目指すものはたとえ新自由主義であってもガチガチの保守であっても左翼なのです. 非論理的に絶対王権を目指すものこそが右翼だったかな保守だったかな,それを名乗る資格がある,ということだと理解しています. ![]()
北一輝が日本人は逆賊、逆臣の子孫と喝破したように歴史上沢山の天皇が排除されています。
安部晋三の様な恥ずかしい歴史認識をしていると、結果的に右翼達が裕仁天皇の戦争責任に対して、パンドラの箱を開けてしまう可能性が有り、興味深い。高みの見物といきなしょう。 日本の近代化に果した『天皇教』の功罪は未知数、未だ解明されていないと思っています。 私達が習った日本史では江戸時代は未開野蛮な封建時代であったように教えられましたが、可也嘘、誇張が有ったようです。 歴史的に見ても、殷の肘王の話に見られる様に、王朝が交代すると前の王は愚か者で悪逆非道に、社会は野蛮に描かれています ![]()
『明治以前の社会は非常に遅れた社会であった』は新政府のプロパガンダであった可能性が高いでしょう。
アジア、アフリカ各国の例を見れば、遅れた社会が突然発展する可能性は殆んど有りません。 江戸時代の庶民の植字率は当時のイギリスを遥かに凌いでいた事や、衛生状態,手工業の発展など世界レベルに達していたなどが有るようです。 一番の良さは治安安全でしょう。明治の初めにイギリス人女性一人で東北北海道を不安を感じる事無く旅行しています。イザベラ・バード『日本奥地紀行』 歴史上日本の治安が一番悪かった戦国時代でも、当時の宣教師の残した記録に、治安が悪いとは書いていません。
いやあ,布引さん,とても興味深いお話,ありがとうございます.
『天皇教』の功罪は未知数,という点,なるほどですね.明治政府が天皇教を創設しなかったらもっと落ち着いた,文化の香り高い国になったかもしれない,とも言えるわけですね.(ホントかどうかは別として) うーん,これは考えても見なかったことです. 実は白状しますと,私は徳川家康が大嫌いなので,江戸時代のいい所は軽視する傾向があります^^;) ![]()
歴史書は勝者が書くので、どうしても勝者の倒した敵は、徹底的に悪者に描きます。
新政府の倒した徳川政権は当然悪者、徳川政権の創始者は偉人である筈がないのです。 戦国時代に入ってきた二挺の鉄砲が、半世紀後には十万挺になり日本は当時、世界一の鉄砲大国(軍事大国)になっていました。 家康が軍事国家から平和国家に転換して、250年間の平和を実現した功績は世界史的に見ても偉大であったと考えられます。 新政府は政権成立数年後には、朝鮮への軍事的野望を持っていました。 26年後には日清戦争と言う、帝国主義戦争を成功させています。 ![]()
日本人に一番人気が有る人物は織田信長ですが、信長と一年違いに生まれた人物にイギリスのエリザベス一世がいます。
エリザベス女王と信長、幾つか似ている部分があり興味深い。 秀吉は大陸侵攻を企てますが、元々は信長の考えであったらしい。 暗殺されなければイギリスがインドを支配したように、日本が中国大陸を支配していた可能性が有るかもしれない。? しかし平和志向の家康が天下を取り、イギリスと日本、ユーラシア大陸の東西の端にある二カ国の運命は大きく違ってきます。 イギリス帝国は世界を支配し、日本は『一国平和主義』を貫きます。 歴史的にみると、『一国平和主義』こそ世界に誇れる日本の良き伝統のようです。 因みに『鎖国』は幕末に言われ始めた言葉で、江戸幕府は鎖国していません。 イギリスの起こしたアヘン戦争の顛末を幕府は正確に理解していました。
徳川時代の『平和』なるものは,ちょうどある宗教に入って一生暮らす,というような感じがしてなりません.まあ,どんな一生でも一生に変わりはないでしょうが,どうも教祖様の庇護の下に一生暮らす宗教信者の『平和』と同じに見えてしまうのです.教祖様のご機嫌がいい時はものすごく平和ですが,ご機嫌が悪いといつ首を刎ねられるか戦々恐々としていなければならないような・・・
それにしても,鎖国はしてないのですか! 『鎖国令』というのが家光によって発布されたのだとばかり思っていました.ほんとにウソばっかり憶えさせられているんですねぇ・・・ ![]()
『ホロコースト』と言う言葉がイスラエルとネオコンが70年代に作り、世界に広めた政治用語だと知っていう日本人は殆んどいません。(私達の子供の時代には無かった)
『鎖国』も幕末に創作された政治用語です。 家光は幕府による外国貿易の独占をしょうとしただけで鎖国とは全く違います。 それ以後は、幕府管理の長崎、琉球王朝がやっていた明との朝貢貿易、対馬藩の対朝鮮貿易(プサンに日本人町が有ったらしい)、松前藩のアイヌ貿易(アイヌ人は大陸と自由に交易していた) それ以外にも西日本の漁民による倭寇は有名。 江戸時代の武士による無礼討ちは、後からの創作のようです。 人一人殺せば旗本御家人と言えどもただでは済みません。ちゃんとした裁判が有ったようです。 この時代若い女性が一人で、日本中を安全に旅行できました。欧州ではパリやロンドンでも一人で出歩くのは危険でエスコート(護衛)が必要でした。
『鎖国』のこと,ほんとに勉強になりました.『幕府による交易独占』のこtなんですね.ありがとうございます.それから江戸時代のイメージ,私も刷り込まれていたようです.もう少し正確な像を自分なりに掴みたいと思います.
実は早雲さんの記事へのコメントで,武士を恐竜に,それ以外をびくびく怯えて暮らす哺乳類に喩えてしまいました ^^;)
「藩」は現代の「県」を想像していただけば良いと思います。武士は「県職員」です。
村には肝煎りがいて、これが今の市町村長です。 肝煎りも「世襲」ということになっていますが、有る特定の「家」の中からでるだけのことで、生まれで必ずなれるわけではなかったようです。 いくつかの「家」の中の人望、能力のある人物が就任していると言うことです。 村人の生命、財産を預かる訳ですから、気楽なものではなく、調べてみればかなりの人物が苦心惨憺して勤めていたことが解ります。 それから、「ホロコースト」とは「人身御供」の意味ですよ。 誰のための人身御供かは、結果を見れば瞭然でしょう。 ![]()
そうですね。昔の学校(多分今も)は沢山嘘を教えていました。
小学校の時先生が世界最長の大河はアメリカのミシシッピー川である、と教えてくれましたが地図を調べると、如何しても可笑しい。 先生に指摘するのは恐ろしい(当時の先生は間違いを認めない) 父に疑問を言うと、『其れはアメリカが天下を取ったからで、中国人が天下を取っていたら揚子江が世界一の大河になっていた』と答えてくれました。 あの時から、性格が疑い深くなってしまいました。
早雲さま 江戸時代の百姓の実態に関する情報は,ほとんど白土三平の漫画『カムイ伝』でしか知らないことに気付きました.普段は(というか飢饉などではない時)には結構豊かに(物質的にも精神的にも)暮らしていたのかもしれませんね.
『肝煎り』って庄屋とか名主のようなものでしょうか. ところで,現在の辞書では「ホロコースト」って「大虐殺(特にユダヤ人の)」としか出てきませんね.原義は「人身御供」だったのですか.大量の「victim」を「holocaust」と言ったのでしょうね.
布引さま 私は地理の勉強が大好きだったんですよ.ただし中学まで.テストはほとんど90点台の好成績でした.地名や川の名前など憶えるのが楽しくて仕方がなかったのです.都市の人口のランキングなど懐かしい思い出です.まだ見ぬ土地を想像していたのでした.
高校になって突然つまらなくなりました.だって,統計資料ばっかり見させられるんですから,まだ見ぬ土地へ想いを馳せることなんてできず,面白いはずがありません.高校地理は棄てました. ところで今は世界最長はやはりアマゾンなんですか?ナイルですか?
早雲さま ホロコースト,ありがとうございます.そういえば以前,そのように聞いた記憶がありそうです ^^;)
江戸時代の「内需中心の経済」で成功した理由に興味があります.そのように目指したからなのか,または運良く閉じた経済系を作る余裕とか豊かさというものがあったのか,ということです. 言い換えると,だれでも内需経済を目指せば成功する可能性があるものなのか,それが成功する社会の豊かさが必要なのか,ということですね.
ヘブライ人やフェニキア人などが新年祭で行った全燔祭のことをホロコーストと言います。新年祭では様々な生け贄が供犠所で捧げられましたが、最大の生け贄が人間だったのです。「初子」や子供、そして、数日間統治者と同じような豪奢な生活をした奴隷などが統治者の身代わりとして犠牲になりました。
全燔祭(ホロコースト)は、共同体=国家に降りかかった災厄の除去を願ったり、共同体や個人が犯した過ちの贖罪としてであり、さらには、共同体の今年の隆盛を祈願するものだったと言われています。 ナチスによるユダヤ教徒迫害をホロコースト(全燔祭)と名付けた人が、どういう贖罪や祈願を考えたかはわかりません。 そして、誰が生け贄を捧げた人たちだったのか、ホロコーストの本当の意味を知っている人たちがどういう目的の生け贄だったと受け止めてきたのかもわかりませんが...。 (ナチスドイツが、薪であり炎であっただけのか、捧げる主体であったかもわかりませんが、ホロコーストの名付け親ではないことは確かです) だそうです。
ユダヤ民族からすると『受難』そのものを『ホロコースト』と呼ぶのでは,受難を避けるための生け贄,という理屈に合いませんね.あるいは生き残ったユダヤ人たちが,神への(最後の)生け贄を捧げて,(あるいは神からの最後の試練を乗り越えて),神から全権を譲り受けたのだ,と解釈するためでしょうか.こう考えると,その後の中東での無法ぶりが説明つくような気がします.
最後の生け贄,とか,最後の試練,の『最後』は不要かもしれませんが,あれほどの大きな犠牲を神が要求したのは,やはり『最後』だからだろう,という意味です. ![]()
実は『ホロコースト』とは膨大な利益を生む産業なのだと言うことが此処に書いて有ります。
何でも反ユダヤ主義──世界ユダヤ人会議のキャンペーンhttp://palestine-heiwa.org/note2/200502180141.htm パレスチナ問題全般はパレスチナ情報センターが詳しいでしょう。 「拉致」報道に「ミサイル」報道――日本のこと(だけ)ではありませんhttp://palestine-heiwa.org/note2/200607051709.htm 『拉致報道とミサイル報道』には思わず唸ってしまいました。! ![]()
何でも反ユダヤ主義──世界ユダヤ人会議のキャンペーン
http://0000000000.net/p-navi/info/column/200501260623.htm アドレスが間違っていました。
布引さま せっかくすばらしいサイトを教えていただいたのに見に行くことができずにすみませんでした。というより,貴重なサイトを教えていただき深く感謝します。
もし教えてもらわなかったら,ユダヤ人に対する私自身の考えが危うくなりそうでした。『だからユダヤ人虐殺があったのだ』などと・・・^^;) ユダヤ人を一緒くたにしてはいけない,というのは,私自身,ずっと前の記事にも書いた,『イスラム教徒を一緒くたにしてはいけない』というのと全く同じでした。危ないところでした。 それにしてもアウシュビッツを食い物にするとはねぇ・・さすがユダヤ人,おっといけない。危ない!危ない! ![]()
papillon9999様
初めてコメントさせていただきます。 「靖国問題」について建設的な議論がされているようにお見受けしましたので、小生も一言。 早速ですが、papillon様は「憲法違反だ」、「神にはなれるはずはない」以上終わりとのことですが、本当にそうでしょうか? まず、「神になれるはずはない」とのことですが、一神教のキリスト教、イスラム教とは異なり、日本伝統の神道の考えには亡くなった人が神になるという考えがあります。国のために亡くなった人を慰霊・顕彰するのはどの国家でもやることであり、米国は米国、中国は中国とそれぞれの宗教観(中国は唯物論?)にもとづいて行われており、日本の場合は神道形式が自然と思います。 また、政教分離のことですが、国家が特定の宗教を布教したりすれば別でうが、首相が伝統的な神道形式に則って靖国神社の英霊を慰霊・顕彰してもなんら問題がないと思いますが。 英霊を慰霊するもっと優れた方法があればご教示ください。
これまで誤って削除してしまいました.再掲します.
Commented by 布引洋 at 2006-08-20 09:27 x 夢十夜様 靖国神社への首相参拝に拘って日本は結果的どうなったか。 政治家は結果責任を問われます。 遠くの国と同盟し近くの国を攻める。 中国の春秋戦国時代ならともかく21世紀に成功する筈が有りません。 良し悪し、好き嫌いに関わらず隣とは仲良くするしかないのです。如何すれば勝てるかではなく如何すれが良くなるか考えなければいけません。 靖国は首相ではなく、天皇の参拝こそが重要なのです。 天皇参拝を妨げたのはご承知のように元福井藩主の松平の孫の永芳が父の宮内庁長官だった慶民の教えも皇室の立場も考えず自分の特殊な政治信条を優先して合祀を強硬しました。
====字数制限のため分割しました========
こんな人物を正確に名前を書くのさへ腹立たしい。適当に書くのが良いでしょう。 彼の考えを靖国カルトと呼でいますが、内容は上記の「日本人お一人』を読めば理解できます。 自分自身が参拝の最大の障害を作った事を理解できず、責任転化無責任の極み。 >スルーしないで最初の問いに答えてね などと意味不明の言葉を発し、天皇を敬うふりをして、天皇ご自身は無視する。 彼等靖国カルト集団を靖国神社から切り離す事が解決策ではないかと思われます。
夢十夜さんへ 他の投稿に紛れて,あなたの貴重な疑問を見逃していました.首相参拝の件に関しては上の布引さんのコメントにある通りですが,その他の部分についてぜひ聞いてください.
『憲法はなぜ政府と宗教との関わりを禁じているのか』 これについてじっくり考えて欲しいのです.日本国民が凶器の戦争へ駆り立てられていった,いや自ら駆り立って行った,その精神構造を形作ったものが実は『現人神=天皇教』とその具体的なシンボル『靖国神社』なのです. だから,単純に『日本伝統の神道の考えには亡くなった人が神になるという考えがあります』という幻想的考えで『靖国に参って何が悪い?』と開き直ることはいけないのです.今後,永久に『英霊にさせられることを防ぐ』事こそが彼らへの本当の慰霊になるのだとぜひ理解していただきたいのです.
それから英霊を慰霊するのに最もよい方法ですが,英霊も原爆で死んだ人も空襲で死んだ人も沖縄戦死者も外国人も(望めばですが)すべて平等に追悼できる施設を作ることです.その様式は当然ながら宗教抜きでやらねばなりません.宗教的に送るのは遺族の個人的な営みです.国がやるべきことは,英霊として散らされた彼らの無念さを悼み,空襲や原爆で苦しんで死んでいった国民たちの無念さを悼み,不条理で無残な死を強制された外国人たちの無念さを悼み,そして二度と繰り返さぬことを誓うことです.
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盂蘭盆会も過ぎましたが戦没者に対する慰霊問題について私見を述べたい。
日本軍将兵の遺骨が半分近く収集されていません。 フイリッピンやニューギニアのジャングルには膨大な野ざらしになった遺骨が眠っています。 撃沈された軍艦や貨物船は全く手付かず状態、海にも陸にも百万人近い日本人の遺骨が打ち捨てられて家族のもとへは届けられていません。 しかし戦後61年経って厚生省は遺骨収集事業の打ち切りを策しています。戦後を終わらしたいのでしょう。 ネットウヨの主張のなかに「中国韓国は無知だ、靖国に位牌や遺骨が有ると思っている』と言うのが有りましたが、なるほどそうかも知れない、日本人が自分達の同胞の亡骸を山河に打ち捨てたままにしているとは外国人にはたぶん信じられないでしょう。 科学技術が進歩し遺骨からでも身元が特定できます。本当に慰霊の気持ちが少しでも有るなら遺骨の収集はぜひやってもらいたい
無念の犬死をそのまま放っておいて何が英霊でしょう!野ざらしになったまま靖国に還れるはずがありません.偽善も偽善,魂が靖国に還ってきていない,還って来れないのは百も承知しているくせに知らぬ顔して英霊を顕彰するなんて大偽善です.
ネットウヨたちって人の文章をちゃんと読んでいないんですね!論理も何もあったものではない,ということがわかりました.何かのセンテンスかフレーズかにのみ反応するのです.大収穫でした. ![]()
死者の亡骸を彼等の家族の下に返さねばなりません。
慰霊の前提条件です。 慰霊とか顕彰とか言う前に、しなければ為らない最低条件です。其の最低条件が軽んじられ亡骸は野辺に朽ち果てようとしています。 年寄りでも悲しいのに若い肉親を失った家族の悲しみは計り知れません。 遺品に付着していた髪の毛を欲しがった遺族の声を今でも思い出します。数本の髪の毛でも彼等にとっては意味が有るのです。 自分達の仲間をどんな事をしても家族の下に返す義務が有るのです。 戦争初期には遺骨を家族に返して、靖国に祭っていたのですが、中期以後はぼろ負けで遺骨どころでは無くなり、白木の箱に石ころでごまかした。政府は此れからも靖国程度の話で誤魔化し通けるつもりでしょう。 ![]()
papillon様
久しぶりで覘いたら丁重な返事をいただいており、有難うございました。 ただ、小生は、戊辰戦争以降、国家のために戦歿した人々を慰霊し顕彰することは、我が国として継続していくことは重要だと考えております。もちろん、戦争で犠牲になった一般の人々、当時、敵国であった兵士などの慰霊を別途、行うことについては異存ありません。 また、戦没者の慰霊を我が国伝統の神道形式に則って行うのは最も自然ではないでしょうか? 慰霊とは文化の面からみれば、宗教行為であり、全くの無宗教の慰霊は成り立たないのではないでしょうか? なんとか工夫してでも継続していきたいものです。
夢十夜さんへ 『慰霊を我が国伝統の神道形式に則って行うのは最も自然』という点,おっしゃることはわかるような気がします.国が国のやり方で慰霊してあげる,ということでしょうか.例えば国民栄誉賞を与える,ということに似てないでしょうか.これは慰霊される人の信じる宗教とは無関係にできそうです.そういう点ではわかる気もするのです.
しかし,問題は神道形式そのもの,というより,そういう慰霊と顕彰を行う国の意図にあります.それを行う目的が,『国のために戦争に行って死んでくれる』ものへのご褒美,そして次の犠牲者を送り込むための『駆り立て』,という所にあると思っています.そういう『意図』そのものが問題と考えます.
その意図が最も十分に達成される方法が,『霊』を使うことです.だから神社という宗教組織になるのだといえます.逆に言えば,そういう意図がなければ,例えばノーベル賞を得た人を神道形式で国がお祝いしてあげる,というのも問題ないかもしれません.それ以外に神道を用いなければという条件付ですが.
もうひとつ逆に言えば,仮に無宗教で行っても,上に書いたような意図・目的で慰霊・顕彰を行うとすれば,これはまた問題となります.今度はそれ自身が宗教化するからです.霊を扱う場合,十分注意しなければすぐ新たな宗教を生み出すことになります. 叙勲なども今は宗教ではないですが,『国への忠誠へのご褒美』,として一種の宗教化が起こる危険性があります. 国が慰霊を行う場合,『もう二度と繰り返さぬ』,『犬死させて済まなかった』という意図で行わなければならないのです. ![]()
PAPILLON様
丁寧な解説有難うございました。 しかし、明治以来、国家のために亡くなった英霊を慰霊・感謝する仕組は国家が存続していく限り、必要と考えております。 これを「政教分離の原則に反する」とか、英霊は「神になれない」とかいうことでなく、明治からのことかも知れませんが、なんとか伝統を大事にして続けて行けないかということです。 このエントリーでのコメントはこれで終わります。有難うございました。
夢十夜さま 『国家のために亡くなった英霊を慰霊・感謝する仕組は国家が存続していく限り、必要と考えております』という点,なぜそう思われるのかをもう一度考えて見てください.それから,それがどういう意味を持つのか,どういう影響を持つのかについて,考えを教えてください.
そして,『「政教分離の原則に反する」とか、英霊は「神になれない」』というのは,最後にまとめればそういう言葉になるということだけど,どういう過程でそこまでたどり着くのかを説明しました.いきなり,そういう言葉を持ち出して,それだけで批判しているのではないことを元から考えてほしいのです. よろしければこれからも有益なコメントをお願いします. ![]()
「靖国教」でググったらこちらに行き当たりました。
「栗原利一」でググっていただければ父(栗原利一)の幕府山の虐殺という南京事件の現場の話に行き当たります。 戦前の天皇主権国家で国のために亡くなった方は「靖国神社」に奉られて構わないと思うのですが、戦後の国民主権国家で国のために亡くなった方はどのように死後讃えればいいのでしょうか? そういう方たちを特別扱いする必要は無いということなのでしょうか? 国民のために犠牲となった人達をたたえる無宗教の施設が必要だと思います。 警察官、自衛官、消防員などを対象にすべきだと思います。 |