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野党一本化がほぼ不可能な理由(3.野党共闘のジレンマ)
2017年 11月 29日
シリーズ最後となる予定だが,第3弾として野党共闘に存在するジレンマについて考える。これは国民主権を確立するムーブメントにおける日本共産党の問題と言い換えることができる。
(以下,面倒くさいのでリベラルと呼ぶことにする)である。それなのに,リベラル市民層にとって日本共産党が一定の侮れない勢力を持ち続けていることは,一種の不幸であると言わねばならない。つまり,日本のリベラルにとっては,日本共産党が『共産党である』ことは不幸なことなのである。 この記事では,その理由について日頃考えていることを書かせて戴く。共産党関係者,支持者にとっては決して心地よくはない論調となるかも知れない。だが,あくまでも非難ではなく現状分析のつもりであり,決して日本共産党の主権を侵害しようというのではない。 また,身近の親しい人の中には共産党員もおられて,個人的には非常に優れた人格の持ち主であったりする。従って,共産党関係者個人に対しては何ら悪感情を抱いてはいないこともお断りしておきたい。どうか,この記事に対しては,現状分析の当否のみを批判して頂きたい。 このシリーズ1で書いたように,立憲民主党は前回の民進党以上の1,100万票を集めたわけだが,その中には前回日本共産党へ回っていた166万票が,立憲民主党へ回帰した計算になる。そう,その一部は立憲への同情も含まれていたかもしれないが,多くは回帰だろう。つまり,この回帰票は本来の意味での日本共産党の支持票ではなく,これまでの民進党がリベラルと保守反動の呉越同舟状態だったから,安心して行くことができなかった票だと考えられる。 別の観点からすると,有権者は同じリベラルでも立憲民主党と日本共産党を明確に区別していることになる。政党が違うので当たり前じゃん,と言うのは当然だが,では逆に問う。なぜ別の政党なのか?もし同じリベラルならば,なぜ別々の政党を構える必要があるのか? そりゃ,リベラルとは言えすべて同じとは言えないから別々の党を構えることが必要だわ,なのか? しかし,一人一人の考えは千差万別であり,それぞれに党が必要となれば,党の数はほぼ人の数だけ必要となる。だから,現実的にも戦略的にも,小異は昇華出来る範囲で大同団結し,その結果が政党なのだろう。 民進党は分裂すべきという記事を以前書いたが,分裂すべきほどの隔たりがあっても,一つの政党に集合していたわけである。これに対し,立憲への回帰票があるように,民進党内部の隔たりよりは,立憲⇔共産党の隔たりの方がむしろ小さいような気がするのである。何しろ,民進党の一部保守反動派はリベラルには入らないのだから(入れてやらん!)。 さらに前置きを続けよう。 こう考えてくると,では,立憲と共産党の間の隔たりは本当に小さいのだろうか?という疑問に突き当たらざるを得ない。 それを考える前に,小沢一郎が構想した全野党共闘(オリーブの木)を考えてみよう。その構想はこの隔たりを温存したまま,自公に対峙するというものであった。しかし,民進党の一部はこれさえも拒否し,結果的に希望騒動から立憲誕生にまで至ったのである。全野党共闘の挫折は,民進党の一部の反動勢力と日本共産党との隔たりからして何の不思議もなかった。 では反動勢力が去った今,立件と共産は隔たりは小さくなったのだろうか?実はそうではないのである。立憲のリーダーである枝野代表は,日本共産党との共闘についてどのように発言しているか。枝野発言によれば慎重,あるいは消極的,と言って良いスタンスだと理解している。 これは同じリベラルと見えても,実は大きな隔たりが存在していることを示している。ではその隔たりとはどういうものなのか,それを記すのがこの記事の目的である。共産党が党名を変えずにいること,他の野党と合流できないこと,それらの謎がすべて氷解するだろう。 前置きが長かったので解答はひと言で言おう。共産党の実質的なミッションは党の綱領を広めること,これに尽きるだろう。言い換えると,共産党は政策の支持と同時に,共産党の綱領をも支持してもらいたい,そういう活動を行っている,とパピヨンは言いたいのである。あるいは,共産党の活動とは,党の綱領を支持するとこのような政策が実現されますよ,という活動なわけである【注参照】。 日本のリベラルが国民主権確立のムーブメントにおいて不幸であると冒頭書いたのは,国民主権確立の政策実現が共産党綱領の受入れとセットにされること,セットにしたい勢力と一緒に実現しなければならないこと,その必然の帰結として,同じリベラルの立場でありながら,選挙協力の約束が無い限り当然のごとく別途に候補者を立てる,そういう状態を言いたかったのである。共産党が躊躇なく当選目的ではない立候補(ほんとに邪魔なんだが)を行えるのも,政策実現のほかに綱領も売り込むミッションのためなのである。 パピヨンは実質的に共産党の綱領が現実的になる可能性がゼロの状態なので,綱領を広める活動ということは無視して構わないと思っている。従って,共産党との共闘も積極的に推進したいし,共産党の共闘への参加は大いに歓迎したいのであるが(ただし,無意味な立候補はぜひやめて下さいネ),多くの共産党排除主義者は無意識にその活動に拒否感情を抱いているのだろうと推測している。尤も,排除主義者の大部分は,共産党の綱領など読んだこともないだろう。単に先入観による共産主義への忌避感情に過ぎないだろうけど。ただし,綱領が現実的になる可能性がゼロの現在においては,この忌避感情自体を正当化しているのではないことは理解してもらえるだろうか。 【注】どの党にも綱領に相当するものはあるが,やはり共産党のそれは非常に特殊なものである。大変すばらしい理念が並べられているものの,最終的に社会主義・共産主義の社会を目指すことが明記されている。ここから先は好みの相違に過ぎないことであるが,パピヨンは共産主義の思想には共感できない。それによると,共産主義への道のりというのは国民大衆が自ら道を探して行けるものではなく(国家のかじ取りが非常に難しい),指導者(集団)を必要とすることになっている。その指導集団が共産党なのである(以前に,労働者階級を解放するのは労働者自身ではない,という記事を書いた)。 共産党の綱領にある共産主義が,ここに書いたような共産主義とは無縁のものとは言わせない。共産党という党名そのものが,それを表わしている。だからこそ西欧諸国の共産党は,イタリアを除き指導の立場を放棄して党名を変更したのである。(というのはうろ覚えですので,間違っていればご指摘くださいネ)。くどく書くと,指導の立場を維持⇒共産党名の維持,指導の立場を放棄⇒共産党の党名を変更する,という図式が成り立つのである。 志位委員長の今回の総選挙総括で,党の綱領をもっと浸透させたい,と述べていたと記憶するが,残念ながらこれほど逆向きの反省は無い。だからと言って,綱領を廃棄すれば共産党ではなくなるし,綱領を棚上げしますなんてことも言えないだろう。もし棚上げすれば別の批判が飛んでくることは必定。何よりコアな共産党支持者が黙っていないし,綱領隠しなんて批判も予想できる。共産党のジレンマだ。
by papillon9999
| 2017-11-29 11:38
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Comments(11)
共産党の志向する政治体制は労働者階級のことを考えていると称する「指導者階級」(知的選民)による独裁です。
プロレタリア独裁じゃないです。 しかも、共産党はそれを「民主集中制」などと欺瞞的にネーミングしているわけで、これはもう時代錯誤としか言いようがないです。 というのも、ロシア革命の頃は字が読めないいわゆる「文盲」の人が多くいたので、そういう貴族政治みたいな体制にせざるを得なかったわけですよ。 それをどうしていまだに変えようとしないのか?さっぱりわかりませんね。 三代続けて東大出の党首を担ぎ、学歴の高さを売りにしていることと関係があると私は見ています。 その点、米国のサンダースははっきりと民主主義を政治体制とすると言い、社会主義はあくまでも経済体制に過ぎないと言ってますからね。 まあ、とにかく、日本の共産党は世界の共産党の中でも古いタイプに属していますからね。 なかなか変わらんでしょう。
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papillon9999 at 2017-11-30 09:39
>プロレタリア独裁じゃないです
全く同じ見解です。 >社会主義はあくまでも経済体制に過ぎない 国民主権が確立された社会では,どうしても政策は社会主義的になってしまうのが,その理念からして必然でしょう。全く同じ見解です。 >なかなか変わらん 全く同じ見解です。(^.^)
亡くなった上田耕一郎さんはユーロコミュニズム派だったと聞いています。
だから、上田さんが党首になってたら、ずいぶんと変わってたと思うんですがね。 しかも、そういう路線論争を幹部だけでやっていて、党員は何にも知らされないのですよ。 党員は完全にバカにされています。まるで創価学会と同じ。 党内民主主義すら確立できないようでは、民主主義を語る資格はないでしょう。 もっとも、それは共産党に限らず、日本の左翼は米国思想史を勉強してる者などを除き総じて民主主義を理解できてないと考えて間違いないですよ。 具体的には枝野(革マル系)、辻元(赤軍系)、福島(中核系)といった連中も期待できないでしょう。 というのも、「餓死者がゴロゴロしてる状況で民主政治も人権もない」との主張が左翼のベースにあり、法思想を軽視しているからです。 マルクスはルソーらが築き上げて来た法思想の上にマルクス経済学を打ち立てたのではなく、別途に経済思想というものを立て「経済は下部構造である」として法思想への優位性を主張しました。 そして、その言葉が社会主義国家の人権侵害を正当化してきたわけで、そこを批判して訂正しないといけないのですよ。 でも、日本の左翼ではマルクスは神格化されていて、「マルクス主義」というよりはマルクスを教祖とする「マルクス教」みたいになってますからね。 つまり、私が今ツイッターで内田樹を題材に展開している日本の権威主義的体質の問題がからんでくるわけです。 たぶん、日本の左翼にはマルクス批判はできないでしょう。 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 もっと一万円札のオッサンに学ぶきですよ。
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at 2017-12-01 22:30
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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papillon9999 at 2017-12-01 22:50
大変鋭いご指摘です。興味深い論点がたくさんありますね。大体において同意します。
ひと言でいえば共産党に限らず,55年体制が持っていた欠陥(我々が代弁して言ってやる)であり,いまだに克服されてないのだ,と言えないでしょうかね。 わかりやすく文章化するにはこのコメント欄では無理そうです。記事としまとめたいと思いますが,いつになるか・・・
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papillon9999 at 2017-12-02 08:49
ひょっとしたらご指摘とずれていくかもしれませんが,もう少し試みます。55年体制下では,共産主義というミッションを意識しない者でも,護憲派という国民の大軍を率いるという大業を自覚していたのでは。
そして,護憲を言うだけで自らの安定的,指導者的位置を占めることができたわけです。 55年体制が崩壊した今以って,指導的立場の意識を持つ人たちがいるのでしょう。実際に,あちこちの講演に呼ばれて講演するだけで,運動の目的を実現するための一兵卒となるわけではありません。 また国民の側でもそれを有り難がるという傾向があります。 指導者という位置ではなく献身的な運動者というイメージで飯が食える,きくちゆみさまのような方もおられましたがね。サヨクも儲かるんですよ。
日本の不幸は確固たる民主主義勢力(民主主義ラジカリスト)がいまだに存在してないことですよ。
新「民主党」が誕生した時にはそれを期待したのですが、もう全然で。 今は山本太郎にその中心になることを期待してますけどね。 何よりも彼は高卒で選民意識を持ってない点がよいです。
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papillon9999 at 2017-12-02 22:38
山本太郎はパピヨンも期待しています。草の根民主主義にも期待しているのですが,それを紡ぎだしていくのも,市民自らの責任ですよね。山本太郎への期待も,その手助けを期待することぐらいでないといかんわけです(カリスマ視してはいかん)。
そういう行き方とは全く逆に、一気に政権を取って友愛の世の中を作り上げてしまったのが鳩山政権だったと評価しています。(この時の武器は小選挙区制) これは一種の民主的革命というべき重大事件だと思いますが,いわば上からの革命だったわけでして。 せっかくのものを国民が(左翼も一緒になって)寄ってたかって引きずりおろしたわけですが・・・草の根でなかったために脆かった。 そういう意味で草の根を確固たるものにしていかねばならないのですが,論理的な思考が苦手なわが国民に取っては非常に困難と思う次第です。 日本会議のように地道な草の根活動が本当に必要ですね。 だけど,椛島有三氏のように名誉も金も要らんという神国思想に基づく使命感はもはや宗教のステージというべきであり,護憲がそういう宗教に陥ってはいかんわけです。境目を見分けるのは難しい。
鳩山政権ができた時は政権が変わったことを国民にわからせることをいっぱいやると思ったし、自民党政権時代の悪党どもを次々と逮捕なんてことも期待したし、いや、どこの国でも政権が変わるとそういうことをやるのですが、これといってなかったでしょ。
せいぜい目立ったのは「事業仕分けショー」くらいですか。 あれじゃ、国民は「なんだ、政権が変わっても同じじゃないか」と思ってしまうわけですよ。 しかも、菅政権では震災と原発事故が起きて、例の枝野官房長官による「ただちに…ない」との枝野話法が登場し、日本の情報公開度ランキングが自民党政権時代よりも落ちてしまったのですから、もう、トホホホですよ。 国民が既成政治にうんざりするのは当然ですよね。 こういう状況下ではヒトラーみたいなのが出やすいので気になりますし、それを防ぐにはヒトラーではない魅力的な民主主義政治家が先に出ることが必要でしょう。
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papillon9999 at 2017-12-03 14:23
鳩山政権は,さてこれからという時に,小沢一郎とともに寄ってたかって引きずりおろされたという認識です。
そのあとを承けた菅直人や野田は,本来の鳩山政権とは完全に逆の内閣でした。要するに裏切者です。 鳩山政権を寄ってたかって引きずりおろした実績から見て,たとえ魅力的な民主主義政治家が現れても,それが真に民主的,国民主権至上価値を奉ずる政治家であればあるほど,支配層というかそれが困る勢力はまたあることないことでっち上げて,その政権を引きずりおろすよう国民を扇動することでしょう。 そのような扇動に乗せられないよう,国民一人一人が成長しなくてはなりません。そういう意味では鳩山政権は時期尚早というべきかも。しかし,そういう時が果たし来るのか?
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at 2017-12-07 15:15
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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