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アルバイシンの丘
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随想や意見,俳句(もどき)

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フランス紙銃撃テロの悲劇と表現の自由
 今度は悲劇的なテロとなって市民社会を揺るがした。パリのある新聞社がイスラム過激派に襲撃され,十数名が犠牲になる惨劇が起こってしまったのだ。確実な情報を得たわけではないが,どうもその新聞社はイスラム教における預言者・ムハンマドをからかい,風刺する漫画を継続して載せていたのだという。そして,犠牲者の中には,その漫画作者も含まれているのだそうだ。
 『今度は』大惨事となった。実は過去に非常に良く似た出来事があった。それはブログを始めてすぐのころ書いた次の記事の中にある。




 ・イエスキリストの悪口の広告 2006年 02月 08日

読めば思い出してもらえると思うが,当時,デンマークの新聞社がまったく同様に,イスラム教における預言者・ムハンマドをからかい,風刺する漫画を掲載したのだ。怒ったイスラム教徒の何人かがインドネシアかどっかのデンマーク大使館に放火したのだが,幸いなことに死者は出ず,デンマーク当局の謝罪を以ってこの問題は終息したという風に覚えている。
 そのからかいの様子は上記拙記事を読んでいただけばわかる。今回のパリの新聞社の風刺もこのイメージで捉えているが,当たっているだろうか?
 もし当たっているとすれば,実に残念なことである。この新聞社と作者が,『表現の自由』というものを履き違えていた(いる)ことがである。また,このテロに対する抗議デモが各地で起こっている様子もテレビで伝えられたが,その抗議は当然として,その内容は『表現の自由を侵害するな!』という趣きが強かった。プラカードにそれが書かれていたからである。これも履き違えている。また,あろうことか,風刺作家たちも負けずと,ムハンマド風刺になお燃えているらしい。これも間違いだ。

 『表現の自由を履き違えている』と指摘する根拠・理由は次の記事を読んでもらいたい

 ・正当な批判と悪意ある挑発の間 2006年 02月 10日 

Lexarさんは言った,
・”マホメットはイスラム教最初のテロリストでもあります。暴力のモノをいわせるのは、イスラム教の伝統です”。
・”デンマーク人はマホメットがテロリストであったという考えを持つ自由があり、デンマーク国内でそれを表現する自由があるのです。
・”それぞれの新聞が、誰を風刺の対象とするのか、決める権利があります。表現の自由は当然、表現者の都合の良いものになります。それは当たり前のことです。自由なのですから。

これらの主張をパピヨンは認めることができなかった。
・”コーランに何が書かれていようと,イスラム教徒=テロリストということはできません
・”言ってはいけない,というのは言う権利を使わせない,という意味ではなく,そういう低レベルの言論は恥ずかしいぞ,やめとけよ,という意味なのです.
・”仮にイスラム教側が実力が強く,キリスト教社会を圧迫していたら,多分キリスト教徒=テロリストと言いたくなるような状況が生じているかもしれません.

 今回図らずも明らかになったことは,未だにこの種の履き違えと一緒くたにする偏見が修正されていないということだ。再度繰り返さなければならないのは誠に残念だが,改めて書いておく。

 ・言ってはいけないことがある。それは自由に表現する権利を奪うという意味ではない。そういうことを言ったら恥ずかしいぞ,やめておけ,という意味である。それによって,相手からの全人格と生存を賭けた反撃を覚悟しなければならないこともあろうし,何よりその人の知性と人格を自ら貶めることになるぞ,という警告である。

 これ以上,表現の自由ということについて,以前の記事に書いたことをここではもうくどくどと繰り返すまい。そして今回もまたテレビに映ったが,惨劇の現場に花束を持って追悼に訪れた無辜のイスラム教徒の娘さんの涙交じりの悲しい表情が印象的であった。

 ・”過激派は私たちも許すことはできません。心から犠牲者の人たちを悼みます。(趣旨)”
 ・”あのような揶揄・風刺は私たちも非常に悲しい(傷ついているという意味)です。(趣旨)”

 イスラム教徒を一緒くたにしてはいけない(従って,ムハンマドそのものを憎んではいけない)ということは次の記事に書いている。ブログを始めた直後と言っていいだろう。

 ・聖典の不思議 2006年 02月 03日 

 末尾になったが,念のために厳格に宣言しておく。本記事はA(たとえばテロリスト)も悪いがB(たとえば新聞社)も悪い,と言った式の,同じ地平に立った両成敗論を展開しているのではない。一方的にテロリストの方が悪いのである。その上で,無用な惨劇を繰り返さない為に,Bの側により高度の知性を求めているのである。悪さの程度において,テロの悪魔度は比較にすらならない。間違わないでください。

by papillon9999 | 2015-01-11 18:23 | Comments(6)
Commented by IWJジャーナル at 2015-01-15 08:20 x
小生は岩上安身の文明の衝突ととらえるよりも、表現の自由の履き違えとする貴殿のとらえ方を支持します。
でもこの岩上安身のジャーナルを見ると、風刺漫画自体は高い芸術性を持っていますね。
Commented by papillon9999 at 2015-01-15 18:56
コメントありがとうございます。ご紹介のジャーナルを無料部分だけ覗いて見ました。
引用してあったので風刺漫画とやらを初めて見たのですが,なるほどすごいセンス(が良い)と思いました。例えばムハンマドが『愚か者に愛されるのはつらい』と嘆いている作品です。
ひょっとしたら,ほんのたまにこのような作品を載せるのであれば,反応はまた違ったかもしれないと思いました。ただし,ムハンマドは偶像化しないで,天から聞こえるような感じで。
それだと一般の無辜のイスラム教徒を傷つけることは,あるいはなかったかもと・・・
過激派そのものを風刺することは,それこそ過激派と戦うための表現の自由です。境目は・・・あいまいです。でもそれは仕方のないことだと思います。
Commented by yamasaki at 2015-01-19 08:43 x
日本人で表現の自由に賛成する人は、天皇に対する揶揄を思い浮かべればよい。産経新聞はすぐ怒りだすだろう。
それよりも顕著なのはオイシンボやはだしのゲン騒動だろう。あれこそ正真正銘の表現の自由。
Commented by papillon9999 at 2015-01-19 20:44
コメントありがとうございます。そうなんでした!イエスキリストの悪口なんて,日本人にはさっぱりピンときません。
日本では天皇です!すぐに,今は無き不敬罪とやらで猛バッシングを受けることでしょう。喩えが下手すぎました。すみません。

その一方で,美味しんぼやはだしのゲンへの猛攻撃は,あれこそ表現の自由を奪うものです。
産経新聞の二股の原理は笑止千万です。ありがとうございました。
Commented by 川島 at 2015-01-19 22:42 x
なかなか明快な意見ですが、ゴールキーパー川島の4本手の風刺はどうですか?許される?許されない?
Commented by papillon9999 at 2015-01-20 09:21
コメントありがとうございます。
その風刺漫画は覚えています。もちろん,日本の放射能汚染を皮肉ったものですよね。当時私は非常な名作だと思いました。

さて,この問題は明快に論じるには少々複雑な様相を呈していると考えます。
まず,この風刺が許されないとするといったいなぜでしょう?放射能の所為で奇形が生じた人を傷つけることになるからでしょうか?
ここで重要な点は,放射能の所為で奇形が生じることがあるという事実です。その事実があるので,このような心配が生じるのでしょう。
ここで間違っていけないのは,そういう事実を述べることと,それを題材にしてからかうということを混同することです。
前者については,事実であることの公表でありますから,なんら表現に制限が加えられるべきではないです。事実の隠ぺいをなくすことが,被害者も遠く救われる唯一の道です。補償への第一歩なのです。
一方,後者はやはり問題ですね。しかし,それを批判する資格のある人は,その事実(放射能被曝で奇形を生じることがある)を認め,二度と繰り返すべきではないと思っている人のみです。
現在の私ではこの程度の考えしかありません。