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光市事件とイラク人質事件
2006年 04月 20日
高遠さんたち三人がイラクで捕虜になった時,家族の一人(お兄さんだったかな?)が人質解放のためカメラの前でイラク撤退を声高に要求したことがあった.これに対し,イラク派兵賛成者を中心としてものすごいバッシングが起ったと思う.轟々たる非難は,その家族だけではなく,三人の人質たちにも向けられた.
人質たちに対しては,あんな危険な所へ行った方が悪い,自己責任だ,という趣旨だったと思う.一方,その兄に対しては何の理由であったろうか.「自己責任なのに,偉そうに要求するな」,というのもあったろうし,「命の重さということを楯にとって,イラク撤退などという大それた要求をするな」,「(人質の家族という)特権意識丸出しで偉そうなこと言うな」といったものではなかっただろうか. 私はこの時,「あんな風に言って大丈夫かな」と心配した.決して不快感は無かった.しかし,人質の命は瀬戸際で家族は必死だったろうが,イラク撤退は問題が大きすぎるので,ちょっと無理ではないかなぁと考えていた.さーて小泉はこの命の重さとどう対峙するのだろうか,さすがに悩むんだろうなぁ,と多少意地悪な気持ち(イラク派兵なんかするからこういう悩むことが起きるのだ)でもって事態の推移を固唾を呑んで見守っていた.ところが何のことはない,悩むはずも無くいともあっさりと要求を無視した.ああやっぱりそうか,と妙に納得したのだが,この時,小泉の子供(かけがえのない人の意味)が人質だったらどうしただろうか,ということが大変知りたかった. この時の私の立場は(本当に心配したものの)無論傍観者のそれであった. この記事を書いたのは,愚樵さんを初めとして本村氏に共感できない,という方々がおられるからだ.いや,そういう方がおられてもちっとも不思議ではないし,まして非難しようというのではない.その理由が私にはどうしても理解できないのだ.私の論理力が乏しい所為なのはそうなんだろうが,私はその理由をぜひ自分の頭で理解できるまで到達したいのだ.それに納得するとは限らないが,私はまるで意味がわからないのだ.そして,何度か質問して,やっとある命題までたどり着いた.それは, 「自分の家族がかけがえのないものである」ことは普遍化できない.」 その理由は 「同情はしても、この瞬間に彼が感じている喪失感は共有できないから」 というものであった.従って,声高に自分の家族を殺した犯人に極刑を求める本村氏には共感できないし,人によっては不快感を感じる,という反応を誘起するのだという.この理解でいいのだろうか. もしそうであれば,この反応は上に書いた高遠さんへの世間の反応と同じではないのだろうか.「俺の家族は殺されたんだぞ!」という「特権意識」に不快感を感じたものではないのだろうか.そして,「所詮,あなたの家族の「かけがえの無さ」は共有できないのだから,声高に叫んでも無駄だ」と言いたいのだろうか. 再び,もしそうであれば社会的正義を実現する運動はできないのではないだろうか.いくら水俣病の不条理さを訴えても,所詮は自分が水俣病でない限り「共有できない」から運動はやれないのだろうか.あるいは水俣病でない人に訴えかけるのは無駄だ,ということにならないのだろうか.被爆者はそうでない人に伝えられないのだろうか. この回答がどうしても知りたいのだ.それからもう一つある.どのようにして,今の論理の流れから(つまり喪失感は共有できないのだからという理由で),犯人の死刑はできない,という所に行き着くのだろうか(一般的な死刑廃止論からではなく).この論理的な必然性も理解できないのだ. 私は思う.高遠さんの兄は素朴に信頼していたのだ,社会を.たった一人の命だけど,それをイラク撤退よりも重く受け止めてくれるはずだ,と.まさか「命の尊さ」を楯にとって要求することが「胡散臭い」などと思われるとは思っても見なかっただろう. 本村氏や他の理不尽な被害者達は確かにローカルな個人に生じた問題だが,誰でもがその「個人」になる可能性を持っている.そういう意味では「普遍的」なことだと思う.それを「普遍的」に捉えて,信頼に応える社会が欲しいと思う. 取り急ぎ書いているので,論旨がどうなっているか全然見えない.もっと書きたいが,あとはまた一旦頭を冷やしてから書こう.今日の最後だけど,愚樵さんの記事に集まるコメントの中には気になる論調がある.それは,仏教的無常観・虚無感を被害者に押し付けているように感じられるものだ.いわく,『本村氏には「執着の大きさ」が見受けられる』,『あわてなくても人は例外なく死ぬ』といったものだ.恐らく,愚樵さんの名言,『そう,あきらめるしかない』が大いに影響したものと推察する.この名言はいいとしても,宗教観を以て批評すべきではないと思う.これは慰める時に必要なのだ.今日はここまで.
by papillon9999
| 2006-04-20 22:41
| 済み
|
Comments(36)
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アルバイシンの丘さま、こんばんは
あなたは大きく誤解されているようです。 >仏教的無常観・虚無感を被害者に押し付けているように感じられるものだ とありますが、無常観は全く虚無感ではありません、むしろその正反対のものです。 全てを有りの儘に受け止め、その上で全力で今この瞬間を生きろということです。 私的な経験ですが、父を殺されて、感じたのはとてつもない喪失感です。恨みなどの出る幕ではありません。誰によって、どの様に等と言うことも意識に上りませんでした。どうでもいいことでした。裁判を戦う等の気力もありませんでした。 愚樵さまの所では書かなかったのですが、本村様の苦悩は実は家族を守れなかった自分を責めて、責め続けているからと思いますです。それによってとてつもない喪失感と戦っているのです。ですが、もしも死刑を勝ち取ったとしてもその後には、棚に上げてあった「とてつもない喪失感」が待ち受けています。神ならぬ身ですから家族を守りきれないことはあるのです。それを納得し、喪失したことを認め、その事実を抱えて生きて行くしかないのです。犯人がどうなろうと彼の「かけがえのない」ものは戻りません。本村様が本当に不憫です。
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早雲さまへ 今飲み屋さんから戻ってきて拝見しました.ありがとうございます.無常観は宗教的な慰めに通じ,虚無感はそうではない時の無常感というような意味ですが,無造作に使っていたかもしれません.少し丁寧に考えて見ます.実は長くなって論理の収拾が着かなくなりそうなので端折った部分に次のことがありました.
「・・・逆に怖ろしいことが浮かんだ.むしろ簡単に死刑が連発されたとしよう.被害者の遺族は要求が満たされないことで却って生きる意味が見出せているのかもしれない.それが簡単に満たされると喪失感と直面せざるを得ない・・・なんともやりきれない無常,虚無を感じる・・・」 ここでも無常と虚無を無造作に使っていますが,そこは別にしていただければ少しは早雲さんのおっしゃることと通じているでしょうか. ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
忘れそうなので続けて書いておきます.復讐のために死刑が実現され,遺族の願いが成就したとしても,それはその時までのもので,結局は喪失感,無常感に直面せざるを得ない,従って,死刑になろうがなるまいが遺族は結局は救われたことにはならない,よって死刑そのものも無意味のはずだ,ということでしょうか.また明日考えます.
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イラク人質事件で最も需要なのは、被害者(被害者家族)を守ると言う当然のことを日本がしなかった事です。政府とマスコミが一丸と成って被害者(又は家族)を攻撃すると言う、世界的に見ても有り得ない事が起こりました。彼らは溺れている人に浮き袋を投げるのでは無く、石を投げたのです。理由は何か。決して家族の態度が悪かったから、では無い。政府に無理な要求をしたからでも無い。
要求の与えるインパクトが問題なのです。「今イラクで何が起きているのか」を国民が知る!!此れが問題なのです。『真実を国民の目から逸らす』目的のため、仕掛けられた謀略,此れが事件の真相です。家族がイラク撤兵ではなく、北朝鮮制裁を要求すればマスコミは大いに持ち上げたでしょう。 ![]()
以前友人に送った個人メールですが載せて下さい。
小さい子供に対する犯罪が連日マスコミを賑わし、明らかに模倣犯と見られる事件も起こり世間が騒然としている。一人の幼い少女の命が失われたことは誠に悲しい、新聞テレビ等は何日も大問題として取り上げ報道しつずける。世の親にとって少女の死はとんでもない犯罪で社会にも大影響がある。全く正しい、まさに正論。しかし! 労働災害でいくら死んでも、過労死でいくら死んでも何も言わない、働き盛りの男が毎日100人以上自殺しても何も言わない。規制緩和と言う、大量殺人が横行している、責任者出て来い! 人は死ぬと書いたのは宗教的意味合いではなく、事実を書いたつもりだったのですが、言われてみると,そうとも取れますね、取り消します。
布引洋さんへ 私の考えを進めていく上で大変有意義なコメントありがとうございます.まず上のコメントですが,『家族がイラク撤兵ではなく、北朝鮮制裁を要求すれば』,つまり政府の都合のいい方向に国民の目が向きそうな時は持ち上げ,逆の時は徹底的にバッシングを起こす.ほんとにマスコミは完全に敵に廻りました.
『労働災害でいくら死んでも、過労死でいくら死んでも何も言わない』これも悔し涙が出てきます.これをまとめた優れたルポ本はないでしょうか.私自身,まだほんとの実態をよく知らなくてもどかしいです. 』,『あわてなくても人は例外なく死ぬ』は布引洋さんの発言でしたか.いや,どなたがどんな発言をされたか,というのは問題ではないと思います.全体の論調の例として挙げさせていただいたものです.この論調の言葉は,言う時期によっては被害者をいたく傷つけるのではないかと心配したからです. ![]()
死者に対して私達生き残った者達は決して傍観者ではあり得ず、数々の責任を共有するものです。家族を犯罪で失った人は少数ですが、その他の理由でなら、失っています。此れまでに家族を失わなかった人は唯の一人も居ません.それが老人であっても家族の喪失感は大きいものです。「あれをして置けば」「此れをしていれば」残された者たちは後悔します。ましてや若い命であれば。
想像する力が私達には有ります。例え経験が無くとも私達は共感し合えるのです。本村氏の苦悩も、早雲氏の喪失感も、水俣病患者の怨も、従軍慰安婦の恨も、遠く中東でイスラエル軍戦車に石を投げるパレスチナ人少年の絶望感さえ共有できるのです。確かな想像力さえあれば、社会的正義の為に連帯できます。
布引洋さんへ 『想像する力が私達には有ります』以下はまさに私が言いたかったことです.だから,『当事者でなくても』共感,共有は可能ではないか,と思って,しつこく愚樵さんの考えを確かめたかったわけです.愚樵さんの言いたいことは,こういうこととは全然別のことなのでしょうか?そこがよく読み取れないのです.布引洋さんはどう思われたのでしょうか.今から外出しますが・・・
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殺人事件とイラク人質事件を一つの枠で扱う事は無理が有ります。7年前の殺人事件(被害者は死んでいる)と人質事件(被害者の救出が最大の問題)を同時に話すのは、あまりに乱暴です。人質事件は、今の日本社会の抱える深刻な病状を考える上で、重要な鍵となります。上記のメールはタクシー会社労組役員をしている友人に当てたものですが、2002年以降何と、わずか百数十人の職場で毎年必ず数人が仕事中に死亡しているそうです。
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当時者でなくとも共感、共有は可能です。(ただし正常な判断力、想像力が有ること) これから書く、私個人の考えは、取り様によっては反感をかうかもしれません。本村氏なら怒るでしょう。
指を2本失ったら残りの8本で何とかしなければ。片足を失くしたら一本足で歩かなければ、失ったものを悔やむより残った者を大事にして、生きていかねばなりません。今有るものを大事にするしか方法が無いのです。
アルバイシンの丘さん、こんばんわ。
TBありがとうございます。コメントを差し上げるのが遅くなって申し訳ありません。 今ちょっと忙しくて、せっかくのエントリーに目を通す時間がありません。まだよんでいないんです。「more」をクリックすると読まずにはいられないだろうし...。よく読ませてもらった上でかならずコメントさせていただきますので、しばしお待ちください。
布引洋さんへ 殺人事件とイラク人質事件はどちらも家族にとって『かけがえのない人』が対象になっていて,亡くなった人とこれから亡くなるかもしれない人の違いはありますが,尊い命というものを訴える点では同じと思いました.ただ,前者は個人的な殺人犯による被害,後者は社会的ゆがみの被害者,という違いはあるでしょう.今注目したのはどちらも『命』に関係があるという共通点なのです.でもちょっと私が考えるには荷が重過ぎそうです.
それから,次のコメントですが,いずれ心が落ち着いたらいやでもやっていかなければならなくなります.所詮,いくら同情や共感を寄せても自分自身で乗り越えなくてはならないのは当たり前のことです.早くそこに気持ちを切り替えられるようになることを心から願います.早雲さんの『本村様が本当に不憫です。』が心底胸を打ちます.
愚樵さんへ 過分のお気遣いをわざわざ戴き,ありがとうございます.ちょっと私には荷が重過ぎるテーマのようです.でもすでにこのシリーズ(死刑考)は無駄ではなかったと思いました.それは上の方のコメントにも書きましたが,次のことに自然に気付いたからです.
『死刑になろうがなるまいが遺族は結局は救われたことにはならない,』 これはよく考えたら当たり前のことですが,愚樵さんにいろいろ質問する過程でしっかりと確認することができました.私にとっては新たなステージに到達した気分です. ![]()
私が本村氏の発言に如何しても違和感を感じます。仕方ないとは思いますが、7年前に死んだ家族を今居るように話しています。彼の時間は止まっています。拉致家族の横田夫妻と同じで事件の瞬間に時計が止まってしまったのです。娘は13歳のままで生き続けています。40代の中年女性ではなく、幼い娘が還ってくるのを待ち続けて居ます。どちらも願いが叶えられる事は絶対にあり得ないのです。しかし、どちらも自分達の信念、行動、結果を疑いません。「ぶれない」のです。
私だけかも知れませんが、小泉首相や安部普三を見て感じる不安感。ある種の宗教信者を見て感じる、不安や違和感を感じざるおえません。
最後の『小泉首相や安部普三を見て感じる不安感。ある種の宗教信者を見て感じる、不安や違和感』は,『何かに憑かれている感じ』という表現でもいいのでしょうか.小泉や安倍が憑かれては困ります.しかし,被害者は別で仕方ないと思います.
本村氏も横田夫妻もよく似ているのは同感です.彼らにとっては,早く何らかの『決着』,『区切り』が必要なのでしょう.その意味で,『死刑かどうか』というよりも裁判そのものが早く決着することが遺族(の心身の健康)にとっても何より重要と思います.弁護士も被告を弁護するための最大限の権利を使っていいから,最善の結論に早く到達すべくやって欲しいと思うのです.弁護士の数が十分でないなら法曹界の人間を増やすべきでしょう. ![]()
『何かに憑かれている感じ』とは的確な表現です。
小泉、安部、本村氏、横田夫妻、確かに何かに憑かれています。 この人達をマスコミは熱狂的に支持します。そして反対する人を攻撃します。 今問題なのは憲法改正を心配する良心的人々の無知です。 小泉、安部は批判できても、被害者家族は、自身の良心や知識が邪魔して批判できません。苦しんでいる人に石を投げれ無いのです。善良で在る程、間違いを犯します。 一日百人の自殺者の内,何人が報道されるのか。一人の自殺者の心の中にも本村氏や横田夫妻以上の社会的問題と苦悩が有る可能性は無いのか。懸命に働き過労死した者の無念を誰が代弁するのか。 本村氏をマスコミが支持するのは、少年犯罪の厳罰化に利用できるからです。 横田夫妻は最も利用価値の有る駒です。今日本が右傾化し危機的状況に有るのは、北朝鮮問題が原因です。拉致事件は人権問題で無く政治問題となっています。 残念な事に間違った状況判断では的確な反撃ができず小泉、安部の全面的勝利は決まっています。
本村氏や横田夫妻は訴える場を与えられてむしろ恵まれているのではないか.それは政府やマスコミの大きな意図(陰謀)が隠されているからではないのか,ということですね.一方,日本中の職場やその他には,不幸・不条理な目に遭っている人々がたくさんいるのに,何一つ採り上げようとしない,それは宣伝の利用価値がないからだろう,とおっしゃりたいのですね.ようやくわかったような気がします.
表向き『犯罪』とはならなくても,小泉・竹中のやってきたことは『犯罪的』です.その他で起っている不幸なことも,よく突き詰めれば何かの犯罪に相当するかもしれません.過労死させるのも企業犯罪の一つでしょう. 私を含め多くの人は目の前の派手な出来事にばかり目が行きますが,無念の思いでひっそりと亡くなっていく人々のことはなかなか思い浮かびませんね.自戒しなければなりません.つい忘れ勝ちな視点をご指摘戴きありがとうございました. ![]()
犯罪被害者と家族は、有る意味非常に海や山の遭難者に良く似ています。突然悲劇は遣って来ます。心の準備は有りません。往々にして一番大事な人、居なくては為らない人が殺られます。残った者達はパニックで右往左往します。
この時何が一番大事でしょうか。 そうです生き残った者達です。彼らを一日も早く安全地帯に帰さねば為りません。生き残った仲間を生きたまま連れ帰るのです。最悪の行為は二次遭難を招く恐れの有る、救助活動です。急ぐ時ほど慎重にならねば駄目です。大事なのは死んだ者では無く、生きている仲間です。私達は、それでも生きて行かなければなりません。
『犯罪被害者と家族は、有る意味非常に海や山の遭難者に良く似ています』はそうですね.ただ違うのは,山の遭難の場合は責める人がおらず,すぐに自分の喪失感と向き合あうことになります.殺害された場合は犯人がいるので,時間がかかるでしょうね.
おはうございます。やっとゆっくり読むことができました。少し弁解をさせてくださいね。
「本村氏に共感しない」と見出しに書いたのは誤解を招くものだったのかもしれません。私が共感しないのは「改心したその瞬間に、死刑にする」という彼の発言と、その発言に至ってであろう彼の思考にです。その出発点にある思いには共感します。 ただ、共感する、といってもここには「ある種の諦め」が私にはあります。それが「彼の思いの一番奥底までは共感(普遍化)できない」ということです。TVやネットなどでは、浅い共感を根拠にして「死刑」を語る、という構図が見られ、それが私には不愉快です。この構図を形作る一番の責任は彼のまわりの「純真」なものたちにあるのですが。 ![]()
もうひとつ、弁解を。
私は本村氏を「異常」と書きましたが、これも誤解を招きやすいですね。「異常」はオカシイということよりも「常とは異なる」と読んでいただくとありがたい。 彼はもともとはまっとうな人間だと思います。いや、今だってまっとうでしょう。けれど、立ち位置が「異常」なんです。その原因は、彼を見舞った不幸です。彼の異常な体験がまっとうな彼をして異常なところへ導いていった、と私は感じています。 現在の彼の「まっとうな」部分を見れば共感になります。立ち居地だけをみれば不快感でしょう。その両方を視野に納めれば、それを見る人に沸き起こる感情は、早雲さんが指摘した如く「不憫」ということになると思います。 もともとまっとうな彼が正常な立ち位置に戻るには? これは周りの者の共感ではないと思います。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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愚樵氏は被害者家族の異常に早くから気が付いています。『異常な体験が異常な心理に導いた』 氏の直観力は鋭い。
遭難者と犯罪被害者と家族との類似性の話ですが,愚樵氏の指摘通り事件、事故の直後残された者達は明かに異常な行動(発言)間違った危険な言動が、程度の差こそあれ見られます。 計画の杜撰、技術的問題、状況判断の失敗 責任は死者と残された者達とで共有されます。しかし当然死者は責任を取れません。では誰が取るのか。 青石綿を輸入した商社員、水銀を垂れ流した工場労働者、非加熱製剤を注射した医者、利益のため安全を無視した経営者、見て見ぬふりをした高級官僚(政治家) 私達は誰であれ殺人者になる可能性を持っているのです。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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愚樵さん, 布引洋さん コメントありがとうございます.今拝見しましたが,時間がありません.申し訳ありませんが,あとでよろしいでしょうか.私も仕事に追われています!
本村さんは,痛々しい.マスコミにある役を演じさせられている,と感じてきました.またあとで.
布引洋さん やっと戻ってこれました.残念ながら,こちらでは投稿文の部分的修正はできません.どうしましょうか.一度消去して,再度投稿していただくことはできますが.ご指示通りにします.
愚樵さんへ 「本村さんは痛々しい」とお感じでしょうか.もしそうであれば最初からそう感じられたのですか?その感性はさすがですね.「マスコミにマスコミが望む役を演じさせられている」はいかがでしょうか. また改めて書きます.
家族の「命を救う」かどうか,という問題と,命を奪われた家族の「復讐を支持する」かどうか,という,相当レベルの違う問題を比較しているのではないですか・
比較というより,本村氏の発言に対しての反応が,違った方向へ向かったということでしょうかね.私は彼の気持を晴らしてあげたいという反応.愚樵さんなどは彼の『何かに取り憑かれた感じ』に彼自身の健康の危険性を感じたのでしょうか.でもそれは共感するかしないかの問題ではないと思うのですが.
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「21人死刑廃止論者」「死刑廃止のために事件に集まった」「弁護人が作ったストーリーを被告人に言わしている」
全部本村さんの憶測に基づく中傷をみなが鵜呑みにしているだけです。 「目を合わせなかった」と非難し、目が合ったら合ったで「睨まれた」と怒り、なにされても怒る人だというのがよく分かります。 「7年間積み上げたもの」と言いますが、1・2審と最高裁で被告人質問で犯行態様が質問されたのは「1期日」だけ。しかも20分間。被告人質問は1審で2期日、2審で8期日あったが、1審の1期日は生い立ちやら、2審の8期日のうち7期日は「不謹慎な手紙関係」で費やされています。残り1期日がまた生い立ちです。検察がうまく議論をすり替えたという感じです。 また、今回の心理鑑定人が述べた「母胎回帰ストーリー」なるものの片鱗は、最初から家裁の調査記録にも書かれていたそうです。 実際のところは、旧1・2審こそ、「死刑はないから。無期なら7年で出れる。遺族がうるさい人だから。」と言われ、弁護人に「『争いません。』と言わされていた」というのが真実でしょう。
”「目を合わせなかった」と非難し、目が合ったら合ったで「睨まれた」と怒り、”という点は私も感じました.しかし,殺人については無実ではないのですから(動機は別にして),被害者としてはそう思いたくなるでしょうね.私は本村氏を非難はしませんが,それだけ主張の客観性が薄くなるのは感じます.
まあ,とにかく必要なことは,「事実はどうであったか」ということを「死刑にすべきではない」ということとは区別して議論すべきだということです. 後者に関してはたとえどんな凶悪な動機であっても死刑にすべきではないのですから.司法記者さんにも書きました.死刑にさせたくないために動機が凶悪でなかったと信じたい議論が多いように感じるからです. コメントありがとうございました. |