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随想や意見,俳句(もどき)
by papillon9999
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死刑考(3) 光市事件
2006年 04月 18日
今日は光市の母子殺人事件の最高裁弁論日だったようだ.全然知らなかったが,9時からのNHKニュースで報道していた.本村洋さんの会見している姿を見て思い出した.申し訳ないことに,事件の詳細はよく憶えておらず,ニュースの解説で大体把握することができた.
折りしも,「世に倦む日日」の今日の記事はこの母子殺人事件を扱っており,詳細に情況を掴むことができた.(残念ながら,「世に倦む日日」からはTBを拒否設定されているのだが,読むことだけはできる.)そこからの引用で申し訳ないが,本村洋さんはかつて以下のような発言をしたという. ・「もし犯人が死刑にならずに刑務所から出てくれば、私が自分の手で殺す」 ・「死刑は廃止してはならない。死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と 向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と 社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変 わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その 非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪 われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死 刑の意義があるのだ、」 私はこれらの発言の意味がほんとによく理解できる.いや,被害者の遺族になったことがない者がほんとに理解できるはずがないが,それでも必死で乏しい想像力を駆使して,前回の記事に次のように書いた. 遺族の「復讐感情」が満たされるためには,死刑執行までの間隔が短いほどよい,とは必ずしも言えないと思う.最もいいのは,遺族が殴り殺す,というのだけど,それは2次殺人者を生むことになるからやめよう.どうすればいいか. 一生,毎日毎日,塀の中で強制労働をさせることだ.いや,非人道的な労働をさせるということではない.普通の肉体労働でいい.毎日毎日,黙々と続けさせる.ただし,一人だけの労働で,独房生活だ.そのうち何が起きるか.きっと,ある日突然,すさまじい後悔,慙愧の念が沸き起こるはずだ.悔恨と被害者への申し訳なさに身悶えするはずだ.そういう雑念,「本当のつらい感情」をぜひ味わってもらいたい.そういう日が来るまで生かしておくのだ.そして,その日が死刑執行の日. それまで遺族は再出発できないが,これは刺し違えの復讐なのだ.しかし,そうなったらもう遺族の感情も癒えているかもしれない.遺族の方から死刑執行の取り止めを嘆願することになるかも知れない. 本村氏の発言は私の拙い文よりはるかに訴える力が強いが,発言の内容は非常によく似ていると思う.私はこれまでの記事①と②で,このようなことを言いたかったのだ. 死刑廃止論はこの本村氏の発言を乗り越える理論を構築するべきだ.安易な観念論で人道主義を気取ってもらいたくない.安易な死刑廃止論は本当の命の尊さが理解できているのか疑わしい.本村氏の発言をよく噛みしめて欲しい.弁護士のあきれた訴訟戦術への痛烈な批判は「世に倦む日日」で加えられているので,ここではもう繰り返すまい.それにしても,栃木リンチ殺人事件,そしてこの母子殺人事件と,悔し涙が出てしかたがない・・・
by papillon9999
| 2006-04-18 22:26
| 済み
|
Comments(20)
papillon9999さま、こんにちわ。そして、拙ブログへのコメントありがとうございます。TBができなかったとのことですが、サーバーの不調か何かでしょうか? もしよろしければ、再度送ってみてください。
さて、当エントリーを拝見しての感想、を書こうと思って書き始めましたけど、とても制限字数に収まりきりません。拙ブログにて書き込んだ上、TBさせてもらいます。
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愚樵さんへ こんばんわになりました.コメントありがとうございます.今やってみたら今度はTBできました.よかった!愚樵さんのTBぜひお願いします.楽しみですがある意味怖い・・・
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弁護士の訴訟戦術は当然必要で正しい。遺族の再出発に必要なのは愚樵空論の指摘のとうり裁判での復讐では無く、カウンセラーです。現在刑法で死刑と傷害致死は大きく罰則が違う。欠陥自動車の大型タイヤの下敷きになって母子が殺された事件では業務上過失致死罪しか問えず最高5年です。この事件では、僅か五百万円の判決です。多くの死傷者を出したメーカーの責任は重いはずですが、然し今の刑法は個人の責任だけを追及する。
極端な例を言えば呼吸装置を外した医師が殺人で取り調べを受けているが、もし仮に、遺族が彼を殺したらマスコミは何と書くのか。 「殺人には死刑を」などと言う短絡的な意見をマスコミが無批判に取り上げるのは公器としての責任を放棄している。 日本での殺人件数は千人程で、大方は一緒に酒を飲んで居て酔っ払って喧嘩になり相手を殺した、と言う事件です。 人を殺した者は、殺されても良いと言う考えは、あまりに乱暴です。一人の例外も無く、人は何れ必ず死にます。急ぐ必要はありません。 宗教信者以外で宗教をカテゴリーに持つのは少ない、日本人の多くは、きずき難いが世界の問題の原因は、宗教がその底辺に在ります。活躍を期待しています。
愚樵さんの「あきらめるしかない」という言葉は確かに胸を突きます.被害者が生き返ることが絶対無い以上,それ以外どうしようもないのは明らかだからです.ただ,本村氏は「死刑がある以上は死刑を」と言ってるのだそうですね.「死刑廃止論」を主張するしないとは別に,現在はそういう約束なんですから,「極刑」と言う意味で死刑を希望するのは当然だと思います.それが公の電波に乗ったとか,付随することがありますが,それについては高遠さんたちのケースと似ているので,記事に仕立てようと思っています.
最後の,「活躍を期待しています。」というのは私へのお言葉でしょうか?もしそうであればこの上なく嬉しく思います. ![]()
マスコミの責任は重い、今日本が右傾化し、憲法が大変危険な状態に有るのは洪水の様な北朝鮮報道が原因です。小泉訪朝からです。皇室報道も同じ頃始まります。これ等の事柄は別々に見えて、実は同じ目的を持って始められています。生まれながらに尊い人を認めることは、生まれながらに卑しい人々を認める事になる。この事実をマスコミは意識的に忘れている。救う会と歴史教科書を作る会の人脈が重なる事を報道しない。日本にはタブーが沢山有ります。18歳の犯人を死刑にしない、顔も名前も報道しない。被害者家族を非難しない。
被害者家族でも、日本を危険な方向へ導こうとするなら当然非難すべきです。 人質バッシングは、日本マスコミの特異な危険と危機的状況を如実に表しています。是非とも記事を特集してください。微力ながら、応援したいと思っています。
こんばんわ。
>現在はそういう約束なんですから,「極刑」と言う意味で死刑を希望するのは当然だと思います これは、その通りだと私も思います。仰るとおり、これは死刑廃止論とは別次元の話ですね。 ただひっかかるのは、本村氏の上記の発言と最初の殺人予告の間には温度差がありますよね。この「差」をどのように本村氏は埋めたのでしょうか? この埋め方によっては私の本村氏への印象は訂正しなければならないのかもしれませんね。
布引洋さんへ 「マスコミの責任は重い」というのは私も常に痛感しています.「救う会と歴史教科書を作る会の人脈が重なる」のは大体想像がつきますね.北朝鮮のひどさを利用して戦前の侵略を正当化しようという邪心がみえみえです.
私は自分の力の程度(大したことはないという)を良く知っているつもりですが,時々とんでもないことを書いて馬脚を現すはずです.その時が恥ずかしいです.応援というより一緒に考えて下されば光栄です.
愚樵さんへ 実はこちらのコメントを見る前に愚樵さんの方へコメントを打ってしまいました.本村氏の二つの発言には時間差がありそうですが・・・
第一の発言で「・・・・殺す」と断定調なので問題が大きく感じられますが,遺族が女の人でも「・・・殺してやりたい・・」とマイクの前で発言するのはありえるような気がします(具体例は出てきませんが).若い男性ですから断定調の発言になったのでしょうが(若くはないけど私も言いそうです・・・),マスコミが見世物にしてしまったわけです. 上の,布引洋さんも指摘しておられるように,マスコミの責任はいろんな意味で重いと思います. ![]()
加害者と仲の良かった友人です、就職で他県で働き始めた矢先に知りました。事件の事は今でも考えさせられます、ネットや報道でみると凶悪殺人鬼のように見えますが、一緒に過ごしてた時からは想像できません、どれが真実なのでしょうか。なぜあんなことを彼がやってしまったのか、ああなる前に悩みの一つでも聞いてあげなかった自分に後悔と何も気づいてあげれなかったのが残念でたまりません。加害者も被害者も気持ちのわかる分思い出すたんびにツライです
自分があの時あんなしていれば,もしかしたら事件は起きなかったかも知れない,と考えるとつらいでしょうね.お察しします.
凶悪犯って,だれでもなってしまう可能性があるのでしょうか,それともそういう素質をどこかに持っている人がなるのでしょうか.すでに決着のついているかもしれませんが,私には大きなテーマのように思えます. ただ,だれでも「誤って」人を殺めてしまう可能性はあると思いますが,凶悪犯にはなかなかなれないような気がします. その一方で,何かの拍子や成り行きでどんどん堕ちていく,というケースもありそうですね.結局なんだかわからない・・・ 別の記事に書きましたが,性善説と性悪説,それぞれの素となる人間の性質を司る脳の部分は,それぞれ異なる所にありそうなのです.どちらが発達しているかで決まるような気もします. ![]()
弁護団は「コスプレ」なんで主張はしていない。マスコミが「意訳」しただけ。
被告は、旧一審でも、「水道屋さんになったつもりで、気取って部屋を回っていました。人と話したかっただけ。強姦相手を物色していたのではない。」と供述していました。 また、「一度死んだ人でも生き返ると本気で信じていました。」と何度も述べていました。 つまり弁護団の主張はいきなり出てきたものではないのです。 不謹慎な手紙関係も、相手がマスコミや検察に出すため、ことさら挑発し、誘導して書かせたもののごく一部に過ぎません。旧二審も、「挑発されただけ」「全体としては反省している」という評価をしています。 今の雰囲気ではデスクが書かせてくれませんが。
こんばんわ 裁判を間近で見ることのできた方なんですね.旧審の時から主張(強姦目的ではないという)は一貫しているわけですね.うーん,そうですか.私はそれについては何も言える立場にないので,これ以上は言わない方がいいですね.
はっきりしていることは,結果的にしろ死に至らしめさらに強姦してしまった,幼児も殺してしまった,ということ,はっきりしていないのはそれが最初からの狙いだったのか,偶発的な成り行き上,強姦と殺人にまで至ってしまった双方にとって不幸な出来事だったのかということですね.(赤ちゃんの場合は偶発的だったと思いますが)
ただ,一貫して主張しているようだと書きましたが,「一度死んだ人でも生き返ると本気で信じていました。」とか「水道屋さんになったつもりで、気取って部屋を回っていました。人と話したかっただけ。強姦相手を物色していたのではない。」というのは,正常な判断力を持っていたとは思えない言辞ですね.それにもかかわらず主張は一貫してしっかりしている,というのは意外な感じがします.(つまり,一貫して主張できるような判断力を有していると言う意味です)そもそもなんで人のうちに勝手に入って水道屋さんになるのでしょう.
とはいえ,今ではもう死刑にすべきとは思いません.布引さんが熱く主張しておられたように未成年,それとホントに主張どおりだったという可能性もあるからです.(死刑廃止論とは別に) ただし,事実はどうであったかということと死刑にすべきではない,というのは断固として別物です. ![]()
弁護団の主張をすべて読んだが、マスコミで表面的に報道されているような主張ではない。マスコミは批判する足がかりになるような表現のみとりあげているが、弁護団の主張の根幹は説得力に富んだものだった。
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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弁護人達は彼のその後の人生を保障出来ない。
彼がもし刑を終えて出所しても 後見人は難しいだろう。 27歳になった彼が社会で普通に暮らせるとは思えない。 働いて一生償うより 彼は早いうちに死を選ぶと思う。 結局裁判が長く続けば彼は死ねない。 被害者家族は怨念が積もるばかり。
ayaさん,コメントどうもありがとう.もうすぐ判決ですね,確か.
私は弁護団の弁護方針に心底反対です.死刑を回避したければ,少年の事犯ということ,恵まれない環境で育ったという情状,それから死刑はやはりなくすべき(私なりの理由を以前の記事に書いています)ということを訴えること,によってなすべきです. 事実誤認で争うというのはどう見ても無理です.被告を救うためには何でも許される,たとえ事実を捻じ曲げても許される,という姿勢に見えます.これでは人権を守る者に値しません.それは被害者を物扱いにすることです. 今枝弁護士が解任されたのは,事実誤認で争う方針で意見が分かれたからではないのか,と邪推しています.(無責任な想像ですので,自己責任でご判断ください)
それから,一つ上の匿名さん,長いことそのままにして済みませんでした.私は意味がよくわかりません.私が「本村洋」だという意味ですか?
『弥生さんも夕夏さんの人間の生存権を略奪したのは 私,本村洋 以外にいない』 という意味に取れますが,そうなんですか? 鍵コメントなので名前だけ隠して,記事を公開します.内容は個人が特定されるものではないからです.それにしては理解不能の中身が綴られており,何か情報が得られればいいな,という淡い期待からです. ================ Commented by **** at 2007-12-13 16:31 x 本村洋君 前略。貴方ご自身生きたいと思われるのでしょうか? 素直な自分勝手さがわたくしたち人間を苦しめたことが 許せません!弥生さんも夕夏さんも人間ですよ! ただの女性と赤ちゃんでは無く、人間の生存権を略奪されたのは 貴方以外にいない!それがわたくしの大事な真実です! =====================
昨日,余りアクセスの無い珍しい記事の閲覧記録があったので覗いて見ました。
懐かしい記事です。 ところで,↑のような意味不明の匿名コメントを公開していましたが,この意味がたった今わかりました。少なくともある可能性は推測できるようになりました。 それは即ち,この匿名氏は,犯人の名前が『本村洋』だと誤解したのではないか,という推測です。であれば犯人は被害者の氏名と同じになるということをうっかりしたのか,それとも夫や子供の父が犯人だと思い込んだのか,わからないけど。 そういう前提で読めばすっきり腑に落ちます。 この誤解ないし思い込みは,真犯人の名前がよほどでないと出てこないことにも原因があるんじゃないかしら。 それともう一つ,それほど被害者の遺族である『本村洋』という方へのバッシングがひどかったということでもあるでしょう。遺族よりも犯人の方に同情するとか,異常な状況が展開されていました。 今では,戴いた数々のコメントを一蹴できます。 『あきらめるしかない』,『被害者でない人には所詮他人事だ』,『遺族に必要なのはカウンセリングだ』というような一種の諦観(悪く言えば傍観)です。 一見かっこいいけど(無常観,仏教観的),社会的には何の意味もない空言です。 『だれでも本村氏のような当事者になる可能性,恐れがある。その無念感をできる限りの想像力で以って共有しなければならない。次の”当事者”を産まないために』 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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