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右からの脱原発デモ
2011年 08月 11日
やや古くなったが,ずっと書きかけのままにしていたコンテンツにようやく日の目を当てる.「右から考える脱原発デモ」2011年8月3日 15時25分というものがあったのだ.
国土を守るのが民族派のはず.究極の秩序だ.国土汚染は究極の秩序破壊ではないか.ここに考えの至らない他の民族派は真の民族派ではないと断言できよう.では真の民族派の記録を残しておこう.彼らの名誉のために. 鈴木邦夫氏を始めとする民族派の面々であるが,上記引用記事には, 鈴木邦男(一水会顧問)、蜷川正大(二十一世紀書院代表)、坪内隆彦(月刊日本編集長)、大石規雄(mixiより)、針谷大輔(統一戦線義勇軍議長)の各氏が呼びかけ人となって企画された と書いてある.(リンクが切れることがあるので,要旨を書き残す.)その鈴木氏の重要発言. 鈴木邦男氏は、右翼・民族派の人々が反原発の姿勢を示すことに、これまで「左翼を利することになるのではという迷いがあったかもしれない。だが、保守や民族派の陣営からも原発への疑問や批判の声が次第に増えてきている。そうした声や、さらに今回の集会が実現したことは、非常に勇気のあることだと思う」との旨を述べた。 そして,一般参加者の発言. 八王子から来たという和田勝洋さん(34)も、自分の考えから民族派の活動を続けているとのこと。脱原発という態度を見せたところ、「まわりの保守系や民族派の人たちからもずいぶん怒られました」というが、それでもあえて今回の集会とデモに参加。「GWに福島に行って被災地の現状を見てしまったので、原発のことを考えないわけにはいかなくなりました。現地を見てしまうと、(原発推進は)無理です」とその心情を語る。 デモに移ってのシュプレヒコールも. 15時30分からデモ隊が出発。・・・日章旗を先頭に、「福島の子供たちを救い出し麗しき山河を守れ!」「頑張れふくしま!福島を見捨てないぞ!」などの横断幕に加え、「子供たちの命と麗しき山河を守れ」と書かれたのぼり旗が多く掲げられた。また、・・・故・野村秋介氏の言葉「友よ山河を滅ぼすなかれ」も目立った。 ・・・「脱原発を実施し、子供たちの命と麗しき山河を守れ!」「危険な原発を稼動させるな!」・・・ 先導する針谷大輔氏は・・・時おり・・・、「戦時中、時の政府は空襲が危ないとの配慮から軍部は子供たちを疎開させた。軍国主義と呼ばれている時代ですらそうした措置を取った。ところが、今の政府は子供たちを福島から避難させることすらしていない」と非難。被爆の危険性にさらされている可能性が指摘される、福島の子供たちを対象とした学童疎開を訴えた。 そして経産省や東電本社ビルでもそれは続けられた. 「経産省・原子力保安院は人の心を取り戻し、すべての情報を公開せよ!」 「責任の所在なき東電救済法案、断固反対!」「東電のための税金投入、反対!」 記事は次のような記述で終わる. 今回のデモで印象的だったのは、何かある特定の対象に向けた攻撃的な感情などは一切なく、とにかく郷土と被災者に対する心情、救済への訴えに終始しているように思われた。また、民族派によるデモというよりも、民族派がすべての人々に対して呼びかけたデモという雰囲気であった。反・脱原発というものが思想信条に関係なく、広くそして確実に国民に広がりを見せているひとつの形を示したようなデモであったように、筆者には感じられた。 このほかに重要な人物として西尾幹二氏を挙げておかなくてはならない. 「脱原発こそ国家永続の道」について これで西尾幹二氏は藤岡信勝や八木誠や渡辺昇一などのトンデモ連中とは全然レベルが違うことが明らかになった.少しは見直そうと思う. 実は,以前の記事,万邦無比の国家シリーズで取り上げた本,小路田泰直著:『「邪馬台国」と日本人』では冒頭,西尾幹二氏の歴史学が紹介されている.民族派なりの論拠を持った人物(賛同するのではないが)として,論理に誠実な人だという評価をこれからパピヨンは与えよう. それからついでに,以上のような人々の歯切れ良さと比べて,何ともしまらない人々がいることも書いておく.モロの原発推進派は歯切れが良くて,むしろほほえましいぐらいなのであるが,そうではない中立的な立場を装いながら,苦しい原発擁護を陰解法的に繰り返す連中がいるのである.(直接的な擁護アルゴリズムを陽解法,間接的な擁護アルゴリズムを陰解法と呼ぶことにする). たとえば,赤城智弘氏,浅井愼平氏,寺島実朗氏,浅田彰氏,菊池誠氏とその取り巻き,などを挙げることができる.こういう人々は,反原発を貫いた一群の学者や技術者がいたことが眩しいのに違いない.一種のやっかみであろう.
by papillon9999
| 2011-08-11 23:48
|
Comments(33)
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「神聖な国土を汚す原発に反対」的な右翼民族派の反原発論だと、国土を汚すと認定されたものは何でも排除なのか、それは原発だけでなく、他の文化文明や人間そのものにも適用されるのか、それならば異分子を排除して残った純粋「大和民族」だけが一切の近現代の文明を捨て世界との交流も断って清らかになった日本列島に籠っていたいのか、という帰結になっちゃいますから、反原発の根拠として一見説得力があるようですが危うく矛盾も多いと思います。
案外それが右翼民族派の究極の理想かもしれませんが。
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>国土を汚すと認定されたものは何でも排除なのか
>原発だけでなく、他の文化文明や人間そのものにも適用される >異分子を排除して残った純粋「大和民族」だけ 仰る通り,そこまで「純粋」になる派もあると思います。実は内藤湖南の宿敵,白鳥庫吉はそうだったのです。大和民族が純粋でなくなるから大陸進出反対を唱えました。一方湖南は大和民族が指導者となるべく,大陸進出を推進したのです。 このように”その後”は理屈のたて方によっていろいろ分かれるのですが,しかし,原発汚染は眼に見えて国土を捨てることになる。こちらは竹島や北方領土どころではない,わかりやすい理屈です。 白鳥と湖南ならどう考えるのかとても興味深いけど pulinさんは原発の何に未練があるのですかネ。やはり周辺に睨みを利かせるためか。自主独立の反新自由主義で強力軍隊必要派,夫婦別姓などの寛容社会容認,菅を心情的に支持,陰解法的反小沢,という不思議な立ち位置です。 >結局なるようにしかならない 国民の意思と霞が関の綱引きでしょう。どちらが勝つかはなるようにしかならない。 ![]()
結局「反原発」も同床異夢であり、たとえば、自民党内の数少ない反原発派として一部から期待されている河野太郎氏も日本の安全保障、特に中国や北朝鮮への牽制のために米軍の原子力空母日本配備の必要性を説いていたりするので、原子力は日本の民生用はダメだが米軍の軍事技術としては信頼する立場のようです。
反原発派も原子力・核技術絶対不可派からものによって許容する派まで多様ですね。
こちらには6月11日のデモの様子が書かれていますね。
西尾幹二氏は、原発賛成派だったんだけど、 3.11以来反対派に転向したみたいです。 http://www.magazine9.jp/kunio/110622/ 「右翼、保守派の人は間違っていたと思ったら、 謝るし、考えを変える。これは立派なことだ。 左翼には全くない」なんて、上の記事に書いてあるけど。 >たとえば,赤城智弘氏,浅井愼平氏,寺島実朗氏,浅田彰氏, >菊池誠氏とその取り巻き,などを挙げることができる おお、菊池誠氏に、きびしい評価が下ってますね。
>「反原発」も同床異夢
もちろんそうですね。パピヨンだって,ホントは核エネルギーの学術的研究はあっても良いと思っているのです。しかし,その運営体制には厳しい前提条件を求めますが。 再度書きますが,日本ではせっかく(と思うなら)の夢のエネルギーを利権の砂糖菓子にしてしまった自業自得というものをしっかりと味わわなければなりません。 原子力船だって動力は原子力で沸かした蒸気でタービンを動かすんですから原発と同じですからね。小規模原子炉ならうまくやれる可能性は研究次第でないこともない。残念でしたね。
たんぽぽさん ようこそ。
左翼は無謬ですから! 共産党も今反原発を言うなら,不破の原発理論を撤回修正してもらいたい。そうでないと信用ならんです。議員個人的に反原発を貫いている議員もいますけどね。 >おお、菊池誠氏に、きびしい評価 あの時の一件を覚えておられますか?大体想定の範囲内ではありましたが。この評価はやむを得んようです。 「原発安全神話」はなぜトンデモに入れられなかったのか,という面白いテーマができますね。 ![]()
原子力技術が「トンデモ」に入るとしたら、「科学技術の過信」というトンデモ、「原子力安全神話」は「政治的トンデモ」になるかもしれません。特に「政治的トンデモ」が厄介なのは、「子供は社会で育てる」や「市場原理主義」なども、それぞれの人のスタンスではそんなの「トンデモ」ない、となるので、結局、選択は選挙に委ねるしかないところでしょう。
そこで「民主主義」や「議会制度」を「トンデモ」とみなす人さえ存在していますからね。 「水からの伝言」や「アポロは月に行っていない」などの徹頭徹尾誤った主張とは性質を異にします。 ![]()
たとえば河野太郎氏でさえ、米海軍の原子力空母の安全性について、これまで50年間一度も事故を起こしたことはないし厳格な安全基準でもって運用されているから、日本配備でも安全性に何の心配もいらないない、と述べています。
別に河野太郎氏を批難したいわけではありませんが、この言説をどう受けとめるか、もはや政治的に判断するしかないでしょう。
>原子力技術が「トンデモ」
とは言ってませんね。よく御覧ください。 「原発安全神話」と言ってるのですよ。 たとえば菊地さんらがやり玉に挙げるべきは, 「あんなんでようも安全なんて言えるな」 という安全理屈でっす。これは立派にトンデモのターゲットになりえますバイ。 そして河野太郎さんと原子力空母の話だけど,ちゃんと書いてるように,ちゃんとやればちゃんとできる技術なのかもしれんとです。ちゃんと書いとるでしょが。 しかし,ホントにそうか(安全)はわからんし(米軍機密),河野太郎を非難せんでもよかけど,ちゃんと調査はしてもらわんばでしょ。おめでたすぎる傾向もあるけん。 だから可能性はあったかもしれん,でも日本じゃだめになった,ちゅうこつです。 ![]()
リスク論の本質は相互信頼感を抱きあえるか否かであり、信頼無くしてリスクの話は成りたたないわけなので、信頼できない人からこういうリスクがあるんだけど受け入れて貰いたいと言われても容易に受け入れられるものではないです。
河野太郎氏のケースは日本の電力産業は信頼していないけど米軍は信頼してリスクがあろうが受け入れられるリスクとみなしているわけですね。 世の中の価値観が多様化し、それゆえリスクは増えていても、信頼感を共有した上でのリスク管理の話が成りたたないジレンマが生じているのでしょう。 そこで上で述べた純粋右翼民族派のケースはあらゆる異分子をリスクの芽として排除していく志向になりましょうか。
コメの趣旨がよくわからんが,「原発安全神話」はトンデモのターゲットになぜならなかったかと言ってるとですよ。
リスク論とリスク管理の本質は情報公開でありますよ。リスク論の信頼感?ちょっと意味不明。 右翼民族派もいろいろでっしょ。 ![]()
リスク管理と信頼の問題はこの本などが参考になります。
2008年に書かれた本なので震災後突如現れた議論でもないです。 http://www.amazon.co.jp/%88%C0%91S%81B%82%C5%82%E0%81A%88%C0%90S%82%C5%82%AB%82%C8%82%A2%81c%81%5C%90M%97%8A%82%F0%82%DF%82%AE%82%E9%90S%97%9D%8Aw-%82%BF%82%AD%82%DC%90V%8F%91-%92%86%92J%93%E0-%88%EA%96%E7/dp/4480064494/ref=pd_rhf_p_t_3 信頼といっても愚民はとにかく為政者のやることを信じとけ、のような暴論で解釈しては行けません。 ![]()
うまく貼れてないかもしれません。書名を。
中谷内 一『安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学』 (ちくま新書) 中谷内 一『リスクのモノサシ―安全・安心生活はありうるか』 (NHKブックス) リスクと信頼は裏腹の関係であることを説いています。
思った通り,なんかの本かインターネット情報と思うとりました。
たぶん,この論は筋が外れとるです。読む気もせんけど。 なぜなら,「リスク」と「安心感」を対比しとるようで,そもそも正しいリスク評価をしない限り,安心を得るという心の平穏を説いても意味がないからです。 トンデモ山下のように,「安全ではなく安心をお届けに来ましたっ」ということと似てますな。 正しいリスク評価を行える前提が情報公開です。 ![]()
私が考えたたとえ話。
旅客機に異常が起きて、ひょっとしたら墜落するかもしれない。機内アナウンスは「機長が懸命の操縦を行っておりますからご安心下さい」と言う。 そこで、乗客としては、「安心しろ」なんていわなくてよいから操縦室の計器のデータをすべて逐一客室に、出来れば機長が直接報告しに来て欲しい、と求めるか、そうすれば機長よりももっと飛行機に精通したものがいて操縦アドバイスを与えられるはず、いや、いっそ代わって操縦させろ、と考えるか、パラシュートがあるなら女子供優先で機外に脱出させるべきでまずその活動をしろと求めるか、これも、人間観の問題かもしれませんが、こんな場合、結局墜落するかもしれないけど機長を信頼して任せてしまうのも仕方ないかな、と思ったりします。
こうなったら,あなた,運命にまかせましょう。リスク評価しても無意味ですから。
タイタニック号のたとえがまだマシでしょう。リスク評価しているくらいだったら眼の前の浮くものに掴まってください! ぜひ生き延びて下さいね。
西尾幹二のことは、ここにもすこし出ていますね。
藤岡信勝との比較なんだけど、イミシンかも。 http://tinyurl.com/3tyoo3p >左翼は無謬ですから! 右翼には「無謬幻想」はなかった。 >あの時の一件を覚えておられますか? もしかして、これですか? http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1304903496 http://tinyurl.com/6k5rkyn >「原発安全神話」はなぜトンデモに入れられなかったのか こんなのがありますね。 http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/lab/pseudoscience/ps-comments/nisekagaku-nuke 上記リンクによると、にせ科学かどうかを判定する ガイドラインがそもそもひずんでいるので、 「にせ科学」ではなく、「科学や技術の問題」として 扱うよりない、ということのようです。 ![]()
最近の右翼は既存体制擁護よりも体制批判を気取り出したからかつての左翼勢力そのままに無謬性追及に向いその結果左翼の崩壊過程をなぞるように仲間割れ・分派闘争・内ゲバ・排除合戦に向い出しているようです。
批判する側には間違いや矛盾があってはならない、常に純粋であらねばならないとした結果がこの有り様です。 実際、批判者として期待されるのはそういう人物であり、だからこそスキャンダルまみれの体制を批判するのにも説得力があるわけですが、それも個人の属性頼みの弱さでもあります。
>藤岡信勝との比較
うーむ,なかなかの記事ですじゃ。ま。西尾と藤岡の人物レベルの違いがよくわかりました。 菊地さんとの一件は,それとは違います。ご紹介の記事を見ると,まあ,それほどという気はしますが,どうしてもメタ議論に持って行きたがるんですね。 それからニセ科学判定アルゴリズム(というより判断基準か)ですが,そういうことを考える人もいたのですね。 ただ,ニセ科学判定云々は,ホントは決まったアルゴリズムでできる(ということはすべて客観的な判定基準が存在する)はずなんですが,世の現象は実は未解明,未着手のことが大半ですから,どこかで主観が入り込まざるを得ない,ということでしょう。その主観がトンデモ性を備えているかどうかをやむなく「主観的に」判断する部分が存在するかもしれません。そこにこそ,ニセ科学批判の力量があるはず,あってしかるべき,だということになりましょう。 原発安全神話でも,どこかに主観論=神話化が入りこんでいたはずで,これを完璧にスルーしたのはバイアスがかかっていたと言われても仕方ないでしょう。
>体制批判を気取り出したからかつての左翼勢力そのままに無謬性追及に向い
体制批判を気取り出したらなぜ無謬性追求に向かう力学が働くことになるのですか?明快な解説を求めますじゃ。 左翼を批判するにも『批判する側には間違いや矛盾があってはならない』というのは真理でっしょ。 >それも個人の属性頼みの弱さ そのような属性,すなわち「批判者として期待されるのはそういう人物であり」というような人物がいなければそもそも批判は強い説得力を持ちえません。話の順序が逆です。
>右翼の仲間割れ・分派闘争・内ゲバ・排除合戦
これは「右派的秩序」といっても何に重点を置くか,いろんな考え方があるわけで,当然のことでしょ。 国民を貧民のままないがしろにすることさえ,真の民族派ならば許容できるものではありません。 戦前,貧しい東北農民を放っておく,生み出すことが必然,の資本主義に対して民族派が攻撃を仕掛けたのもその一つでしょう。 しかし,右翼の既得権益層,エリート層はもう一段奥の秩序維持を図る必要があります。つまり,そういう犠牲の上に,既得権益右翼は君臨するわけで,そこが壊れると自分たちの地位も壊れてしまう。 だから右翼とて,すぐに右翼同士の主導権争いになるのは必然です。 左翼と全く変わる処はないのですぞ。 改めて記事にしたいテーマどすな。 ![]()
人間三人集まれば派閥ができる、ような性質がありますよね。
完璧に同じ思考を持つ人間はいないのだから、考え方の違いがどうしても現れます。 正しさを標榜する者にとっては時にそれが同志であっても許容できない差異と感じられるようになり、人間特有の主導権争いの政治志向も加わり、結局、宗教でも、政治・思想集団でも初め一体だったものが、いくつかの宗派や派閥、セクトに分かれていきます。 敵よりも、「正しくない」味方に対して憎しみを抱くこともあるでしょう。自分(自派)の正しさは唯一無二で正統でなけらばならないから、それを脅かしそうな似て非なる者に近親憎悪のような感情が向い、内ゲバになるわけですね。 そこでは、敵は初めから敵として明確だから、もちろん論外です。あるいは同じ陣営の別の派閥を潰すために敵とさえ結ぶかもしれません。 学問の学派の競い合いだと、学界の活発な論戦がさらに学問の発展に寄与するかもしれませんが、政治・思想集団の内紛は不毛であることが多いでしょう。 分派分裂して没交渉になって細分化しただけで終わってしまい何も産まなかったりします。
おおーっ!久しぶりの快打!ロングヒットとなりました!
パピヨンはこれを比例代表選挙まで持っていくです。人の数だけ正当が必要っちゅうこつになりますね。 小選挙区区では大同せざるを得ない,そこに効用を見るというこつです。 でも却って不安定になる面も現れたような気が・・・ ![]()
結局左翼側は、右翼を反原発に引き込めた、大勝利だ、と思っているとしても実際のところ世の中の趨勢はもはや脱原発で決定しているのだから、右翼の大勢も反原発になることは必至でしょう。
ここに「左右の対立軸としての原発問題」は雲散霧消します。 左翼側が原発により右翼側を降したのではなく、逆に大きな借りを右翼側に対して作ってしまったのかもしれません。あるいは庇を貸して母家を取られるの類いかもしれません。 または左翼が右翼に吸収されていく。 なぜなら、震災後、戦時中を思わせる勇ましい言説を行うのはもっぱら左翼(の反原発の人)だったから。この人たちのメンタリティが完全に右に寄った。 そこで脱原発が一段落付いた時、気がつくと、かつての左派の大勢はすっかり右派になっているのではないでしょうか。 嫌らしいことに、あまり遠くないうちに不可避の「平成の終わり」なんて日も待っていますからね。ここで世の中はどう動くのでしょう。
>西尾と藤岡の人物レベルの違いがよくわかりました。
むかし話題になった、A層とB層の違いでもありますよね。 >菊地さんとの一件は,それとは違います ああ、そうだったのですね。 問題のエントリは、どれなんでしょうか? 差し支えなければ、教えていただけたらと思います。 ![]()
そこでリスクの話に戻りますが、「情報の公開が最重要」と自己目的に今ひたすら叫ばれているのも、リスク管理者・当局が全く信頼されないからに他ならないわけです。
これが仮に現在小沢一郎政権であったら、菅政権同程度のことしか行っていなくても、小沢さんならば信頼できるだろう、うまくやっていくだろう、と安心していられる人が多かったでしょう。
pulinさんはだんだん意味不明になってきましたな。野球のつもりがゴルフになってきたような・・・そう,いい喩えを思いつきました。新型野球のつもりでベースに球を置いてバットで打つ作戦。
そのキーワードはニッチでしょう。誰もやってない野球を開発することです。 ![]()
そこで、上にある白鳥庫吉は邪馬台国でさえなにか不純なイカガワシイものと見て天皇家に連なる「純粋な大和民族の歴史」の外に置こうとし、逆に現代人は邪馬台国こそ日本のルーツと取り込もうとするわけですが、いずれにせよ強固に単一の「日本」が意識され過ぎではなかろうか、と思われます。
そう,白鳥庫吉にとって,邪馬台国など大和民族の純粋性を壊すものでしかなかった,だって魏の国に朝貢しているわけですから。
だから辺境の地,九州にあった方が都合が良かったわけです。 もうホント,イデオロギーのためには史実なんてどうでもよい,ということです。学問とはイデオロギーのためにあるのであって,真実探求のためにあるのではないのです。 原発安全神話,低線量被曝は安全,というのとちっとも変りません。 あの記事の続きを早く書かんば!
>http://papillon99.exblog.jp/7023889/#7023889
>のコメント欄です。 ご紹介ありがとうございます。 (わたしからリクエストしておいて、 お返事が遅れてしまいもうしわけないです。) コメント欄で、あの「逝ってる人」が、 いっぱいコメントしているエントリですね。 近傍のエントリには、わたしもコメントしていたんじゃないかな。 そこに菊池誠さんがいらしたことは、ぜんぜん覚えてないです。 話題になってるエントリはこれですね。 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1190083204 問題のコメントは、きくちゆみが「たんぽぽ舎」の本を 紹介していて、その本がいかがわしいということね。
きくちゆみや911陰謀論批判ではまったく同じ意見でしたが,全体の雰囲気には何となく違和感を感じていました。
それは”陰的解法アルゴリズム”的なものと反原発に対する態度に不穏な空気を感じてではなかったかなと今思い出しています。 ただ,ブログ主さんの言質は発見できず,取り巻きさんだけ発見できました。 ただ反原発の側にも911陰謀論者がいたりして複雑でしたもんね。 |