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「国際的警察力」について
2006年 04月 03日
「あなたの家に凶悪殺人犯が襲ってきたらどうする」という詰問は,トリビアル(意味をなさない)である,ということを前回書いた.そんなことになってはもうどうしようもないからだ.かといって,そういうことを想定して,市民が自ら武装していたら,もっと別の悲惨な事件が起り続けるだろう.個人が武装して凶悪殺人犯が万一襲ってきた時のために備える,という方向に進むべきではない.そういう状況にならないように,国がいい政治を行い,警察が本来の機能をきちんと果すこと,それ以外にはないのだ.ということは,逆に言えば,「警察力」に非常に重要な役割を担ってもらわなければならない.
だけども絶対に必要なことがある.それは,民主的な警察制度の担保と公安警察の廃止である.丸腰の市民・国民は武力装置を持った警察組織が暴走したらそれに対抗するすべはないのだから. さて,本記事のメインである「国際的な警察力」の話に移る.憲法9条の理念がなぜ必要か,ということを,上に述べた個人の武装が危険である,ということとのアナロジーで前回考察した.すなわち,市民が武装すると危険なように,武力を持った国が狂って暴走する危険性も非常に大きいのだ.だから,外国が突然攻め込んでくる,というような状況にならないよう,政治家を含め最大限の平和外交を尽くさなければならない. しかし,そうは言っても,ブッシュではないが「ならず者国家」というのがあり得るかも知れない.現在はなくとも,将来出現しないという保証はない.これはブッシュ史観だろうか.多分そうではないと思うのだ.国家ではなくとも,海賊や山賊,宗教対立や資源獲得,領土問題などに起因する武力紛争はあり得るはずだ.日本国憲法でも,「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という文言が存在するから,武力紛争は想定外のことではない. ところが,我が憲法は9条で「交戦権の否認」を言うだけで,具体的な方策は示していない.わずかに前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とあるだけである.「平和を愛する諸国民」は公正と信義に信頼をおけるだろうが,残念ながら「平和を愛さない諸国民」の存在も想定しなければならないのではないかと思うのである. このように考えると,憲法9条に敬意を払い,永久不変の価値を認める者にとっても,「国際的な警察力」の必要性を想わざるを得ない.この「国際的な警察力」の形態を,憲法9条を堅持したい者も含めてみんなで考えるべきだと思う. ここに私の試案を提示したい.「国際的な警察力」の必要性を含め,この試案についていろいろな反論,意見をぜひお聞きしたいのである. やはり,「国際的な警察力」は「国連平和維持軍」のようなものにならざるを得ないだろう.ただ,現在は米国自体がならず者国家のようであるから,そういう米国ではなくなり,独善的なリードができない,理想的な状況が実現したという前提が必要だが. そういう理想的な「国連平和維持軍」への日本の関わり方は以下のようにすればよいのではないだろうか. ・人員の手当て 日本からも当然派遣しなければならない.ただし,日本軍そのものを派遣するのではない.日本には軍隊はあってはならないのだから.「国連軍兵士」として日本でも公募するのだ.国連の代わりに日本国が代理公募を行うと考えればよい. ・国連基地と軍資金 各国が提供しなければならないから,日本でも相応負担分を提供することになる.装備の内容は国連議決に基づく. 問題は米国がこのように理想的な「ならず者でない国家」になるかどうかだけど,それはちょっと可能性は低いのだろうと思われる.なぜなら,軍事企業の存在だ.おそらくこれが最大のネックとなる.仮に国連平和維持軍を作ったとしても,軍備や装備の要求がが限りなくエスカレートすると同時に,軍事品を消費させるために無意味な戦争を挑発するだろう.今や戦争までも民営化され,ビジネスの対象となっているからだ.(本山美彦著,「民営化される戦争」) このほかにも,すぐ浮かぶ問題点は,公募に応じる市民の層である.国連軍兵士となるのは一種の就職であるから,社会底辺層の吹き溜まりとなる可能性がある.これは社会底辺層を危険なことに使って国の安全を担保する,という構造になる. このように,提案はしたものの現実には「国連平和維持軍」でもうまく行きそうにない.理想平和主義者としてはどうすればいいのだろうか.それとも平和を愛さない国家というものを想定すること自体,すでにブッシュ史観に毒されているのだろうか.こういう議論は不要だろうか.理想平和主義から逸脱することになるのだろうか.
by papillon9999
| 2006-04-03 19:43
| 済み
|
Comments(8)
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こんばんわ.関連記事をTB致しました.その中にもリンクがありますが,「『もしわが国が侵略されたらどうするのか?』という問いかけについての確率論」
http://www.geocities.jp/chikushijiro2002/Education/invasion.htm の末尾には,経過措置ながら「国家としての良心的兵役拒否」という考えを書いています.独立に考えたのですが,小田実氏の案と同じだろうと思います.
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はじめまして。
前回のエントリも読ませてもらいました。重たい問題提起です。けれど、避けて通れない問題提起だと思います。 警察力の問題とは秩序維持の問題ということですが、秩序を維持するのには力を用いるか、皆の良心に依存するか、方法は2つしかないわけです。 良心による方法は理想的ですが、まず、不可能。そうすると、力を用いるしかなくなることになりますが、ここでジレンマが生まれる。秩序=平和を維持するには力=警察もしくは軍隊持ってするしかない。力が警察になるか軍隊になるのかは、力が秩序の内側を向くか外側に向くか、にかかってきます。世界的な警察力を実現させるためには、世界的な秩序の構築が必要です。秩序を構築するには、力が必要です。現在、独立した秩序体系で最も大きなものは国家ですが、国家を統合する力とは何か? 欧州では昔、パックス・ロマーナが理想として描かれ、この理想はアメリカに継承されているようです。本家の欧州ではEU統合が進んでいます。この差はどこから来るのでしょう? 歴史の差でしょうか。
yamamoto さんへ ご指示のウェブを拝見しました.「確率の計算」はまだよく理解できず,じっくり考えますが,最後の方に書いてある,「常設国連軍」,「国家の非武装と,日本の市民が個人として国連軍に参加することとは全く別問題」,という部分は私の記事にたどたどしく書いたことと全く同じことだと思いました.また,「世界政府」主義者というのもなるほどと思います.「軍事企業」などの問題もありますが,結局,こういうことでうまく行かなければどうしようもない,ということでしょうか.
愚樵 さんへ 9条擁護派であっても(むしろ,であるからこそ?)おっしゃるとおり避けて通れない問題ですよね.yamamotoさんへのコメントに書きましたが,「世界政府主義」というのは一つの有力な考えではないでしょうか.するとこれからは,「戦争をビジネスとさせない」ことが何よりも重要となるような気がします.アメリカは独善的,欧州はようやく連帯の方向へ進みつつあるのでしょうか.やはり長い経験の賜物かもしれません.
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山岳会に入って岩登りをしていた時の話ですが、壊れかけた小屋(女の幽霊が出ると言う)で寝ていた時、きずくと2m程の真っ黒な大男が傍らに立っていたのです。体を動かそうとすると、大男が上から圧し掛かり全く身動きできません。『話が違う、此処は女の幽霊のはずだ』などと思いながら渾身の力で撥ね退け様と数十分もがき苦しみ、疲労困憊へとへとに疲れ果てに精魂つき掛けた時に思い出したのです。明日の岩登り疲労困憊していては無事では済まない。此処で大男に殺されるか、明日岩から落ちて死ぬか。どちらも嫌だが致し方ない、最後は確率の問題だ。『えーい、もお良い、好きにしろ!私は明日の為に今日は寝る』と思った瞬間に眠りに堕ちていたのです。
悲惨な抵抗をするより白旗を挙げる勇気、「殺せるものなら殺してみろ」と開き直る、敵の正体が判らない時、闇雲に反撃するのは賢い方法ではありません。今北朝鮮が攻めてくる話で9条擁護派は、おたおたしていますが、情けない話です北を解決しても次は中国、それから最大の軍事大国アメリカがという話になります。限が有りません。開き直って白旗を揚げる、敵の弱点が判ってから十分準備して反撃する此れで良いのでは
戦争をやりたい勢力は次々に敵国を作っていきます.それで普段から中国,韓国,朝鮮に関して,文化や国民の程度が大したことではないという刷り込み,日本への悪意を持っているという先入観などを与え,いつかの日のために密かに密かに準備していることでしょう.我々は常にそういう警戒をしておくべきだと思うのです.
我が国民の真の敵は決して相手国の国民ではない,ということを肝に銘じておく必要がありますね.真の敵はきっと国内にいるのです. 相手国との国民同士,気心が理解しあえたら,簡単に攻め込まれる事態になるはずがありません. 大事なことは,国民性の違い,というものを軽蔑の対象としないことだと思っています.こういう地道な予防が何より大切なのではないでしょうか. ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
匿名様 同意して頂いて心強いです.その方へ向けてやらなければなりません.
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