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宗教と人間の脳との関係(4) 宗教基準と良心
2006年 04月 01日
前回は一神教の起源とそれが要求する「偶像崇拝の絶対禁止」は必然的なものだということを書いた.すなわち,一神教とは,ある種の強制力により「内なる神」を一つの「外なる神」が駆逐していった結果生じたものということができる.今回は,「内なる神」を「外なる神」が駆逐することについて,もう少し考えを進めてみたい.これが生じるのは,以下のようにいろいろな場合がある.
1.自分の「内なる神」を確立し得ないで自ら「神」を求める場合 これには新興宗教にひっかかる場合が含まれる.自分の脳が「内なる神」を求めてさまよっている時,魅力的な「神のイメージ」が与えられると,「ああ,ここに本当の神がいた」と思い込んでしまうのだ. 2.暴力的に強制される場合 戦争で侵略されたような時に,侵略した側は自分たちの「神」を強要する.狭い社会であれば,すべて侵略した方の神に置き換わることだろう.しかし,日本全体,朝鮮半島全体,といった広い世界への侵略では,これはなかなか難しいことだ.あのキリスト教でさえ,土着と結びついてその姿・形を変えることが起る.日本における「マリア観音」などはその典型といえるだろう.また,旧日本帝国が朝鮮半島や台湾を占領した時,神社を強制した.だが,当然ながら根付かせることはできず,敗戦後,多くの神社は破壊された(台湾と朝鮮では反応が違ったらしいが). 3.その宗教社会に生まれてしまった場合 生まれながらにその「神」の社会にいたら,自然とそれが「内なる神」の座を占めてしまう.しかし,これは自分の脳が築き上げた「内なる神」とはやはり違いがあると考えられる. まだあるかもしれないが,「外なる神」が「内なる神」の座を占めてしまう場合が以上のようにある.そして大事なことは,その「外なる神」は「強制力」と「権威」を伴っており,人々がみな「崇め」「畏怖」しなければならない対象であることだ. 多くの人は,それを受け入れても「違和感」を感じないかもしれない.しかし,ある人にとっては,「外なる神」の権威,教理,儀式,教祖の行い,その他のあることが,「違和感」を感じるものであるかもしれない.いろんな場面において,ふと違和感を感じる時が来るかもしれない.「なぜ子供を生贄にしないといけないのか」,「なぜこんなにたくさんのお金を差し出す必要があるのか」,「なぜ女性の肉体を提供しないといけないのか」,「なんであんなに偉そうにしているのか」・・・その場面はいろいろあるに違いない. その違和感とは結局のところ,「その人の脳に存在するはずだった内なる神」との落差なのである.それが徐々に拡大していくとどうなるか.その相克を解決しようとするだろう.それが「宗教改革」にほかならない. ところが,残念なことに,「改革された」宗教がまた新たな権威となって強制する側になり,ある人に対して新たな違和感を創出させるのだ.つまり繰り返しなのである.よく考えると,この繰り返しは恐らく絶えることはないだろう.というのは,「内なる神」は千差万別であるはずだからである.違和感が許容範囲に納まる間はいいのだが. あるいは宗教の側から変わる,ということもある.たとえば,仏式の葬儀のやり方だ.都会では火葬した当日に,「初七日まで済ませました」,ということが平気でできるのだ.ずいぶんご都合主義だが,これは遠方の親戚などが「ほんとの初七日」にまた来なくてもいいように,という我々庶民の願いに仏教側(というより葬儀屋か?)が歩み寄った結果であろう. ![]() つまり,命令の意味を自分の頭で考えなければとても危険なことになるのだが,「違和感を感じる」ということは,自分の頭で考えるということに通じる.ではその違和感の拠り所は一体何だろうか.それは,与えられた宗教基準とは独立した良心だろうと思う.宗教が決めた価値基準に基づいて,善悪の判断をすることは実に危険なことで,自分の良心で判断しなければならない,ということだ.そういう「良心」が必要ということだ.(脳が占領されていて,独立した良心を持つのは難しいのは確かだけど・・・) それなら「良心とは何か」という厄介な話になるが,実はこの厄介な議論は回避できそうなのだ.「神の神経学」の192ページには,性善説の基になる「良心」は発達した前頭葉に宿り,性悪説の基になる「悪心」は脳の古い部分が司る,という趣旨のことが書いてある.そうであれば,自分の前頭葉を発達させて,そこに浮かぶものを信じればよいことになる.実際,そうするよりほかはないだろう. それにしても,私の前頭葉は,「殺人はいけない」,「戦争は絶対悪だ」,「憲法9条は改悪してはいけない」,などと命じているが,そうでない人も多い.そういう人は前頭葉がきっと発達していないのだ,と思うことにした. 今回は「洗脳とカルト」について書きたかったが,違う方向にそれた.次回に期したい.
by papillon9999
| 2006-04-01 23:16
| 済み
|
Comments(21)
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TBありがとうございました。宗教や神の問題は難しく、私にはわからないことが多いのですが、「内なる神」と「外なる神」の話は理解できます。「外なる神」を、「お国の方針」とか「社会的規範」とか「組織の価値基準」などとダブらせつつ読みました。
> そういう人は前頭葉がきっと発達していないのだ,と思うことにした. (爆)
0
”「外なる神」を、「お国の方針」とか「社会的規範」とか「組織の価値基準」などとダブらせ”というのはまったく同感です.戦前の「現人神」もそれに入ると思います.
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日本人の多くは宗教を人前で喋りませんが、世界の諸問題の多くが宗教がらみです。脳が宗教を作ったのは間違いないでしょう。内なる神の話は新鮮で興味深いですが、私は脳内麻薬が大きく関わっているのではないか、と考えています。睡眠、酸素、栄養、等が極度に不足すると脳にダメージを与えます。この時体内で脳内麻薬が作られ高揚間や陶酔感などと共に神秘体験も経験できます。脳は神でも幽霊でも宇宙人でも、その時の体調や感情次第でで色々な物を体験ができのです。
実は薬の影響も「神の神経学」には書いてあります.今酒盛り中なのでまたあとであらためて書きたいと思います.
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多くの運動選手はランナーズハイを体感しますが効用ばかりで、害悪は殆んど記録されていません。春山茂雄の脳内革命では「脳内麻薬は出せば出すほど健康で幸せに成る」と説き、医者のくせに、まるで宗教書の様です。長寿の運動選手は殆んど居ません。運動選手は運動で体を壊し引退しています。神がかりの様な言動をする人も幾らか居ます。麻薬は心身を壊しますが、脳内麻薬もやはり、麻薬の様に体や脳を傷つけるのではないか?と私は考えています。脳内麻薬の害毒について、体験でも知識でも何か有りませんか。『神の神経学」には、なんと書いて有るのでしょうか。
宗教体験を薬で実現する,ということは「神の神経学」に書いてあります.瞑想で到達できない場合でも,薬で容易に実現できるようです.それと似たようなことが,なるほど「ランナーズハイ」で起り得ますね!山の遭難時に生じるといわれる幻覚もそうでしょうか.
それにしても【その副作用たる害悪】という点は考えても見ませんでした.よくわかりませんが素晴らしい着眼点ですね.あり得ると思います.無論,こういう悪影響については「神の神経学」には書いてありません.ひょっとしたら魅力的な研究テーマになるかも知れません.害はないと「きっこの日記」で力説されていた「大麻」もひょっとしたらもっと違う意味で副作用があるかもしれませんね.ほんとに貴重なご意見,ありがとうございました. ![]()
キリスト教の聖人達や各宗派の教祖は神や天使、その他の神秘体験をしています。信者も幾らかは体験を共有します。科学では、彼らは嘘つきか又は体験したか、どちらかでしよう。私は体験したと思っています。仏陀は1週間の断食と座禅の修行中数々の邪悪な者達が現れたと記録しています。実は誰でも二日程断眠断食すれば普通に起こる事ですが、知っている人は案外少ないものです。人は自分の目で見た物を信じます。ルターは自分の周りに居る数々の悪魔を見ています。彼の宗教改革が原理主義に限りなく近いのは不幸な事です。彼等は見た物を信じ、疑問に感じた人達を異端として迫害して居ます。彼等が強硬なのは『自分は真理を知っている』と思っているからです。何故なら彼らは現実に体験した(思っている)のですから。無理と思うが脳内麻薬が完全に解明されれば宗教の暗い神秘の部分は無くなり、単に倫理として残る時が来るのでは、と考えています。多分私達が生きている間、では無理とは思いますが。
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芸能人が自身の霊体験をテレビ等で語るのを聞きましたが、自分の目撃した物を全く疑っていません。霊魂金縛りUFO念力何でも有り、『自分は見た』だから真実だ。全く疑いません、自分を疑うと言う事が無いのです。
舞台でどんな凄い魔術を見ても、人は信じないが、同じものを自室で見れば信じるのです。人間の目は簡単に騙されます。宗教も仕組みは同じです。 カール・セーガンは『人はなぜエセ科学に騙されるか』と言う本の中で、繰り返し宗教や迷信の危険とそのメカニズムを指摘しています。 普通、科学者は宗教を批判しません。しかし今アメリカでは宗教は科学の分野に土足で踏み込んでいます。原理主義者(福音派)が創造科学等の似非科学を教育現場に持ち込み社会を混乱させています。科学者の宗教に対する、こうした反撃は非常に重要だと思われます。
nunobiki-hさんは脳と宗教の関係について詳しいことをご存知ですね.上二つのコメントに書かれたことはほとんど同意できます.宗教は宗教,科学は科学,と放っておくと非常に危険ですね.だから宗教を攻撃するのではなく,科学的な現象として脳内の出来事を一つ一つ確認していくほかはないでしょう.脳神経科学に頑張ってもらうことになるのでしょうか.特に,「宗教は科学の分野に土足で踏み込んでいます」もまったくそのとおりです.私が書くことがなくなります.
カールセーガンの本は私も読んでいます.早世が惜しまれます. ![]()
実は経験や体験が有るだけで脳や宗教の関係について詳しい事は殆んど知りません。私の体験談を聞いた友人に『君は教祖になれる』と言われた事が有りますが誉められたのか、馬鹿にされたのか難しいところです。超常現象を見たと言う事は、脳が危険なレベルに在ったと言う事で、あまり人前で言える事では無いからです。
宗教の教典を科学者が批判する事は有りません。宗教を攻撃するのはタブーだからです。しかし此れは大きな間違いです。科学は宗教からの攻撃を数百年間受けたのです。そして其れは今も通いています。この歴史を科学者は忘れています。今の自由は血で購った物である事をです。何れかが勝ち、何れかが負けるのです。科学と宗教との共存は、科学の圧倒的勝利以外ありえないのです。 イエス・キリストの再臨は望みませんが、カール・セーガンの復活は望みたいものです。
そうですねぇ・・多くの人にとって,宗教的なものが必要である,という事実は重視すべきではないでしょうか.宗教体験ではなく,生きることへの希望につながる哲学とか慰め,とかいったものです.その意味で,「神の神経学」はこれからの哲学を提示しているように感じました.(著者がどう思っておられるかわかりませんが,そのヒントがあるように思うのです.)しかし,似非科学を使って騙す宗教という意味では,「科学と宗教の共存体制」には,もうそろそろ決別すべき時ですね.
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私自身は『私の前頭葉は,「殺人はいけない」,「戦争は絶対悪だ」,「憲法9条は改悪してはいけない」,などと命じているが,そうでない人も多い.そういう人は前頭葉がきっと発達していないのだ,と思うことにした.』という結論は、ブッシュを支持したアメリカ国民を説明していないと感じています。私自身、まだ分かっていないのですが、少し考えてみました。TBさせてもらいます。
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世界の宗教で唯一日本の伝統的神道、仏教は教義を他者に強制しません。此れは例外的な事柄です。欧米以外で唯一日本が先進国に成れたのは此れが一つの原因では、と私は考えています。
イギリスの7割は耕地か牧草地ですが日本では山林が7割近くを占めています。 『山や川が神である』と言う考えは究極のエコロジー(環境保護)と言えるでしょう。千数百年前から最も進んだ考えが有る事は誇りに思えます。 今ユダヤ原理主義、サウジのワッハーブ派、ネオコン、アメリカの福音派などがブッシュ政権の元で緩やかな同盟を結び強大な権力を手に入れています。彼らの言う強制民主化、対テロ戦争、グローバリズム等は世界征服宣言そのものです。宗教戦争を許してはいけない。彼らの為に世界は危険に晒されています。
KUMA0504さんへ TBありがとうございます.ブッシュを支持した国民は,前頭葉に「戦争は絶対悪だ」と浮かばないのでしょう.キリスト教は「神」でしかできないことを人間に要求し,人間と神の落差を思い知らせることによって教会に跪かせる,という戦略を採っています.キリスト教は別に愛の宗教ではありません.本質は贖罪と終末思想だと思います.この世は最終的に神が介入して,ほんとの楽園をもたらす,それまでサタンのやるがままに任せておく,それでも神を信じ続けることができるか人間を試しているのです.そして神が介入しなければどうしようもないことを(神が)立証したいのです.そういうわけですから,異教徒=サタンの側の人間を殺しても正義だと思えるわけです.
よく,イエスの「汝の敵を愛せよ」などが本質のように誤解されていますが,これは単なるイエスのエピソードと言ってよいでしょう.キリスト教のメインテーマではないのです.TB戴いた記事を拝読しましたが,神を「人間を救ってくれるもの」とする誤解があるように感じました.上にも書いたように,最後の最後に神が介入するまで,どんな不幸な目にあっても神を信じ続けられるか,を試しているに過ぎない,と考えたら「早乙女」の苦悩もなかったのではないでしょうか.
布引洋さんへ 彼らの「他の世界への干渉」=「世界征服」に対する野望は,キリスト教の思想に大きな影響を受けていることは間違いないと思います.私は少なくとも現代においてはイスラム教も他者へ強要しない,と思っています.自分たちは教義を厳格に守ろうとしますが,それをやらない人間たちを非難したりはしてないようです.
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キリスト教(一神教)の本質を、此れ程はっきり指摘できる人物は日本には数少ないでしょう。敬服します。教典を具体的に検証する作業が待たれます。
イスラム教は其れまでのキリスト教をバージョンアップした物で、残念な事に、キリスト教の弱点も幾らかは残っています。17世紀以降は文化的に退行し現在のムスリムを苦しめています。特にサウジアラビアのワッハーブ派は大きな力を持っている為、危険です。彼らはシーア派を異教徒として攻撃し、イスラム世界に困難のもたらしています。
布引洋さんへ 「此れ程はっきり指摘できる人物は日本には数少ないでしょう」と過分のことを書かれていますが,とんでもないことです.私の書いたことはすでにいろんな本やHPにあると思います.
イスラム教が多数の宗派に分裂していることはホントにムスリムのみならず全人類にっても不幸なことですね.それぞれに既得権益構造を守っているのでしょうか.他派の人間を殺せ,と命じられた時,自分自身の内なる神が目覚めてくれるといいのですが・・ と書いた所で,突然,「他派の人間を殺せ」→「凶悪殺人犯を殺せ(死刑)」と似てないだろうか,という考えが浮かびました!!これはどう考えるべきでしょう!ちょっと冷静に考えてみます・・・ ![]()
以前から教典を読んで其の矛盾を明かにする必要を感じて居るのですが、残念ながら私にはアレルギーが有って出来ません。花粉症と聖書(問題の有る記述を読むと怒りに我を忘れる)アレルギーの症状に苦しめられます。自分にできない事を煽てて遣らせようというのは間違いですが、教典を検証する作業其の物は重要です。浅見定雄氏の様な専門家がしてくれれば良いのですが、一般に宗教学者はしたがりません。
一神教では異端者を攻撃(殺す)する事は、正義と考えられています。教義の問題点を明かにする作業は急務です。 「死刑考』の議論の中で一つ抜けている視点が有る。自分(家族)が殺人者になる可能性です。考えてみてください ![]()
異端者と凶悪犯は同じでは無いが、抹殺すると言う行為は、思考回路で同一の可能性が有ります。アメリカのインターネットのホームページに載った性犯罪者達が殺される事件、ホームページに載った産婦人科医達が殺される事件。死刑(私刑)が行われています。
布引洋さんへ 聖書はあちこちで食い違いが見られます.たとえばマルコとルカで同じ部分の人数が違っている,などです.数箇所どころか,それこそ食い違いが氾濫している,といってもよい状態です.調べて見たいものです.
そのほかに,私の前頭葉が『これはおかしい』と違和感を感じる考え・思想もあちこちにあります.これも一つ一つ指摘したいのですが,きりが無くてうんざりするかも知れません. 『自分(家族)が殺人者になる可能性』これは確かにありますね.いろんなレベルの『殺人』があると思いますが,いつどんな巡りあわせでそれに関与することになるかわかりませんね.それにぶつかった時は自分はどんなになるのでしょう.なるほど確かに興味深いです.ささやかな議論など吹っ飛ぶかもしれません. 『抹殺すると言う行為は、思考回路で同一の可能性』は確かに言われてみればその通りのような気がします.死刑ににせよと強迫することは私刑との区別がつかなくなりそうです.よく考えてみたいですね.ありがとうございます. |