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卑弥呼が大和でない理由(予告編)
2010年 09月 19日
次の記事をネットで見つけた.エキサイトブログのニュース欄である.
奈良・纒向遺跡で現地説明会 卑弥呼の?モモに熱視線 ========== 邪馬台国の最有力候補地とされ、「女王卑弥呼の宮殿」と指摘される大型建物跡(3世紀前半)が確認された奈良県桜井市の纒向遺跡で19日、祭祀用とみられるモモの種2千個以上が見つかった・・・・ ========== これを見て思い出したのが今年の年頭の”計”である.そのひとつに,「邪馬台国シリーズ記事を連載すること」があったのだ.内容は邪馬台国はどこで,卑弥呼はどこにいたか,という考察シリーズである.結論は,「邪馬台国は奈良・大和でありうるはずがない,北部九州である」ということである. しかし,途中,鳩山政権の腰砕けですっかりしょげかえり,とうとう9月も半ばを過ぎる頃になっても執筆意欲がさっぱりわかなかったのだ. これでつくづく感じることは,「パピヨンって,なんて器が小さいのだろう!」ということだ.何度失敗しても強靭な精神力で次の機会をじっと待つ,ということが全然できていない. 次々に剥げ落ちていく「友愛内閣」のイメージを直視することができず,なんとパピヨンはニュースからも遠ざかったのだ!ああ,我ながら情けなかあああああ! おーっと,とんだわき道に逸れてしまった.そう,邪馬台国の話だった!実は, 「邪馬台国は奈良・大和でありうるはずがない」 という強い状況証拠をパピヨンは発見済みなのである.この発見はパピヨンのオリジナルであり,学会で発表したいくらいなのだが,いろいろ面倒なこともあって,未だ遠慮している.奈良・大和説は一種のトンデモ理論に近いと言いたいほどである. それをここでもうばらそうか,という気になったのである.(お願い:どなたもパクらないでくださいネ) なぜ,邪馬台国は奈良・大和ではありえないか,いろいろ根拠があるのだが,その中でも最も端的に,なるほどと思っていただける根拠,それは・・・・ 次回のお楽しみに・・・ なあんて意地悪はせんけんね,それは・・・・ 魏志倭人伝では対海国(対馬)から始まって,一支国(壱岐),末羅国(松浦)・・・奴国,と記述が細かく続き,邪馬台国の名が出てくる.そして,奴国までは博多周辺であることは共通認識である. これは何を意味しているか,ということだ.卑弥呼の住む邪馬台国の周辺を事細かに記述していると考えるほかはない.しかも伊都国(福岡県糸島市)あたりで一大率(税関吏)とやり取りする話もある. これに対し,邪馬台国がもし奈良大和を意味するものとしたらどうだろう?どうしてはるかな手前の博多あたりだけこと細かく記述するのか,奈良近辺の記述は皆無なのである. 魏志倭人伝のこのような記述だけからでも,邪馬台国は博多からそれほど遠くない,北部九州あたりであろう,ということの確率は高いのである.少なくとも,奈良・大和あたりであることはほぼ100%ありえない.このようにパピヨンは思っている. それではネット記事にあるような,奈良盆地から発見される数々の巨大で古い発掘物は何か,ということになる.しかしそれは簡単に答えることができる.それは単に, 当時の奈良盆地にも巨大王朝が存在した ということにすぎない.しかし,その名前は邪馬台国ではなく,まだ名前をつけられていない,或る王朝なのである(あるいは三輪王朝に連なるものかもしれない).邪馬台国論争の所為でまだ名前をつけられていないその王朝こそ,大いなる不幸であった. そう,邪馬台国論争はイデオロギー戦争なのである.奈良・大和に持ってきたい,という 奈良論者にとって幸いしたことは,”では奈良・大和でなければどこなのか?”という代替論が,魏志倭人伝の不可解な記述もあって,焦点が絞れなかったことだった. そう,大和論者は,大和地方にも巨大王朝があった,ということで我慢してくださいネ. いつの日かに続く
by papillon9999
| 2010-09-19 16:27
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Comments(18)
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>奈良・大和に持ってきたい,という本居宣長の謀略から
>すべては始まった,ということができよう. >京都学派の連中がそれに固執したのである. 本居宣長ではなく新井白石の間違いでは…\(^o^) そもそも畿内説と九州説というのは、 東大学派と京大学派の対立であって 戦後、繰り返しマスコミが邪馬台国ブームを作り上げ それにどちらかの学派がのっかって 自説を一般の人に広めたという構図がありますねえ… 私も魏志倭人伝に記載された気候、習俗からいって 九州説をとりたいです。
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古田武彦説を採るまでもなく、北九州の邪馬台国もあったし、熊襲にも、吉備にも、出雲にも、大和にも、越にも、東海にも、関東にも、東北にも、それぞれ王権があったわけで、なのに、なぜ、邪馬台国のみを全日本人が日本のルーツとして共通に認識しなければならないのか? 皇国史観の亡霊は形をこのように変えて戦後になっても未だ生き残っているわけです。
この件については論考を構想中です。
あーん,恥しかあああ!みなさんすみません!調べた処,新井白石が畿内説,本居宣長が九州説を主張しましたっ!(とウィキに書いてありました)
どこで間違いが刷り込まれたのかしら???(たぶん,イデオロギーということで国学者本居宣長が刷り込まれたのでしょう) 本居宣長は九州説で,新井白石も後に九州説に転じたとあります。天皇中心主義のイデオロギーが絡んできたのはやはり明治からかな?京都大学の内藤湖南。 尤も,本居宣長は九州説だけど,別に卑弥呼が皇祖である必要はなかったからでしょう。 灰汁さま,ありがとうございました!
>なぜ、邪馬台国のみを全日本人が日本のルーツとして共通に認識しなければならないのか?
pilinさんのおっしゃる通りだと思います。 ちなみに,産経は見事に畿内説です。ほかの朝日などマスゴミもその傾向が強いですもんね。 ![]()
邪馬台国(というか、倭国ですが)は、当時の中国皇帝に承認された王権だ、ってだけですね。
源頼朝の鎌倉政権樹立まで東北北部はヤマトじゃなかったし、西南諸島、蝦夷、琉球が日本に入ったのはそのずっと後。大昔から日本(ヤマト)が一つのまとまった国だったみたいに考える必要はさらさらありません。 >産経は見事に畿内説です。< 「新しい歴史教科書をつくる会」あたりは、「我らが誇るヤマトの祖」が中国なんぞに朝貢して喜んだのは気に入らないので、魏志倭人伝じたいを外国人が伝聞をテキトーに書いただけのもので価値なし、としているようですが。 余談ですが宮内庁指定天皇陵を発掘調査させろ、と切に思います。邪馬台国がわかるかどうかはともかく、古代史研究がずいぶん進むじゃーないかと。
>「我らが誇るヤマトの祖」が中国なんぞに朝貢して喜んだのは気に入らない
これは 「本居宣長は九州説だけど,別に卑弥呼が皇祖である必要はなかった」 と通じていますね。 それにしてもkirikoさん,おめでとうございます!ピンポイントではないですが,それは博多近辺ですよ! なあんて関係ないか(^o^)/^^^^^^^^^^ ところで,ヤマトを誇りたいメンタリティはとても微笑ましくもあります。なにしろ,漢字が気に入らないから,日本独自の古代文字があった,という捏造までやってのけますからね。江戸時代でしたっけ? ![]()
>「本居宣長は九州説だけど,別に卑弥呼が皇祖である必要はなかった」<
宣長は、卑弥呼はたかが九州クマソの女酋長にすぎないと考えたのでしたね。 ヤマト本家が作成した日本書紀は、卑弥呼を神宮皇后だと辻褄合わせをしております。 中国コンプレックスを持つ人々がいかにヤマトを「古来より独立した立派な国」にみなしたかったか、苦心の跡が伺えるものです。 私は邪馬台国が近畿でも九州でもどっちでもいいです。考古学と社会史的見地から合理性があるほうでいいんでないの、と。 >漢字が気に入らないから,日本独自の古代文字があった,という捏造< ホツマツタエでしたっけ。今でも言ってる人がいますね。
>ホツマツタエ・・
懐かしいです・・ずいぶん前にそれを知って仰天したことを思い出しました.ホントだったらなんて素晴らしいんだ(我が国の素晴らしさというのではなくて,宇宙人がホントに存在したというような驚き),という意味と,よく考えた後の,そこまでやるか!?(捏造を)という意味の驚きですね. 皆さん,ホツマツタエのトンデモぶりは,以下のサイトで勉強したらよかですよ. http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k980816.htm http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k020318.htm 似たものに東日流外三郡誌がありますね.ここに,pullin産のコメに出てきた古田武彦氏が登場されます.これで古田氏の学者としての評価は地に落ちたのでした(ちょっと言いすぎかもしれませんが.いいものもあります.三角縁神獣鏡国産説など).これも以下のサイトでどうぞ. http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/1541/gisyo1.html ![]() ![]()
>大和地方にも巨大王朝があった
わたしは、邪馬台国論争は、あまりくわしくないんだけど、 大和の王朝は朝鮮半島からの征服王朝だ、 という説があったと思います。 朝鮮半島の1国だった任那が、朝鮮海峡をわたって 邪馬台国をふくむ北九州の諸王朝を征服、 そののち瀬戸内海を東に進み、行き着いた 近畿地方を本拠地とした、というものだけど。 この説でいけば、邪馬台国はとうぜん九州になります。 また、飛鳥時代まで、任那に日本府があったことも、 理解できるみたいです。 それにしても、邪馬台国論争が、イデオロギー論争でも あることを、わたしは、はじめて知りましたよ。 いままでずっと、純粋な学術論争だと思っていたわたしは、 やはり世間知らずだと思います。 ![]()
邪馬台国を、天皇国とは別でのちに天皇国がそれを併合したとみなそうが、天皇国のルーツとしてとりこもうが、天皇が中心である日本、と考えているうちは、日本の真の姿は、決して見えてきはしないでしょう。
皇国史観の亡霊は、日本史解明の前に未だ立ち塞がっている。
>大和の王朝は朝鮮半島からの征服王朝
これはそうかもしれません。ただし,大和でもそこにあった王朝と戦い,それを征服したのだと今は信じています。 韓国側の研究では「任那の日本府」は疑問符が付いてるらしいです。ここには日韓のイデオロギー論争が存在しているようです。 なかなか純粋な学術論争にはなりにくいんですね。 その理由の最大のものは,古墳などの日本側で純学術的な調査ができないことでしょう。次のコメントに関連します。 >世間知らず いやあ,単なる興味・関心の問題でしょう。
kirikoさん
>宮内庁指定天皇陵を発掘調査させろ、と切に思います この重要なコメントを見逃していました。まったく仰るとおりです。最大の理由が,天皇家のルーツを未だ神話の世界に留めておきたい,という壮大な精神なんだと思うのです。一木一草の神様の正体を暴いてはならないのです・・ したがって,pullinさんの仰ることはまったくもってその通りと思ぅ次第です。 ![]()
そういえば、古墳の年代推定なんかも、
ぐちゃぐちゃだと言われているけど、 やはり発掘調査の許可が出ないので、 より確実な研究ができないそうですね。 世界でいちばん大きい大仙古墳は、 仁徳天皇陵とされているけれど、 実際にはもっと新しいのでは?とも言われています。 (じつは聖徳太子のお墓ではないのか?とか。) ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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http://ime.nu/sankei.jp.msn.com/culture/academic/101010/acd1010101956007-n1.htm
邪馬台国(やまたいこく)は九州か近畿か-。 吉(よし)野(の)ヶ(が)里(り)遺跡(佐賀県吉野ヶ里町)と 3世紀前半の国内最大規模の大型建物跡が見つかった 纒(まき)向(むく)遺跡(奈良県桜井市)の発掘関係者らが 一堂に会して議論するフォーラムが10日、 吉野ヶ里歴史公園で開かれた。 両遺跡の発掘に携わった考古学者が、公開の場で 議論を交わすのは初めて。 両派は今までまともに討論してなかったんですねえ…(^o^)/
>両派は今までまともに討論してなかったんですねえ
そうそう,でもあんまり意味がなかとよ,期待するほどには決着が着かん。この分野って。なぜなら,全部主観のぶつけ合いやけん,議論がかみ合わんとが普通。だけん,両方とも飯が食えるとさ。多くの人は,何が真理か,よりは自分のストーリーが有名になって欲しか,というモチベーションやけん。 パピヨンの前で両派が議論したら,噛み合うように差配して,どっちかが破綻すると思うとやけどね。(そりゃ,破綻するのは近畿派たい(^o^)/) そいでも,古田武彦氏が公開討論に入るといろんな意味でとっても面白かったらしいとよ。機会に恵まれなくて残念。 まあ,こういう方面ではなかなかの当たりたい。二軍の紅白試合で灰汁選手初ヒット。センター前。 |