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エントロピー論から見た税金の意味
2010年 07月 24日
本記事ではいわゆる「大きな政府」,「小さな政府」のいずれが良いか,エントロピー論を参考にして考察してみたい.物理現象の原理を人間社会に当てはめて何かを論じるというのは,例の(今となっては懐かしい)水伝騒動を思い出してしまい,あまり印象がよくないが,エントロピーの概念が拡張・発展したのも別の分野(統計力学や情報理論)とのアナロジーを成立させるのに成功したからである.ということで,ここでは税金と高度福祉社会の意味をエントロピーの観点から論じる.結構うまくいったと思うので,披露して皆さまのご批判の場に供したい\(^o^)/
エントロピーというのは知ったかぶりをして言うと熱力学の二番目に重要な基本概念である(熱力学第二法則に登場)。最も重要なのはもちろん,エネルギー保存則であり(熱力学第一法則),今では自然界の法則として多くの人が頭では納得している原理であろう。とにかく熱力学の法則は宇宙全体を支配する絶対的な法則である。 ところが,自然の摂理はエネルギー保存則だけでは説明が付かない。もしエネルギー保存則だけしか原理として存在しないのであれば,エネルギー枯渇問題など存在しない。エネルギーの総量は一定なのであるから(核反応を除く),使ったエネルギーを集めて再び使いたい形のエネルギーに変換して再利用すれば,永久機関が出来上がるからである。それが不可能であることを保証するのがエネルギーの変換には方向性がある(非可逆性)という法則であり,その方向性を表現するものがエントロピーである。 自然の摂理を表す熱力学第二法則とは次のように言うことができる: 「自然界において外部からのエネルギー供給無しで生じる現象は,すべてエントロピー(の総和)が増大する」 大きな言い方をすると, 「太陽エネルギーの供給無しでは,いずれ食物も電気も新たに作ることはできなくなる」 ということになる.エントロピーの詳しい説明は【注1】にまとめておくが,これを人間社会に当てはめると,人間社会の第二法則ができあがる.\(^o^)/ 「人間社会において政府からのエネルギー供給(政策という名のコントロール)無しでは,人間,および人間社会の持続・再生はできなくなる」 このアナロジーをもう少し詳しく論じよう.【注1】を読んで戴いたものとして,エントロピーの増大則とは,自然のままでは起こりやすい現象しか起きない,すなわち,利用価値の低い熱エネルギーばかりになってしまう,ということである.原子を寄せ集めて人間を作るのは神しかできないが,放ったままでも人間は原子に還る.エントロピーが増大するのが自然というのはそういう意味だ. これを人間社会に当てはると,おこりやすい現象とは,本能丸出しの原始的な闘争に支配されてしまうこと,弱肉強食の世界,無法状態になりやすいことである,というのが本記事で言いたいアナロジーの第一である. なぜなら,人類がこれまでで築き上げた知的生命体としての営み,まだまだとても十分とは言えないが,は大いなる努力なしでは決して実現しないことだろうと信ずるからだ.農業でいえば,自然の脅威や意地悪(害虫や雑草,病気等々)と闘いながら,とてもおいしい食物を実らせる,政治でいえば民主主義国家を築き,恵まれない弱者をも社会の一員として当然のことと思う,知的生命体としての営みはそういうことに相当するだろう(まだまだ不十分だよ).エネルギー論からいえば資源をうまく組み合わせて高性能の電池を作るようなもの,自然界でいえば原子を寄せ集めて人間を作り上げるようなもの,だ.これはエントロピーの低い状態(実現するのに外部からのエネルギーが必要,つまり大いなる努力が必要)に相当しているのである. とするならば,言いたいことの第二は,そういうエントロピーの低い状態を維持・再生するためには外部からのエネルギーが必要であり,それこそが政府からのエネルギー供給(政策という名のコントロール)であるということである. ここでコントロールと書いたが,資源をうまく組み合わせて電池を作るように,政策によって人間社会の健全な活動を生ぜしめようとする意図を意味する. そして第三には,そういう政策を実現するためのエネルギーが税金であること,と言いたいのである.すなわち,税金とは自らの社会を健全に持続再生していくための必要なエネルギーであり,社会構成員は喜んで提供するはずのものである. 高度福祉社会とはそのようなシステムがうまく行っている社会のことである.今,そのモデルといわれる北欧諸国が合格圏に達しているのかどうかはよく知らない.しかし,ここでは理想としての未だ実現していないかもしれない状態を想定しているのである.まるで昔,理想に燃えて語った社会主義みたいである.でも違うのは指導者とか階級史観とは無縁のものであることを強調しておきたい. この社会では,税金はすべて国民のために使われる.したがって,必要となれば国民はその税負担増にも喜んで従うであろう. 以上から明らかなように,この記事の結論は,ネオリベ(新自由主義者)の主張する「小さな政府」論,一心同体の「市場原理主義」は大きなエントロピー増大を招くということである. ただし,「大きい」,「小さい」,その言葉のみで判断してはいけないことも強調しておかねばならない.エントロピー増大を招かない適切な施策であるかどうか,常に原点から考えるべきである. 以上で本記事の主張は終わったが,最後に念のために書いておきたいことがある.市場原理主義こそ外部からのエネルギーではないか,という反論に対する反・反論である. エントロピー増大とは変化が起きにくくなることであり,確かにイメージ的には市場原理主義とはそれとは逆のダイナミックな変化をもたらすもの,という感じを与え,いかにもエネルギー供給のようである.しかし,これこそエントロピー増大をもたらす張本人である. 市場原理主義,小さな政府主義によって変化が起こらなくなる状態は以下のようにして生じる. まず,弱肉強食による順序が固定してしまう.すると負けた方は何もできなくなる.その日食うものを手に入れるために必死でそれがすべてとなる.こうして,市場原理主義の数少ない勝者はいったんすべての勝利を得る. ところが問題はここからである.実はよく考えるとその勝利を継続することはできない(儲け続けることができない)のである.なぜなら,市場そのものがなくなるからである.これは水位の話でいえば落差がなくなることに相当する.結局,落差が無くなって儲ける手段がなくなったら,・・・・その勝者はどうなる?儲ける相手がいなくなれば・・・・そう,何も変化が起こらなくなるのである. (ただし,この,何も変化が起こらなくなる状態になるまでにはかなりの時間がかかるだろう。なぜなら,未開発国が資本主義的な餌食として食い尽くされるまでは,市場原理主義が生き延びることができるからである。それまではこのウィルスは生き延びるのだ。どうにも仕方がない。だからその前にエネルギー供給的介入によって絶滅してもらわなければならない。) 【注1】 水力や風力,太陽光,化学エネルギー,熱エネルギー・・・,エネルギーはさまざまな形態をとる。人類はこれらのエネルギーを目的に対し利用しやすい形態のエネルギーに変換してそれを利用している。ところが,これらの変換は方向性(非可逆性)が存在するのである.たとえば電気エネルギーは100%を熱エネルギーに変えることができるが,その逆方向にはわずかしか変換できない.熱エネルギーはいろんなエネルギー変換の際に登場するが,いったん熱となったエネルギーは再び利用するには大変効率の悪い形態,質のエネルギーなのである. これを少し別の言葉で表現してみよう。たとえば物質がうまく寄り集まって協同組織を構成すると,猫のミーちゃんができあがる。ミーちゃんがミーちゃんであり続けるためにはエネルギーを補給し,絶えずその協同組織を維持していかねばならない。 一方,ミーちゃんが天寿を全うしたとしよう。するとこれまで協同組織を構成していた各分子や原子は,それぞれの個別のものに還っていく。同じ物質でありながら,協同組織を営む事のできる状態とそうでない状態とがあるのだ。 前者を秩序の高い状態,後者を秩序の低い状態とみなすことができる。エントロピーとは,このような秩序の程度=バラバラの程度を表す量なのである。上の例でいえば,電気エネルギーの状態はエントロピーが低い状態(統制された状態),熱エネルギーに変化した状態はエントロピーの高い状態(バラバラな状態)ということができる。 秩序の高い状態は放っておくと秩序の低い状態に自然に変化していく,というのが熱力学第二法則の別の表現である。 人間社会も放っておくと=市場原理主義に任せると,無秩序の状態になっていくのが自然の法則であろう,というのがこの記事の趣旨なんである。
by papillon9999
| 2010-07-24 00:39
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Comments(16)
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市場原理主義,小さな政府主義から脱却すべしという主張をするなら、自らが享受している消費者としての利益や利便性をどこまで押さえ込む事を説得できるかにつきるでしょうね。
特に、日本のように消費者天国のような国だと、消費者利益に反するような大きな政府は極めて難しいですしね。(最近発生した、ゆうパックの遅配程度に文句をつけているような状況では、とてもじゃないが大きな政府は無理だと思う)
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Dマゴギーさんとはこの辺りが違っていますね。この記事もDマゴギー酸を念頭に置きながら書いた部分もあります。
ただ,市場”原理”主義を批判しているのであって,市場主義は当然の前提としています。大きな政府といっても,国家管理に基づく配給制などを意味してるんじゃないですけどね。企業社会が前提です。 ただ,それも資源やエネルギー枯渇時代,環境至上主義時代にはやはり必然的に政府によるコントロールが必要となるものと考えます。 市場原理のメカニズムだけでうまくいくとは考えられません。そこには制御システムが内包されてないからです。制御システムが入るとそれは大きな政府となります。 ![]()
配給なんかは極端すぎる例だとしても、政府の規制は多くの場合消費者利益に反する事になります。
ゆうパックなんかの宅配事業なんかは典型的な例に当たりますよ。 今回の遅配の原因なんかは、規制云々とは関係ないとは言えど、今日出した荷物が、明日届くと言ったシステムは、規制(労働者への過剰な負担の抑止や賃金規制・法令順守)を強めれば確実に成り立たなくなります。(もしくは運送料が跳ね上がる) ちなみに自分は大きい政府主義者ですよ。(色んな人達からゴリゴリの新自由主義者だと見られてますが)
>ゆうパックなんかの宅配事業・・・
自分が享受している便利さを犠牲にする覚悟があるか,ということですね。現実のシステムとして考えると二律背反の面がどうしても出てくる,そこをどうするか,ということが問題ですね。 仰ることがようやく理解できるようになりました。\(^o^)/ 国民がどこで合意するか,それを決める民主的なシステムが担保されなければなりません。 ところで,「ちなみに自分は大きい政府主義者ですよ。(色んな人達からゴリゴリの新自由主義者だと見られてますが)」 えー?そうなんですか?それは意外だなあ。でもいろいろ負の側面からも考えてみるということですね。とても素晴らしい。失礼しました。 ![]()
税金によるにしろ、市場原理によるにしろ、循環するエネルギー(要はお金)も、政策によるコントロールも、社会(系)の外部から来るものではないので、物理的なエントロピーとの間にアナロジーは成立しないように思います。政府を社会の系外に置く考え方は、少し無理があるかもしれません。
※前回、私の方がいなくなった方がよいかという提案をしましたが、答えが得られなかったため、受け入れられなかったと判断して、書き込ませていただきました。ご迷惑なら削除等で対応願います。
>政策によるコントロールも、社会(系)の外部から来るものではない
いやあ,これは本質的なところを突かれましたね。これに対する回答がなければ確かに永久機関の話をしているにすぎないことになります。考えさせていただきます。\(^o^)/ ところで, >私の方がいなくなった方がよいかという提案・・・ えーっと,そういう認識は全くなかったです。そうであれば大変失礼しました。いずれにせよ何事もそういう問題には考えないタイプです。 迷惑などととんでもないです。 ![]()
うーん,これも本源的な質問ですねえ!
・・・と思ったけど,コントロールといっても市場メカニズムもあることだし,100%当たりを期待しないでくださいな(^o^)/ でもこの記事,なんか説得力がなかったかなあ・・・
そういえば重大なことを書きもらしています。
パピヨンの言う大きな政府とは,公務員の数を増やすことではないのです。むしろ減らすことができるでしょう。 たとえば,公務員は任期制,希望者は抽選の上,ある期間だけ採用されるのです。つまり,市民の交代制,当番制のようなものですね。 他に専任者もいるわけですが,信任投票があって,威張ったりすると投票で解任されます。 ![]()
追加項目についても一応感想を述べさせて頂きます。
任期制により習熟度が下がれば業務効率は低下し、サービスを維持しようと考えれば、人員増を含めたコスト増加が見込まれます。 任期を制限して員数の柔軟化を図る効率化は、人材派遣業に見られるように、仕事量が不安定な場合には有効ですが、安定した公務員の業務には不適な方法という気もします。 また当番制ということですが、一方で希望者の抽選とも書いておられます。現在の公務員試験による選抜との間に、任期以外の差異が感じられません。 なお、公務員の当番制の例としては、徴兵制がありますが、コスト高になるため、多くの先進国は採用しておりません。 信任投票は、どのような方法で実施するかにもよりますが、投票対象への評価の正当性確保がネックとなるでしょう。
公務員の現場では事務職でもすでに非常勤・パート職員がかなりの部分を占めるようになってきていますね。
ジレンマがこういうところにもあります。というのは,公務員の職場が魅力ないものとすれば,当番制というのは罰ゲームになりますし,魅力ある給与を支払うとすれば当番で特別手当をもらうようなもので高コスト体質になります。 うーん,わからんが,未だ真剣に考えたくないですね。 ![]()
事務職のような専門性のない部分は、非正規雇用へ置き換えやすいですからね。papillon9999さんの方法論は、その延長として短期雇用の枠を拡大し、人件費を削減するということでしょうか。
サービスの質を維持しないのであれば、それもよいかもしれませんが、専門性や人材の育成は期待できませんし、低賃金・低保証で使い捨てるという手法にも感じられます。 人を育てるには時間がかかりますし、任期制への置き換えには、私は懐疑的です。
>その延長として短期雇用の枠を拡大し、人件費を削減するということでしょうか
ちょっと違うんです.公務員にあこがれる人が多いのならば,公職ですからみんなが就職の権利がある,という考えです.上に書いたジレンマはこの時に生じると思ったわけです. つまり安すぎたらだれもあこがれないし(罰ゲーム),憧れるような高給であれば無駄なコストになってしまう,ということですね. いずれにしても未だ真剣に考えたくないです(^o^)/ ![]()
公務員の事はシンプルに考えるのが一番。
楽だけど給与は安いか、きついけど給与は高くするか。 今のように、楽で給与が高く職を失う心配も無いと言うのは、人を駄目にするだけです。だいたい、雇用保険を掛けなくてもよい身分なんてのが、おかしい事に皆はもう少し気付くべきでしょう。(天下りをやりたがる公務員のみ年金が特別待遇なんてふざけた制度もあるしー) ![]()
あこがれるというか、希望者の多い一番の理由は「安定している」という点だと思います。もちろん公務員にも色々ありますから一概には言えませんが。
任期制にした時点でその魅力は無くなるでしょう。生業とすることができないのでは、集まる人材もそれなりでしょうし、試験による一定レベルの確保さえもできず、まして育てる時間もないのでは、悲惨なことになりそうです。 また、就職の機会を平等にすべきということであれば、現状でも十分だと思います。抽選にする意義も不明ですし、国民へのサービスがおろそかになるような制度変更は本末転倒です。 papillon9999さんの方法論では、官製の非正規雇用者を造りだすだけのように思われます。 話は変わりますが、真剣に考えたくないというのは、この話題を打ち切りたいということでしょうか?もしそうなら失礼いたしました。その場合、これを最後の書き込みといたします。
そうですね。ほとんど同意です,みなさま。
ただ,任期制の問題は,任期終了した後の行き先が問題でしょうね。のんびり過ごしたら何のスキルも身に着かないので使い道がありません。専門職種(警察,医療現場,保育現場,消防,災害出動など)はじっくり育てて大事にする必要があるでしょう。 ところで,たとえば,の思いつきに対しいろいろアイデアやご批判をいただき誠にありがとうございます。大変参考になります。 >この話題を打ち切りたいということでしょうか? いや,そういう意味ではなくて,まだ皆さんの詳細な検討に堪えられる叩き台とはなっていないということです。いろいろな問題点があることがわかりまして,大変参考になります。 他にも何かありましたらいろいろご教示ください。それらをまとめると良い叩き台にたどり着くかもしれません。 |