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死刑考(続編)
2006年 03月 23日
前回,死刑廃止は遺族の「復讐感情」を満たすことができず,遺族の人生再出発が難しいということを書いた.死刑廃止論は,遺族の人生のケアを第一に考えた理論に高めて欲しい.
今回は,死刑による「復讐感情」がどのように満たされるのかを考えてみたい.というのも,あの池田小事件の犯人,宅間元死刑囚が,あっという間に死刑執行されたからだ.それを知った時の私の感想は,「そんなにあっさりと死なせたらもったいない」,「簡単に死なれたらたまらん」,「あれじゃあ,被害者の遺族も逆に満たされないだろうなぁ」であった. だって何にも罪を悔いてない.恐らく,可愛い盛りの小学生たちを殺した,という事実と向かい合う間もなかっただろう.本人は早く死にたがっていたというではないか.きっと怖かったのだ.自分自身の心に「雑念」が湧き起こることが. 遺族の「復讐感情」が満たされるためには,死刑執行までの間隔が短いほどよい,とは必ずしも言えないと思う.最もいいのは,遺族が殴り殺す,というのだけど,それは2次殺人者を生むことになるからやめよう.どうすればいいか. 一生,毎日毎日,塀の中で強制労働をさせることだ.いや,非人道的な労働をさせるということではない.普通の肉体労働でいい.毎日毎日,黙々と続けさせる.ただし,一人だけの労働で,独房生活だ.そのうち何が起きるか.きっと,ある日突然,すさまじい後悔,慙愧の念が沸き起こるはずだ.悔恨と被害者への申し訳なさに身悶えするはずだ.そういう雑念,「本当のつらい感情」をぜひ味わってもらいたい.そういう日が来るまで生かしておくのだ.そして,その日が死刑執行の日. それまで遺族は再出発できないが,これは刺し違えの復讐なのだ.しかし,そうなったらもう遺族の感情も癒えているかもしれない.遺族の方から死刑執行の取り止めを嘆願することになるかも知れない. 麻原彰晃の裁判が8年と長引いている.さっぱり前に進んで行かない理由は,あげて麻原弁護団の血迷った訴訟戦略にあるだろう.裁判の引き延ばしでは死刑判決が先に延びるだけで,麻原個人の救済にはなんらなりえないことに弁護団は気付かないのだろうか.(尤も,法曹界では8年なんてミジカイ,ミジカイ,という評価らしい.このギャップに驚かされる.)とにかく,長引けば長引くほど,麻原が自らにかけている暗示が解ける確率は高くなる.すると,自分自身の心と直接向き合うことになり,種々の雑念が生じるであろう.これは麻原個人にとって最悪のケース,遺族にとっては万分の一の復讐を果たせたことになる. 最近では麻原個人を廃人ということにして,判決そのものを出させないようにしようという戦略に転換したようにみえる.これも裁判の引き延ばし戦術の一つにすぎず,いずれ判決までは行くはずだ.この「裁判引き延ばし」は,結果として死刑執行の引き延ばしと同質のものだ. あるいは,麻原は自分の心と向き合うのを避けるうちに,ほんとの廃人となってしまうかもしれない.そうなると,麻原個人にとっては最も幸せなケースだろう.(この意味で,弁護団の引き延ばしは麻原救済になると言えなくもない).しかし,被害者を初め,社会にとっては最悪のケースとなる.あのすさまじい事件から何の教訓も引き出せないからだ.弁護団の責任は重大である. とにかく,裁判引き延ばしでは麻原はいつまでも「死」を以て自己を清算することができない.これはある意味,とてもかわいそうなことだ.本人はいいとしても.弁護団はこれに気付いてやるべきだろう.遺族にとっても,これでは復讐にはなりえない.尤も,弁護費用をたくさん稼げるから,早く結審するのは困るのかな. 3女アーチャリーたちは心身ともに健康な青年に育っているらしい.どうか父親の分まで素晴らしい人生を生きて欲しい. ![]()
by papillon9999
| 2006-03-23 00:41
| 済み
|
Comments(21)
とても難しいテーマです。
遺族の復讐、見せしめによる犯罪防止、本人の悔悛の可能性どれをとっても様々な思いがあります。 最近の事件では、特に宮崎勤以降は犯罪防止の役割はほとんど期待できない様な感があります。 出来れば本当の終身刑(生きている間決して出獄出来ない)を作って死刑に変える事で被害者の復讐心と万が一の冤罪の可能性を避けることを両立出来ないものかと思います。 いずれにしろ、被害者の死を無にしないためには、犯罪の背景、病理を徹底して解明し、社会のために活かす事がなければ浮かばれません。
0
私の底の浅い議論に付き合ってくださり大変嬉しい限りです.「本当の終身刑」というのは非常に有力な考えだと私も思っています.死刑が廃止される場合は,これをぜひ導入して欲しいものです.万一,冤罪だったと判明した場合,まだ少しは取り返しがつきますからね.死刑廃止の根拠として「国による殺人を許していいのか」という観念論は好きではありません.あくまでも「冤罪の可能性」の観点から死刑廃止を主張したいものです.
犯罪の責任は犯人個人に全て帰せられるのは当然ですが、犯罪は必ず社会的な背景を背負っています。責任とは切り離して、社会の有り様を顧みるためにも犯人を生かしてフィードバックさせるべきではないかとも思います。社会の闇の部分の切り口が提供出来れば、犠牲者の死も犯人の生も共に意味を持つことが出来ます。
宅間元死刑囚のケースは人生の無意味さを感じさせるだけで、犠牲になった方達の人生も貶めているような感が残り、後味の悪い処置でした。
おっしゃるとおりですね.せめて教訓を汲み取ることによって,次の犯罪を防止することに活かすべきなんでしょう.重要なご意見ありがとうございました.
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仏教の最高戒律は殺生戒ですが、人を殺すのは宗教者であれ無神論者であれタブーである事は議論するまでも無いでしょう。昔から多くの国で国家反逆罪は最高刑(死刑)なのですが、日本では平安時代の300年間最高の刑罰は流罪で死刑では無かったのです。現在日本では年間一ケタ台の死刑が行われていますが、はたして文化的に誇りに思えるのか、考えて見たいものです。
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国家による殺人は決して観念論ではありません。現在行われている事柄です。イラクでは毎日行われています。唯イスラエルでは死刑が廃止されて居るのですが、そのために、犯罪者(パレスチナ人)は逮捕せずその場で射殺しています。民主主義の未熟な国家では死刑廃止は、かえって死刑を増やすでしょう。フセインの息子のクサイをアメリカが殺してデスマスクをテレビで放映していましてが野蛮な行為です。江戸時代以前の晒し首と同じか、それ以上でしょう。日本文化の復興として死刑を廃止し流罪を復活させると言うのは如何でしょうか。
国家による殺人についてですが,観念論と書いたのは,戦争なんかによる殺人と死刑とを一緒にして考える点を衝いたのですが,的外れだったでしょうか.流罪とは面白いですね.極寒の地で開拓させるとか・・・
でも監督のために勤務する人が可愛そうですねぇ・・・ 死刑を廃止しているから,捕まえないで射殺する,そうですか・・・思いもよらぬ両面(裏面)があるものですねえ. 貴重なご意見,ありがとうございました. ![]()
流罪で、罪と罰の主人公のラスコリーニコフのシベリア流刑を連想されたようですね。私は平家打倒を企て喜界ヶ島に遠島になった僧俊寛をイメージしていたのですが。遺族による、復讐の話ですが、イスラム法では強姦殺人等の場合処刑の前に遺族に死刑囚を鞭打ちする事を認めています。アメリカの幾つかの州では処刑に被害者遺族の立会い(見物)が出来ます。イスラム教とキリスト教には良く似た文化が有るようですが、日本には馴染まないでしょう。あだ討ち禁止令から百数十年、日本に復讐は無いようです。江戸時代、あだ討ちは奨励されましたが復讐は禁止されています。卑属に対するあだ討ちは認て居ません。主君や尊属だけです。山口県の母子殺害事件での復讐は江戸時代でも認められないでしょう。
いや,俊寛も浮んだのですが,自活させるわけですね.麻原なんかだとすぐ弟子が救出に来そうな気がして・・卑属に対する仇討ち云々はよく知りませんでした.参考になります.結局,復讐は日本では公的に認められていないのですね.栃木のリンチ殺人なんて,遺族でなくても復讐したい気にさせられます.自首した一人を除いて,別に更正してもらわなくても結構.せめて一生,シベリアで稲作ができるように頑張ってもらいたい・・・
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ところでいわゆる「先進国」で死刑存続しているのは日本とアメリカだけ。私は(G7に属する)ヨーロッパ諸国やカナダに長期滞在していますが、これらの国々では「奴隷制度」が今あれば信じられないように、「死刑制度」なんて遠い昔の野蛮な時代の話だという理解が共通(常識)で「アメリカはなんなんだ?」という感じです。冤罪が絶対否定できない事や科学的に死刑の犯罪抑止力は全くないことが明らかにされていること、それと「国家による殺人、復讐は許されない」というのが主な理由です。個人では復讐してはいけないのに、「国がするなら良い」とういう理屈は通らないというのが一般的な感覚です。日本も死刑制度あるよ、というと皆ビックリします。
予想される反論の「他の先進国の常識だからといって正しい、それが良いとは限らない」「他の先進国がやっているからと言って良いとは限らない」というのはもっともですが、参考までに。 ![]()
ロンドン地下鉄で無抵抗のブラジル人青年を警察が射殺した事件で当局は一応謝罪しましたが、射殺方針その物は正当化し、継続するそうです。『いわゆる先進国』でも、戦争を正義としている国家での死刑廃止は、無意味とは言えないまでも、かなり矛盾した物になります。一殺は悪で、戦争(大量殺人)は善と言うチャプッリンの指摘した滑稽は今でも生きています。現在瀕死の状態でも、憲法9条の有る『アリガタサ』を私は、しみじみ噛み締めています。改正して、『普通の憲法』にすれば東京もロンドンの様に、なるかも知れません。イスラエルの例は極端かも知れませんが、良く似た事柄は、多くの国で有るようです。
あのう、すみませんが非国民と言うペンネーム何とか為りませんか、私この字を見ると感情的発言しそうなんですが。
非国民さんへ よろしければHNの由来を教えていただけませんか.どんな思想を持とうと,国民は国民です.死刑囚であろうと.ちょっと呼びかけにくいですからね.
さて,『個人では復讐してはいけないのに、「国がするなら良い」とういう理屈は通らない』」とか,『戦争で殺すのも死刑で殺すのも同じ野蛮なことだ』とかいう,『安易な』議論を観念論だといいたいです.『「死刑制度」なんて遠い昔の野蛮な時代の話』という時代が来るのかもしれませんが,それこそ安易な観念論を基にしたものでなく,『遺族の再出発』が可能となるような説得力で以って,『死刑廃止論』を唱えていただきたい,というのが私の言いたいことです.
布引洋さんへ 戦争で大量の人殺しをやっているくせに,死刑廃止を取り入れるなんて偽善の最たるものではないか,と思いますよね.全面的に同意できます.日本国憲法の理念は人を大切にする,ということですが,その理念を捨てたら気軽に射殺される社会になることでしょう.
そして,国が責任を持ってしかるべきけじめをつける,ということに信頼感が無ければ個人的復讐が横行するのではないでしょうか.(警官が義憤のあまり,凶悪犯を射殺するとか,こういう奴は死んだほうがみんなのためだ,とか・・・)
非国民さんへ念のため 安易な観念論といったのは,『個人では復讐してはいけないのに、「国がするなら良い」とういう理屈』はなぜ通らないのか,『戦争で殺すのも死刑で殺すのも同じ野蛮なことだ』と言っていいのか,という説明が無いからです.私はそういう理屈よりも,『冤罪は絶対になくすことができないから』という理屈なら,渋々ながら死刑廃止を認めなければならない,とは思います.
さらに念のため 冤罪は絶対になくすことができないから』という理屈により,死刑廃止となった場合でも,現行犯のように冤罪ではないことが100%明らかなケースのみ死刑を容認する,ということはどうか,というと,こういう場合でも死刑はだめです.必ず灰色の部分の事件が出てきて,100%明らかであるかどうかの認定を巡っての冤罪が発生する可能性があります.したがって,いったん死刑廃止を認めたら,無念ながら,100%犯人であることが明らかな場合でも死刑廃止を適用しなければなりません.
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山口県母子殺害事件の被告を無期刑にする事は大変危険です。日本における無期懲役では通常、懲役20~30年の後、仮釈放されます。寸又峡事件の在日韓国人囚人は40年でしたが、此れは例外で普通30年以内で自由の身になれます。不愉快な事ですが、性犯罪の再犯率は、その他の犯罪に比べ異常に高いのです。犯罪の抑止は理性で行うものですが、性犯罪は本人の性癖や本能等制御が難しい、人間の闇の部分が関係しているからです。40代で彼は一般社会に還ってきます。未成年だったので匿名のまま。名前も知られずに。
仮釈放を認めない終身刑を早く作らねば為りません。終身刑があれば実質死刑は、ほぼ無くなるでしょう。 数百年間復讐が認められていない日本において復讐をマスコミで公言する遺族には、・・・可哀想とは思いますが,違和感も感じます.復讐して本当に癒しが訪れるのでしょうか。
死刑廃止の場合は終身刑が絶対必要ですね.恩赦なしです.冤罪とわかった場合の取り返しも万分の一かはつきます.あの犯人を娑婆に出すことが危険なのは明らかです.同意します.
癒しを得るために復讐するのではないと思います.刺し違えて死んでもいいのだと想像します.国が責任もってけじめをつけてあげないと(死刑なり終身刑なり),遺族は一生立ち直れません.二重,三重の被害をさらに受けることになるのです.
本村さんにとって、どんな七年だったでしょうね。
長く苦しい七年だった事には違いないはずです。 最高裁差し戻し・・・ また闘いが始まりますね。 本村さんはもとより、この事件から社会は、そして私たちは何を学ぶか? 大きな課題を与えられた気がします。
葉山晶一さん 早く決着が着いて欲しいものです.再審は弁護戦術によってもっと長引きそうな気がします.そうなると被告(犯人)も被害者も両方かわいそうだと思います.必要で十分な時間で裁判は進めるべきですね.
それにしても,犯人の父親の映像をテレビで見ましたが,当然だけど犯人にも肉親が居るのですよね・・・・あんな犯人でも死なせたくはないという気持・・・今度貴ブログをゆっくり訪ねます. ![]()
よく「犯人には極刑を望む」と言うようなことを公的に発言される遺族の方々がいます。一体遺族の方々は、何を極刑として想像されているのでしょうか。遺族は極刑の様子を見物すれば気が済むのでしょうか。アメリカでは、遺族が首吊りや薬物注射の様子を見物できる州があるようですが、宅間氏と同じように(こちらの場合は真犯人かどうか非常に疑わしい状態で)判決後一年で死刑にされた、オクラホマ連邦ビル爆破事件のティモシー・マクベイ死刑囚の執行は公開だったそうですが、当日の処刑を参観した遺族や被害者のうちの一人は、「死刑囚が(薬物で)割と安らかに死んでいったことが不満です」との発言を残したそうです。
死刑執行数ナンバーワンの中国でも死刑は、残酷な銃殺刑に代わって薬物注射で行われているそうです。アメリカのたった一つの州にその銃殺刑が残っているそうです。そういうものを仮に公開し遺族が見聞した場合、特に被害者が銃殺によってなくなった遺族ではあとで深刻な心的障害を残してしまうのではないか。 アメリカのどこだかの州には、一生出てこれない終身刑があるらしいですが、それを日本でも施行すると凶悪犯の再犯防止にも役立つのではないでしょうか。
おにこさんへ コメントありがとうございます.『極刑』とは『残虐な刑』という意味ではなく,『最高刑』といったほどの意味ではないでしょうか.
今では『終身刑』さえも,『絶対出て来れない牢獄とはなんて残酷な!』という議論がすでになされているようです.私でも何となくわかるのは,地獄の『賽の河原』を想像するからです.命尽きるまで牢獄で単純作業をさせるのでしょうか.終身刑は『更生』ではなく『刑罰』思想だと思うので,出所後に備える単純作業も無意味ですから,それこそ河原の石積みを死ぬまでさせることになります.これをおそらく『残酷』だと感じているのでしょう.わかります.ある日突然,『すさまじい後悔に襲われる』というのも期待できないかもしれません. 死刑の代替としての終身刑は無理のような気がして来ました. |