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『公的行為』とは何か(1)
2010年 01月 11日
あれほど轟々たる非難を巻き起こした天皇会見とは一体なんだったのだろう?マスゴミは何ら反省の欠片も無く,すでに次のゴミの生産に移り,それを撒き散らし続けている。
このような無責任なマスゴミは無視して(どこか,反省と総括記事を書いたところがあるだろうか?),これを機会に,一体,『公的行為』ってなんなのだ?ということをまとめておきたいと思う。 この考察は,拙記事:公的行為と内閣の責任(2009年 12月 19日)において,コメント欄で交わした,しっくいさん,Runnerさん,灰汁狸菟簀さん,およびパピヨンの議論から生まれたものである。 それは別の記事で総括するが,とにかく外国大統領クラスと天皇の接見が,憲法に言う「国事行為」に含まれない(なぜか,もっと格下の大使・公使という役人レベルとの接受しかない)という『謎』を発見したことがきっかけであった。 いや,当然ながらこの謎自体は我々が初めて発見したと言ってるわけではない。天皇が憲法7条に明記してあること以外に何もできないとすれば,大統領との接見もその他多くの行為もできないことになる。 その矛盾を乗り越えるために,『公的行為』なる概念が生み出され,すでに長年に亘って実施されて来たのである。我々の疑問というのは,なぜそのような『公的行為』という,憲法に無い概念を必要とするほど,現憲法は『不備』なのであろうか?ということなのである。 そう,これは明らかに『不備』であるといわざるを得ない。憲法が大統領と天皇との接見を想定していないはずが無い。それなのに,なぜ,大統領との接見は『公的行為』の概念がなければできないのだろうか?厳密に適用すれば,1ヶ月ルールどころか,オバマ大統領との接見も憲法違反になるのである。 現実には,『公的行為』自体を憲法違反とするよりも,オバマ大統領と接見できるようにすることの方が大事であろう【注1】。そのようにするためには,大きく分けて二つの方法が考えられる。 A.『公的行為≒準国事行為』とみなして,第7条で合憲と解釈する。 (当然,内閣の助言と承認が必要であり,逆に言えば内閣は助言と承認ができる,ということになる。) B.『公的行為』という概念は憲法にはないが,天皇の象徴行為(パピヨン造語)として許されるものとする。その際に,内閣の関与は以下のいずれとするのかで,異なるバージョンとなる。 B1 内閣の助言と承認を必要とする。 B2 内閣の助言と承認を必要としない。 B3 内閣の助言と承認は第7条違反であるから,内閣は関与できない。 ここで,憲法第3条,4条,7条を掲げておく。 憲法第3条:天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。 憲法第4条:天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。 憲法第7条:天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。(あと10項目列記) Aは憲法7条の拡大解釈である。これはあまり望ましいことではない。あらゆることを憲法では想定できるはずが無く,長年月のうちに憲法の想定と実態とが乖離してくる場合が出来するのはやむをえないが,これに関しては想定できないはずは無い。 それが7条には書いてなく,4条にはこれ以外に国事行為は無い、と明記してある。大使・公使を大統領と同等と解釈できないことは無いだろうが,できれば,Aの方法でない方が望ましいと思われる。 現行ではどう運用されているだろうか?「象徴行為」という言葉は別として,Bが罷り通っているのが現状だろう。その際に,内閣の関与はどうであろう。B1かB2かB3かは未だ確立しているとは言えないのではないだろうか? B1はAとは別の意味で憲法第7条違反のように見える。すなわち,わざわざ列挙してある『国事行為』。これらは内閣の助言と承認を必要とするが,逆に言えば,『これら以外には内閣の助言と承認はできない』かのように見えるのである。特に,憲法第3条,4条との関連においてである。 それは上記の下線で示すように,第3条,4条の『国事に関するすべての行為』と第7条の『国事に関する行為』とで同じ文言,『国事に関する行為』が使われているからである。従って,内閣の助言と承認は第7条以外にはできないように見えるのである。 確かに,「内閣の助言と承認を必要としない国事行為はない」といえる。しかし,「国事行為以外には内閣の助言と承認はできない」とは言えない。つまり,天皇の行為において,国事行為以外のものがあれば,それに関しても「内閣の助言と承認が必要か」,または「助言を行ってはいけないか=内閣が関与できない」については何にも書かれていない【注2】。 以上の理由から,B1は可能であるといえよう。 B2とB3は同じことの弱バージョンと強バージョンといえるだろう。いずれにしても,内閣が関与しなくてもよいというのか,してはいけないというのかの違いである。 しかし,内閣が関与しないということはとても危険なのではないだろうか。いろんな時代でシミュレーションを試みよう。 1.良き内閣対暴走天皇(天皇の悪用を企む暴走者)の時代 内閣が関与できない天皇の行為の存在が許されるとすれば,小は台湾総統と天皇の会見を勝手にやってしまうことから,大は暴走側による外国人傭兵部隊の結成,などぞっとするようなことが想像できる。 2.暴走内閣対平和天皇の時代 この時代では,ファシズム内閣が天皇を戦争遂行にとことん利用しようとする。しかし,平和天皇は内閣の関与できない行為を駆使して,ファシズム化を食い止めることができる(ホントにできるかどうかはここでの問題ではない)。 以上のように考えると,内閣が関与できるのかできないのかは,微妙な,諸刃の剣の趣がある。日本国憲法はそもそもは時の権力者が暴走したくてもできないような仕組を得ることが目的であったはずである。これからすると,上記2を想定していたのだろうか? 実はそうとも言えないようなのである。実は日本国憲法の出来上がり時のことを調べた【注3】ら面白いことに気が付いた。つまり,GHQ草案とその仮訳版の,憲法草案と,出来上がった現行憲法では,微妙に文言が違っているのである。この違いはどうも,2の方向へ目指したものとは思えない。 ということで,ここの部分の結論,B1が良いかB2かB3が良いかは一応保留にしておいて,次は憲法草案時の事情から考察してみる。 【注1】 象徴天皇制を蔑ろにするのでなければ,きちんと考えておかねばならない問題である。ところで,パピヨン自身は,”象徴天皇制とは何か”という点に関しては思考停止状態にあることを正直に告白しておく。 【注2】 共産党がよく攻撃に使う,国会開会の天皇の挨拶も,これに準じると考えれば良い。 【注3】 これはしっくいさんが探してくださった資料を基に調べたものである。日本国憲法の誕生次回をお楽しみに。
by papillon9999
| 2010-01-11 21:57
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