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『眼の誕生』がもたらしもの
2009年 07月 09日
マイケルジャクソンと『眼』では,『眼』をキーにして,マイケルジャクソンにこじつける記事を書いてしまった。一方で,あの辻井さんを例に引くまでもなく,眼の見えない優れた音楽家という例は非常に多い。
そこで,パピヨンが何気なく妻に言ってしまった。 ![]() 『眼の見えない人の数の割合と,優れた音楽家の中で眼の見えない人の占める割合はどちらが多いんだろうか?調べてみたら面白そうやね。』 すると妻にきつーく怒られてしまった。 『なに馬鹿なこと言ってんの!結果がどう出るにしろ,そういうことが差別の出発点になるのよ!調べてみようと思うこと自体が冒涜なのよ!』(イントネーションは,一つ目の”のよ”は下げ基調,二つ目の”のよ”はやや上げ基調) パピヨンは,優れた音楽家(この定義も問題だが)の中で眼の見えない人の占める割合が,もし人間全体に占める眼の見えない人の割合より高ければ,眼が見えないことによって音楽の才能は却って花開きやすい,すなわち『眼は音楽の邪魔になるのかもしれない』,と素朴に思っただけだった。言うなれば,眼の見えない人へのエールにするつもりだったのだ。 だが,言われてみれば妻の言う通りか。そんなことは知らんで良いことなのだ。さすがは我が妻!ダテにエ〇バの証人をしているんじゃないんだ! そして,今「素朴に思った」と書いたが,実は「眼は音楽の邪魔になっている」などという大仮説を唱えて証明してみたい,といった類の功名心が働いたはずなのだ。このようなことは遠く,アイヌの人々を無用に苦しめた河野本道らの畏れを知らぬ大それた研究に通じるものだろう。こういう『糞』研究は他にも遺伝子操作により今までこの世になかった生命体を誕生させることなどがあり,厳しい監視が必要である。 さて,肝心の話題は『眼の誕生』という本だった!(これは我が敬愛する義兄(つまり,妻の兄!)が貸してくれた本で,もうそろそろ返さなければならない。) この本の原著者,アンドリューパーカーは,あのカンブリア紀の大爆発(生命体が一気に爆発的に多様化したこと)の原因は,『眼』を獲得したことにある,という学説を立てたのだ。この本のほとんどは眼というものの物理学的説明に費やされており,最後の1章のみ,眼の誕生にまつわる話が展開される。この訳文がまた非常によくできていて,すごく読み易かった。 バージェス頁岩というカンブリア紀の地層から,それこそわんさと多種多様な生命体の化石が出てきて,しかも眼の構造なども意外なほどはっきりと分析できるのだそうだ。京都の国際会議場でスティーブン・J・グールドの講演を聴いた時から,バージェス頁岩というのはなじみがあったのだが,さすがのグールドも,眼の誕生がその大爆発をもたらした,とは語っていなかったはずで,この本を義兄に紹介されたときは心が躍ったのだった。 想えば,眼の誕生が生物の多様性を一気に爆発させた,という仮説は一種の盲点,コロンブスの卵の類であろう。それまでの捕食は,偶然の出会い頭で,あるいは海水ごと呑み込む方法で,あるいは腐った死体から出る化学物質を感知して,というようなやり方が考えられるという。 そういう非効率的な方法で獲物を口にしていた生物は当然ながら進化の淘汰圧が非常に弱かったわけで,生物種もとても貧相であった。それが先カンブリア時代である。しかし,眼が誕生したとなれば,眼で以ってじっと相手に狙いを付け,ここぞという時に仕留める,実に効率の良い方法を手に入れたことになる。ところが,話はそう簡単に行くわけではない。 もしこの通りであれば被捕食者はあっという間に食べつくされて,絶滅し,眼を誕生させた方も食い物がなくなってやがて絶滅してしまうという矛盾に気づく。それで,どうだったかというと,眼は誕生させたものの,実は身体の方がまだ適応していなかったのだ。『あそこにおいしそうなものがある』,と眼で見つけて思っても,身体が思うように動かない,という『幸いな?不幸な?』状況があったらしい。 生命体史上,最初に開眼したのは,どうやら原始三葉虫だったようだ。これは研究が進むと書き換わるかもしれないが,この原始三葉虫は,自分だけが眼が見えた時代が確かにあった。しかし,手当たり次第,食べ放題を満喫できた天国のような時代を過ごしたのではなかったのだ!不幸なことに(幸いなことに)機敏な遊泳能力を発揮できる身体の装備ができていなかった。 それで,進化圧は身体装備に向けられることになる。硬い装甲と共に鞭毛も発達し,遊泳能力が飛躍的に増してきたのだ。ところが,幸いなことに(不幸なことに,(ああ,ややこしい!))その時間は,被捕食者の側も装甲と眼を準備できる時間でもあったのだ。(このあたりはパピヨンの類推) かくして,捕食側,被捕食側,双方に眼が準備され,俄然,騙し合い,追いかけっこ,隠れっこが夥しく繰り返されることとなった。これには光を味方につける智恵の出し比べでもあったのだ。このことが,容易に想像できるように,とてつもない多様化をもたらすことになったのだ。 カンブリア紀の大爆発というのはこういうことで起こったのであった。あなたは信じるかな?パピヨンは非常に興味ある仮説だと思う。多分,正しいのだろうな,と思う。何といっても化石が豊富にあって,それの分析の結果なんだから。空理空論で出された仮説ではないんだから。 ところで,以上のように見てきて,哲学したい気分に襲われてしまった。それは,『眼が見えるということは一体どういうことなんだろう』というテーマである。 先の記事にも書いたように,生命の歴史でもし眼が誕生しなかったら,見栄えなんか意味がなく,マイケルジャクソンも整形などする必要はなかったのだけど,その代わり何かが発達しなかっただろうか? 例えば,超音波の発射機能とその感知能力のようなものがである。そういうものが発達すると,超音波で『見る』ことができるようにならないだろうか?今も,洞窟で蝙蝠が使っているが,ここではそれをもう少し進めたことを想定している。つまり,超音波を物体の隅々までスキャンさせるのである。こうすれば物体の『形』を識別することができるではないか,ということである。しかし,色は当然ながらわからない。それから,石や木のように食物でないものと区別がつくだろうか?まあ,そういう問題は残る。 それからもう一つ,眼が見えるというのは光の反射を感知しているのだけど,真にその物体の正しい形を「見て」いるのだろうか?あるいは今見ている形,状態が真の状態なんだろうか?ということもある。 可視光線はスペクトル分析でわかる。眼はそれらすべての色を感知できており,感知されない可視光線は無い。よってすべての可視光線の色は眼に届いて識別されているのである。しかし,紫外線や赤外線は感知できない。もしそれが感知できるとなると,何かガスのようなものを生命体に見ることができないだろうか?つまり,真の姿・形は,今見ている形+ガス状のオーラ,なんかだったりして(^o^)/ということ。でも赤外線カメラで写しても,何も映ってないよね。 しかし,なんかトンデモになっていきそうなのでこのあたりで。 【本記事は眼の見えない人,不自由な人に対する,いささかの同情,憐憫,嫉妬,蔑視,尊敬,優越感,劣等感,の類の情を含むものではありません。もしも無意識のうちにそういう情に囚われていると思われる表現等がありましたらそれはひとえにパピヨンの筆力の責任です。ぜひご指摘ください。 このスタンスはリアルの世界においても変わりはありません。ただし,驚嘆の念だけは禁じることができないことを白状しておきます。 なお,言うまでもありませんが,眼の見えない,あるいは不自由なことは,眼が見えることとは明らかに違っております。このような注記を残すことは,そういうものを題材にすることに対する畏れを感じるからにほかなりません。】
by papillon9999
| 2009-07-09 23:58
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Comments(7)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
>眼は誕生させたものの,実は身体の方がまだ適応していなかった
眼が見えても、からだが追い付かないと、 ごちそうを食べるのにあまり有利にならず、 それほど淘汰圧がかからないのでは?と、思ってしまいそうだけど... それでも、眼が見えたほうが、ずっと有利になるのかな? >その時間は,被捕食者の側も装甲と眼を準備できる時間でもあった それは、わたしも考えました。 逃げるほうも、眼でやばい敵を見るようになったんじゃないか、って。
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色覚も結構ふしぎなところがあるけれど、昼間活動する動物は、
たいてい色覚が発達するから、単に光が見えるだけじゃなく、 波長ごとに区別できたほうが有利なのでしょう。 色の区別は、波長が見わけられることだから、 超音波も、波長ごとに聴きわけられたら、 「色が見える(色が聞こえる?)」と言っていいんじゃないかな? (というか、いまの人間だって、可聴領域を音の高低として、 波長を聴きわけているじゃん。)
>それでも、眼が見えたほうが、ずっと有利になるのかな
眼で獲物が見えると,行動の目的がはっきりします。すなわち目的地へ身体を運ぼうとする動機が強くなって,遊泳能力の発達につながるのだと考えられます。 >いまの人間だって、可聴領域を音の高低として波長を聴きわけているじゃん そういう意味の識別はできますが,ここで言ってるのは形です。つまり現在の能力,可視光線で識別できているのは色と形です。だから,可視光線で捉えられない色と形があるのかという問題です。 で,恐らくないのではないかと思うわけです。すると色と形に関しては必要で十分な能力=可視光線だけの識別能力が備わっていることになります。これは偶然なのか,必要で十分な能力に達して発達が止まったのか,という風に私の中で考察が発展したわけです。
↑このコメントはよく読むと何のことかわかりませんね。すみません。
結局,形に関しては視覚で正しい形を認識できているわけです。それは視覚以外の触覚で確認できます。(手でなぞったように眼で見えている) しかし,たとえば風呂上りの時は湯気が身体から立ち上っています。赤外線を認識できたらその湯気も見えると思います。(湯気がひどい時は可視光線でも反射して見える) まあ,そのような可視光線で捉えられないものがあるのかどうか,という話だったのです。捉えられないものがないとすれば(形に関してはそうだということですが),色と形に関しては必要十分な能力が備わったことになります。 ある種の動物は生命体の存在を感じることができるそうで,それは温度なのかもしれませんが,可視光線以外の感知能力があるのでしょう。 (可視光線ではよほど高温にならないと変化はほとんどないですから) ![]()
いいえ,ちっとも,どうぞご心配なく。
ただ,何を言いたいのか,哲学したこと((^o^)~~~~~~)がうまく伝わらない筆力を気にしているわけです。(それと哲学の内容(^o^) 生命体の感知で,湯気とか温度とかの話は正常ですが,それがオーラのような話になっていったらトンデモに近づいていくなぁと危惧した次第です。 |