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ユダヤ人とは何か(3)続・選民
2009年 02月 08日
シリーズ記事(3)は「建国運動」の巻の予定だったが,前巻(2)を眺めていたら或ることに突然気がついた.それで,『選民思想』というものをもう少し補強しておかねばならないと思い,予定変更してこの巻を急遽挿入する.
パピヨンは前巻(2)において,何気なく次のように書いてしまった. 『苦難の道を歩むようにヤハウェによって命じられた民のことである.そして契約によってそれを受け入れた民.』 この記述は微妙に違うものがあって,非常に問題があると思う.その微妙な違和感とは,『命じられた』と『契約』【注1】とは矛盾していないだろうか,ということだ.この点をもう少し吟味補強しておきたい.(パピヨンごときがストーリーを描いてみても,なかなか一筋縄で説明できるものではない【注2】.旧約聖書は複雑怪奇である(^o^)/) 前記事(2)にも書いた,アブラハムと神との「契約」.これは一体どのようなものだったのだろうか.これに関する記述はパピヨンが見るところ以下の3箇所にある.(新共同訳より) 創世記12章:アブラム(アブラハムとなる前の俗名)の召命と移住 創世記17章:契約と割礼.このとき,ヤハウェからアブラハムと名乗るように言われる.99歳の時. 創世記22章:アブラハムとなってからの初子イサクを生け贄として捧げるよう,ヤハウェに試される. 創世記の記述は実に素っ気ない.この「契約」という概念がなんとも理解困難である.「選民」ということを考える際にこのこと=「契約の理解」がより重要な意味を持つものと思われる.前巻(2)では不十分であったと思うのだ. これがなぜ,「契約」であって,「神の命令」と「それへの服従」ではないのだろうか. パピヨンの解釈はこうだ.アブラハムはヤハウェの真理,正当性,倫理の正しさ,等々に心の底から恐れ入って,真心から認め,そうと分かったからにはヤハウェに従うのが逃れられない運命だと感じたに違いない.そして次のように言ったはずだ. 『これからそれを実践し世に伝えるための苦難の民となります』 これは「契約」(contract, agreement) と言うより,「宣明」(declaration) と言った方が良い,あるいはそれよりも「誓い」(vow, oath)といった方が良いかも知れない,アブラハムからすればそのようなものではなかったのだろうか?そうするとこれには大きな意味の違いが存在している. 創世記の記述は実に素っ気ない.「私(ヤハウェ)に従うことはとてつもない苦難の道なのだぞ(それでもいいのか?)」,というヤハウェの威しがどこにも書かれていないし,アブラハムの「苦渋の決断」へのプロセスも書かれてない. しかし,このようなものが そのようにしてアブラハムはその大変な苦難の道を選択したのであった.この意味で,『選民』とは,神から選ばれたのではなく,自らその道を選んだ民をも意味するのかもしれない. ヤハウェはその「誓い」と引き換えに厳かに告げるのである. 『・・・それならばお前とお前の子孫を豊かに祝福しよう・・・』 神とユダヤ人の祖が結んだ「契約」とはこのようなものではなかったのだろうか?つまり,市民社会のような対等な取引条件という意味ではなくて,『対価』のようなものではなかっただろうか. ところで,ヤハウェは一度「契約」しておきながら(創世記17章),アブラハムを再度試すのである(同22章の息子イサクの生け贄要求.)一度契約した後にまた究極的な試しを行うのは何とも情けない気がする. 神の物語として首尾一貫していない,というべきなのかも知れないし,何か神学的な説明が遠の昔についていることなのかも知れない.でもパピヨンの孤独な研究ではこれ以上どうにもならない.(^o^)/^^^^^^^ 【注1】 「契約」とは市民社会の契約と一緒の概念だろうか?という疑問を昔からパピヨンは持っていた.この「契約概念」は欧米社会を切るときの一つの道具となっている(権利ばかり主張するという社会の象徴として見られる).概して東洋対西洋といった二元論者によって悪者扱いされるが,神とアブラハムとの「契約」はその起源と目されるのである.しかし,どうもそうではなさそうである.続きを読んでください. 【注2】 何しろ,旧約聖書(ヘブライ聖書)は何人ものラビたちの手によって書かれ続けたものだから,完璧な一つに統一されているとはいえないのである.有名な話に,J資料とP資料がある.それぞれヤハウェの性格が異なっているのだ.すなわち,J資料の流れではヤハウェは人間味のある愛に満ちた神の姿,P資料の流れでは超越神としてきわめて厳格な神の姿として描かれる.
by papillon9999
| 2009-02-08 23:55
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Comments(1)
Commented
at 2009-02-09 19:14
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