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随想や意見,俳句(もどき)
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目的と手段
2006年 04月 30日
安田弁護士のことを書いて,ずっと前に書きかけていたこの記事を思い出した.無論,安田氏の件とは全く無関係に書きかけていたのだが,ちょうどいい材料ができたので,合わせて書いておこう.
私が感じたのは,安田氏の弁護のやり方は問題だ,ということだった.つまり,【目的】「被告=自分の顧客を有利にすること」を,他人,それも【手段】「被害者やその家族の尊厳を冒涜したり人権を蹂躙することにより」実現しようとした,と私が感じたからだ. 念のため断っておくが(何度も書いたが),極悪非道の凶悪殺人犯を弁護するとはけしからん,といっているのではない.それは必要で,困難な弁護を引受けてくれるとは大変貴重な人だ,と思っている.それとは全く関係がない.目的のためには手段は選ばない,というべき弁護のやり方ではなかったか,といっているだけのだ. 誰かの「人権」を守るために誰かの「人権」を蹂躙する,ならば,この下線の文の二番目の「人権」は蹂躙してもいいような軽いものとなる.それなら,一番目の「人権」もそれと同じように軽いはずだ.すると,その「軽い人権」を守ることに何の意義があろう.「人権を守る」という行為自体,軽い無意味なものになるではないか.そういうことをやれる人は,「人権」の意味が理解できていない,人権感覚が疑わしい,といっているだけである. ただし,私の誤解に基づく先入観などで,不当な評価を私が与えているのかもしれない.そういう怖れは当然持っている.それで,安田氏を弁護するいくつかのブログへTBを送って,安田氏擁護のための反論を待っている.しかし,他のことにはコメントが返ってくるのにこれには返ってこないのである.残念に思っている. 「ウソも方便」といういい言葉がある.これは正しい目的達成のためには何をやってもよい,という意味だろうか.そうではないだろう.ちょっとしたテクニック,と考えるべきではないだろうか. 私が思っているのは,「正しい社会の実現のためには,少々市民が死んでもよい」,「米国がイラクに侵入する口実のために,ニセの虐殺をでっちあげる」,「サンゴ礁の環境を守るために,わざとサンゴを傷つけて写真で公開する」,「小泉をやめさせるために,ニセの失業データをでっち上げる(これは私創作例だが)」,といったようなものだ.無論,「ウソも方便」との境界があいまいになる場合もあるだろう. 目的のために手段を選ばず,という人間はあまり信用しない方がいいのではないだろうか.なぜなら,その目的が実現しても(たとえば正しい社会が実現しても),その人は新たな害悪を撒き散らす張本人になりかねないからだ.目的達成のために平気で何でもやれる人は,目的が達成された後でも,平気で何でもやるだろう.
by papillon9999
| 2006-04-30 19:27
| 済み
|
Comments(8)
おはようございます。
ご指摘はもっともだと思います。安田弁護士の意図はどうであれ、多くのものにそういう誤解(?)を与えた責任はあります。これは公で発言するものの責任です。 >誰かの「人権」を守るために誰かの「人権」を蹂躙する 以下の論考は、「人権」を「平和」に置き換えても成り立ちますね。どちらも自らの権利を守ろうと考えれば、相手のそれを侵害しかねない。これが現実です。人権も平和も相対的なものでしかないのです。 安田氏は人権派弁護士ということですが、彼が本当にそうなら人権は「絶対的なもの」と認識しているはずです。そうでなければ、エセ人権派です。 彼が真の人権派であるならば、活動としては人権は相対的なものとならざるを得ないという現実にイヤというほど直面しているはずです。であるにもかかわらず、いまだ「人権活動」を続けているその出発点は何なのか? 今回のことは安田氏にとって失点であったのは間違いないことだと思いますが、それが失敗だったのか、出発点からの当然の帰結であったのか? 人を信用するしないは、結果ではなく出発点を見て判断したいと思います。
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『結果ではなく出発点を見て判断したい』重要な指摘だと思います。
内臓破裂の負傷者に水を与えて死期を早めてしまった。或いは小火にバケツで水を掛けて消そうとしたが、其処に水と反応する危険物が有り大火になった、など結果と出発点が反対に為る事はよく有る事です。 結果で批判する事は簡単ですが、結果を予測する事は簡単ではない。『人は誰しも間違いを犯す』事を忘れてはいけない。 JR福知山線尼崎事故もこの事を無視した会社の労務管理が原因です.人はパニックに陥りやすく、それが色々な大事故の要因になっています。 ![]()
目的と結果とその過程(方法)を考えてみよう。
『うそも方便』 アメリカは人道を口実にして湾岸戦争、ユーゴ空爆、イラク戦争を行った。彼らの口にした人道や民主主義は本当なのか。冷静になって考えてみたい。米軍は劣化ウラン弾の大量使用により此れ等の地域を汚染して、彼らが守ると言っていた人々を傷つけている。守ると言って半永久的に人々を殺し続けていく。 此れは結果と出発点(目的)の話ではない。彼等の口にしていた人道や民主主義(出発点、目的)が全くの嘘だっただけの話です。 これ等は宗教戦争の側面があります。人は宗教的情熱に駆られたとき、喜び勇んで悪をなす、と言う事でしょう。 ![]()
イラク人質バッシングの時、私達はバッシングに加わらなかった小数派でした。しかし今弁護士バッシングに加わらないのは以前より小数派になりました。良心的人々が自分がしている現実を理解せず、弁護士バッシングしている姿は悲劇的ですら有ります。
私は弁護士を批判も擁護もできません。何故なら安田氏に対してマスコミが報じる情報以外何も持っていないからです。 マスコミが報じるのは、真実そのもの(全ての真実)では無く、マスコミが報じたいもの(真実の一片)です。この二つは似て非なるものです。人質事件を思い出してください。繰り返し人質が首に刃物を突きつけられて「アッラー・アクバル」と叫ぶ映像を見せ付けられました。マスコミは自分の見せたいものを見せるのです。
愚樵さん,こんばんわ.『それが失敗だったのか、出発点からの当然の帰結であったのか』について,それが重要だと思います.他の場所に書きましたが,『千慮の一失』の類だったのであれば,今後注意してもらえばいいことです.地が出たとなると,『人権派』のシンボルにするのはやめた方がよさそうです.
評論家や学者なども,本物かどうか見極める必要がありますね.今はどの立場でものを言うのが有利か,儲けになるか,と考えてる人もいるかもしれません.(いつも疑ってかかれ,といいたいのではありません)
布引洋さん,こんばんわ.たくさんのコメントありがとうございます.
もう一つの記事のコメントにいただきましたが,『貴兄と私で思考の中身は同じだと思える』というのはまったく同感です.それは,人権とか人間について考える時の波長がよく合っているからだと思います. どこで違っているのか,考えて見ました.イラク人質事件では貴兄も私も高遠さんたちの勇気ある行動が敬意と賞賛に値するものと信じ,バッシングに対して理不尽なことと憤っています.一方,安田氏に対しては,貴兄はこれまでの活動が賞賛に値する,と思われ,私は今度の弁護活動をみて疑問に思った,ということですね.この違いは,持っている判断材料の違いからくるのかもしれません. あるいは必要以上に今回のことを強調しすぎて不快感を持たれたかもしれませんね.安田氏に関しては私より貴兄のほうがよくご存知のようですから,何か新しいことがわかるまで私もこれ以上,言わないことにします.もう十分言いましたので. ![]()
少し弁解させて下さい。私は単に18歳の子供の死刑が嫌なのです。高貴な理想の為では有りません。生理的な嫌悪感です。日本では絞首刑を採用しています。『二人を絞殺した犯人が絞殺されるのは当然』という考えが嫌なのです。
敗訴したが絞首刑は残酷な刑罰で違憲だ、と言う提訴が有りました。 ドラマで処刑は瞬間で終わります。しかし現実は、かなりの時間を要します。絞首刑は間違いなく残酷な刑罰です。 刑が確定すれば誰かが実行しなければ為りません。人を絞殺することを、誰かに強要する必要が有ります。『自分に出来ない嫌な事を誰かにさせる』この考えが嫌なのです。愚樵空論で非常に哲学的な論議が成されていましたが、私は到底議論に加わる気に為れませんでした。ただ単に自分は人を殺したく無い、子供を死刑にする、『子供を殺すことが正義』の社会に住みたくない、と思て居るだけです。
『自分は人を殺したく無い、子供を死刑にする、『子供を殺すことが正義』の社会に住みたくない』とのお考え,立派なものと思います.
ところで大変恥ずかしいことに,日本が絞首刑である,というのを今まで実感しませんでした.確かに,以前読んだ記憶があるのです.それにも拘らず,死刑の方法まで思い浮かべて議論はしませんでした.何たることか,と自省しております.少なくとも死刑の方法はもっと苦しまなくていいようにしてほしいですね・・・ |