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慈善と新自由主義
2009年 02月 22日
慈善と聞いて心に浮かんでくるイメージは,人それぞれであろうが,あまり良いものではない人が多いのではないだろうか?私・パピヨンもまあ,芳しくないイメージが湧き出てくる.真っ先に湧いてくるのは,金持ちのキリスト教信者が貧しい者たちへ施しを行うために開く慈善パーティーである.同じことを想う人も多いであろう.
その慈善パーティーについて,なぜ芳しくないイメージが多くの人に浮かぶのかというと,あるキーワードが浮かんでくるからだ,それは『偽善』.このキーワードはパピヨンの中では最高の地位の一つを占める.不名誉を表現する評語として. なぜカトリック教徒たちの慈善パーティーに『偽善』という最高の不名誉評語が浮かんでくるのかといえば,社会構造の矛盾にはまったく目を向けていないからである. 慈善を施すことのできる立場はその矛盾した社会構造のおかげで得られたものではないか.そういう人がいい目を見ている上にさらに良いことをした気分になれる,これこそ究極の偽善ではないか,ということである.さらに重要なことはいつまで経っても根本的な解決にはならない上に,社会構造の矛盾を覆い隠すことである. ここに,『慈善の効用』というものを見ることができる.何しろ,社会構造の矛盾を解決することは自分たちの社会における安定的な地位を脅かす恐れがある.立場が逆転するかもしれないので矛盾は解決されない方が良い.慈善とは不満を爆発させないような懐柔策の有力な方法であろう.だから『慈善』とは『偽善』の臭いがするのである. 以上のようなことはどなたも考えることだろうが,思い当たったのが,小泉ヘーゾーの構造改革によって一世を風靡した新自由主義者どもの『手抜かり』である.いや,そもそも新自由主義なるものの持つ欠陥である. 市場原理主義と称する弱肉強食の世の中,21世紀の世の中に作り上げられた,人を最大限なめ切った社会システムは,せっかく新自由主義者どもの熱望した楽園を目の前にしながら脆くも崩れ去った【注1】.その原因の一つとして,この『慈善の効用』に見られるガス抜きを怠ったことを挙げるのは的外れだろうか? 信じられないことに,新自由主義下では競争とはお金の有り余る人ほど有利になる不公正な『ゲーム』であった.それは『努力すれば誰でも勝てる』ということが標榜されたが,明らかに間違った表現であった.そのゲームは誰もが気づかないでいたが,単に『椅子取りゲーム』であった.椅子取りゲームとは『誰でも勝てる』ゲームではない.国民はみんなその椅子取りゲームに強制的に組み込まれ,多くの人が没落していった.元祖の米国ではすでに中産階級はいなくなったという. 仮に,新自由主義の世の中に,キリスト教社会のような『慈善』の感覚が少しでもあれば,また様相は違ったものになったのではないだろうか.何しろ,勝ち組の人たちは一銭たりとも人のためには使いたくない人々なのだ【注2】.ヘーゾーを思い出すがいい.毎年住民票を操作して,日本国への納税を免れようとしたチンケな話をだ.(この話は今は有名だけど,健忘症のわが国民はすぐ忘れ去ることだろう.我々はずっと忘れないようにしようネ.) たとえ不公正なルールで儲けたお金にしても,せめていくらかの割合でも『慈善』に廻す気があったならば,また,金儲けができた人ほど人間的にも優れているという価値観に支配されるような,ものすごく驕り高ぶる様なことがなかったとしたら,不満とはいえこれほどまでにカタストロフを生じることはなかっただろうし,人々の反発も酷くなかっただろう.あんなにえげつない欲を出さずにほどほどの楽園で我慢していたら,もっと長ーく,この世の楽園を満喫できていたはずなのだ.これは手抜かり,ないしは失敗と言えるだろう. 新自由主義のイデオロギー自体に,そういう『慈善の思想』など毛ほども含まれていないのはその通りなのであって,そういうイデオロギーは欠陥品であろう.そのようなイデオロギーに基づいたシステムとは,元々,安定的なシステムとはなりえないものではなかっただろうか. 次の時は恐らくそのあたりをうまく修正して,少しマシな人間の衣をまとった修正新自由主義なるものとして出現するかもしれない. ということで,修正資本主義ということが思い出されるのである.資本主義の矛盾を覆い隠すための修正資本主義.しかし,それは弱者保護に大きな資源を割く社会であって,置き去りにされる国民階層は理念的にはないはずである.ほとんどの北欧の高度福祉資本主義社会はそのようなものと捉えていいのだろう.資本主義社会の支配層としては,安定的という意味できわめて賢明なシステムであろう. ところで,それはすでに資本主義の修正でさえないのかもしれない.社会システムとしてみた場合,それを社会主義社会と呼んでもいいのではないか,という気さえする.問題要因は,利潤を上げるべき会社・企業というシステムに依存していること,および官僚システムである. 会社というものが利潤を上げられなくなったときにその社会は維持できていくのかという心配な問題がある.官僚システムは不労特権階級となる恐れがある.北欧諸国はこの官僚システムがとても素晴らしいから今の所はうまく行っているのだ,といえるのかもしれない. 一方,わが国のネックはこの官僚システムである.また,仮に革命が成功してプロレタリアートの世の中が実現したとしても,その後がうまく行くかどうかは官僚システムがどのようなものかに依存するはずである.超悪意の政治体制下でないうちは『官僚主敵』論は永遠の真理なのである.これについては何度か書いてきたが,また書かねばならない. ところで,念のために書いておかねばならないだろう.まず,日本国憲法25条【すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。】を実現するための種々の施策は,『慈善』ではない.それから年末からの『派遣村』.この素晴らしい助け合いは,慈善と表現しようがしまいが,素晴らしいことに変わりはない.『素晴らしい慈善』と想っても良いし,『素晴らしい相互扶助』と想っても良い.大震災の助け合いと同じだ.(人災という名の天災が来たのである).また,24時間テレビ『愛は地球を救う』は見たことはないが,きっといやらしい『偽善』であろう.赤い羽根募金もそれに近い感じがしている. 実は最初違った主題で書き始めたのだが,そこまで行かなかった.初めの目的,ユダヤ教における慈善,については次回にまわします.慈善は偽善に非ず,という趣旨になります.お楽しみに. 【注1】 麻生内閣がほんとに駄目な内閣なので,それへの批判という形で小泉ヘーゾー一派が復権を企んでいる.しかし,ある割合の人には熱望されるだろうが,あの頃みたいな大量のB層が構成されるとは思えない. だけど,総選挙に向けて,自民党への一気の人気挽回を企んで,様々な『奇策』を弄してくることだろう.小泉さんのあからさまな麻生批判はその一環と見る.新党立ち上げはないはずであるが,党中党のようなものを作って,反自民票が民主党に流れるのをその党中党に引き寄せる狙いだ.目玉は女性!党中党の顔となるのは,野田聖子は立場上無理だから,ずばり,小池百合子である. 【注2】 記事を拝見していつも感心させられるサイトがある.宇佐美保の世界である.ノーブレス・オブリージとビル・ゲイツとウォーレン・バフェットによれば,ビルゲイツなどの超高額所得者たちは,ノーブレス・オブリージとして,多額の寄付や慈善事業を行うことは当然だとして,実際に多くの社会貢献に尽くしているということである.この姿勢のヘーゾーとはなんと言う違いだろう!ビルゲイツは好きではないがこれには敬意を表したい.超高額所得は彼の罪ではないからだ.
by papillon9999
| 2009-02-22 22:22
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Comments(1)
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