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アルバイシンの丘
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会社とは何か-「企業媒体論」の提唱-
 素人の怖いもの知らずで大層なタイトルを付けてみた.不快感を感じる人も多かろうが,そういう人には御免!というしかない.

1.まえがき

 本記事のきっかけは無論,あの派遣切りの悲劇が生じたからだが,さらにあの『年越し派遣村』に対する批判があることを知って,絶句,そしていたたまれなくなったからである.



 企業側が勝手な論理を吐くと,最も気の毒な役回りの層よりも少し上の層がそれに拍手喝采を送る,という分断の構図がまかり通っている.
 この記事では,企業側の勝手な論理が,果たして正当なものであるのかどうかを考えてみたいのである.例えば,会社の利益は株主のものとか,膨大な内部留保はいくらあってもよいとか,人べらしは当然の企業権利である,とか,そういう論理自体の正当性を検証しなければならないと考えた.
 なぜなら,ワーキングプアを救うことがまるで乞食に恵みを施すことのような感覚を持つ庶民が意外と多いからである.つまり,どうも上の企業論理を擁護する人間たちは,ワーキングプアの言い分を乞食の物乞い並にみなしている節が感じられるのだ.
 本記事はそういう論理と感覚をひっくり返すためにパピヨンが捻り出したささやかな理論を提唱するものである.そのためには『会社とは何か』にまで遡って考えざるを得なかった.いろんな批判を戴けるとありがたい.

2.企業の責任とは

 企業は私的な存在だから,自分の利益のためには何をしても良い(無論,法律違反は除く),ということが,常識としてまかり通っている.実は,これは大いなる間違いである.
 ここではまず,企業の責任というものについて分析を試みる.企業は次の3つの責任を有していると思う.

 (1) 株主への責任
 これはいわずと知れた「資本の論理」である.投資してくれた人に見返りを与えなければならない.当然といえば当然のことで,好き嫌いは別として認めざるを得ない.

 (2) 消費者への責任
 これは狭い意味での社会的な責任とも言える.例えば環境を汚染しないこと,社会に有害なものを作らないこと,安全なものを消費者に届けること,公共財を独占しないこと,などが考えられる.環境関連以外の法律でも,製造物責任法などで規制される責任である.

 これまでは,この二つの責任しか考えられていなかった(はずだ).特に,新自由主義の世の中になってからは,(1)の対株主責任ばっかりが叫ばれ至上価値とされたが,情けないことにそれに反論する論理がとても貧弱だったのである.
 ここでパピヨンはもう一つの責任を突きつけたい.それは
 (3) 国民生活への責任
 である.社員への責任はここに含まれるのである(労働基準法遵守のほかにもある).これの詳しい内容を以下,述べていくのであるが,この責任をも引き受けてもらう理論的根拠をパピヨンは 企業媒体論【注1】と名づける.どうか最後までお読みいただきたい.

3.憲法からの要請

 企業媒体論は憲法から始まる.憲法が嫌いな人もまあ,読んでください.憲法25条には次のごとくある.

===== 憲法第25条 =========
1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
==============

 この条文は思想信条に関わりなく,すべての国民に生きる権利が与えられることを明記している.(たとえ反体制思想の持ち主であっても.)言い換えると,国はいかなる制度下であっても国民の生きる権利を保障しなくてはならないのである.(早まるでない.企業の責任はもう少し後だ.)
 ここで問題となるのは,いかなる方法,システムでその権利を保障するのか,である.憲法にはそれについては何も書いてないのだ.
 その候補として,精査したわけではないが,国の全面配給制度というのも憲法違反ではないだろう(私有財産を侵害しなければ).だけど国民が現在選択しているのは,企業活動が経済主体となる資本主義社会である【注2】.
 ということは,我が国民が『健康で文化的な生活を営む』ために必要な食料,物資,物理的資源は企業の経済的活動を通じて支払われた金銭(賃金)によって調達せよ,ということになるではないか【注3】.

 つまり,企業の国民生活への責任,というものは,国や社会は企業に経済的活動を許し,賃金を通じて国民に生活するのに必要な金銭を届けている,と考えることから出てくるものなのである.そうすると,企業というものは国民に金銭を行き渡らせる一つの媒体となる.こういう考え方を企業媒体論と名づけたのである.
 果たして私企業にこれだけの責任を課すことが道義的に可能だろうか?次にそれを考える.

4.企業への社会的支援

 私企業側からすると,国民生活への責任は低層国民のずいぶんな身勝手であるし,国の権力が大きすぎると思うかもしれない.しかし,国や社会は企業活動に対し,それだけのことはやっているのである.
 そもそも,国民生活への責任の片鱗はすでに実施されている.失業保険や健康保険の企業半額負担というものは,この国民生活への責任の一端だと思うべきである.これが本当はもっと大きな責任につながらないといけないのである.(全く不十分ながら,最低賃金法というのもあったな)
 企業活動は国や社会から様々な支援を受けていることをここで思い出さなくてはならない.たとえば税制,国土の利用,産廃物処理,大気中への排ガス放出(の迷惑受容),海浜利用,社会的インフラ,ライフライン,金融への公的資金注入もそうか・・・まあ,列記しても書ききれない.特に自動車業界を国と企業が一体となって盛り上げてきた歴史的事実をみれば,多言は不要だろう.
 つまり,いかに私企業といえども,国や社会の支援なくしては経済活動が成り立たないわけで,企業側が「私」だといって完全フリーを主張することはできないのである.こういうことで,企業側に国民生活への責任=媒体となってもらうこと,を引き受けてもらうことは十分な根拠があることがわかると思う.

5.企業媒体論に立てば

 企業が国民への金銭を届ける媒体だとするとどういうことが言えるのか,ここから今回の派遣切りの悲劇と関係してくる.実際に可能かどうかではなく,そういうシステムにしなければならない,という意味で書く.(疲れたので要点だけ順不同,書き漏れの可能性大)
 (1) まず簡単に人員削減はできない.雇用を最大限の努力で維持してもらわなくてはならない.それが困難なときには国が支援しなくてはならない.
 (2) 失業保険や健康保険のない労働形態はあってはならない.(派遣の形態は不合格)
 (3) 破綻した会社の労働者を想定して,いわゆる救済ネットのようなものを作っておかなければならない.
 (4) 内部留保と配当と賃金とのバランスには社会的コンセンサスが必要である.一企業の経営者の専権事項ではない
 (5) 賃上げ交渉は,決して乞食根性ではなく,健康で文化的な生活を営む権利の実現を目指すものである.(企業媒体論は階級史観と対立するものではなく,独立した概念である.)
 (6) もしこのような責任が,企業活動に対して著しく障害となるのであれば,それはそういう企業活動を前提とした社会設計が国民の健康で文化的な生活の実現に向いていないということである.すると,新たなシステムを考えなくてはならない.

 疲れたのでこの辺で締めるが,年越し派遣村については前の記事でも少しだけ触れたが,それを批判する人々がいると聞いて絶句した.本来は国がやらなくてはならなかったのであってボランティアに頼ること自体が国の怠慢である.ボランティアの人々に心から敬意を表する.

【注1】 これは「企業はある媒体である」ということを表わしたい言葉としてパピヨンが作った術語である.資本主義社会では,賃金労働がいやでもそれに甘んじないと生きては行けない.よって,国民の生活保障は媒体の役目を持つことになった企業が受け持つ社会的責任となる.

【注2】 貨幣経済でなく,全面農業で自分で作って自分で食う,というのも考えられるが,規模的に無理.ほかにも,共産主義社会の能力に応じて働き必要に応じて受け取る,というシステムも考えられる.しかし,理想的にはともかく,現実には今の人類でうまくいくとはちょっと考えられない.残念ながら・・・

【注3】 この側面を強調して,「給与労働制社会」,「給金制社会」,「賃金制社会」,などのネーミングも考えたが,結局,「企業媒体論」に落ち着いた.
by papillon9999 | 2009-01-17 22:58 | Comments(4)
Commented at 2009-01-19 02:07
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2009-01-20 07:57
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by papillon9999 at 2009-01-20 10:06
匿名さま  賃上げ闘争は階級闘争であるとのご意見,そういう物の見方と企業媒体論とはなにも矛盾していませんし,肯定も意味していません.

資本主義社会においても,階級闘争という概念を持ち出す必要はなく,日本国憲法第25条の精神から賃上げ要求は会社利益の正当な配分要求といえるのです.その理論的根拠が企業は媒体であるという概念です.

企業媒体論のような概念が必要と思ったのは,階級闘争ということ自体を忌避する人たちにも,資本主義下における賃上げ要求が正当であることを訴えたかったからなのです.
階級闘争を否定も肯定もする意味ではありません.独立の概念とはそういうことです.
Commented by papillon9999 at 2009-01-20 13:12
念のためもう少し説明を加えます.階級闘争という概念を持たない人にとっては賃上げ要求というものは単なる贅沢,わがままに見えるかもしれない,ということがあります.(現実に身の回りでもそういう人が多い)
従って,そういう人たちにも正当な要求であると理解してもらう為の理論のつもりです.記事中の

(4)内部留保と配当と賃金とのバランスには社会的コンセンサスが必要である.一企業の経営者の専権事項ではない.

ということがポイントですね.(4)が二つあったので訂正しておきます.
階級闘争自体から見ると堕落かも知れません(^o^)/