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まこと人権感覚は微妙だ
2008年 04月 28日
時間の合間を縫ってネットを見ていたら,ひでぇ記事=赤ん坊は0.5人に遭遇した.ネット見出しには次のようにあった.
【青学准教授】 光市母子殺害事件の「被害者は1.5人」赤子は0.5カウント ・・・前略・・・永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ(まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので、傷害致死の可能性は捨てきれないと思っている)。 場違いな大学教員がここにもいたか!という感じである.なんとも恥ずかしい(ただし,後述するように,誤解された部分もあると思う). この方は「死刑廃止論者ではない」けれどもこの事件については「死刑反対」だというのである.だから恐らく,この准教授はどちらかといえば「人権派」ではないかと思う.「死刑適用には慎重」な考えが見られるので. 死刑反対の理由は,「件の事件は死刑には値しない」ということであり,その根拠を「殺した数が少ない」という処に求めようとしたのだ.それで,なんと「赤ん坊は0.5人」と数え,殺した人数を1.5人としたのである. この大胆な記事に対し,次のような笑撃の一発を何発も食らっていた. ・「赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまう」ならば、赤ん坊に対する殺人(は)ちょっとしたことですぐ成立するという発想はこの方には無いのでしょうか?(パピヨン加筆あり) ・俺らみたいのは-1でも2でもいいよ。けど未来ある赤子は3にも4にもしてやってくれ。 ・0.5人分とか 女性がまた身ごもればいい、とか産む機械とかと 同じ考えだろ 究極的に ・この理論が進むと高学歴殺したら死刑 低学歴殺したら懲役5年とかになるよね ・子供の死刑は反対といいながら人間カウントでは半分ってどういうことだよ ・子供が0,5人分なら、加害者はそれ以下ってことにしないとな。被害者らは1.5人、加害者は0.1とする。 ・こういう馬鹿に限って世間に対して何か言おうとするよなw ・次々と普段識者ぶってるキチガイがあぶり出されてくるな やっぱこの事件はいろんな意味で凄いわ ・そういうこというとすぐ死にそうな老人の人権は小数点なんですねw ひどい人権だな なかなかの名句が並ぶ.まだまだたっくさんあるのでここに書ききれない.これらの投句者はどういう立ち位置の人たちかわからないが,中には韓国・朝鮮人や中国人の人たちの命ならなんとも思わない連中も混じっているかもしれない.南京大虐殺の否定者達だっているかもしれない.そういう人たちにこのように揶揄されては「死刑適用」に慎重な「人権派」の面目丸つぶれであろう. しかし,この記事は誤解された部分があると思う.1.5人という算出は,別に赤ん坊が小さいから半分としよう,というのではどうも違うと思う. 「傷害致死の可能性は捨てきれない」 と書いているからだ. 「赤ん坊はちょっとしたことですぐ死ぬから,傷害致死かもしれないし,殺人かもしれない,そこで中間を取って0.5人にしよう」となったのだろうと推測する.つまり,殺すつもりがなかったのに簡単に死んでしまった=0,殺意を持って殺した=1と重みを付け,可能性は五分五分として『殺意を平均した』のではないだろうか.だから,大人でも情況によってはこの方の中では0.5人と勘定される場合もあるかもしれないのだ. もしそうであれば,赤ちゃんを半人間として扱った,という意味ではなくなる.とすれば非難はだいぶ減殺されてもよさそうに思われる.しかし,そうであっても,自分で勝手に裁判の判断を下し(五分五分という),そんな根拠に過ぎないものを大々的に1.5人と公言すること自体,ジャーナリズム感覚や人権的センスを疑われても仕方がない.しかもネット界に衝撃を与えることを狙って敢えて書いたのだとしたら,やはり強い非難を浴びても仕方ないだろう. もう一つ別の微妙な記事にも出遭った.美爾衣さんの『カナダで日本語』.とてもメジャーな方のようだけど私は今回以外,記事を読んだことがない.ましてコメントやTBの交流なんぞも一度もしたことがない.その方の記事に,次のようなものがあった. =============== ・・・・ こういった被告の精神鑑定結果や家庭の事情などの背景を考慮すると、やはり、被告を死刑にするべきではないと思うし、この事件に関して、もしどうしても死刑にしなければならない人がいるとすれば、それは、被告の母親を自殺に追いやったり、被告をここまで追い詰めた被告の父親ではないかと思うのである。 ==================== 被告の死刑を回避したいあまり,無意識のうちに本末転倒のことを言ってることがある.しかし,この記事の場合,『被告を守るためなら他のすべての人を踏みにじっても良い』というあの人権感覚が現れていると見るのは酷だろうか.まあ,筆が滑ったのだろうと思っている. まこと,『人権感覚というものはホントに微妙なところに思いがけず現れてくる(いる).』 そういうパピヨンだってどっかにあるかもしれない.怖いのでもうこれ以上は書くのをやめておこう.それにしてもこういうことを一々あげつらうと言葉狩りをやっているようであまりいいことではないかな.もう少し大らかに行きましょうか.それにしてもお互いに気をつけましょう. この記事を書いてる途中で,青学准教授の上記ブログは大炎上中だということが判明した.だからもう私ごときが書いても仕方ないのだろうが,せっかく書いたので捨てるには惜しく,このままアップすることにする.
by papillon9999
| 2008-04-28 16:03
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Comments(8)
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Runner
at 2008-04-28 20:38
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儒教社会では「頭のいい人は性格もよい」との宣伝が昔から行われているのですが、実際は、この手の人格の低い教員だらけです。
で、問題の発言もこれまた儒教的です。 80年代に、日航機が真夏に山奥で墜落した事故がありましたが、あの時、日航は「未成年者への賠償金は成人の半額です」などと主張しました。 日本は既に国際化していて犠牲者には外国人も多くいましたので、日航は大いに怒られ、日本人遺族も「そう言われるとそうだ」と同調し大騒ぎになりました。 また、今でこそ「子どもの人権」なる語が普通に使われていますが、登場した90年代頃には「子どもに人権などない」と主張する知識人や文化人がいっぱいいました。 もっとも、「子ども」という言葉自体が儒教語で差別語なので、そのへんはまだまだのようです。
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papillon9999 at 2008-04-28 22:25
日航機事故の賠償の話,ホントですか.山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読んで感動した口ですが,そこまで細かい話は憶えていません.小説だからないかもしれませんね.まるで笑い話のようです.
「頭のいい人は性格もよい」 これは霞ヶ関官僚を見れば,とっくの昔に死語となっていますね.尤も,「頭のいい」とは「詐欺師の意味での頭のよさ」ですが.天才詐欺師には誰もかないません. しかし,真に「頭のいい人」は「人類の幸せを建設」するためのいろんな複雑な葛藤や対立や利害得失や諸々の障碍をうまく処理する智恵があるのでしょう.そういう人にこそ奉りたいですね.
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Runner
at 2008-04-29 00:52
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>まるで笑い話のようです.
乗り物の場合、こども料金とか学割とかがあるじゃないですか。 そういう感覚でケチろうとしたのですよ。 (もしかすると、私の記憶違いで「未成年者」ではなく「こども」だったかも知れません) >霞ヶ関官僚を見れば,とっくの昔に死語となっていますね. 官僚出身の堺屋太一さんが、「日本人は選挙を通った政治家よりも試験を通った官僚の方を評価している。これではいけない」と嘆いています。 儒教はケンカの強い者が支配する時代に、「頭のよい者が偉いのだ」と説いたことは評価に値しますが、若干、宣伝が過ぎたようです。 学校で盗難事件が発生したりすると、いつも成績の悪い子が疑われたものです。今はどうか知りませんが。
牛や豚は努力もしないし頭も悪い.だから彼らを食べることはちっとも罪悪ではない.てなことが「ナルニア国ものがたり」に書かれていて,気持ちが悪くなったことがあります.作者のCSルイスは北アイルランドのプロテスタント.
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papillon9999 at 2008-04-29 10:05
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papillon9999 at 2008-04-29 10:22
『だから彼らを食べることはちっとも罪悪ではない』
まさにこの世は人間のためにある、それも優れたエリートのために、という思想の噴出例ですね、これは。 そういえば、件の青学准教授はかなり単純で自信過剰でエリート意識も垣間見えますよ。タイプとしては久間氏か麻生、森喜郎タイプじゃないかな。結構危ない言葉も口に出せる自信を持っているようです。今回はとうとうそれで捕まったみたい。 魚拓を読んでいくと次の文に出遭いました。 『・・・みたいな思考停止は、先進国人というより中国人に近いということは認識しておいたほうがよい。主張は誰が言ったかではなく、つねに内容を吟味して評価すべきなのだ。』 反中姿勢が窺えますが、さらに『誰が言ったかではなく・・』と言いながら『中国人に近い』など、思考がかなり粗雑です。
こんばんは。
本村氏が「WILL」という雑誌の最新号に手記を発表されていますが、このことに関して「判決後の短期間に50枚も書けるだろうか。前もって判決を知っていたのではないか」と言っている人たちがいるようです(言い換えれば、検察、裁判所、本村氏の三者が共犯の関係にあって、裁判自体茶番劇に過ぎないという意味のようです)。 一体「判決公判以前にその内容を知っている」なんてことがあり得るのでしょうか。 例えば、判決に関わる部分を除くかたちであらかじめ原稿を準備しておく、と考えれば別段不可解なことだとは思えません。 本村氏を批判するのは自由ですが、「陰謀論」のような言い方は却ってその主張の説得性を減じてしまうように思います。
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papillon9999 at 2008-04-30 01:36
DHさん、こんばんわ。
『検察、裁判所、本村氏の三者が共犯の関係にあって、裁判自体茶番劇に過ぎない』 またここにもそういう「陰謀論」が湧き出たのですか。 被告の死刑を非難するあまり、被害者遺族の人格まで貶める、という本末転倒の議論、ないしは無意識の人権侵犯、をやっていることに気がつけよ!といいたいですね。 そもそも、一体どっちが悪いのかという原点をすぐ見失う。そのうち、被告はアイドルになるかもしれません。 |