アルバイシンの丘
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随想や意見,俳句(もどき)

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「唯一神」のアリバイ崩し
 この題目は最初は『「唯一神」の論理的考察』でした.しかし,コメントを戴いているうちに,より適切な,記事の意図が表現された題目として現タイトルが浮かび,変更しました.ただし,記事の中身は最初と同じです.

 この題目に期待を抱いた人は,羊頭狗肉で期待を裏切られることになります.初めからお詫びしておきます.(特に布引さんへ^_^;)



 ずっと以前,どこかに書いたように,私の妻は「○○バの証人」である.この宗教についてまだよく知らない人にはぜひ警告しておきたい.表面の『愛』に惑わされず,いかに信者の心を蝕んでいる実態があるか,洗脳される前によく見極めて欲しい.
 本当は,実態暴露記事を取り上げていく予定だったのだが,子供たちが大きくなって被害が子供たちに及ばなくなったので,批判の必要性が減り熱意も少し冷めてきた.妻は一人で相変わらず信者を続けている.(ところが,最近,この信仰の”効用”を強く感じる機会があった.これについては近々書き残さなければならない.)

 さて,妻が入信したものだから,その洗脳から解き放つために,やむを得ず教団の教理の矛盾をいろいろ調べることになった.そしてやりたくもない聖書を一生懸命に勉強する羽目になったのである.
 ついでながら,この教団は独特の聖書解釈をしており,それに基づいて通常のカトリックや聖書回帰派(プロテスタント)とはまったく違ったストーリーを作り上げている.それに伴って,些細な部分の事実認定に細かくこだわる.(例えば,キリスト処刑の十字架は,ほんとうは十字ではなく杭であった,というような).すると,聖書中のどこかの細かい部分に,そのストーリーには合わなくなる記述が存在することも多いのだ.それで,どうしているかというと,キリスト教諸派で通常用いられる聖書(例えば新共同訳)とは別の聖書を自分たちで用意しているのだ.彼らはこれを”新世界訳”と呼んでいる.彼らが用いるのは必ずこの聖書である.通常のものとはほとんど同じなのだが,彼らのストーリーに都合の悪い部分は微妙に言い換えてある.
 しかし,聖書の勉強(というより虫眼鏡でのアラ探しに近いが)自体は非常に面白くて,同時にそれまで縁のなかった文化(キリスト教文化)を知る機会となって大変良かったと思っている.従って,ブッシュの精神構造など,一般の日本人より,よく見透かすことができる方だと思う.

 何と,前置きが長くなってしまった.本日の本題に入らなくては.
まあ,とにかくこのように聖書を調べて,教理の矛盾を突く根拠を探している中で,一つの有力な(であると考えた)材料(矛盾の証拠)が浮かんできた.それは次のことを証明すればいい,と思ったのだった.

  「私は唯一・真(まこと)の神である」というのは,論理的に神様が言えるはずはない

という証明である.聖書にはあちこちに,神(ここではエホバと呼ぶ,正しくはヤハウェ)が『私は唯一・真(まこと)の神である』と言ったことを記してある.人々を畏れさせる為だ.私が思ったのはこうだ.

 神が唯一・真であれば,こんなセリフをいうだろうか,

ということである.”もしこのように言ったとすれば論理的に矛盾である”,と証明できれば聖書は人間の言葉に過ぎないことになる.(無論,聖書は人間が著したのは確かであるが,それは著者が神の言葉を霊感で受けて書いたことになっているので,神の言葉なのである).
 もしこれが証明できれば,エホバだけではなくキリスト教全体の危機となることにご留意あれ.

 私の疑問・狙いをもっとわかりやすく記述するには,太陽を例に取った方がいいかもしれない.太陽が我々人間に自分を畏れよと説教する・・・と考えて・・・

 太陽は言われた.『私は唯一・真の太陽である』

私の疑問は,仮に太陽がしゃべれるとして,太陽はこのように言うだろうか?ということである.なぜなら,太陽は一つしかないので(”恒星”という意味ではない)太陽はこのように言う必要はないではないか.というか,ほんとに太陽は一つしかないので,このように言う意味はまったく見出されないのである.
 私の論理の流れを示すと次のようになる.

 1.「私は唯一・真(まこと)の神である」という言葉の背景を考える
     ↓
 2.他にも神がいっぱいいたことを意味する
     ↓
 3.ほんとに神が唯一であれば神自身はこのように言う必要はない(注あり)
    (なぜなら神は他のものを神と思っていない)
     ↓
 4.それなのに,神がたくさんいたことを意味するせりふが出てくる
    (「私は唯一・真(まこと)の神である」という,それのこと)    
     ↓
 5.すると,それを言う犯人(?)は神をたくさん作っていた人間の発想としか考えられない
     ↓
 6.聖書のこの部分は神から霊感で伝わってものではなく人間が作って書いたものだ

と言う理屈である.この理屈はどうだろう.認められるだろうか.

 しかし,次のようなことも考慮する必要がある.流れ図の3の部分である.
 『あんたたち人間はたくさん神と称するものを作って拝んでいるが,それらはほんとの神ではないよ.私がホンとの神なんだよ』
と言う意味で,「私が唯一・真(まこと)の神である」と言った,とするのはどうだろう.聖書の作者も恐らくこのつもりで矛盾と感じなかったのだと思うが.
 ところが,これも残念ながら?次により弱い,と思う.(しかし,決定的な矛盾,と言えるわけではないかもしれない.)
 つまり,これだと,ほんとの唯一神のエホバも,人間が想う一般名詞としての神のカテゴリーに自ら入って行くことになる.もし”偽者”の”神”を人間が作ったとすれば,エホバからすれば『”神”とは自分とは何の関係もない言葉』ではないだろうか.そんな意味でしかない一般名詞としての神の概念に自ら入るはずはない,という論理である.(これについては決定的という自信はないが).エホバは固有名詞を持っているのだから,『私はエホバである』としか言わないはずなのである.(実際,このセリフもあちこちに出てくる).

 なお,この問題は形式論理学にはなじまないと思う.なぜなら,同じような構文で,次のようなものは本人が言った事として成立するからだ.

 「私は唯一・真(まこと)の恒星である」
   太陽が間違って言うかもしれない.しかし,「私は唯一・真(まこと)の太陽である」とは決して言わないはず.「私は唯一・真(まこと)のエホバである」と言わないのと同様
 「私は唯一・真(まこと)の大統領である」
   将来,世界連邦ができたときに,このセリフを言う人が出てくるだろう.

以上の論理を,「聖書は人間が,神の霊感無しに書いたもの」という証拠として妻に突きつけた.・・・・のではなかった・・・それはできなかった.逆鱗に触れるからだ.誰の? 神様ではなくカミサンの.
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by papillon9999 | 2007-09-06 08:05 | Trackback | Comments(5)
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Commented at 2007-09-06 16:40
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by せとともこ at 2007-09-07 18:55 x
こんにちは。
トラックバックありがとうございました。
こちらでは初めてですが愚樵さんを通して、いつも拝見しています。
最後のオチ、笑ってしまいました。
すてきなカミサン、いえ、奥様なのでしょうね。
しかし、エントリーの中身は考えさせられました。
宗教の方は以前は勧誘にみえていたのですが、詳しくお話することもなくお断りしていたので、内容はよく存じませんでしたが、
教義というか新しい聖書の「唯一神」の下りを形式論理で斬られたところは「さすが」と思いました。
神、、、
私もまた考えてみます。
これからもいろいろ教えてください、よろしくお願いいたします。
では、また。
Commented by papillon9999 at 2007-09-07 19:01
すみません.突然,何の挨拶もなく送りつけまして,というのは理由がありまして,愚樵さんのコメントに貼り付けてありました記事を拝見したところ,,論理学に関して大変深い造詣をお持ちだとわかりましたのぶしつけながらTBした次第です.
もっとも,この記事だけでは問題提示が不完全と思っています.もう少し整理しないと,意味がなかなか通じないと思っております.その段階ですが,皆さんに曝して考察を深める材料を得たかったのです.
愚樵さんのところではいつもうらやましく拝見しておりました(^o^)
Commented by 愚樵 at 2007-09-07 20:18 x
オチへの突込みを瀬戸さんに取られてしまいました...残念(笑)

それはともかく、今回の記事を私はまだうまく飲み込めていません。なのでコメントはどうしようかと思っていたのですが、唯一神について、ある人(クリスチャンです)と議論したときのことを思い出しまして、そのことを書こうかと思ったのです。何か参考になるかもしれませんので。

簡単にいうと、こういうことです。

私は唯一神が存在するかどうか、わからない。ところがあなたはそれが存在するという。そしてそれを信じろという。なるほど、あなたには唯一神の存在を知っているのかもしれない。しかし、わからないといっている私に信じろというのは、とどのつまり、あなたを信じろといっているのと同じではないのか? 聖書も、誰が書いたかは知らないけれども(特に創世記)、その作者を信じろということではないのか?

その方の答えは、では、この世界は誰が作ったというのか? というもので、話はぜんぜん噛み合わなかったのですが。
Commented by papillon9999 at 2007-09-07 20:49
<私はまだうまく飲み込めていません>
愚樵さんがこのようであれば,全然通じないかもしれない,という私の危惧はほんとに当たったのですね.愚樵さんご紹介のエピソードはやはりちょっとずれているんです.もっと形式的なものなんですね.と言っても形式論理学的ではない.アリバイ崩し,に似ているかもしれません.
簡単に言い直すと,”唯一神”という時の”神”とは人間の概念でしかない,ということですかね.神が唯一なら,神は自分のことを”神”とは思わないのではないか,と言い換えてもいいでしょうか.
もう一つ別に,人間が思っている”神”の定義なりをみて,エホバは”ああ,その定義なら私のことだ”と思って,”私こそ唯一・真の神だ”と言った可能性も考えられます.しかし,それは説明として弱い,と思うわけなんです.(理由は記事の最後の部分)
といってもまだわかりにくいでしょうね.もう少し整理を試みます.