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by papillon9999
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公害病も格差社会も気の持ちようか?
2007年 08月 31日
短期出張で不在の間,愚樵さんから多くの記事のTBを戴き,嬉しく思っている.さらにそのことはご健康状態は良好ということを意味するものであろうから,この点でも喜ばしいことである.記事はいずれも愚樵さんらしい感動を与えてくれる素晴らしいものであった.ただし,一つの記事を除いて,である.
その例外の記事とは,内田流「格差社会」論の見方についてである.私がこの記事を読んだ感想は,『愚樵さんは内田流にフリーズしてしまわれた!』であった. 私は愚樵さんの記事とは全く違うように思っており,コメントに書かせていただこうかとも思ったが,少し長くなるので,ここで主張させていただくことにした.とはいいながら,私は内田さんの記事そのものはもう読みたくないので,愚樵さんの記事を通して推断するだけの話になる. 愚樵さんの記事により組上げた内田さんの主張を想像したところ,思い出したエピソードがある.それは以下のとおり. ======================================= ある時(多分十年以内),ある公害病患者たち(だったと思う)を,ある大臣(だったと思う.名前は憶えていない)が見舞ったときに,こう言ったことがあるのだ.(原爆患者だったかもしれない!) 『病気は気の持ちようだから頑張ってください』 ======================================= これへの反応は,当時,一部の人からかなりの顰蹙を買ったと思う.(すぐ忘れ去られてしまったのだが). 内田さんの議論(従ってそれを支持する愚樵さんの考えも)はこの感覚にそっくりなのである.内田さんたちは非常に回りくどい言い方をなさっているのだが,結局はこの類のこと,翻訳すると 『格差社会で食えないことも,気の持ちようだから,(価値基準を変えて)頑張ってください』 とおっしゃっているのではないか,と想像するのである.(私はこの理屈を追っていくことをあきらめているので,想像でしか最後のところを描けないのだが・・・) ここでは, ”公害病にかかってしまった”=”住はおろか,食うにも困るほどの低賃金しかもらえなくなった” ,というアナロジーが見事に成立していると思う.その心,共通項は, どちらも本人に責任はない,望んだことでもない ,ということである.そして,この 『公害病を産み出した社会的土壌』はすなわち,『格差を(合法的に)作り出す社会』 にきれいに対応する.(格差社会が公害を生み出す,と言ってるのではない.念のため) 『気の持ちようで公害病は治るか?』 それにはみんなきっと 『”否!』 と答えるだろう(我が身の不運を嘆くよりも多少,心は明るくなるかもしれないが). これと同じことを問うてみよう. 『気の持ちようで食わずに済ますことができるか?』 『否!』 公害病患者達に対して,最も重要なことは実に単純であって, 『病気治療を全面的に支援し,根本治療法の開発を国と公害企業が責任を持って行う』 ことである. 格差是正の要求とは,実は単にこれに類する意味でしかないものである. 『食うにも困るような(人を多く作り出す)社会設計を即刻やめること』 こんなレベルのことを単純に主張しているに過ぎないのだ. 『金万能主義の価値観に支配される』,といった大それたものでは決してない.でも何でいまさらこんなことから言わねばならないのだろう・・・
by papillon9999
| 2007-08-31 18:11
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Comments(32)
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papillon9999 at 2007-08-31 23:02
花・髪切と思考の浮游空間のこれお・ぷてら さま
コメント,TB戴き,真にありがとうございます.こちらこそどうぞよろしくお願いします. おっしゃるとおり,『格差は幻想』=『格差は気の持ちようで霧のように晴れる』という,私から見ればとても腹の立つ議論です.いかにも,一段と高いレベルで物を見通したような言い方が,生理的にも受け付けられません.これに多くの人が関心を寄せるとは信じられません. 題目に『内田氏云々』の文言を入れなかったのは,内田氏が”注目されている”という数に算入されたくなかったからです.
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dr.stonefly
at 2007-09-01 06:56
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お早うございます。TBありがとうございました。
愚樵さんのコメント欄に書きましたが、内田氏の文をよみもう一人のワタシは違和感がありませんでした。でも、貴エントリー、特に最後の4行で何が問題なのかよく解りました。読解力のなさを感じてます。 まさか内田氏の主張が「生きることは、金じゃないんだよ」ってことで、格差社会の問題解決をはかろうとしていることの主張だったとは……、唖然。よみとれなかった自分にも唖然です。
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布引洋
at 2007-09-01 10:20
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内田格差論の問題点は、其の発表された時期に尽きる。
20年前なら私も賛成した。 10年前なら此れほど腹も立たなかった。 ギリギリ5年前なら辛抱もした。 今は許せん。! 内田某の格差に呻吟する人々に対する侮辱、嘲笑を許すべきでない。 バブルに人々が浮かれ騒ぐ時期なら、熱狂に水をかける意味で大いに賛成できた。 03年の派遣労働の製造業全面解禁以前なら少しは理解できた。 しかし今苦しむ人々を無視して、平気な顔で主張する態度が許せん。! やっかみに聞こえるかもしれないが、内田氏の置かれている条件も許せん。同じ内容の言葉でも、喋る対象や相手で意味が全く違う。 同じ教育関係者でも、内田氏が大学教授ではなく、大学の非常勤講師なら此れほど腹も立た無かったろう。 今の格差問題の深刻化は労働者階級の格差問題にとどまらず、今やプロレタリア階級の下層がルンペンプロレタリアに限りなく近づいている、転落していることです。 健全な資本主義社会が崩壊しようとしています。 右翼左翼の違い、保守革新の違いを超えて、反対する為の連携、連帯がj必要でしょう。
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papillon9999 at 2007-09-01 10:37
dr.stonefly さん おはようございます.コメントありがとうございます.内田氏の主張はまさに「生きることは、金じゃないんだよ」と言ってるに過ぎないですよね.それこそ,布引さんではないけど,「そんなこたあ,言われんでもわかってるワイ!」です.内田さんの真の狙いは,「目立つこと」これに尽きると思います.
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papillon9999 at 2007-09-01 10:40
布引さん 実は私も同じ事,『バブルのときに言えよ!』と思っていました.あの時は国民ほぼ全部,私も含めて熱病に罹りました.お恥ずかしい・・
でも今の状況は断じて違いますね.そんな世の中にしたいとは庶民なら誰一人思っていません.どんな世の中になろうとしているのか,庶民は知らない人が多いだけです.
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布引洋
at 2007-09-01 12:16
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>あの時は国民ほぼ全部,私も含めて熱病に罹りました
うちの親類兄弟でも何人もが株や土地に手を出して大損しています。 銀座の地価が一坪一億円を越えた辺りで此れは危ないと忠告したのですが誰一人聞き入れません。結果バブルがはじけ兄弟の負債を有り金残らず叩いて穴埋めする羽目に陥りました。 勝っている博打は止められない。賭博の勝ち逃げは難しい。
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布引洋
at 2007-09-01 12:39
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今回の格差論で感じたことは『知の衰退』です。
内田某のようなペテン師紛いがもてはやされるとは嘆かわしい。 タイの少数部族農民の倫理観の話で愚樵さんが『ほんの少し前まで日本にもあったはずのものです』は話が反れるので反論しませんでしたが根本的誤解がある。 そんな倫理観は明治以降の日本では全く在りません。江戸期でも一部地域以外には無かったでしょう。 あれは焼畑農業の倫理、論理です。 焼畑や遊牧、狩猟では自然の回復力以上の収穫を望むことは悪なのです。二倍取れれば一回休むは先祖伝来の英知のなせる業。 多くを望まず自然と共存しつつ、回復可能な程度の収奪しか行なわない。 この考えは明治以降の日本人には、まったく無い発想でしょう。 『真面目に働き、働けば働くほど生活は楽になる』が日本人の基本的発想で余裕が出来ても自分では使わず一生懸命貯蓄する。
>根本的誤解がある
それは違います。自分のところでは書きませんでしたが、現に今でもそうした倫理観は私の周辺では生きています。 私も含め、私の周囲の仕事仲間は基本的には、必要以上には働きたくないのです。そういう雰囲気が未だに強い。だから人員をマネージメントする社員は、それで結構苦労している。 古い体質の人たちが止むをえず必要以上の仕事に出るのは、そうした社員との人間関係ゆえです。人間関係があるから、社員を困らせまいと思って仕事にでる。で、必要以上に稼いだ金はどうするか? パチンコで蕩尽! それで終わりです。
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布引洋
at 2007-09-01 15:10
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愚樵さんの住んでいる熊野の山奥はとんでもない田舎です。
実は私の生まれたところは熊野以上の秘境中の秘境で、平家の落人伝説の平時国が都を落ちのびて住み着いた所で、今でも子孫の下時国家と上時国家が地元で一番の名家と言われるような場所。 田舎もんは金に大らかは大きな誤解、田舎者ほど金儲けには敏感で、機会があれば絶対に逃しません。此れは深海魚が滅多に餌に有り付けない為とんでもない貪欲なのと似ています。 田舎の実情は人より判っているつもりですが、仕事をしたがらないと言うよりも一生懸命やってしまうと無くなるからではありませんか。一年間の予算(仕事量)が決っている公務員も真面目に仕事をすると同僚から恨まれます。 『そんなに一生懸命したら半年で仕事が終わる。後の半年は何をすればよいのか』
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愚樵
at 2007-09-01 16:05
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>深海魚が滅多に餌に有り付けない為とんでもない貪欲なのと似ています
笑いました。全くその通り! でも、それはやはり機会に恵まれない人に限っての話。機会に恵まれている人はやはり、必要以上に稼ぐことに執着しません。 >そんなに一生懸命したら半年で仕事が終わる 確かにそういうケチ根性の人もいますけどね。自分の仕事に誇りを持っている人はそんなことはしません。自分の技量に応じた報酬をもらい、技能があがるほど余暇が増える。それが誇りある立派な田舎人の理想です。
これはいずれ自宅で提示しようと思っているのですが、前近代的な労働感について、『下流社会~新たな階層集団の出現』を著した三浦展がアエラ紙上にて「上流と下流に共通する価値観-三浦展が語り下ろす格差新局面」というのを発表していました(AERA 2007年08月27日号)。
治療に行った診療所の待合室で読んだのですが、それによると、その共通する価値観というのが「前近代的労働観」、つまり要るだけ稼ぐというものなんです。機会があれば読んでみてください。
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papillon9999 at 2007-09-01 18:41
愚樵さんの方のコメントと同じものをここにも書かせていただきます.
バブルの頃に多くの庶民が熱病に罹ってしまいましたが,愚樵さんのご心配はそのような精神状態に対する警告です.しかし,一般に議論されている格差社会の問題はそういうことではありません.格差社会の現状は,多くの人がいやいやながら厳寒の荒野に放擲されている状況に譬えることができましょう.熱病ではありません.凍死するかどうかの問題です.多くの庶民が凍死するような社会(むしろ凍死者が必要な社会)を拒否したい,というだけにすぎません.熱病の問題は格差社会だけの問題ではありません.首尾よく格差社会が終焉したら改めて考えましょう. 最後に付け加えたいのですが,このような社会になったのは,バブルを除いて私たちの責任ではありません.(バブルの後遺症かもしれませんが直接の責任はありません)
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布引洋
at 2007-09-02 10:13
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愚樵さんの処にも書いたのですが格差問題は新自由主義の結果で、そもそも新自由主義とはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争です。
真偽は定かではありませんが、66年前の対米戦争は第一次世界大戦の悲惨な体験から反戦世論の強かったアメリカ市民を戦争に引き込む為のルーズベルトと日本海軍の合作だったと言う説があります。 現在の新自由主義は日米合作なのは間違いありません。 中曽根内閣のころから始まり現在も続く20年戦争で対中15年戦争を上回っています。 60数年前がそうであったように、日本中を焼け野原にして今回も日本の全面敗北で決着するでしょう。
はじめまして。愚樵さんのところでの議論など読ませてもらっております。いろいろと誤解やすれ違いが生じているようなので、一言コメントさせてください。。
愚樵さんも内田さんもそうでしょうけど、問題にしているのはバブルなどという短期的で表面的な問題ではないと思います。 内田さんの問題のエントリが誤解されやすいのは確かですが、この人は「自己決定論・自己責任論」に対しては、終始反対の立場を取っています。そのことは、内田さんの『下流志向』の中には明瞭に書かれていますし、内田さんの過去の記事などを遡って読まれてみればすぐに分かることだと思います。 内田さんが指摘していることは、いまや貨幣経済が家庭にまで浸透し、その結果、子供たちが幼いときからそのイデオロギーに絡めとられているのではないかということです。子供たちが「消費主体」とし自己を確立しているとか、「等価交換」を主張している、といった内田さんの言葉は、市場経済がそのような地点にまで進行していることを指摘し、それに警鐘を鳴らしているのだと思います。
「地縁的なものであれ、血縁の共同体であれ、とにかく複数の人間で構成される相互扶助組織を持っていないと、やっていけないと僕は思います」
「弱者が弱者であるのは孤立しているからなんです。自己決定・自己責任とか、「自分探しの旅」とかいうイデオロギーに乗せられて、セーフティネットの解体に同意し、自分のリスクを増大させていることに気付いていない。マルクスは「万国の労働者、団結せよ」と言いましたけれど、ほんとにそのとおりで、大切なのは「万国の弱者、団結せよ」ということなんです」 「下流志向」の中の内田さんの言葉です。
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布引洋
at 2007-09-02 17:18
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内田某が宗教者なら、何にも私が反発する必要を感じ無かった。
外国ではこの程度の内容は、哲学というより宗教の受け持ちです。 女子大のフランス文学だかフランス文化だか知りませんが、一様教育者の端くれが人前で喋る内容には自ずから教育者としての責任が生じる。 彼の主張で目新しいものは一つもない。 何故これほどまでに判りきった事柄を、今現在、此れほど格差が問題視されている時期に、正面切って主張する必要があったのか。? 繰り返しますが時期が問題なのです。 今、この時期に、内田某が精神論的な格差論を人前で恥ずかしげも無く主張することが許せないのです。 ついでに言うと態度が気に食わない。 他人には言うが、主張するだけで実践しない。カジンスキーのように大学を辞職して己の主義に生きることをしない。
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papillon9999 at 2007-09-02 17:32
かつさん わざわざ私のところへお越しくださりありがとうございます.内田さん(したがって愚樵さん)のお考えを私(たち)にわかりやすく伝えるようなさっていることに敬意を表したいと思います.
『問題にしているのはバブルなどという短期的で表面的な問題ではない』 むしろ私の方が,「熱病」という表現で,今の「格差社会の問題」はバブル熱病に罹ってしまった心性とは無関係だ,と強調しているつもりです.内田さんは「格差社会問題」の中で,庶民が一般的に罹りやすいこのような心性を議論しておられるように感じるのですが.したがって,私は格差社会の問題が解決されても,バブルに踊った心性は依然として庶民を蝕むだろうと思い,解決後もさらなる議論が必要だと思っています.その上で,今はとにかく格差社会そのものを忌避すべく行動しなければ,と思ったのです.
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papillon9999 at 2007-09-02 17:33
つづきです.
『内田さんが「自己決定論・自己責任論」に対しては、終始反対の立場』 この点は意外な気もしますがよくわかりました. 『貨幣経済・・・。子供たちが「消費主体」とし自己を確立・・・「等価交換」・・』 この部分は私には何のことかさっぱり咀嚼できないのです.それでかつて愚樵さんに,「消費主体」とか「等価交換」とは何か質問したことがあります.その骨子は「教師や仲間との心の交流を求めるのではなく,授業料を払った分だけ自分が見返りを得ないと損だ」と言う感覚なのか,という意味の質問です.それに対する回答は「公立学校というのはそういうインセンティブが働かないから否定的」という感じに受け取りました.私はその意味を未だに理解できておりません. 『大切なのは「万国の弱者、団結せよ」ということなんです』 これについては何の異存もありません.ただ,言わずもがな,のことと感じました.私もしょっちゅう言ってるような気がします.
愚樵さんのところでの議論のときは、まだこの本を読んでなかったのでよく分かりませんでした。
「消費主体」というのは、貨幣と交換でその場でモノを得るという立場のことです。そのような交換は「等価交換」を原則とし、その場で同時に行われます。ですから、無時間的なものです。ところが、学習も労働も、すぐその場ではその意味や価値は分からないものです。よく分からなくても、とりあえずやってみて、あとでああそうか、というのが学ぶことや労働することだろうと思います。 しかし、「等価交換」によるその場での交換という原理を最初に身につけた人間は、そのために「学習」や「労働」を拒否し放棄しているのではないか、というのが内田氏の主張だと思います。 これだけでは、たぶん奇矯に聞こえるかもしれません。しかし、事実として現代の子どもたちは、幼いときからお金を使うことを身に付けています。
休みになれば、ゲームセンターは子ども達であふれます。中学生が同級生から多額の現金を脅し取って豪遊したという話もありましたね。こういった光景はかつてはなかったことです。このようなことが、社会に対して、また人間の成長に対して、なにも影響を及ぼさないはずはありません。内田さんの目は、そこまで届いているように思います。
「言わずもがな」というのは、まさにそのとおりで、「格差問題」に関心のあるおおかたの人は、その点で賛成されるだろうと思います。そこを素直に言わないのは、なんというか、この人の癖みたいなものでしょう。 ただ、内田さんが重視しているのは、国にあれこれ要求することよりも(むろんある程度は必要でしょうが)、弱者同士が相互扶助のネットワークを作れということでしょう。ブログでおちゃらけた自慢ふうに書いていたことは、そういう意味のように感じます。
長くなってすみません。
「下流志向」の最後のほうで内田さんはこうおっしゃっています。 「できれば少しはやめに大学教師の生活からはリタイアして、余生は武道の道場で地域の子どもたちを教えることで過ごそうと思っています。・・・武道で身を立てたいという若者がいたら・・・世話を焼いてあげる。どうも家にいづらいという子どもがいたら道場に泊めて、ご飯を食べさせて、・・・書生として使う。学問がしたいという子どもがいたら、原書講読をする。哲学も文学も教える。・・・そういう開かれたアジール(避難場所)のような、寺子屋のような、道場のようなコミュニティの拠点を作りたいんです」 このように語る方は、たんなる口舌の徒ではありません。信頼できる方だと私は思います。 布引さんのように、女子大でフランス文学を教えているからどうのこうの、などといって人を決め付けるのは、それこそただの偏見というものでしょう。
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papillon9999 at 2007-09-02 20:03
長いお話,ありがとうございます.
「消費主体」とか「等価交換」について,結局,タイムスパンが必要な物事を考えたり,行ったりすることができなくなった,ということですか?そして,それは貨幣経済の弊害であると?小さい頃からお金を使う,と言うことが原因というわけですか? まあ,そういえなくもないかもしれませんが,ずいぶん飛躍があるなあと,そしてそれだけではないのでは?という気がします.ずいぶん前から,「最近の子は我慢ができなくなった」,「飽きっぽい」,というようなことは言われていましたね.確かに,子供の頃からお金を持たせつけるとあまり良い影響はないとは思いますが,それが「無時間的だから」などという理由は,「まあ,そういう見方もできるかもしれませんね」という感じを申し上げておきましょう.
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papillon9999 at 2007-09-02 20:06
後半について,
『このように語る方は、たんなる口舌の徒ではありません。信頼できる方』 これについては私は何も申し上げる事はありません.何年後か,様子を見てみたいと思わないでもありませんが. 私の将来の夢は「自然の中の保育園」を作ることなんですが,実行力と実現力がないため,ホントの夢です. 『哲学も文学も教える。』 いろんなことを『教える』ことができてうらやましいですね. ところで,前のコメント中で,『内田さんが「自己決定論・自己責任論」に対しては、終始反対の立場』というのに対し,意外だけど・・・と書きましたが,『格差は気の持ちよう』と主張されることと矛盾しませんか?少なくとも,『終始反対の立場』ということが意味をなさないように思います.『格差』をもたらす理論的支柱の一つが『自己責任論』です.『格差の存在』を認識できない人がいくら『終始反対』といっても無意味だということですが.
ブログの方での内田さんの言葉は、「格差」について過剰に意識することはあまりよろしくないのでは、というぐらいの意味だと思います。
内田さんが「格差は幻想だ」みたいに言っているのは、格差そのものがただの幻だということでも、その存在を否定しているのでもなく、「格差感」というものは意識やイデオロギーによって無化されることもあれば、強化されることもあるという程度のことだと思います。逆説や皮肉の好きな方のようではありますね。
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papillon9999 at 2007-09-02 21:50
かつさん,TBありがとうございました.そちらの方へTBとともに,コメントも書かせていただきました.速報ですが,ご批判賜りたく存じます.
『逆説や皮肉の好きな方のようではありますね』 これは私も同様に感じて,『目立つのが狙い』,『ニッチ評論』とかきました.『ニッチ』は取り下げてもいいですが,やはり大衆の存在をかなり意識した書き方ではないでしょうか.
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布引洋
at 2007-09-03 09:43
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『ニッチ評論』が一番適当(具体的)な表現。
人の悪い私ならジョージ・ブッシュ風に『敵の戦闘員』と表現します。 日米経済20年戦争負け戦の真っ最中。 住む家を無くした難民が広場にテントを張り、仕事にあり付けない若者が街中を意味無く彷徨し、餓死者や自殺者の屍が山をなす。 そういえば、公園のポールや道路の排水溝の蓋、果ては送電線が盗まれるなどの犯罪は半世紀ぐらい日本では起こっていませんでした。 あの手の犯罪は、敗戦直後の一時的無政府状態の時に起こっただけで日本では絶対に起こらない種類の犯罪行為です。 何故何回も何回も騙されるのでしょうか。? 何十年も前の山本七平や栗林慎一郎、堺屋太一の方が余程悪賢かったように思えるのですが。? 本来なら宗教者が喋らなければ為らないことを、学者モドキが喋る日本の不思議。 本当に日本では科学者や技術者、大学教授の社会的地位は高いが、其の分宗教者の信用が薄く、道徳や心の問題を学者が解説しても誰も不思議に思わない。 梅原猛の『神殺しの日本』面目躍如。 内田某の論はキリスト教的道徳(アメリカ流福音派)ではないかと思うのですが、如何思われますか。?
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papillon9999 at 2007-09-03 10:54
<『ニッチ評論』が一番適当(具体的)な表現>
そうですか.ではやはり取り下げないでおきましょうね.布引さんはどこかで(愚樵さんでしたか?),『傭兵』と表現しておられましたね.この表現は感心しましたよ. <山本七平・・・> 耳が穢れるような名前ですが,もっと穢れるのがいましたね.渡部昇一です.耳を洗いに行かなくては(いや洗うのはパソコンのキーボードでした). <学者モドキが喋る日本> 本業ではパッとしないからなのですかね.養老猛司なんてのも典型的なおばかさんですよね.言論に責任を取らなくていい,ということが気楽に発言できる理由と見ています.必ず,貧困や抑圧に対して,庶民には精神論で対抗するような筋書きです.反権力的立場での発言であれば睨まれますからね.(反権力側でも中身はないのに時代の寵児となっていい思いをするケースもありますが) <内田某の論はキリスト教的道徳> 神戸女学院はもともとキリスト系(新教かカソリックか知りませんが)ではないのでしょうか.その影響かもしれません(某氏も信者かどうかは知りませんが).人の内面改造がまず第一,という立場でしょうか. でも布引さん,私も優しいでしょう?(笑)
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papillon9999 at 2007-09-03 11:13
そうそう,某氏は『養老猛司先生』との対談を誇らしげにトップに飾っていませんでしたか?私はクリック数を増やしてやりたくないのでもう行きませんので確認できないのですが.これをみても某氏自身のレベルがわかろうというものです.
ところで,上のコメントの追加補充です. 『言論に責任を取らなくていい』というのは本業ではないからです.本業であれば学者生命を断たれますから,無責任なことは言えません.
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布引洋
at 2007-09-03 15:22
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私も含め護憲派はみんな心が優しい。幾ら頑張っても本物の悪党には絶対になれそうもない。
護憲派に、内田某の悪賢さのほんの少しの欠片でもあれば、多分此れほど苦戦していません。(喧嘩や戦争は悪賢い方が有利) 神戸女学院はもともとキリスト系ミッションスクールで会衆派系。 イギリスが発揚の地だがピュリータンとしてアメリカの主流となり海外伝道(ミッション)を積極的に展開。 以前から思っていたのですが、プロテスタントとカトリックを新教旧教と約すのは、南アジアの上座仏教を小乗仏教と約すような偏見や差別的解釈ではないか。? 『聖書に帰れ』は、コーランに帰ることを最良とするイスラム原理主義と双子の関係で、そうだとすれば新教と約すのでは無く復古派や旧教の方が正しいのではないでしょうか。? しかしミッションスクールとはイスラム世界のマドラサと意味的には同じもので仏教世界に対する宣教、宣伝、の砦ともいえる。 それなら内田某が発言している意味も理解できる。
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papillon9999 at 2007-09-03 19:16
なるほど,プロテスタントの方が「旧教」と呼ばれる資格がある,ということですか.時代的に新しい方が「旧教」では混乱するので,「復古派」,「(聖書)回帰派」などが考えられますね.ほとんど考えたことがありませんでした.
そうですね.ミッションをしているつもりなのかもしれませんね.確かに人間改造といっても,仏教的ではないような.. そういえば,かすかな記憶に残る断片で想像すると,武道はありますが,それを教えたい,という意識が強いようですね.かつさんのコメントからすると,いろんなことを『教えたい』ようです.
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布引洋
at 2007-09-04 09:50
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違う大学ですが神戸の某女子大とは30年以上前、頭を抱えたくなるような困った因縁が、実はあるのです。
当時20名程度の山岳会に某有名女子大山岳部OB(OG?)3人が入会。其れまで男子のみの精鋭的登攀クラブに若い娘が三人も。 入会後は会の雰囲気が全く違うものに。 例会出席率が向上したのは良いが、トレーニング山行で若いメンバーが次々岩から落ちる。危ないこと危ないこと。 数年後には全く違う性格の山岳会になっていた。 この女性会員の家は周りが大きな石垣で囲まれていて『わざわざ六甲山で岩登りの必要無し。家で練習しろ』と皮肉を言いたくなるような御屋敷 私の『受験勉強は将来には役立たない』をマトモに聴いたアホな我が娘。 勉強せずに大学受験して唯一受かったのが神戸の某女子大で、これが大学構内にチャペルがあるような4年制ミッションスコール。 キャンバスは六甲山の山麓に在り阪急の駅からかなりの上り坂。 其れでも最初は真面目に通学していたが、何しろ学友たちが物凄い。学生の親たちが高級外車で『送り迎え』するなどは普通のこと。 階級差は如何ともしがたい。程なく中退するが、それにしても親娘ともアホですな。
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papillon9999 at 2007-09-04 11:01
なんか布引さんの人となり,人間性が垣間見えてついニヤニヤ顔が緩んできます.超ブルジョアの中に入って戸惑うプロレタリアート.
娘さんの縁で山岳会に三人も入ってきたブルジョア娘.山岳会の山男たちは意識しすぎて落ちてしまうようになった.とうとう野外活動レクレーション会になってしまったのでしょうか.いやコンパ会か・・ |