アルバイシンの丘
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随想や意見,俳句(もどき)

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波濤険しき朝鮮海峡を渡る(6)
 半島初めての夜は騒々しく更けていった.崔先生が東京におられた頃の思い出話が一つ出るたびに,ぎゃーぎゃー湧いて,崔先生のガハハハ,という豪快な高笑いが宴席に響き渡った.それは大抵,酒にまつわる話で,よく練り歩いた六本木界隈,根津の地下鉄そばの居酒屋,などが舞台である.当時から崔先生に連れ廻ってもらっていたのである.当時は六本木もまだ田舎くさい所があって,防衛庁や二二六事件の舞台にもなった旧陸軍,当時の東京大学生産技術研究所,などから乃木坂にかけては夜八時のゴールデンタイムでも薄暗い通りであった.



 『そうそう,六本木のあの赤提灯は何だったかな』.『あれは「なか」ですよ』,『そうだった,ガハハハハ』,と別におかしくもない所でもなせか腹の底から笑えた.『根津ではT君はトイレでぶっつぶれていたなぁ,ガハハハハハ』,『ああー,その話はやめてくださいよぅ』とT君が懇願.『あの時,「大根なんか研究してる人もいるんだ」とからかったら,近くにいた人からじろっと睨まれたなぁ,あれは農学部の教授だったろう,ガハハハハ』.T君のトイレの話は,後年もずっと何度も話題に上ることになる.
 その夜も生バンドが来たのだったろうか.定かではないが,とにかく崔先生とT君と私の三人で肩を組んで『人生劇場』を歌った.この『人生劇場』はその時始めて,以来ずっと続いている.
 その夜はどのようにして終わったのだろうか.記憶がないのは酒の所為か,または遠くなった時間の所為か.いずれにしても終わったことだけは確かで(当たり前か),ホテルで爆睡したことは間違いない.
 以上で歴史的な半島最初の夜の話を終えよう.

 翌日は当然フラフラで,頭が痛く,午前中ずっと寝ていたかった.しかし,なんと起こされたのは朝の六時!起こしたのは崔先生の兄貴分の崔先生であった.別に兄弟ではないが,大邱からソウル大学までずっと一緒だったという人だ.我々はソウルの崔先生と呼んでいた.大邱の崔先生よりも何ヶ月か兄貴分で,そのためさすがの崔先生(大邱の.ああややこしい)も一目置かざるを得ないのだ.大邱の先生がしゃべっている途中でソウルの先生が割り込んできて,すると大邱の先生は一応,話を引く.韓国ではこのように,威張ってよい順番が決まっている
 さて,早朝叩き起こされて,一体なんだ!と少々頭に来ながらロビーへ降りていった.T君その他もそうだったが,そこにはソウルの崔先生がニコニコと待っておられた.大邱の崔先生は痩身で顔も細長いのに対し,ソウルの崔先生は満月のような丸顔で短躯,全体もころころした感じである.その満月がニコニコして出迎えていた.挨拶は済んでいない.半分眠りながら挨拶を済ませ,一体どうしたのかと我々は顔を見合わせた.こちらも東京以来,懐かしいのだが,本音は『一体何時だと思ってるの.眠らせてくださいよ』である.でも露骨にそんな顔はできない.
 ようやくわかったことは『今から牛の血を食べに連れて行く』であった.え”-っ牛の血イー?酒の所為で戻しそうになったがやっと堪えて後からとぼとぼついていった.今考えるとそこは明洞(ミョンドン,新宿のような所)で,もう早朝というのにごった返していた.そこを掻き分けて一つの店に入った.店の中もたくさんの客がいて,大きな声が飛び交っていた.血の塊の入ったお粥が目の前に運ばれた時,吐きそうになった.おまけに,崔先生(ソウルの方)はマッカリを注文して我々に振舞った.げーげー言いながら飲んだが,ほんとに,辛うじて吐くのを我慢できた.他のメンバーは何度もトイレに行ったのできっと吐いていたのだろうと思う.それにしても,早朝からの雑踏と食い物屋の混雑に,韓国の庶民の底知れぬエネルギーを感じたのであった.そのソウルの崔先生も十年近く前に鬼籍に入られた.

 その日はソウル近郊の水原(スウォン)にある民俗村を見学させてもらい,夜は再び料亭で晩餐会であった.いつも不思議に思うのだが,あれだけ,酒の瓶の写真を見るだけでも吐きそうになるのに,夜になったらまた飲めるようになる.人間でも回復力はすごいのだ.この日はソウルの崔先生たちの主催で,料亭の名前もなぜかはっきり憶えている.『山水』であった.内容は前の日の感動的な晩餐と重なって,抽出できない.ほとんど同じだ.あとで大邱の崔先生がこう教えてくれた.『ここは昨日の料亭の十分の一ですよ』

 ところで,ここで記事の重大な誤りがあることをお知らせしたい.この紀行文は1985年だとして始めた.ところが,よく記録を見ると,1987年であった.訂正したい.初めの記事に,最初に外国へ行った年,中国の次に韓国へ行った,という文を書いている.『真っ赤な嘘』がその意図はなくても書ける,ということだ.自戒を込めてお詫びする.
 さて,その証拠写真.見つけてようやくアップできるようになった.ただし,晩餐の写真はいずれも顔がはっきり写っているので公開できない.残念.

f0036720_103655100.jpgf0036720_1115852.jpg右は釜山港に着いた朝,船の特二等船室の窓から写したもの.

左は関釜フェリーの勇姿


f0036720_159398.jpgf0036720_151146100.jpg右は仁政門の紅葉

左は水原民俗村の一風景
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by papillon9999 | 2006-09-09 22:06 | Comments(4)
Commented by 夢十夜 at 2006-09-11 23:04 x
papillon様
「牛の血」のお話があって、懐かしさとともに思い出しましたのでコメントさせていただきます。全斗煥大統領の頃(多分1982,3年頃)、韓国の会社に技術指導のために駐在していたことがあります。
会社の工場には食堂があって、昼食はよくそこで食べました。ご飯は大盛りの麦飯で太刀魚の干物などのおかず少々と、スープがつきます。時々、「牛の血液」入りのスープがでました。なかなか入手できないご馳走とのことでした。「牛の尾」のスープは専門店があって、時々行きましたが、これは絶品です。郷に入れば郷に従えで向こうの食べ物を満喫いたしました。ところで今でも韓国の人は牛の血を食べるのでしょうか?
当時、韓国で一緒に仕事をした人々のことが懐かしく思い出されます。




Commented by papillon9999 at 2006-09-12 09:48
夢十夜さん  コメントまで戴いてありがとうございます.現在でももちろん牛の血は食べていますよ.私は敬遠していますけど.まだ郷に従っていないのですが,実は植物だったら何でも,たとえ苦~~~い木の根っこだって何でも食べきれるのですが,動物は標準的なものしかだめなのです.例えば蛇とか亀とか.あの亀さんが甲羅を剥がれる時を想像すると身震いがします.牛の血も標準には入りません.
ところで,仕事で韓国滞在の経験がおありとのこと.私の周囲の仕事で韓国体験した人々は,韓国嫌いになっている人が多いのですが,夢十夜さんはそうではなかったようですね?私も嬉しいです.
それにしても1982・3年頃とはずいぶん早い時期ですね.緊張感があったのではないですか.道路に軍隊がいて検問するとか.
Commented by 夢十夜 at 2006-09-13 23:02 x
papillon様
確かに全斗煥時代は軍事政権下で暗いイメージであったかも知れません。しかし、韓国人の中で一人暮らしてみると別の面も見えてきます。
退社時刻頃になると、どこからか国歌が流れてきます。すると、歩いている人は、みなその場で最敬礼をします。映画館では、映画の前にウリナラ賛歌のフィルムが流され、観客はみな起立します。月に一回位でしょうか、防空訓練があり、サイレンがなると、灯火を消して、工場では全員、防空壕に退避します。上空を轟音を立てて戦闘機が通り過ぎます。バスに乗ると、兵士が乗り込んできてチェックを受けることもあります。
以上、建前は厳しそうですが、余りうるさく言われず、適当に手を抜けることも多かった印象でした。そのなかで、いい加減にみえる韓国人も、イザとなると公共心を発揮する現場を見て感激したこともありました。
折からの高度成長の中で、皆さん「明るく」、「したたかに」、「ゲンチャナオ精神で適当に」、「目をキラキラさせながら生きている」との印象的でした。その後、韓国は88年オリンピックの後に1週間ほど行ったのが最後です。また、コメントさせていただきます。




Commented by papillon9999 at 2006-09-14 13:24
夢十夜さま  月一回の訓練は私が初めて行った頃もあったような気がします.でも崔先生たちは知らん顔でした.
普段は特定の場所で,銃を持った兵士が車を一台一台止めて中を覗き込むようなことをやっていました.建前と本音の違いはとても健全に感じますね.香港返還の年に中国で見たのは,テレビが盛んに国家の偉大さを宣伝してるのに,そこにいた庶民たちはテレビをちらちら見るだけで,勝手なことをやっていました.ばらばらで健全だと感じたものです.
東海岸では,鉄条網がずーっと張ってあって,小石があちこちはさんであるんですね.進入した形跡をそれで判別するためです.なあんていっても,夢十夜さんは私より先輩でしたね.失礼しました.