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アルバイシンの丘
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随想や意見,俳句(もどき)

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江戸・明治期の感性豊かな庶民たち-戴いたメールから-
 新年明け早々,或るお方から長文のメールを戴いた。コメントに書こうとされたようだが,ご存じのようにエキサイトはコメント字数が少ないので,長いコメントはいくつにも分割しなければならない。そんなことならいっそ,ということでメールにされたらしい。
 その戴いたメールがすごく貴重なので,お許しを戴いて記事として紹介させていただくことにした。パピヨンの下手な編集が入ると原文の知的な雰囲気が壊れる恐れがあるので,そのまま転載することにする。



 その中で,赤文字とか強調はパピヨンが勝手に付けたものである。無い方が良いとは思うが,パピヨン自身の感動がどこにあるかを示すためにあえてさせていただく。
 以下,ぜひお楽しみください。

======================
初めて記させて戴きます。

 論点はずれるかも知れませんが、経験的に感じた事柄を記させて戴きます。それは、私を含めた民衆はいつの時代も、人と人との関係やその総体としての社会の本質を、案外直感的に見抜いているのではないかということです。
 それを一番感じたのは、福沢諭吉の『学問のススメ』が、あの時代では破格の90万部(だったと思います)のベストセラーになったという点でした。人は元々、平等というたぐいの記述や実学を尊ぶ精神を、日常生活の根底で感性のレベルで受け入れられていたのではないか。そう強く感じたものです。
 以前、江戸後期から幕末頃の私の田舎の寺子屋を調べていた時のことでした。寺子屋はご存知のごとく、今の進学塾のたぐいと違って日常の実学や民衆の常識を子供たちに教える場でした。教える内容は封建的な要素も含めて相当雑多なものだったようですが、目を細めて眺めると底流には、お天道様の下では人は誰も同じ(人はお互い様)というものがあったように思います。(専門的に仔細に調べたわけではありません)。
 いつの時代も、子供も民衆も押し付け(分別臭いものや実地においては嘘臭いもの)は、感性や生活実感から本能的に見抜いて敬遠するものです。立身出世等々のニンジンがぶら下がらない学問においては、技術的な事柄でも精神・倫理の事柄でも、より本質的な実用性が求められ、案外この辺で寺子屋は成り立っていたのではないかと思ったものです。
 明治の初期、私の地方のある田舎では、寺子屋を拠点にルソーなどの読書会があったということです。そこでの人々の読み方は、私の感じるかぎり極めて直観的なものだったようです。それは、今の多くの学生や知識人達のように教養を積み重ねて中身を理解するというのではなく、「おう、おらもそう思う」。そんな風に、自分の日々の感性や経験に基づいてストレートに受け入れていたように感じます。福沢の『学問のススメ』のベストセラー化の根底にも、これと同じものがあったように思います。更に見れば、武士とは名ばかりの下級武士、日常生活においては民衆とそれほど変わらない生活を送っていた西郷隆盛ら幕末の志士達の根底にも、この民衆的な実学の感性が根づいていたように思います(福沢なども当時はそうだったのではないでしょうか)。
 「四民漸く自由の権を得せしめんとす」と記し、武力独占の武士社会からの解放としての徴兵制―これを記した明治5年の徴兵告諭も、明治維新を解放と捉えていた当時の者達の意識を反映するもののように思います。当時、これほど速やかに四民平等の意識が波及した根底には、民衆の寺子屋的な感性や道理の感覚があったように思えてなりません。

 拝読し、自分の思いを長々と書き連ねることになってしまい、大変失礼致しました。
======================

そして,お礼の返事を差し上げ,紹介のお許しを請うた処,次のような第2信を戴いた。

======================
 公開コメントとしてお送りするはずのものでしたので、御活用戴けますならば幸いに存じます。

 十年ほど前、私の田舎のある旧制中学の成り立ちを調べる中で、見つけたり感じたりした事柄を記した次第です。おっしゃる通りこの国の歴史は、地方史やこの種の学校史に至るまで皇国史観等の「公式」の歴史に彩られていますが、資料室に埃にまみれて残っていた当時の人々の手記等は、その種の歴史や歴史観とは異なる事実と思いを伝えていました。皇国史観に基づいて建前を吹く当時(日露戦争期のウルトラナショナリズム時代)の校長に生徒や親、さらには教師達も反発、反乱した形跡(表は取り繕いつつも校長は追い落とされた)等、多分その頃も伏せられた事実が埃の中から見つかったものです。
 敗戦前後の頃も生徒達は建前を鵜呑みにせず、感性や嗅覚レベルで虎の威を借る者達(配属将校や勤労動員先の工場主など)に反発反抗した―。こういうものも見つかりました。多分どこの地域の学校などにも、この種の資料が省みられることなく、または意図的に避けられつつ埋もれているのだろうと思います

 メールに切り替えたため、筆名を記さず失礼致しました。「田舎のあおぞら」とお記し下さい。

 今後ともよろしくお願い申し上げます。

                      田舎のあおぞら
======================

 ということで,戴いたメールの送り主は『田舎のあおぞら』さんでした。

 「田舎のあおぞら」さん,貴重なメール,誠にありがとうございました。

 さてさて,読者のみなさん,庶民のレベルでこのような豊かな感性がずっと根付いていたのではないか,ということを知ると,ホントに元気が出て来ますね。
by papillon9999 | 2011-01-13 21:25 | Comments(9)
Commented by 灰汁狸菟簀 at 2011-01-14 12:16 x
>人は元々、平等というたぐいの記述や実学を尊ぶ精神を、
>日常生活の根底で感性のレベルで受け入れられてい
>たのではないか。そう強く感じたものです。

階級社会故に平等の精神を底流で持っていた
当時の人々が今の日本人の平等故の階級社会の
体たらくを観たら激怒するでしょうねえ…(^o^)/

>子供も民衆も押し付け(分別臭いものや実地においては
>嘘臭いもの)は、感性や生活実感から本能的に見抜いて
>敬遠するものです。

ミエミエの詐欺政党&政治家にこれほど多くの人が
騙される今の日本人て、ひょっとして当時より退化してる?
Commented by たんぽぽ at 2011-01-14 23:21 x
トラックバック、ありがとうです。

庶民の感性というのは、意外と核心を
ついていたりするんですよね。
わたしも、そうした素朴な感性に立ち戻って考えて、
本質をつかもうとすることもよくありますよ。

でも、これは反対の意見もあるんですよね。
やはりちゃんとお勉強したかたでないと
本質を見抜けないと言いますか。
ご紹介しておきますが。
http://taraxacum.seesaa.net/article/166660274.html
Commented by papillon9999 at 2011-01-14 23:34
>階級社会故に平等の精神を底流で持っていた
こいはなかなかの名言ですぞ。
>平等故の階級社会の体たらく
こいも,もはや平等にあきたらず密かにまたは公然と差別化したい欲望,を表現した名言バイ。
>今の日本人て、ひょっとして当時より退化してる?
これはその可能性大いにアリですたいネ。というのは悪い意味の『慣れ』でっしょ。ようやく手に入れた「自由と平等」。なにより,「自分のことは自分で決めることができる」。それを喜ぶ清新な気魄。
だが今は,それらの有難さを感じ取れん鈍さ。
じゃが,
>ミエミエの詐欺政党&政治家
こういうとこがいくら勉強しても進歩できん。
Commented by papillon9999 at 2011-01-15 00:58
コメントどうもありがとう。

>でも、これは反対の意見もあるんですよね。

これはこれでそう思いますが,レイヤーの違う話のような気がします。
パピヨンも「市民感覚の欺瞞性」などのような記事を書きましたが,群集心理という言葉もあるように市民は次第に自らを騙していくのですね。あたかも初めから自分はその意見だったかのように。

で,市民感覚が満点ならすでにとっくに素晴らしい世の中になっているでしょう,ということなんです。
そういう意味の安心感ではなくて,『すべてがダメな人ばかりじゃない』という意味の信頼感ですね。

現代では曲がりなりにも民主主義社会を標榜していますから,理論的には良い社会です。だから『ダメでない人が少ない』のが問題で,『社会はこれ以上良くならない』のですが,ここでの意味は逆位相で,
社会がダメな時代であっても,『社会を良くする感性』を持った庶民は必ず居る,という意味だと思うのですよ。それが社会を改善する原動力,燃料となっていく,という気がします。

尤も,今もすごく「ダメな社会」とも言えます。それをダメと思う感性は今でも健在だと思います。ただし,数が多いかどうかは心もとないけど。
Commented by 田舎のあおぞら at 2011-01-15 10:38 x
 ご掲載、ありがとうございます。蛇足かと思いますが、付け加えさせて戴きます。私が感じた庶民大衆の感性は、たんぽぽさんご指摘の二項対立の一方としてでは無かったです。追伸的に記した「戦時下の反抗」は、その種のフォーマットで捉えられ易い部分でしたので、ためらいつつ記したものです。
Commented by papillon9999 at 2011-01-15 15:47
貴重な文章を戴き,誠にありがとうございます。

仰るように二項対立として描がれているのではないと思っていました。従って,たんぽぽさんの引用記事にも全く違和感はないんですね。

昔から大衆の知恵と言いながら衆愚といったり,二つの矛盾する側面があって混同しやすいのですが,どちらがホントなのかなかなか難しい。
それを改めて考える良い機会でした。深く感謝申し上げます。
Commented by たんぽぽ at 2011-01-15 16:54 x
アルバイシンの丘さま

>『すべてがダメな人ばかりじゃない』という意味の信頼感ですね。

>社会がダメな時代であっても,『社会を良くする感性』を
>持った庶民は必ず居る,という意味だと思うのですよ。

なるほど。
そういうことでしたのね。
どうもありがとうございます。


田舎のあおぞらさま、はじめまして。

わたし、正しく読み取れていなくて、ごめんなさいね。
Commented by 田舎のあおぞら at 2011-01-16 08:15 x
 papillonさま、たんぽぽさま。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
Commented by papillon9999 at 2011-01-16 18:16
田舎のあおぞらさま

こちらこそよろしくお願い致します。
ご研究をまとめられると大変貴重な記録が後世に残ると思います。ぜひ期待したいです。