アルバイシンの丘
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最高裁にこそ裁判員を!(1)
 今,わが国初の裁判員裁判が進行中である。その様子を見る意味もあってこの記事を書きかけながらだいぶ放っておいた。しかし,今回の裁判だけの成否だけに左右されない問題点がいろいろありそうなので,パピヨンなりにまとめておく。
 裁判員裁判の批判の論理は各地でなされているだろう。それらをあまり勉強してないので,パピヨンの知らない優れた反対論拠は当然あるものと思う。少しだけネットを見て探し出したのが次のサイトである。



  裁判員制度 ここが問題!

 ここには裁判員裁判の批判論拠がわかりやすく説明されていて,大いに参考になるが,裁判員裁判の理念の矛盾が非常にたくさんあって驚かされる。何にしても,今導入しようと躍起になっている人たちの欺瞞性が明らかにされ,裁判員裁判の正当性が乏しいものであることが露わになっている。
 本記事では,このような理念の矛盾や制度の欠陥について,このサイトを参考にしながら,二番煎じでながら簡単にまとめておく。

 1.三審制の否定,実質的形骸化

 最も重大な問題はこれではないだろうか。何しろ憲法違反問題が絡んでくるからである。上記サイトによると,『最高裁は、控訴審の在り方として、第一審(裁判員裁判)の結果を尊重するという方向性を示している』そうである。
 これは制度の矛盾を覆い隠す苦肉の策としか言いようのないものである。論理矛盾が露骨に現れている。すなわち,第一審の判断を控訴審で覆したら,「市民感覚」を専門の裁判官が覆すという意味になり,それが積み重なる可能性が高い。そうなると導入の大義名分が消え去ると恐れるのである。
 それなら道は二つ。上級審にも裁判員裁判を導入するか,第一審尊重となるしかなかったのだ。ところが,第一審尊重となると憲法76条違反の疑いが出てくる。一つは三審制崩壊であり,もう一つは,裁判官は独立した良心のみによって判断すべきことを,第一審に影響されるからである。(陪審員制度もこの観点から憲法違反となる疑いが濃い。)
 最高裁は上告理由(不適性)を以って,上告を棄却することを浸透させているが,すでに三審制を実質形骸化させているのである。このような「市民感覚のない」最高裁こそ,市民参加が必要ではないか。本記事のタイトルの所以の一つである。
 どうしても裁判員制度を実施するのなら,上告審まで裁判員制度を貫かねばならないジレンマを本質的に抱えているのである。ところが最高裁はその特権意識から,その場所を市民には開放することは絶対にない。ここに大きなごまかしがあると言える。
 
 2.裁判の手抜き

 裁判の当事者にとっては,理念なんかよりもこちらがより直截的に影響するが,何と言っても裁判がこれまでよりはるかに手抜きされる,という面はどうしても否めないだろう。
 まず,裁判の短さ。最初の最高裁の宣伝で,裁判員の拘束期間は3・4日ということを聞いて,直感的に裁判が短すぎると思ったものだ。実際に始まってみて,予定通り今日で実質審理は終了,明日は評決が下されることになっている。やはり,あまりにも短すぎる。
 考えてみればわかる。鑑定書の熟読と判断,現場検証,被告と被害者の関係に関する情状,そういうことをやるには全く時間的に不十分である。
 量刑にも迷うだろう。しかし,思う存分迷う時間は許されない。エイヤっで決めなければならないだろう。今回の裁判では幸いなことに事実認定を争う余地はないようである。もしこれが事実認定を争う裁判であればどうなる。裁判員の判断は自発的なものとは決してなりえない。検察の筋書きに取り込まれるか,弁護士の印象操作に魂を奪われるか,いずれかだ。判断の容易な裁判であれば判断に迷うことはないだろうが,すると裁判員でなくても良い。市民感覚などいらないからだ。
 裁判員裁判とは,このような手続きを経て判決が下される代物である。これが裁判の手抜きでなくて何と言えばいいのか。
 これまでの裁判は異常に長かった。しかし,異常に長かった裁判を裁判員制度で正常化する,という理屈は成り立たない。裁判員制度でなければ適切化できないという問題ではないのだから。弁護士と裁判官と検察のすべての怠慢の故である。(何しろ,数分で終わる公判というのがざらにあるんだから!)

 結局,裁判員制度とは,裁判所ではなく『国民同士で刑を決めていいよ』と国民に負託した(投げた)ものと解するべきなのかもしれない。そうであればこれはお上の特権意識の表われともいえよう。つまりは,個々の国民の運命(懲役とか死刑とか無罪とか)などには関心が無いということだ。上告理由が相当するものかどうかの形式的な判断のみに関心があるのだ。それと行政の悪法に対して,憲法判断になじまない,という託宣を並べることくらいか。

 すると,市民感覚が一番必要な所は最高裁だということではないか!

 時間がないのでとりあえずここでアップ。プライバシー問題やその他の論理矛盾点を書いて見ます。
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by papillon9999 | 2009-08-04 21:55 | Comments(0)